182-晴天の先の星
「少しは落ち着かれましたか、魂鬼様?」
「……ん」
美桜と十二天将の結界により、暴走状態からもとに戻っていた魂鬼は、紅葉の膝の上で抱きしめられながら聞かれると、小さく答える。
現在も彼女は泣いているが、もう血の涙ではない。
紅葉の真似をするようにロロを抱いていたり、今の彼女は温もりに包まれていた。
「ならよかったよ! ……オイラ、けっきょく因幡くんを呼んだだけだけど。み方になってあげられなくて、ごめんね……」
「……すごい、かなしかった」
「……ごめんね」
「でも、だから美桜お姉ちゃんと紅葉お姉ちゃんがだきしめてくれたの。鬼になって、おやにも殺されかけて、気がついたらおとなは4人しかいなくて、だれもできなかったのに。
だからね、あたしはうれしいの。ロロちゃん、ありがと」
「……なら、よかったよ。オイラ、ただいるだけの猫だけど。
魂生ちゃんのやくに立てて」
悲しかったと言われてしょげていたロロは、その後に続いた魂生の言葉を聞いて喉を鳴らす。
明確な脅威は去ったものの、まだまだ不穏な気配の残る中、ここだけは穏やかな空間が広がっていた。
「……そうだ。名前、変えませんか?」
「名前……?」
「はい、名前です。
崇徳魂鬼も細川魂生も、鬼を残した名前……鬼の名前です。
鬼人として、人としての名前をつけましょう」
「いいじゃん! さっきみーおが、卜部を名のってもーって言ってたし!」
「名前……」
紅葉の提案に、ロロが元気よく同意する。
しかし、魂生はそこまで乗り気ではないのか、まだ頭が追いついていないのか、あまり反応を示さない。
そんな魂生の様子を見た紅葉は、彼女を優しく撫でながら言葉を続けた。
「どうです? 私は卜部紅葉を名乗るつもりですよ。
みんなで家族になりましょう?」
「……うん。かぞくっ、なるっ……ひぐっ……」
「あなたは、私達を繋げてくれました。読みは同じですが、みんなを繋げる環というものも、いいかもしれませんね」
紅葉の家族という言葉を聞き、環は激しく泣きじゃくる。
ここには、ここだけには、優しさに満ち溢れた世界が広がっていた。
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5人の鬼神が倒れた後。
暴食が幻のごとく消え、科学者達も憂鬱にて足を止めた頃。
魂生のことを紅葉とロロに任せた美桜は、白虎に乗って、1人崑崙の参道を登っていた。
懐には、五行以外にも十二枚の式神の御札。
彼女は雷閃四天王や因幡、隠神刑部に貸していた式神をすべて取り戻し、完全武装である。
「もうすぐ到着だ、美桜殿。準備は大丈夫か?」
「もっちろ〜ん。わざわざ隠神刑部まで使ったんだから、きっちり終わらせますとも〜」
屋敷を目前にした白虎が確認すると、美桜はいつも通り軽い調子で答える。
そして、白虎に乗ったまま階段を登り、横に立ち並ぶ不死桜を突っ切って崑崙の屋敷に突入すると……
「やぁ、こんばんは。また会ったね、卜部美桜」
「こんばんは、葦原晴雲。はっきりさせに来ましたよ」
門をくぐってすぐ。
砂利の上にテーブル一式を置き、和風の屋敷だというのに、場違いにもティーカップを傾けていた晴雲と対面した。
美桜が鋭い視線で射抜くと、足を組んで座っていた晴雲は、ティーカップを置いて立ち上がる。
明らかに敵対の意思があるのだが、彼は余裕の表情だ。
和服を揺らしながらゆったりと動く彼は、少し離れた場所にある台に手をかざし、天地盤を消失させてから口を開く。
「ふ〜む……はっきり。何をだろう?」
「それはもちろん、あなたの立ち位置ですとも〜。
……およそ1000年前、あなたは突然この屋敷に現れた。
仙人とのふれこみだったけれど、それにしては長生きね?」
「そりゃあそうだとも。なにせ私は魔神だからね。
友に偽装してもらったから、誰も私を見ることができなかっただけさ」
台ごと天地盤を消した晴雲は、また最初のテーブルに戻るとリラックス様子をで腰を下ろす。
さらには、この状況がわかっていないのか、それだけの実力があるのか、彼はどこからか2つ目のティーカップを取り出すと、美桜にも席につくように勧めていた。
これは当然、敵対しているであろう相手にすることではないだろう。だが、当の美桜にも警戒心というものがないのか、白虎を消すとそれに応じて席につく。
微笑む晴雲がコーヒーか紅茶かを聞くと、彼女は迷いなく紅葉を選んだ。
「いや〜な友人をお持ちのようで。
さぞ大陸では悪名を轟かせていたのでしょうね」
「そんなことはないよ。私は常に傍観者だ。
アークレイや叡智の結晶に補足されるような愚かな真似はしない。今回のことと同じく、中立さ」
注文を受けて紅茶を注ぐ晴雲は、和服であるというのに実に慣れた所作である。場所、格好、対面している相手。
どれをとってもとてつもなくアンバランスだ。
「……そう。ならば私があなたを認めましょう。あなたは単独で世界を滅亡させうるモノであると……大厄災である、と」
「ははは、これは手厳しい。どこまでも無力な私が、ただ長く生きただけでついにここまで来てしまったか」
自身の前に置かれた紅茶を一口飲み、優雅に置くと、美桜は毅然とした態度で彼をそう断じる。
それは普段サボっている姿とはまるで違う、この国を背負った姿、何をしてでも守るというような決意を秘めた姿だ。
だが、晴雲はそれでも動じることはない。
朗らかに笑いながら、今度はカステラやクッキーなどを取り出して勧め始めた。
もちろん美桜は、既に紅茶を飲んでいるため警戒することはない。最初からではあるが、まったく躊躇せずにカステラを手に取って食べ始める。
そして晴雲自身もまた、サクサクとクッキーをかじりながら話を続けた。
「随分と嬉しそうね。あなたの原点は何かしら?
その口振りからして、どうせ最古の神秘なんでしょうけど」
「ふふ、それは私の力を測ろうとしているのかな?
であれば、無力である……と、そう答えよう。君とそう変わりはしないさ。ただ、人生に飽きるほど生きただけでね」
「だから妖鬼族と繋がったのかな?
いいえ、鬼神と幕府に」
「どちらにもついた、とは言わないのだね。ははは、神秘の歪みに理解があるようで何より。実に話しやすい」
晴雲の立ち位置をはっきりさせる、という目的の核心を突いた質問に、彼は嬉しそうな笑みをこぼす。
どうやら美桜の選んだ言葉は的確だったらしい。
しかしそれ以外にも、このゲームについて語れるのが単純に嬉しい、というようなニュアンスも含んでいるようだった。
彼には最初から、絶対に隠す、というような意識はなかったようで、楽しげにティーカップを揺らしながら、どこまでも見透かすように顔を上げ口を開く。
「100年前、私は妖鬼族についた。鬼人を幕府に紛れ込ませて、守護神獣に敵対させたんだ。これにより、宇迦之御魂神、天迦久神、夜刀神、隠神刑部の4柱は人と敵対した。
まぁ、隠神刑部はフリだったようだけどねぇ」
「そうね……守護神獣たちの様子がおかしかったから、入れ知恵している人でもいるのかと思ったの。結局異変の解決はできず、黒幕を暴くくらいしか意味を成さなかったけれどね。
あなた、殺したのでしょう?」
「まぁね。時間を稼いでもらう代わりに本体で会ったんだけど、これが胡散臭いのなんのって。問い詰めるとあっさり認めたから、流石に殺したさ。別にバレてもいいにはいいけど、形式上ね。一応聞くけど、どうやって知ったのかな?」
「連絡が途絶えたし、式神も届いて情報を聞けたから。
でも、形式上というくらいだし、気にしないでしょう?」
晴雲の質問に答えた美桜が逆に小首をかしげて聞くと、彼は我が意を得たりとばかりに頷く。
美桜がどのようにそれを知ったのかを聞けたこともあって、ティーカップを傾けながら、満足げに。
「ふふ、まぁね。私のことを知られようが、実際は裏切ってなかろうが、私にとってはどちらでもいい。事実、一度目は妖鬼族に手を貸したから、次は人間に手を貸している」
「運良く私がいる時に崑崙を訪れたクロウちゃん達に、守護神獣を探すように助言をしたものね」
「その通り。だから、次は妖鬼族だ。
クロウ君達や多くの守護神獣、橘獅童なんかが神奈備の森にいる時に、愛宕を襲撃させた」
「はは……あの時は、仕事をサボっていて助かりましたよ……
ずっと仕事をしていたら、多分もっと寝起きでした」
「もしそうだったとしたら、もう少し鬼神にも勝ち目があったかもね。私としてはどちらでもいけど」
「ふふ、それで?」
ついにティーカップを置いた美桜は、テーブルの上で手を組んで晴雲を見据える。
茶菓子の類は既に消えているが、それ以外は健在だ。
美桜が鋭い視線を送っても、やはり晴雲は動じずにティーカップを傾けていた。
「ああ……妖鬼族を助けたら、もちろん次は人間だ。
百鬼夜行を抑え込んだあと、私は君達にどこへ向かうべきか助言をした。最も適した対面を作ったんだよ」
「……はぁ。嫌になるくらい中立。ひたすらに傍観者ね」
「そうだよ。ただ、あの子を忘れずに生き続ける。それが、私という神秘だ。それだけが、私の全てだ」
呆れたようにつぶやく美桜に、晴雲は力強く言い放つ。
葦原晴雲は中立である。
どこまでも中立で、どんなときでも傍観者である。
危うく戦況を左右するようなことをしたとしても、素知らぬ顔で人間の側に帳尻を合わせるほどに。
美桜は彼がこれまで行ってきたことを聞くことで、それを改めて確認した。
とはいえ、あまり驚いている様子はないので、その1000年の関わりから、ある程度は予測していたのかもしれない。
彼女はため息を吐きながら顔を下に向けるだけだ。
「雷閃将軍は倒れ、執権影綱は意識不明の重体。侍所所長の獅童は命を落とし、問注所長官の海音は満身創痍。
無事なのは私だけですから、現幕府は崩壊したと言っていいでしょう。あなたは確かに中立でしたが、著しい被害です」
「鬼神も多くが死んだようだけどね。
それで、君はどうするんだい?」
「初代幕府の執権として、あなたを排除しますよ。……もう、この国にいて、なおかつ生き残っている者は僅かですが」
美桜が顔をあげると、今までよりも数段冷たい視線を晴雲に向ける。その背後には、いつの間にか現れた十二枚の御札。
つい先程消した白虎から、よく呼ぶ朱雀、今まで隠神刑部に貸していた、まるで幽霊のような靄――天空まで勢揃いだ。
「悲しいね、卜部美桜。初代将軍――橘獅童が死んでも、君の炎は消えないのかい?」
まるで殺意を感じさせないものの、明らかに戦闘の意思を伺わせる美桜を見た晴雲は、ゆっくりティーカップを置くと、美桜のカップもまとめて消失させる。
十二天将をすべて呼び出し、戦闘態勢に入った美桜と目を合わせている晴雲だったが、ようやく開いた目は星の如く輝きを持ち、しかしどこまでも黒く凪いでいた。
「この炎が消えたら、私は生きる意味を失うんですよ?
生きることに疲れて、仕事が面倒で、山々を放浪しすべてをサボっていたとしても。これだけは譲れない」
「……排除、か。それは私も看過できないねぇ……
もうあの子を覚えているのは私だけだ。中立の立場として、殺しはしないが抵抗はさせていただこう」
そう言う晴雲の背後には、7枚の形代が。
さっきまで岩戸を襲っていたはずの天逆毎、ついさっき暴禍の獣に食い尽くされていたはずのだいだらぼっち、ポーンに消し飛ばされたはずの犬神などが控えていた。
「まぁ、端的に言って逃亡だ。八神将と十二天将。
術師同士、術比べといこうじゃないか」
「中立を謳う悪魔には、ここで退場していただきます」
"花の音を君へ"
"陰陽を兼ねた凶星"
十二天将たちとは違い、混乱している八神将たちだったが、晴雲と美桜は無視して話を進めていく。
晴雲の夜空のような目には星が輝き、美桜の周囲には桜が舞う。
百鬼夜行が鎮まり、鬼神が打倒され、嵐が去った今宵。
桜風が吹く中、未だ昏い星空が輝いていた。