193-不可侵の扉・後編
「……」
「……あ」
ノーグを見上げていた俺が目を合わせてしまったのは、その壁の上から同じように地上を見下ろしていた……男性?
遠いし全身も見えていないけど、少なくとも大嶽丸のような巨体ではなく、紫苑のようにガタイがよくもない。
ただ、ヴィニーより少し細いくらいだし、髪もそこまで長くないので、少し髪を伸ばしたあいつみたいだ。
顔立ちも整っているが、中性的で判断に困る……
八咫で船長さんを見てるからなおさら。
体型、顔で判断がつかないとなれば、次は声を聞きたいところではあるけども……
彼はジッとこちらを見下ろしてくるばかりで、一言も言葉を発さない。
さっきの海音の斬撃で気がついたとかじゃないのか……?
とりあえず、攻撃もしてこないし話しかけてみるか。
「えっと、こんにちは」
「……」
俺が声をかけても、彼は口を開かない。
しかも、こちらからまったく目を離さないくせに、そこまで気にしている訳でもないようだ。
ゆったりと壁の縁に腰掛けた彼は、体にフィットしたパンツで包まれた脚を組むと、上着を風で揺らしながら手に顎を乗せ子首を傾げる。
明らかに「今、あなたの観察をしています」というポーズ。
会話をせずとも見極められますよっていうことか……?
透き通った水面みたいに、どこまでも見通されている気分だ。
「猫の同類、人の眷属、化け物。なるほど、門扉を叩くだけのことはありますね。血迷った訳でも、自殺志願者でもないようだ。しかし、それでもまだ足りない。あなた達は命知らずにも、本気でこのミョル=ヴィドに侵入しようとしているのですか? 我ら円卓に管理された、神獣の土地へ」
危険はないがあまりの居心地の悪さに、俺がロロや海音と顔を見合わせていると、突然壁の上の人物は声をかけてくる。
猫はロロだとして……化け物は、ここにいる面子で1番強い海音か? 俺を人の眷属と呼ぶのはよくわからないけど……
とりあえず、話はさせてもらえそうだ。ついでに、声も船長さんと同じように中性的で、性別がわからない。わざと低くしてるようには感じるけど……綺麗だし女性なのか?
だけど、同じくわかりにくい船長さんも女性っぽい声と男っぽい声の両方が出せたし、あまり当てにはならなそうだ。
全身を見てみても、彼との違いが髪色くらいしかない。
金髪か白髪かの違い、長めか短めかの違い。
長髪を女性らしさと言うならば、船長さんの方が女性らしさがある。まぁそれよりも、俺は海音が変なことを言う前に交渉しないとな……
「ああ、確かに俺達はミョル=ヴィドに入りたい。
けど、怪しいことをするつもりはないんだ。ただ、この森にいるっていう暴禍の獣を殺しに来ただけで」
俺が問いに答えると、その人物はスラッとした脚を組み換えながら再び黙り込む。まだ目を離さないので、あれだけはっきりと実力を測っておいて、まだ観察しているよう……
「あまり……おすすめはしませんよ?」
俺がぼんやりと壁の上を見上げ続けていると、いつの間にか目の前に現れたその人物が、そうつぶやきながら俺の喉元に刃を突きつけていた。
俺だってこの人と同じく、ずっと目を離していなかったというのに、いきなり……!!
「ッ……!?」
「クロウさんっ!!」
"我流-氷雨"
あっ……ぶな!? まったく反応できなかった俺が、今にも喉を斬り裂かれようとした瞬間。唯一反応できた海音が刀を斬り上げたことで、喉元に突きつけられた剣は弾かれていく。
しかし、相手の武器は二本の剣だ。
四分円状に広がっていく斬撃は無数の氷粒の如き鋭さだが、片方を弾かれても隙はなく、もう片方で防ぎながら後方転回で距離を取る。
というか、海音が防いでくれたお陰で助かったけど、危うく俺ごと斬られるところだったよな……?
万が一もなかったんだろうが、四分円は地面から俺の鼻先だったからヒヤヒヤしたぞ……
密かに深いため息をつくが、当の海音はつゆ知らず。
愛刀波切を構えながら威嚇し始める。
「敵、と見てもいいですか? それとも、これが神獣流の歓迎……冗談だったとでも言うつもりですか?」
「冗談……ではないですが、まだ殺すつもりはないです。
裁きは森への侵入者にのみ。あなた方は、まだ外だ。
さっきのは警告ですよ。扉は許可なき者には開かれない。
死の森へ足を踏み入れれば、決して生きては帰れない。
死にたければ、お好きにどうぞ。我ら円卓が裁きます。
ブロセリアンを生きて通り抜けられれば……ですが」
だが、おそらくノーグ唯一の番人である人物は動じなかった。腕ごと弾かれた剣を腰に収めながら、親切にも侵入者……になるであろう俺達に警告をしてくれる。
どうやら、現時点では本当に敵意はないようだ。
さっき刃を突き立ててきたのが嘘かのように、上品な仕草で礼をしてみせる。
今の海音の攻撃を受けて、まだ余裕の表情を崩さないなんて……強いのはわかってたけど、予想以上にヤバそうだ。
少なくとも、運だけの俺じゃ相手にならない……よな?
この人、神獣だからか神々しい以外はよくわからない。
まぁ聖人や魔人でも、俺はそんな強くないし普通に隠されそうだけど。
……いや、そもそも普段はそんな荒れるもんでもないか。
大体のやつは、自分の神秘を制御できる。それが神獣なら、人の姿を取れていることが完璧な制御である証明だ。
ともかく、この人は行動的にもオーラ的にも、今は完全に敵意を持っていない。海音はなぜかまだ刀を構えているから、言葉にしてもらうけど……
「つまり、入るまでは何もしないってことか?」
「Exactly,blessed」
「入れば殺すって言ってんのに、調子狂うな……」
ようやく海音が刀を納めたこともあり、再び優雅に礼をしてみせた相手を見て、俺は思わず軽く頬を引つらせてしまう。
海音の方が強いんだから、俺よりもはっきりとオーラが凪いでることも見えてるだろうに。
まぁ、本気じゃないことと敵意は別だし、俺達の目的からしてみても、結局は敵になるんだからわからなくはないけど……
いや、よく考えたら森に入った途端に豹変するのか。
さっきのが本気で飛んでくると思うと、めちゃくちゃ怖いな。こちらとしては敵対するつもりがないけど、もし入るだけで殺意を向けられるなら……
「ちなみに、私は戦う場合、相手が小手調べのつもりだろうと本気でしか戦いません。殺意は別ですが手は抜きません」
「や、やりませんって……」
考えていることを読んだかのように釘を指してくる宣言に、俺は焦りながら慌てて否定する。めちゃくちゃ決まりに厳しそうな人だけど、なんかすごい優しい人だ。
今も慌てる俺を見て、薄っすらと微笑んでいる。
こ、この人に本気の殺意を向けられたくない……!!
侵入することになる以上不可能だけど、絶対に敵に回したくないタイプだ……!! 怖い……!!
……けど、決まりを守れば優しいんだよな。
聞いたら色々と教えてくれそうなくらいに。
「ちなみに、質問とかさせてもらえたり……」
「ふふ、先人に学ぶ姿勢を持つとはいい心がけです。
可能な範囲でなら答えましょう。私はあの男と違って、ほとんど外へ出る許可はいただけませんから……!!」
試しに聞いてみると、思ったよりも簡単に要求は受け入れられた。腰を下ろしたその人は驚くほど楽しそうに笑っていて、話すことか勉強することが相当好きらしい。
あの男という人物に恨みでもあるのか、後半は湖の底のように暗い目をしていたけど……
「あ、あの男……?」
「気にしないでください。私事です。それで、質問は?」
「えっと……」
恐ろしくてつい聞き返せば、すぐに表情を改め質問を聞いてくる。外でなら何を聞いてもまず殺されることはないため、俺は思いついたことをひたすら聞いていくことにした。