間話-鬼の人、侍の人
百鬼夜行、鬼神大戦を経て、人と鬼人は共存を始めた。
1つは、幕府が百鬼夜行で捕らえられた鬼人達から死者を出さなかったから。1つは、岩戸へと避難していた町民を守ることに、鬼人達も協力したから。
元々、滅ぼしたいとまで恨んでいたのは鬼神ばかりで、人も鬼人も互いを恐れただけだ。
紫苑が長らく劇を行っていたこともあり、多少ビクビクしながらもなんとかコミュニケーションをとっていた。
とはいえ、特に人を殺し、侍に殺されかけてきた名前付きの鬼人達は少しばかり事情が違う。
計らずも茨木童子が鬼人の悪を引き受けて死んだが、熊童子などは彼に従って多くの鬼を助け、人を殺していたのだ。
彼らは大嶽丸のように里にこもり、これまで通り暮らしていた。
「おい、熊」
屋敷の屋根の上で寝っ転がる巨躯の鬼人に、壁の間で勢いをつけて飛び乗ってきた松陽がぶっきらぼうに声をかける。
視線の先にいる鬼人は、熊童子。
お互いに幾度も殺し合った仲であるためあまり親しげではないが、共存を始めているため敵意はない。
松陽は刀を腰に差しているのだが、熊童子はいつになくのんびりと返事をした。
「なんだぁ、松?」
「今、君は何を考えてる? こんな場所では俺の目も届かない。できれば街の近くに住んでほしいんだけどな」
「あー? 何って、爺がいねぇとのんびりできるなぁってくらいだろ。鬼人に率先して襲う理由はねぇからなぁ。
ちびっこやけが人も、もう気にする必要ねぇし。
あー、あとはいつ死ぬかなぁとか?
戦う相手いなくなって暇だし、そろそろ死んでもいいなぁ」
「なんだ。君、もう心が折れた?」
ゆったりとリラックスした口調で弱気なことを話す熊童子に、松陽は挑発するような言葉を返す。
普段なら確実に怒り、殺し合いになるところだ。
しかし、妙にやる気のない熊童子がその挑発に乗ることはない。どうでも良さそうに受け流し、冷静に言い返す。
「はっ、仙人如きに言われたくねぇよ。そのうち死ぬてめぇらと違って、神秘は自然にゃ死なねぇ。選ぶタイミングとしては、これ以上ないくらいピッタリだろ」
「どうあれ、監視していたいんだけど」
「俺は熊だぜ? 人前に出んのはまだ早ぇだろうが。
わざわざ人の形をとってやんのも癪だしなぁ」
「できないだけだろ?」
「喧嘩売ってんのかぁ? 暇だし買ってやってもいい」
「嫌だね。君はそのナリで意外と狡猾だ。
どうせ仲間と示し合わせて言ってるんだろ?」
「もちろんだ。まぁ、どいつもこいつも、てめぇが連れてきた相方に懐柔されてっけどなぁ」
うんざりしたように首を振って見せる松陽に、熊童子はあっけらかんと笑って、地上を視線で示す。
すると、もう熊童子は問題なさそうだ……とようやく腰を下ろした松陽の眼下には、鬼人達に囲まれる女性――政所次官の雫がいた。
「はい、どうぞ。皆さんも召し上がってください」
「感謝する」
「うわ、すっげ。お前のとは別もんだぜ、金熊!」
「あ、あたしだってこれくらい……くっ……!!」
どうやら彼女は、しれっと持ってきていた食べ物を下で屯していた鬼人達にお裾分けしているようだ。
桜餅、おにぎり、コロッケ、卵焼きなど、実は視察ではなくピクニックにでも来ていたのか……? と錯覚してしまうような品々を住民と分け合っている。
馴染み具合も尋常ではない。
しかも、このことは屋根の上から眺めている松陽も知らなかったようで、熊童子の隣に座ったまま呆れ返っていた。
「わー策士。そもそもどこに入れてきてたんだろ」
「てめぇがぼんやりしてただけじゃねぇのか?」
「俺は君と違って、事務仕事もしっかりしてる人だ。
直属だった獅童さん以外も、美桜さん、海音さんとまともに仕事をしない、できない人ばかりだったからね」
「じゃあこんなとこ来てねぇでさっさと帰れ」
「まぁまぁ。とりあえず俺達も行こう。
おーい、雫さん。俺達の分も分けといてくださいよー」
「おい! ……ったく。ぜってー手伝わねぇからな」
熊童子を誘って屋根から飛び降りていく松陽に、熊童子は不満げながらも渋々ついていく。
松陽の目的は、里にこもった彼らを監視しやすい場所に呼ぶこと……つまりは幕府に入れることである。
獅童は死に、雷閃は仕事ごと無くし、海音は大雑把。
影綱も意識不明の重体であり、現幕府は珍しくちゃんとし始めた美桜だけが頼りなのだ。
時平も道真を名乗って国を出たため、侍所、政所、問注所の実質トップである副長、次官の過労は必至だといえる。
それに目ざとく勘づいた熊童子は、決して絆されないように気を引き締めながら輪に加わった。
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鬼人に与えられる襲名制の称号もとい名前。
それは、その個体が特に強い鬼人ことを意味し、より多くの被害を出した存在であると言える。
だが、鬼人の大火以降ろくに人と関わらなかった酒呑童子や鬼女紅葉、むしろ鬼よりも人と過ごしていた鳴神紫苑などは例外だ。
後者はそもそも迷惑行為以上のことは起こさず、前者は被害を出したのが1000年以上も昔の話で、それも原因は人であり理不尽なものではなかった。
そのため、彼らは今回の騒動後に熊童子のように里にこもることはなく、人里で治療を受けたり、人と家族になって共に暮らしたりと人間に馴染んでいく。
とはいえ、もっとも人に馴染んだ鬼人――鳴神紫苑は、下半身が消し飛んだまま未だ回復の兆しは見えないのだが……
怯えられながらも、執権の美桜という後ろ盾を得た彼女達は平和な日常を過ごしていた。
「紅葉姉ぇ、おはよ……」
早朝。鬼人には似つかわしくない時間に布団から起きてきた環は、それらをパパッと放り投げると、襖を突き破って居間へと直進する。
彼女が目をこすりながら部屋に入ると、そこにいたのはもちろん、紅葉のように赤い和服を着て正座している鬼人――卜部紅葉だ。
否応なく環に気がついた紅葉は、座ったまま微笑み、挨拶を返した。
「おはようございます、環様。……どうかされましたか?」
「……家ぞくって、たいとうなんじゃないの? 様って……」
「妻は時に、夫を旦那様と呼びます。私も同じように、貴方への敬愛、親愛などを含めているのですよ。
しかし、お気に召さなければやめましょう、環ちゃん」
「……」
里と変わらず敬語で接してくる紅葉に不満げだった環だが、紅葉の説明を聞くと堪らず首を傾げた。
環は大嶽丸と同世代の神秘であり、紅葉よりも遥かに長生きではあるが、彼女の時間は神秘に成った時期で止まっている。
それに彼女たち神秘には寿命がないこともあって、実際の年と中身はそこまで関係がないため、返事に困ってしまったようだ。じっくり考え、言葉を読み解いた環は、難しい表情で呟いていく。
「えっとね、わかるよ……うやまわれてるけど、親しみもかんじてくれてて、あいしてくれる。なんで? って思うけど、紅葉姉ぇの思いをひていしたくない……」
「ごめんなさい、環ちゃん。困らせてしまいましたね。
流石に様はやめますが、私は美桜さんも敬いますので、それでどうでしょう?」
「いいよ。美桜姉ぇ、しごと?」
様はなくすことで落ち着いた彼女達は、お互いの手を握りながら笑い合う。彼女の口調に関しては、基本的に誰もに丁寧で強制するようなことではないため、環もご機嫌だ。
握った手を上下に振った後、彼女の膝に乗っかりながら美桜のことを聞く。
「そうですね……影綱さんが倒れている以上、美桜さんの仕事は幕府のすべて。無休で働くことになるでしょう」
「……かなしいね」
「差し入れでも持っていきますか?」
「うんっ! なんか作ってこ! いっしょにごはん!」
「そうですね。おにぎりをにぎにぎしていきましょう」
「おーっ!」
話しているうちにばっちり目も覚めた環は、今日の予定が決まると、両手を振り上げて嬉しそうに笑う。
普通に生活していれば、今日は卜部家で一番忙しいであろう美桜には会えなかったかもしれない。
しかし、昼食を作っていくとなれば会えること確実だ。
彼女はまだ朝食を食べていないことも忘れ、紅葉の膝の上ではしゃいでいた。