183-無力の権化、純愛の狂人
「っ……!! いきなり呼ばれたかと思えば……!!」
"千里飛ばし"
戸惑いを隠せていなかった天逆毎だったが、晴雲が逃亡し始めたことで我に返り、戦闘を開始した。
逃げる晴雲を守るように美桜たちとの間に立ちふさがると、全力の拳を振るう。
「あひゃひゃ、あんたに暴れられちゃ堪んねぇからな〜」
「数的優位を活かして叩くっ!」
"とこしえの炎幕"
そんな天逆毎と相対するのは、炎のカーテンで自分ごと彼女を封じ込めている朱雀と、木によってその威力を高めている青龍だ。
晴雲が配置した八神将の中で、最も前線にいたものの1人である天逆毎は、単純な戦闘能力では八神将最強。
彼はこの配置により、空を飛べ、倒れることもなく、妨害などに適しているであろう朱雀を引き付けることに成功していた。
もっとも、式神は術を使う前提であれば全員飛べる。
しかし、その中でも飛行能力があるといえるのは、鳥である朱雀や六合、いわゆるドラゴンである青龍、翼のある騰蛇、宙を漂う靄である天空辺り。
同じく最前線にはぬらりひょんもおり、そこに貴人を使わざるを得なかった美桜は、少し分が悪かった。
「追って、真面目!」
「もちろんだ。しかし……」
「はっはっは、妨害無しで私に追いつけるかな〜?」
「は、速いっ……!!」
瞬く間に門を超えた晴雲は、白虎に乗って追ってくる美桜を振り返ると、挑発するように笑う。
美桜も残りの飛行能力持ちから、戦闘もできる騰蛇と天空を向かわせるのだが……
「この男を追いたければ、我を倒してからにしてもらおう」
「ちぃ!! 鬱陶しいなぁ、おい!!」
「キヒヒ、こいつは図体と手数だけだ。儂は捉えられんし、取り憑きゃイチコロ……」
八つの首で行く手を遮る、八岐大蛇が立ち塞がった。
天空はその言葉通り、八岐大蛇が噛み付いてもすり抜けるだけなのだが、騰蛇は実体のある蛇なので動けない。
そもそも八つの首は美桜からしても邪魔になるので、すり抜けられる天空もこの場に残って戦い始める。
これで残る飛行能力持ちは、戦闘能力のない六合のみ。
彼は追うことには使えないだろう。
おまけにその少し手前――門の内側では、厄介な犬神に大天狗が待ち構えており、天后、太陰を差し向けたため不在だ。
美桜の持つ式神自体も、白虎、六合、勾陳、玄武、大裳の5体のみとなった。
「……っ!! だいだらぼっちは危険ね……!! 投げ飛ばされたら追えないし、どこからでも潰されかねない……!!」
門から出た美桜の目に真っ先に入るのは、山々の中に立って、自分達と目線を合わせている巨山――だいだらぼっちだ。
八岐大蛇は退いているが、だいだらぼっちはフリーであるため放置していたら進むことはできないだろう。
「このメンツだとー、ぼくかなー、みーお?」
「そうね、のろまと短気。絶対にあれを動かさないで!」
「ああん!? カッ、仕方ねぇな!! けど、あいつはもう階段下りきったぜ? たしかあの先には崖が……」
「急いで、真面目!」
「了解!!」
勾陳、玄武にだいだらぼっちを任せた美桜は、背後に六合、大裳の2人を引き連れて白虎で駆けていく。
標的はもちろん、屋敷までの階段を下りきった晴雲だ。
だいだらぼっちが山を変動させ、壁を作ったり穴を開けたりしているのを白虎の力で防ぎながら、これ以上邪魔が入らないよう玄武らを向かわせる。
「じぃ、遠いけど足止め行けない?」
「私程度では流石に無理ですよ。
接近せねば、意識をそらすことすらできないでしょう」
「〜っ!! なんなの、あの男っ!!
身体能力で戦う神秘じゃないはずなのに、速すぎるっ!!」
術で隣を浮いている大裳に断言されると、美桜は白虎の上で悔しそうに体を震わせた。
現状、彼女自身は白虎に乗っていることしかできないため、なおさら悔しいのだろう。
晴雲は生身で山を駆け抜けているが、本来彼や美桜のような神秘はそこまで肉体を酷使するタイプではないのだ。
まともに攻撃を受けたら簡単に倒れるくらいに脆く、晴雲のように体一つで駆けているのが異常なだけである。
もちろん、神秘でない者からの攻撃ならば耐えることができるが……今の晴雲のように、白虎と競い合っているのは異常で異質だった。
「崑崙は広い。崖で見失ってしまえば、もう捕らえることはできないぞ。次はどんな暇潰しを始めることか……」
「わかってます〜! だから必死に追ってるんでしょ〜!?」
階段を下りきった白虎が、明らかに崖を目指している晴雲の背中を睨みながらつぶやくと、美桜は彼の毛を引っ張りながら急かす。
一般に崑崙山とされるのは、この屋敷がある山のことだが、正確に言うと崑崙山とは不死桜の広がる一帯のことである。
すべての山の標高が高く、山中では1つの山としか認識できなくても、実際は別の山であるためまっすぐ追えばいいというものではない。
白虎の言う通り、晴雲が崖から飛び降りるまでに追いつけなければ、見失ってしまう可能性が高かった。
目の前には最後の妨害、がしゃどくろが待ち受けていたため、美桜は大裳を残して進む。
残るは白虎と六合のみ。
他に武器となるのは、最初から晴雲の行く手を阻むように操っていた桜くらいのものだ。
「はっはっは〜! お互いにほとんどの式神を使い果たしたねぇ。桜のトンネルを超えれば、もう崖はすぐそこだ!
この距離でどの山に行ったかわかるかな〜?」
「ぐっ……!! 桜をけしかけても何故か周囲を滑っていくし、どうしょうもないじゃない……!?」
がしゃどくろへ指示するために振り返っていた晴雲が煽ると、美桜は震えながら顔を歪ませ、白虎は毛を引っ張られて悲鳴を上げる。
不死桜は山中にあるため、晴雲へ差し向ける桜は増える一方なのだが、2倍、3倍と増えても彼を捉えることはできない。
惑星の周囲を乱れなく公転する衛星のように、一定の範囲に入るとどの桜も決まった動きで流されてしまっていた。
「はっはっは! さらばだ、卜部美桜。次の盤面でも、また私を見つけてくれると嬉しいよ。その方が楽しいからねぇ」
晴雲は崖を目の前にして、またも美桜を振り返って煽る。
手の動きで桜を幾筋も立ち昇らせ、その中心で微笑むという余裕っぷりだ。しかし……
「星の輝きが届くまでには、何光年もかかるものですが……
さてさて、あなたの本心が見えるのはいつになることやら」
晴雲が崖から飛び降りようと歩を進めた瞬間、彼の進む方向から静かな声が降ってくる。
ピタリと体の動きを止めた晴雲が空を見上げると、崖の先――何もないはずの空中には、片足を膝に乗せ、顎に手を当てる体勢で座る道真がいた。
それも、影綱と茨木童子を制した時の状態に近い。
綺羅びやかな和服の上に、さらに嵐が纏わりついて揺蕩う帯や光輪を形作っている状態だ。
「鬼灯時平……!?」
「いいえ、今の私は鬼灯丸道真です。
鬼神として人を襲い、鬼人として……ふむ。そうですね、友の供養に来ました。中立を貫いた悪魔を殺しにね」
そう告げる道真の周りには、愛宕から消え去ったはずの嵐が吹き荒れる。背後からは美桜が迫っており、晴雲に逃げ場はなくなっていた。
しかし、それでも晴雲が笑みを崩すことはなく、さっきまで美桜と話していた通りの軽い調子で口を開く。
「ふ〜ん、卜部美桜に私が殺されるなんてことがあるか? なぁんて考えていたけど、君が来るからだったんだねぇ。
協力したのに殺すのかい?」
「そうですね……確かにあなたがいなければ、この戦いは起こせなかった。大嶽丸達では思いつけないことでしたし、私は基本的に、眺めているだけですから。
はぁ……この部分だけ見れば、似た者同士なんですけどね」
落ち着いて晴雲に応じる道真は、疲れたようにつぶやきながら嵐の規模を拡大させていく。
さっきまで前後に挟まれていただけの晴雲だったが、嵐の中にて左右も囲まれる。
これにより、ようやく追いつくことのできた美桜は、標的が嵐に阻まれたことで成り行きを見守ることしかできなくなった。
「君はそうやって苦しむことを望んでいるんだろう?
気づかぬうちに人を殺していたから、異形として生きたから、その罪の清算に。そんなもの、私はごめんだね。
私はあの子を忘れなければ、それでいい。
あの子を覚えている者がいるために生き続け、その間の暇や苦しみは迷わず発散するさ。それで世界が滅びるのであれば……ふふ、実に愉快なことじゃないか。
心の底から嘲り笑ってあげるよ」
「そうでしょうね。だからこその、どちらも傷つく筋書きだ。大嶽丸はようやく苦しみの日々から解放されましたが、私は最後の家族を失いました。生き残った魂鬼にとっても救いでしょうが、私はそうはいきません。
家族への祝福を祈り、追悼の意を込めて、感情のままにあなたを殺しましょう」
もう話は終わりだとばかりに宣言した道真は、嵐に溶けるようにその場からかき消える。全身に纏わりついていた嵐と同じく、風そのものになったかのように。
しかし、晴雲にはもはや逃げる気がないのか、特に動じることなくへらへら笑っていた。
消えた道真が背後に現れても、彼に頭をがしりと掴まれても、まったく変わらず笑い続けている。
「あっははは。流石、迷いがないねぇ」
「……当然です。我らのような傍観者が動くのならば、それはもう確定事項なのでね」
"風間圧殺"
嵐を纏って大きくなった手に包まれた晴雲は、無抵抗に笑い続けた結果、果実のように簡単に握り潰された。
飛び散るはずの血は、拳の中心に渦巻く嵐の中へ。
握り潰した手も嵐に包まれているため、どこにも血生臭さはない。力強くも美しい幕引きだ。
「時平……!!」
晴雲の頭が握り潰され、胴体が倒れると、彼らを囲んでいた嵐は消失し、苦々しげな表情の美桜が道真に近づいていく。
不死桜は嵐に飛ばされており、白虎しか戦力を持たない彼女ではあるが、鬼神を前に逃げるつもりはないらしい。
いとも容易く行われた晴雲殺害に戦慄しながらも、わずかに敵意を滲ませていた。
しかし、嵐を消した張本人である道真には、特に美桜に対して思うところはないようだ。
気にせず圧縮された血肉や倒れた晴雲の胴体を眺めながら、ポツリとつぶやく。
「この感じ……偽装されましたかね」
「え、殺したんじゃないんです……?」
「……ふむ。あなたは私の偽装にも気がつけませんでしたし、今回も騙されているようですね。精進するように」
道真のつぶやきに美桜が驚きの声を上げると、少し考え込んだ彼は師匠かなにかのように忠告し始める。
彼を敵と見ていた美桜はタジタジだ。
まだ晴雲が生きているという情報もすっぽりと頭から抜け、目を白黒させてしまう。
「え、いや……あなたは鬼神、敵ですよね……!?」
「……? 捕らえる、もしくは殺すつもりがお有りで?」
「いえ、無理でしょうね。今すぐ寝ちゃいそうなくらい消耗してますし、そもそもほとんどの式神や刀もありません。
……ですが、あなたは人を滅ぼしたいのでは?」
「基本的に、私が能動的に動くことはありません。
今回は大嶽丸に付き合っていただけです。
ですので、そちらに戦う意思がなければ戦いませんよ」
「そ、そうですか〜……」
どうやら気にしていなかったのは敵だと思っていなかったからのようで、心の底から不思議そうな道真に、美桜は戸惑いを隠せない。
それもアドバイスをしていた辺り、敵として見るまでもないというよりは、どちらかというと味方だと思っている風だ。
魂鬼は殺さなかったとはいえ、獅童のように死者も出ているため、美桜は気まずそうである。
「いっちおうあなた、罪人にはなるんですけどね〜……」
「でしょうね。だから国外に出ますよ」
「あはは〜……私、それを見逃すんです?」
「止めたければ止めてもいいですが、その場合は抵抗しますよ。今回、私が殺したのは茨木童子だけですし、そこまでの問題にはならないと思いますが。影綱殿も助けました。
……昔のことはお互い様でしょう? 変なことはしませんよ」
「それを出されると弱いな〜……えと、まぁどうぞ?」
「はい、それでは。いつかまた会いましょう。
その時はきっと、仲間同士で」
「……?」
しばらく話し合った後、見逃された道真は速やかに崑崙から離れていく。あとには、最後に言い残された言葉に疑問符を浮かべる美桜だけが残されていた。
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美桜が泣く泣く道真を見逃していた頃。
同じく崑崙の山中……少し離れたところにある木々の影では、とある神父と陰陽師が密かに対話をしていた。
「やぁ、プセウドス! 君が来てくれて助かったよ〜」
「他人任せは感心しませんね。私の気まぐれで左右される命など、ないも同然です。生き続けることを求めているのではなかったので?」
「その通り! 私は今、生きている!」
「……まぁいいです。それで、こちら側には来ていただけるんですよね? 命を救ったのですから」
偽装とはいえ、一度頭を握り潰されているはずが、やけにテンションの高い晴雲に顔をしかめると、神父――プセウドスは探るような目を向ける。
今回助けたのは気まぐれであり、死んでもおかしくなかったのだから従え。つまりはそういうことだ。
しかし……
「うんにゃ? もちろん私は従わないさ!
仲間や所属とは些か違うが、同盟相手はもういるのだよ!」
切り株に座って左右に体を揺らす晴雲は、にこやかな笑顔でそう言い放った。
致し方なく助けさせられた上に、仲間になることまで拒否されたプセウドスは、頬を引きつらせる。
今にも殺し合いに発展しそうな勢いだ。
プセウドスは懐に手を入れながら、ドスの効いた声で問い詰め始める。
「ほう……!? では、誰と組むおつもりで……!?」
「ファナ・ワイズマン! ハーミル! イオラン!
彼女らを含めた幻想同盟さ! まぁ、不戦協定のようなものだけどねぇ。だからもちろん、エリスの邪魔もしない。
そちら側には付かないが、多少の協力はしよう。
むしろ、君も私達と繋がっておかないかい?
母への裏切りではなく、いざという時の避難先として……」
「……ふむ」
晴雲がつく相手を聞いたプセウドスは、一瞬殺気を高める。
しかし、その後の説明を聞いて動きを止めると、彼の提案についてじっくりと検討し始めた。