212-聖人とは正しく聖者ではなく
「……馬、速い……止める、必要……」
「つまり、斬ればいいと‥」
「追う、走る」
「……なるほど、頑張ります」
馬と旅人に無視された形になったフーは、手を虚空に伸ばしながら海音にたどたどしく指示を飛ばす。
それを聞いた海音はすかさず刀を構えるが、フーに止められると一瞬で納刀して走り出した。
リューは変わらず地面に転がったままであるため、本来追跡に適しているフーはこの場を離れることはない。
しかし、海音はずば抜けた身体能力を持っているので、みるみる彼らに迫っていく。
「……?」
「この時期の当番は湖♪ 正しくて堅物な円卓の最優♪
だけど、封鎖されて困難は太陽♪ 正しくて従順な円卓の最高♪ あの女なら押せばいける、任せるぜ相棒♪」
旅人とは違って自分の足で走る海音だったが、追いつくのにそう時間はかからなかった。目の前を通り過ぎていった時はぼんやりとしていて、かなりの距離を離されていたのだが、ものの数分で彼らに追いつき並走を始める。
しかし、無言で上に乗っていた狩人とは違い、騒がしく喋りながら走っている馬は彼女に気が付かない。
気が付いたはずの狩人も首を傾げるだけだったので、馬が足を止めることはなく、海音も並走を続けることを余儀なくされた。
「あの、止まってくれませんか?」
「……?」
「勢いで押すために止まらぬが最善♪
叱る時間消すために止めねぇぜ運転♪」
全力疾走しながらも、狩人が乗る馬を止めるために話しかける海音だったが、馬は蹄も声も騒がしすぎて気が付かない。
狩人もなんだこいつ……? というようにうっすらと目を細めているので、海音は目に見えてイラッと表情を歪めた。
だが、それでも狩人は首を傾げるだけであり、ついに海音は腰から刀を抜く。一瞬で鯉口を閃かせると、峰打ちながらも全力を込めた一刀を馬に叩きつける。
"天羽々斬-鞘"
彼女が放ったのは、刃があれば天すら斬り裂いた水刃。
今回は峰打ちであるため叩き潰される程度だろうが、峰打ちにしてはかなりの力を込めた一撃だ。しかし……
"ストレッチアウト・フェイルノート"
ほとんど表情が動かない狩人は、落ち着いた様子でマントからハープボウを取り出すとポロロン……と曲を奏でる。
するとその瞬間、周囲にキラキラと光る糸が張り巡らされ、海音の斬撃は簡単に受け止められてしまう。
同時に、まばらに生えている木々や地面に縫い付けられた馬は、強制的に急停止させられて断末魔のような悲鳴を上げる。狩人は慣性が働く前に飛び上がっていたので、1人優雅に着地していた。
「ギョエッ……!?」
「……? 君は一体何だ? オスカーと似たような……明らかに常識外れな空気を感じるのだが」
マントをはためかせて着地した狩人は、心の底から面倒くさそうな表情をしながらも、低くゆったりとした語り口で海音に問いかける。
しかも、常識外れと言っているというのに、マイペースに糸の回収をしながら。
どうやら峰打ちを軽く防ぐことができたため、そこまで脅威であるという認識にはなっていないようだ。
実際には海音も本気を出していないので、お互い特に意に介さず会話を続けていく。
「その方がどなたかは存じ上げませんが、ひとまず止まってください。私は海音。今はただの侍です」
「……もう止まっている。用でもあるのか?
そこの馬が立ち上がるまでに話してくれ」
「おいおいお〜い、オレには名があるだろうがソン!!
力ずくで止めるたぁ随分手荒なことしてくれるじゃねーの。
なんだよ、アヴァロン目前で殺し合いてーのかぁ!?」
海音の要請を聞いた狩人――ソンは、雑に馬を指差しながら無表情で呟く。彼はたしかに止まっているのだから、その返事は妥当だろう。
しかし、彼の言葉にいきり立った馬を見ると、少し考え込む様子を見せた後、途端にむちゃくちゃなことを言い始めた。
「……やはりあれが立ち上がるまではやめておこう。
あれを叩き潰してくれ。そうしたら話を聞こう」
「それだけでいいのですか? ならお安い御用です」
「ハァーッ!? おいおいおい、待て待て待て!!
なんでそうなるんだ!? 相棒だろ!? ちょちょっ、あんたもそんな物騒なもんしまえって!! ちょあーッ……!?」
ソンの要望を聞いた海音は、もちろん斬ることにためらいがないのですぐさま抜刀する。むしろ、それしかできないと自負しているため、率先して刀を構えていた。
その様子を見た馬は、騒がしい表情をして騒がしい声で叫ぶ。今にも斬られそうなのだから当たり前だが、ソンと海音を交互に見ながら騒々しく喚き散らす。
だが、斬っていいと言われた海音が止まるはずもなく。
倒れながらもドタバタと後退りする馬に、容赦なく霧のように細かな斬撃を加えた。
"我流-霧雨:鞘"
地面を這いずって無様に逃げていた馬だったが、海音の連撃から逃れられるはずもない。全身をボコボコに打ち付けられてしまい、瞬く間に意識を手放した。
この存在からして騒がしい馬と同じ空間にいて、ここまで静かなのはどれほど珍しいことか。
泡を吹いて倒れる馬を見ると、ソンは無表情ながらもホッとため息をつき、海音に続きを促す。
「それで、どんな用事だ?」
「よ、用事……」
「なんだ、ないのか? ならなぜ呼び止めた」
「フーさんがそう言ったので」
「……なるほど、あれか。なら彼女のもとまで戻ろうか。
アブカンは……君の方が力がありそうだな? 運んでくれ」
「わかりました」
用を言わない胡乱げな目を向けるソンだったが、彼女が遠くにいるフーを指差すと納得したように頷く。
そして、彼らは気絶している馬――アブカンを海音が運ぶというふうに決めると、フー達がいる所まで戻り始めた。
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「……ミョル=ヴィドへの侵入者、か」
「一言で言えば、そうなりますね。あなたは?」
「私は森に帰るところだ。あの国の出身だからな。
名はさっきこれが呼んだように、ソン。
一応円卓の騎士をやっている。風に乗って放浪しているが」
海音がアブカンを担ぎ始めて数分後。
フーのもとに戻ってきた彼女達は、まずはお互いの自己紹介をしていた。
と言っても、リューは変わらず倒れているので不参加。
アブカンも気絶しているので不参加。
フーもまだたどたどしくしか話せないので、リュー達の面倒を見るという名目で不参加だ。
彼女も話自体は聞いているだろうが、実質的に海音とソンの一対一での対話である。
「森に帰るということは、ソンさんは許可証となるルーン石を持っているのですか?」
「もちろん持っている。なければここに来た意味がない」
「見せてもらっても?」
「ああ」
海音が許可証を持っているというソンに頼むと、彼は迷うことなく懐から一つの石を取り出す。出てきたのは、若干キラキラと神秘的に輝いており、三角形が頂点を軸にくっついているような模様が描かれた石だ。
流石にソンの手に握られたままだったが、それでも初めて見るルーン石に海音は興味深げである。
「なるほど……こういうものなのですね」
「もういいか? それと、結局何の用だ?」
「もう少し待ってください。見たことがない文字で面白いです。用事については、フーに聞いていただけると」
「はぁ……おい、フーさん? 呼び止められた理由を‥」
ルーン石をしまおうとしたソンだったが、海音がもう少し見たいと頼むと、ため息をつきながらもそれを受け入れる。
そして、少し離れたところから様子を伺っているフーに用事を聞くべく話しかけたのだが……
「……あ」
注意がルーン石からフーに移った隙を突かれ、手に握られていたそれを海音に奪われてしまう。
まんまと許可証を手に入れた海音は、そのままフー達を置いてノーグへと走って行ってしまった。
「……ふむ。盗られてしまった」
しかし、かなりマイペースな性格であるらしいソンは、特に彼女を追ったりということはしない。
流石に困り顔になってはいるものの、変わらず低くゆったりとした声で呟きながら、静かに彼女を見送っていた。
暴行、窃盗……