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化心  作者: 榛原朔
間章
224/432

間話-呪いの泥沼

飢えた獣――暴禍の獣(ベヒモス)は、大陸中に現れる。

花々の咲き誇る恵みの国フラー、現人神であるアークレイの治めるエリュシオン、死者が多い分出産数も多いタイレン。


特に狙って行くようなことはないが、目についたものを喰らいながら、気まぐれに。それは、数々の国で災禍をもたらしていた……




数百年前、フラーのとある町にて。

巡回警備中にある噂を耳にした少年騎士は、聞き込みの間ぼんやりと空を眺めていた同僚の女性騎士に騒々しく話しかけていた。


「おい! おーっい!! なぁなぁなぁ、フェールーンっ!!」


彼らはフラーを守る聖花騎士団。

エリュシオンの聖導教会……その内部にある組織、聖導騎士団から分岐したフラーの守護者たちだ。


そのため、彼らは定期的に国中の危険な魔獣の駆除、聞き込みなどを行っているのだが……


フェルンと呼ばれた女性は、聞き込みをせずにぼんやりしていたどころか、少年に呼ばれても反応が薄い。

しばらく呼びかけられて、ようやく顔を彼に向けた。


「……え? 何か言った?」

「よんでるんだよっ、話聞けばかっ!」

「なに? また獲物を見つけたの?

前回も突っ込んで行って痛い目見たのに、懲りないね」

「うっせー、今関係ねーだろっ! いいから聞けって、暴禍の獣(ベヒモス)が出たんだって……って、聞いてるか!?」


比較的低く、落ち着く声でそう笑うフェルンに対して、少年は軽く噛み付いてから聞き込みの結果を伝えていく。

だが、また顔が上を向いていることに気がついた少年が注意すると、彼女はまたしても同じようなことを言い始めた。


「……え、何?」

「だーかーら、暴禍の獣(ベヒモス)だっての!!

目げきじょーほー!! 追いはらいに行くぞ!!」

「へぇ、またボコされに行くんだ? 懲りないね。

少しは学習した方がいいと思うけど」

「ふんっ、前回のおれと同じだと思うなよ!

ちゃーんと部下におうえんよぶよう言ってあるし、いい魔導書も手に入ったんだ! まぁ暴禍の獣(ベヒモス)は勝ちに行く相手じゃないけど……追いはらうくらいらくしょーさ!」


少年が繰り返し暴禍の獣(ベヒモス)のことを話すと、やはりフェルンは同じように笑う。

しかし暴禍の獣(ベヒモス)のことを聞いたからか、今回はまたぼんやりし始めることはない。


胸を張って、腰に下げた本を揺らしながら展望を語る少年を見つめ、面白そうにしていた。


「ふーん……まぁ安心して、亡骸は拾ってあげるから」

「勝手にころすなっ!!」


街の衛兵ではできない魔獣の相手もできる騎士だが、ただの騎士では普通の魔獣を相手にするだけでも手一杯。


今回の相手は暴禍の獣(ベヒモス)であるため、フェルンに噛み付いた少年騎士は、彼女だけを連れて標的に向かって進み始めた……




「生きてる? タイム」


彼らが暴禍の獣(ベヒモス)の噂を聞き、町を出発してから数日後。

前かがみになったフェルンの足元には、喜び勇んで突撃していった結果、右腕を失い全身を血に染めた少年騎士――タイムが転がっていた。


とはいえ意識ははっきりしているらしく、彼は先日言われたことも踏まえて彼女に文句を言う。


「だから、勝手に、ころすなぁ……」

「あたしの魔導書には今回、回復系はないんだ。

あなたのにはある?」

「ある」

「拝借」


しかしフェルンは、タイムのケガどころか文句なども気に留めない。慣れた手付きでタイムの腰にある魔導書を外すと、それを開いて術を使う。


"アクアヒール"


フェルンの手からわずかに浮いたそれは、淡く水色に光って開いたページから水を呼び出すと、タイムの傷口を包んでいく。ケガを覆って泡立つ水は、みるみるケガを治していった。


「水辺で作ったんだ? 炎だったら燃やして痛そう」

「治してるときにやめろよ。想像しちゃうじゃん」

「意外と早いね……この魔導書が壊れなくてよかった。

こんな質のいいもの、次は何百年かかることやら」

「おれの心配もしろよっ!? あと話聞けっ!!」

「……あなたは治ったら、すぐ次の獲物に行くでしょ?

心配するだけ、無駄」


自分よりも魔導書の心配をするフェルンに、タイムは堪らず文句を言う。だが、心配をしないことにはしないだけの理由があったようで、彼女はピシャリと言い放つ。


その言葉の通り、まだ完治していないはずのタイムは、次の獲物という話に食いついて目を輝かせていた。


暴禍の獣(ベヒモス)さ、東と西でまよってたんだ!

あいつは西に行ったけど、東にも強いのいるかも!」

「もうあたしは行かないから、1人で頑張って‥」

「なぁ、これ何かわかる?」

「あたしの、財布……」

「へっへー! どう? ついてきたくなった?」

「はぁ……いいよ。どうせさっきと同じで、戦うのはあなた1人だから。また1人で突っ込むんでしょ?」

「フェルンがぼんやりしてて仕方なくだ!

いやー楽しみだなー。神獣だったら、魔導書に刻めるし!」


タイムを放っておいて帰ろうとしたフェルンだったが、いつの間にか財布を盗られていたことで、不承不承ながら同行することに決める。


そして、できるだけ早くタイムが満足して帰還できるよう、すぐにケガを治そうと気を引き締めた。




~~~~~~~~~~




アークレイの治めるエリュシオンは、近隣の国々との繋がりも含めて最も安全な国だと言える。

従って、普段からなんの考えもなしに放浪している暴禍の獣(ベヒモス)も、本能的にか訪れる回数が少ない。


しかし決して0になる訳ではなく、時折フラーやアルステムからひょっこりそれは訪れた。

その度に迎撃するのは、現人神であるアークレイではなく、その配下である聖導騎士団だ……




「えぇ……? 暴禍の獣(ベヒモス)がやってきた?」


数百年前、エリュシオンにある教会にて。

テーブルに突っ伏してダラケていた女性騎士は、唐突にもたらされた情報に顔をしかめる。


彼女にその情報を与えたのは、この教会の主である聖女だ。

にっこりと笑みを絶やさない聖女は、緊急事態でも構わず嫌そうにしている女性騎士にも揺るがない。


そんな態度は見えないとばかりに、特に突っ込むことなくそのまま話を進めた。


「はい、そのようです。迎撃を頼めますか?」

「え、嫌ですけど……」

「神命です。行きなさい、ポルクス」

「……あー。とりあえず、追い払えればオッケーです?」

「そうですね。追い払うことができるのならば」

「わかりました、任せてください。万事了解です」


指令を真っ向から堂々と拒否した女性騎士――ポルクスだったが、崩れない笑顔に怯むと、あからさまに目をそらしながら確認をとる。


追い払えばそれでいい。

いつものように言質を取った彼女は、聖女に負けないようないい笑顔で敬礼をすると、呼び止められないうちにさっさと教会をあとにした。




暴禍の獣(ベヒモス)の迎撃を命じられたのはポルクスだ。

しかし、実際に戦地に赴いたのは……


「ななななんで僕ががががが……!!」


純白の鎧に包まれた全身を震わせ、まともに言葉を話せていない小柄な青年は、足元にできた穴を覗き込みながら呟く。

彼に返事をするのは、暴禍の獣(ベヒモス)が暴れた影響でできたと思われる穴にうっかり落ちてしまった青年騎士だ。


「聖騎士長が行かなくて、他に誰が行くんですか」

「ききき君だけでもじゅじゅ十分だって……てて、ていうか、はは早く穴から出てきてよ……!! こ怖いじゃないかぁ……!!」

「はぁ、これはすみません。今出ます」


震える聖騎士長に口だけ謝った青年騎士は、腰から小さな鉄の棒を取り出すと軽く握る。

すると、瞬く間に真っ赤に焼けたそれは、数秒も経たないうちに長く伸びて穴の左右にぶつかってしまった。


鉄の棒は穴にピッタリとはまるどころか、勢い余って穴の横壁に突き刺さる始末だ。しかも、鉄の棒は熱されすぎて溶けかけているため、一度冷ます必要があるだろう。


青年は少し遅れてそれに気がつくと、間の抜けた顔で左右を交互に見つめ、つぶやいた。


「……あ」

「ちょぉ!? ななな何やってんのぉ!? そそそこはた縦に持って、とと飛び出てくくるとところろろろだよねぇ!?」

「……とりあえず、少し冷ましますね。また時間がかかるかもしれないので、ケルミスさんはお先にどうぞ」

「そそそそそそそ、そんなこと、でで出来るわけなないじゃないかぁ!? ぼぼ僕なんか、ききき気がついたらまま丸飲みにささされてるよ……!! た助けて、カストル……!!」


その様子を見た聖騎士長――ケルミスは、もちろん体の震えを増していく。もはやこの世の終わりとでも言うような、尋常ではない震え方で顔色も真っ青だ。


しかし、穴に落ちた青年騎士――カストルは、本気で先に行く方がいいと思っているらしく、彼が憐れに助けを求めてきても気にしない。


至って真面目な表情を作りながら鉄の棒を揺らし、手応えが変わった瞬間になんの考えもなしにそれを振り抜いた。


「あ、冷めた」

「ぎぃやぁぁぁッ……!? あああ穴を拡げるなぁぁぁっ!!」

「え? あいてっ! なんで岩が降って‥あ、あだだ……!!」


穴の外周から覗き込んでいたケルミスは、地盤を丸ごと崩されて叫びながら穴に落下する。


その声につられて上を見たカストルは、降ってくる岩がぶつかった頭をさすりながらも、何が起こっているのか理解していないようだ。


不思議そうに首を傾げている間に、山のような岩が押し寄せて2人仲良く生き埋めになってしまった。




~~~~~~~~~~




東にある国タイレンは、ビオレ奴隷商会が創設された地であり、現人神に逆らう者達の拠点となっている国である。

といっても、拠点になっている理由はビオレ奴隷商会があるからではない。


タイレンの北に位置するクターは疫病に侵された地であり、南に位置する八咫は聖導教会とはまた別の組織――愛宕幕府が治める国だからだ。


そのため、ビオレ奴隷商会が生まれる前から存在した彼らは、1000年以上昔からこの国に潜んでいた。




暴禍の獣(ベヒモス)は目についたものをすべて食らう。

山を食らう、魔獣を食らう、町を食らう、人々を食らう。

それは数千年前も変わらない。


この国を拠点とする神秘にとっては人間の生死などどうでもいいが、被検体、観察対象、気晴らしの玩具が絶滅してしまうのは問題だった。


かつてまだ商会がなかった頃。

タイレンにそれが現れた時に彼が派遣されたのも、つまりはそういった事情があったからである。


「メシィ……!! ウマソウナ、メシィ……!!」

「……はぁ。相変わらずですね、あなたは。

彼女が依頼したくなるのも理解できます」


涎を垂らしながら、焦点が合わない目で獲物を捉えた骨だらけの獣の前で、神父は呆れたようにため息をつく。


暴禍の獣(ベヒモス)という格上の脅威を前にしても、全く気後れは感じさせない。それの中身を見透かすように、普段通りに言葉を続ける。


「あなたはやはり、満たされないようですね。

自分自身すら見えていないのですから、それも当然ですが。

しかし……よくもまぁそこまでみすぼらしくなったものです。

食のみに傾倒してもなお、あなたは痩せて貧相だ」

「じゅるり……あァ、ビスケットの次ハ、肉ダナ……」


"尽きぬ食欲は探求へ(グリード)"


神父が獣の分析をしていると、それはどこかから生み出した触手のようなものを彼に差し向けた。

暴禍の獣(ベヒモス)の眼前で――つまりは戦場の真っ只中で、相手の準備を待つなどありえないことではある。


しかし、たとえそうだとしても異常なほどに躊躇なく、遠慮なく、予備動作もなく触手は彼に降り注いだ。

その範囲は実に大雑把。神父と彼の周囲数十メートルは丸ごと触手によって抉り食われてしまう。だが……


「ケプッ……ビスケット……」

「あなたとは同じ母に名付けられた兄弟だが、ここまでくると放置はできません。あなたの貪欲は、我らをも堕落させ、破滅をもたらすだろう。それとも、あなたにとっては我らも餌に過ぎないのかな? どちらにせよ、もう名はいらない」


暴禍の獣(ベヒモス)の腹が満たされることはなく、それの背後にはいつの間に移動してきたのか、ケガどころか土煙の一つもついていない神父が立っていた。


獣はもちろん触手で追撃する。

だが、先程と同じくそれが神父に届くことはない。


それどころか、消えては現れを繰り返していた彼は、やがて頸部に黒いオーラの手刀を叩き込んで昏倒させてしまった。


"オールレディ・プセウドス"


「一体何のために喰らい続けているのやら……

あなたはすべて失った。無いものを求めていては、満足などできませんよ?」


意識を失い、すべての触手を消して倒れる暴禍の獣(ベヒモス)に対して、神父は諭すように言葉を投げかける。

だが、当然それが返事をすることはなかった。




~~~~~~~~~~




飢餓である……飢餓である……飢餓である。

ここにあるのは、ただひたすらに飢餓の世界である。


足元に広がるのは、四肢にまとわりついてくる黒い泥。

四方を覆うのは、どこまでも見通せそうでいて、決して手の届かない不可視の壁。


それは離れようとすれば泥となり、中に捕らえているものをこの場に引き止め続けるのだ。


もちろん野生動物など一頭もいない。

泥の中に生える植物なども、あるはずがない。

水が飲みたければ、足元の泥をすするしかないだろう。


ここに生命はなく、中にいるのは、痩せこけてもはや骨でしかない、虚ろな目をした燃えるような赤髪の男だけだった。

それは足を泥にとられながらも、飢餓の中でもがき続ける。


何度も手を付き、その度に纏わりついてくる泥を引きちぎり、飢えて狂った心で叫ぶ。


「アァア……アアァァァア゛ア゛……!!

マたァ!! ここカァ!! まタァ!! テメェかァ!!」


荒ぶる彼の前には、まったく同じ姿をした男が立っている。

だがそれは、決して泥に足をとられることなく、人の腕を齧って血をすすっていた。


それらは全く同じ姿で全く同じ空間にいながらも、状況はまるで違う。もちろんどちらも飢えてはいる。

だが、泥に囚われている方は口に入れられるものもなく餓えており、自由な方は食べても食べても飢えていた。


食べても飢える。食事を見せつけられながら飢える。

どちらがより辛いことなのか、他者には決してわからない。

しかし、この場にはそれら以外は存在しないため、それらはただ飢餓を叫んでいた。


「腹ガ!! 減った、ンダ!!」


食べても食べても、人の手足はそれの手に。

食べても食べても、決して満たされることなく。

それは、永遠に飢えながら喰らい続けていた。


「カカ、ガギガガギゴギゲ……!!」


泥沼しか存在しなければ、飢えた獣はそれを喰らうだろう。

何も存在しなければ、飢えた獣は空間を喰らうだろう。

何も口に入れられない獣は、やがて理性を手放し、喰らうという概念に戻っていく。


「ア゛ア゛、ガゴググ……バグゴベボギ……!!」


飢えた獣は、どこまでも満たされるために。

泥を、空気を、世界を喰らい続けていく。



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