181-生み出す者、生み出すモノ
愛宕で嵐が渦巻いていた頃。
岩戸に八妖の刻が来ていた頃。
クロウ達と共に八咫へやってきていた画家は、変わらず神奈備の森を歩き回っていた。
しかし、今夜は今までと違って目的がある。
それは、以前見つけた拠点の主を見つけることだ。
いや、正確には、強大な神秘が暴れている現在、きっとこの島にやってくるであろう拠点の主を、その神秘の元へ行かせないことである。
「まず、彼女は確実に生きているとして……
ガルズェンスには居づらいはずだし、その近辺ではなく……
拠点の位置からして、本拠地はタイレンかクター……
設備的には、ここが八咫での窓口……かな?」
1人でぶつぶつとつぶやきながら歩いていた彼は、海よりの場所にある拠点のうちの1つの前で立ち止まる。
彼の目の前にあるのは、あまり専門的な機器が置かれていない拠点。
管理者でもいるのか、かなり小綺麗に整備されてはいるが、連絡用と思わしき機器以外は日用品ばかりだった拠点だ。
「タイミングも計ってきたからねー……
管理者、来ると思ったよ」
拠点に着いて、それを見上げた数十秒後。
木の枝の折れる音を聞き、画家は視線を下に落とす。
彼は八咫へ来てからずっと、森を散策していた。
ある科学者の痕跡を発見したのは、本当にたまたまである。
さらには鹿の神獣と出会い、その案内でこの場所を知ったこともまた、たまたまだ。
だが、彼はその科学者が事件を起こしたせいで壊されることになった少女の、保護者として。
集めうる限りの情報を集め、分析し、この場所にやってきていた。
果たして、視線の先には……
「わしらを待っておった、と……
これは失態になりますかのう? ルーク」
「さぁて、どうでしょうねぇ? 私は戦闘機ですので?
こういった話は、まぁったくの無関係なのですよぉ。
量産タイプがどんな失態を犯そうが、私は愉快なだぁけ。
ぷくくー。あ、護衛の役目はちゃぁんと果たしますよぉ?
安心して、怒られるためだけに生き残ってねぇ!」
この国に馴染むような和服に身を包んだ、表情の薄い女性と、騎士服に身を包んだ、ニタニタ笑う女性が立っていた。
画家が待ち構えていたというのに、焦る様子はない。
女性はわずかに目を細めて傍らに立つ護衛――ルークに伺いを立て、ルークは女性を庇うように移動しながらも、場違いに楽しげである。
しかし、落ち着いているのは画家も同じだ。
敵として彼女達の前に現れており、護衛がいる相手に対して自身はあくまでも画家。
だというのに、彼は平然と懐から携帯タイプのキャンバスを取り出すと、ほのぼのと絵を描き始める。
「いやまぁ、別に殺すつもりはないんだけどねー? 彼女を呼ばれるとろくなことにならないから、拘束するよー」
"永遠を描くキャンバス"
彼が描いていたのは、拠点のそばに立つ女性とルーク。
今一瞬でさらさらと描いた割には、彼女達の髪の一本一本、木の葉の一枚一枚、木の幹の筋一本一本まで細かな絵画だ。
しかもそれは、もちろん綺麗な絵画というだけではない。
段々とその絵が完璧に近づくにつれて、描かれた景色は彼の手にあるキャンバスへと吸い込まれていく。
描かれた地面の表面が、宙を舞っていた木の葉が、風に飛ばされるようにさらさらと。
地面に根を張る木々が、しっかりと建築されている拠点が、土台から破壊されるようにメキメキと。
ルーク達も含めて、彼の目の前にあるものは、すべて絵画に飲み込んで封印しようとしていた。
だが……
「あ、それすっごい嫌な感じです。心の底から気持ち悪い。
女性に対しての配慮とかないんですかぁ、三流画家?」
"神竜兵装-ミラー"
顔をしかめたルークが両手で自分を抱きしめると、その周囲に煌めく幕が現れる。
光を反射し、捻じ曲げ、画家から見える景色が激変するようなある種の結界が。
これにより、吸い寄せられて背後に2本線を描いていたルーク達はピタリと体を止め、土台から壊されかけていた拠点もギシギシと怪しい音をさせながらも、その場に静止した。
「マークツー、今のうちにマスターを呼んでくださぁい。
あなたは痕跡を消しきれなかった役立たずのゴミですが、本来の機能くらいは果たせますよねぇ?」
「これは手厳しい……じゃが、もちろんじゃとも」
環境を安定させたルークが女性――マークツーに命令すると、彼女はわずかに眉をひそめて拠点に入っていく。
画家の絵画に吸い込まれたのは、木々や地面など無くなっても問題がないようなものばかり。
捕獲しようとした2人や拠点など、重要なものは何も封印することができておらず、マークツーを見送ることしかできない画家は、苦々しげに口元を歪める。
「っ……でも書き足せば……」
「無理無理ぃ、常に見え方が変化する景色を描ける訳ないじゃないですかぁ? 三流画家は大人しく筆握りしめていて?
どうせ悔しくて手をプルプルさせることしかできないんですから。ぷぷ……ねぇどんな気持ち? 画家なのに絵が描けないのってどんな気持ちぃ?」
「はぁ……別にー? 来るなら来るで、それでいいさ。
結局のところ、この場から動けなければいいんだからね。
それ、移動できないだろう?」
書き足して対処しようとするも、絶え間なく光を変化させて景色を変えられると追いつくことなどできない。
結界が張られてすぐは手を動かしていた画家は、すぐに無駄だと悟ると筆を止める。
そんな画家を煽るルークだったが、彼は特に気にした様子がなく、拠点を警戒しながらも軽く筆を振るだけだった。
「……うっざ」
「君が言わないでよ、戦闘機?」
まるで動じない画家を見て、ルークは不快そうに顔をしかめる。当然それは画家もだったのだが、どちらにも対応策はないため、この場は膠着した。
すると、その数十秒後……
「いやぁ、ついに鬼神が動いたんだネ。
標点を置いておいてよかっタよかっタ。
お陰で島国でも移動が楽だったヨ。ありがと、マークツー」
「滅相もありませぬ。これがわしの役割なのじゃから、当然のことです。主様」
拠点の中から現れたのは、小柄な体を白衣に包んだ女性。
そして、そんな彼女に付き従うマークツーと、女性と一緒にやってきたと思われる数人の女性達だった。
「……報告通り、予定外の邪魔者がいますね。
私が排除しましょうか、マスター?」
「いや、別にいいヨ、ツール。予定にはなかったけど、予想はできてたし、彼の戦闘能力はそう高くナイ」
1人は、長身長髪でパンツスーツ姿の女性――ツール。
動きやすいように髪をまとめており、いかにも仕事ができますといった風貌の彼女は、女性が首を横に振ると顔を下げて後ろに下がる。
「そうだよネ、ハーツ?」
「そうですね……厄介ではありますが、純粋な戦いであればそれほどの脅威ではないと記録されています」
「うんうん、じゃあ引き続き記録をヨロシク」
1人は、いわゆる制服というものにカーディガンのようなものを羽織っており、ウェーブのかかった髪などもあって儚げな印象を受ける少女――ハーツ。
女性の問いかけにふわりとした視線を向けた彼女は、少しだけ目を閉じると微笑みながら答えた。
「ということだから、彼は気にせず鬼神を観測してくれ給えヨ、サーチ」
「任せてくださ、あぎゅ……!!」
最後の1人は、大きなメガネをかけており、従者の中では唯一白衣を身に纏っている女性――サーチ。
キョロキョロと辺りを見回していた彼女は、女性に頼まれると胸を張って前に進み出て、そして倒れた。
しかし、女性が気にすることはない。
ハーツは心配そうにし、ツールは手を貸そうと歩み寄るが、女性はもう指示はしたといった感じで、画家に目を向ける。
彼女と目があった画家も、キャンバスを構えながらため息を吐き、女性と向き合う。
「はぁ……やぁ、やっぱりあなただったんだねー……この国に研究拠点を作っていたのは」
「ヤァヤァ。君はたしか……シリアくん、だったカナ?」
「その通りだよ、ファナ・ワイズマン。
ガルズェンス一の大罪人。最悪のマッドサイエンティスト」
「褒められたって、戦闘機くらいしか出ないヨ?」
油断なく彼女達を見つめている画家――シリアと向き合う女性――ファナが、彼の評価に照れながらそう言うと、狙いすましたかのように音が近づいてくる。
それに気がついたシリアがパッと顔を上げると、その瞬間、彼らの間に青い閃光が舞い降りてきた。
光が弱まったあと、そこにいたのはもちろん岩戸で暗躍していたポーンだ。
片膝をついていた彼女は、立ち上がるとすぐに振り返って、ファナに笑顔を向ける。
「あ、来てたんだマスター。ただいま……いらっしゃい?」
「お帰リ、ポーン。見ての通り、お客さんダ。
君の役割を果たしてくれ給えヨ」
「了解」
「っ……!!」
"神竜兵装-ブラスト"
ファナに命令されたポーンは、横目でシリアを確認すると、また青い光を身に纏う。
それは岩戸で触手や妖怪達を貫いていた光。
岩戸と愛宕、神奈備の森をあっという間に行き来できるほどの光速の鎧。
脇を締めて構えていた彼女は、神々しく髪をたなびかせるとシリアに向かって勢いよく飛んでいく。
対して、シリアも既にキャンバスに筆を走らせている。
ルークの結界を除いた、これから外に出てくるポーンのみを描いた絵を。
しかし、その吸い込みはポーンの勢いを増すばかりであり、十中八九キャンバスに封印する前に攻撃を受けてしまうだろう。
光は瞬く間に森を切り裂き、ポーンの拳はシリアを捉え……
"開闢剣-葦原"
「えっ!?」
おそらくポーンがシリアの眼前に到達する直前、シリアすれすれの地点を巨大な斬撃が通過する。
ポーンはギリギリ当たらなかったようで、驚いた彼女は背を地面に向けて後方に飛んでいた。
その視線の先には……
「はは……助かったよー、鹿の人。本気で死ぬかと思った」
「天迦久神よ。何度言ったらわかるのかしら」
冷たい目をファナ達に向ける鹿――天迦久神がいた。
彼女はもうポーンが向かってくることはないと見ているのか、ゆったりとした動作でシリアの側までやってくると、その隣に立つ。
頼もしい助っ人にホッと胸を撫で下ろしてたシリアは、ほとんど効果をなさないキャンバスをしまってファナに語りかける。
「さあ、これで僕を殺して採取に行けないね。
それどころか、結界を破ることすらできるかもだ」
「来ることを知ってたような口ぶりじゃないカ。
対策していたというわけカイ?」
「もちろん対策はしていたとも。
情けないことに、僕は無力だからね」
髪をくるくると弄りながら聞くファナに、シリアはその言葉とは裏腹に胸を張って答える。
どうやら彼は、人を超えた神秘――聖人であっても向き不向きがあり、自身は向いていない方であると受け止めているようだった。
ファナが現れる前に「彼女達がここから動けなければいい」と言っていた通り、既に目的は達成しているかのような口ぶりだ。これ以上動くこともない。
事実、かなりの行動を抑制されているファナは、それを聞いて少し面倒くさそうに顔をしかめる。
「う〜ん……たしかに彼女なら割れる可能性もあるのカナ?
防御特化だとしても、特化してるだけで完璧じゃナイ。
切り開く、なんてものに僕の技術が対抗できるものカ……
まぁできたとして、どうせ外に出れば狙われル。
少なくとも身動きを取れるのはポーンくらいダ。
でも、採取をこの子に任せるのはナァ……」
「僕をバカにしてる、マスター?」
体をフラフラと動かしながら呟いているファナに、追撃を諦めて結界に入っていたポーンは不服そうだ。
抗議を無視して思考を続けられたことで、頬を膨らませてしまいルークに煽られている。
「ぷくく……攻撃特化の戦闘機は、頭空っぽの偽善者ですからねぇ。採取に行ったらきっと、血を見て倒れるでしょう?
攻撃特化なのに、偽、善、者……!
あなた、造られた意味あるんですかぁ?」
「いや、防御特化の臆病者にイキられても……」
「え、守ることを臆病者だと断定するんです?
守れるのに見殺しにすることが勇者だとでも?
ぷくく……冗談はやめてくださいよぉ。
臆病者なら守りもせずに、真っ先に逃げるものでしょう?
私なんて、血を見たくないあなたのために、必死で守ってあげているんですよぉ? こーんなに心優しい私が臆病者ですかぁ?」
「え……? え……?」
「その辺にしておきなさい」
「はぁい」
しかし、ポーンが目を白黒させていたことでツールが諫めると、両者は言い争いをやめる。
正確には、ルークはニタニタとポーンを見るだけ、ポーンは最初から混乱しているだけだが。
「え……? え……?」
「ポーン、落ち着いて。あなたは議論に乗っちゃだめよ。
自分のペースでいなさい」
「うん、そうだった。ルーク、みんなを守ってくれたならありがとう。別に血を見たくないだけで、見ても平気だけど。
平気だけどっ、君が結界に籠もってくれてよかった」
見かねたツールが抱きしめると、ポーンは落ち着きを取り戻して笑顔を見せる。
色々とスルーされて、結界に籠もるという言い方で無自覚に反撃までされたルークは、つまらなそうに顔を背けていた。
「んー、まぁ今は観測するだけでもいいカ。
ただ、念のため攻撃されないようニ……」
ルークがポーンを煽っている間、ずっと考え続けていたファナだったが、ここに来てようやく現実に戻ってきた。
そっぽを向くルーク、ツールに抱きしめられているポーンに目を向けた後、空を眺めているハーツの隣にいるマークツーに声をかける。
「また転送を頼むヨ、マークツー。近くに呼ぶことなら僕もできるけど、やっぱり標点を使うのが楽からネ」
「了解じゃ」
ファナに命令されたマークツーは、目を閉じる。
そしてファナが指を鳴らすと……
「……んぁー?」
マークツーの背後には、いきなり地味で大きな亀と、無駄に派手な孔雀が現れる。
どこから来たのか、どうやって来たのかなどは謎だ。
しかし、たしかにその亀はファナによって呼ばれ、この場にいるようだった。
「ヤァ、カタスリプスィ。
ちょっとフィールド展開をお願いするヨ」
「憂鬱だ……けど、仕方ないな……」
いきなり呼び出されても、特に気にすることなくぼんやりしていた亀――カタスリプスィだったが、ファナに命令されると顔をしかめながら体を起こす。
しかし、彼はたった数歩で足を止めるとまた地面に寝そべってしまった。
「やっぱりー……気が乗らない……」
「さっさとシナー」
「はぁ……なーんで命令されないといけないんだ……
やだやだ、こんなのに造られたのが運の尽き……」
仕事を途中で放り出したカタスリプスィに、ファナは重ねて命令を続ける。
すると、への字口を作っている彼は、今度こそファナの隣までやってきた。
そして、唯一華やかさのある、甲羅のてっぺんにくっつけられた宝石を輝かせると、薄っすらと緑がかった膜を広げていく。
"造られた憂鬱空間"
膜はルークの結界を超え、シリアと天迦久神も飲み込んでいく。ファナ達も入っているため、もちろん危害が加えられることはない。しかし……
「あれ? なんだろう、すごく気が乗らない……」
「私もね……森を荒らすなら斬ろうと思ってたのだけど、もういいかなって思っちゃってる……」
シリアも天迦久神も、その場に腰を下ろしてしまう。
どうやらカタスリプスィが広げた領域は、ルークの防御結界とは違って、やる気をなくさせるもののようだった。
とはいえ、その憂鬱はファナ達にも有効であるので……
「はぁ、憂鬱ダネ……椅子になってヨ、カタスリプスィ……」
「勝手にしてくれ……拒否するのも憂鬱だ……」
「サーチは観測を続けナー……」
「はわ、了解です」
憂鬱になった勢いで転けたサーチを注意したファナは、自分はカタスリプスィを寝椅子にしてくつろぎ始める。
しかも、ただ横になるだけではなく……
「これ紛らわせたいから、なんか出しナー、イリテュム」
「オーケー、憂鬱も元気に着飾れば無効。美味しいものでも食べて、元気を取り戻すがいいさ! ……憂鬱」
カタスリプスィと一緒に呼び出していた孔雀――イリテュムを呼ぶと、彼が羽から生み出した食べ物を食べ始めた。
彼女の目の前にあるのは、ケーキ、チョコ、チキン、お酒、プリン、ハンバーグ、寿司、ジュースなど様々。
ファナはしれっとやってきたルーク達と共に、美食にて憂鬱を誤魔化していく。
「ハハ、着飾れていないじゃないカ」
「所詮虚飾だからね、完璧な仮面なんてないのさ!」
ファナ達は自分達も巻き添えにすることでシリア達の無力化に成功し、この場は拮抗し続ける。
ここでは、ただファナの命令で観測を続けるサーチだけがまともに動いていた。