175-それが人である証②
――彼が異形に成った時、側には同じく異形と成った者たちが多くいた。
――彼らは自身に怯える。かつての仲間に怯える。
――力を持て余し、本来勝てるはずの相手にも負ける。
――だが、彼は仲間に生かされた。
――その代償に、目の前で拷問を受ける仲間を見つめることになった。
「いだいッ!! 助げでぐれ゛ッ!!」
「俺達は人間だッ!!」
――異形は丈夫。しかし、無敵なはずはなく。
――彼らは何日も何日も時間をかけて削られていった。
――血が滲む。
――血涙が溢れる。
なんだ、あれは……!?
「暴れるなッ!! 化け物がッ!!」
最初に手を出したのは、お前らだろう……?
――怒りを湛えた彼は、異形の中心に。
――人間から同胞を救けるべく刀を握る。
「集落を襲えッ!! 同胞を救い出せッ!!
人間という悪を許すなッ!! 人間という獣を、許すなッ!!」
――彼は武器を手に仲間を鼓舞する。
――彼は武器を手に人間を殺戮する。
さっきまで仲間だった俺達を人間ではないというのなら。
自分の意思とは無関係に姿を変えられた俺達を、危険だと言って殺すというのなら。
俺達はもう、人間じゃなくてもいい。
同胞を傷つける異種族。
同胞を殺そうとする異種族。
人間という、敵。
人間という、悪。
我らからしたら、我らを獣と叫ぶ人間こそそこらの獣だ!!
……人間を殺す人間を許すなッ!!
獣を殺す人間を許すなッ!!
人間を殺す獣を許すなッ!!
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「人間という獣を許すなァァッ……!!」
悪七兵衛将門と戦う海音は、彼の叫びに顔をしかめる。
決して刀が鈍ることはないが、戦闘続きで既に限界も近く、じわじわとその攻撃を身に受け始めていたため、余裕はなくなってきているようだった。
「っ……!! ……ふぅ、私は鬼の子。
元々、獣と呼ばれるようなものですよ……!!」
何度目かのかすり傷を受けて、海音は苦しげにつぶやく。
一瞬露出した肌につけられていた傷は、紫色に変色しており明らかに異常だ。
考えるまでもなく毒の類であり、これ以上傷つけられることは避けないといけないだろう。
しかし現在、将門はすべての分身を消してはいるが、背後に禍々しい光輪を輝かせながら、体に浮かぶ痣を飛ばしているかのような、黒い飛ぶ斬撃を放っていた。
至近距離でも遠距離でも、その攻撃を避けることは困難だ。
そのため、海音は動けなくなるような重傷だけを避けて、戦闘後のことよりも今将門を倒すことを優先する。
"天羽々斬-神逐"
彼女が放ったのは、天を斬る斬撃。
もはや街への被害も考えず、ただ目の前の敵を倒すためにまっすぐにその刀を振るう。
「喰らえッ、痣丸ッ……!!」
"痣丸"
しかし、相手もまた飛ぶ斬撃を放ってくる。
美桜から奪った痣丸も含め、手にした二刀から海音よりも手数の多い乱撃を繰り出し、彼女を追い詰めていく。
「くっ……!!」
「鬼の子!! 超人!! 問注所長官!! 水明の暴君!!
どれだけの異名や肩書きがあり、その力が定まっていようとも、所詮は人間だ!! たった1人では、我に勝てぬッ……!!」
「……っ!!」
ほとんどの斬撃を弾きながらも、また少しずつかすり傷を負っていた海音は、わずかによろめいた隙をつかれて斬り飛ばされる。
今回は今までのようにかすり傷では済まず、胴体に大きく一太刀が入れられ、ついに顔色までもが黒ずんできていた。
「はぁ……はぁ……。……願いを、この身に受けたのです」
"天叢雲剣-神逐"
ふらつき、血を吐きながらも、海音は将門を牽制するように刀を振るう。ぽつりとつぶやきながら、的がはっきりと見えていなくても問題ないように、天で斬る。
それはてんで的外れな方向に放たれるが、天により辺り一帯が歪んでいくため、直撃しなくても問題ない。
痣丸で相殺されてしまうも、接近させないこと、距離をとることを成功させた。
「人も、案外優しいものなのだと。鬼も、人とほとんど変わらないものなのだと。……国を、守るのだと。
何を犠牲にしても、もう、失いたくはないのだと……
私は、母や師匠達の願いを、叶えたい」
海音の願いを聞かされた将門は、接近しようとしていた足を止めて苦虫を噛み潰したような表情になる。
そして、痣丸を強く握りしめながら、苦しげに言葉を返す。
「……そんなもの、すべてまやかしだ。人は案外醜いもので、家族であっても異端となれば排除した。鬼は、人ではなく獣なのだとして排斥された。自らの手で、国を二分させた。
……ああ、一つだけあっているものがあるな。奴らは、家族を失ってでも、これ以上の犠牲が増える可能性を潰した!!
恐怖に負け、それが正しいことなのだと、自らを納得させた!! その結果がこれだ!! 片隅に根付いた怨嗟は消えず、我らのような邪神を生んだ!! この国は、人間は、決して抗えぬ天災が如き神に殺されるのだッ……!!」
最初は、海音の言葉を否定するように淡々と語っていた将門だったが、最後の一つには同意を示して激情する。
禍々しい光輪を輝かせ、そのトゲトゲしい先端を、全身に浮かんでいた痣を脈打つように動かし、人を滅ぼすべく接近していく。
その手に握られた痣丸からは、脈打つ光輪や痣を反映したかのような、かつてないほどに力強く禍々しいオーラが溢れていた。
しかし、海音は今にも倒れそうな状態ながらも慌てない。
水で形作られた、細身で優雅な鎧や羽衣を輝かせ、その洗練された神秘を迸らせる。
「神に至らねば貴方を倒せないというのなら、それもいいかもしれません。しかし、私は人として貴方に打ち勝ちたい。
この国は、人と神獣の国。人が守るべき場所です」
「ならば、人と共に神獣が戦いましょう」
海音が1つの決意をして刀を構えると、その瞬間、迫る将門と彼女の間に割り込んでくるものがあった。
正しくは、海音という人の子に迫る脅威――将門を阻む雪が……
「大口真神、様……!? それに……えと、蛇の神様も……!?」
海音がやや緩慢な動きで雪の発生源を見ると、そこにいたのは全身真っ白な2人の人物。
淡い輝きを放つ光輪を持っている大口真神と、どこか疲れた様子で立っている夜刀神だ。
そんな2人に驚いて目を見開く海音だったが、夜刀神のことは知らなかったようで、少し戸惑っていた。
すると、蛇の神様呼ばわりされた彼は、たまらず噛みつく。
「夜刀神だっ!!」
「すみませんね、夜刀の面倒を見ていたら遅くなりました。
しかし、しっかり叩き起こして来たので安心なさい」
「くそ……吾輩、なぜ死に体でこんなところに……」
どうやら、夜刀神は無理やり連れてこられたらしい。
隣の大口真神が微笑みながらそう言うと、蛇の神様呼ばわりを忘れてぼやき始める。
だが、海音に微笑みかけていた大口真神が視線を向けると、慌てて表情を改めて海音に話しかけ始めた。
「うむ、任せ給え!! 吾輩、そこの鬼人とは昔戦ったことがあるのだ。かつては何度もボロ雑巾にしてやったものよ!」
「……鬼の神と書いて鬼神なのですが、大丈夫ですか?」
「な、なに……?」
"痣丸"
「ひょえっ!?」
海音が将門の情報を訂正すると、その瞬間、夜刀神めがけて黒い斬撃が飛んでくる。ギリギリ夜刀神に当たることはなかったが、彼をビビらせるには十分だ。
もしかしたら、彼が将門に対して、聞きようによっては馬鹿にしたともとれる言葉を放ったのが聞こえたのかもしれない。
いつの間にか雪を吹き飛ばしていた将門は、痣丸と一緒に、恐ろしく昏い目を倒れている夜刀神に向けていた。
「くそっ、しばらく見ないうちに随分と強くなったものだな!! 珍しくうっかり奇跡的に油断していた」
「……いつも通りですけどね」
「うるさいわっ!!」
夜刀神が微かに顔を引きつらせながらそう言うと、将門を再び雪で閉じ込めた大口真神が苦笑しながら口を開く。
慈しむような視線を向けられた夜刀神は、口では強く反発しながらもタジタジだ。
将門は雪の中で暴れているが、まだ出てくることはなさそうなので緩んだ空気が流れている。
「……ところで、御二方はあれと同じような存在と見てもよろしいのでしょうか?」
息を整えた海音は、雪に足を取られて余計にふらつきながらも彼女達の元まで辿り着き、問いかける。
治療はできないため顔色は悪いままだが、救援が来たことによりさっきよりも幾分気分は良さそうだった。
「我はそう見てくれて構いませんよ。しかしこの子は……」
「ううむ……吾輩はたしかに人の形をとれるし、言葉も話せるのだが、その一歩手前くらいだろうか……
流石にこんな化け物共には敵わんのだ」
「……化け物」
「正しい形での人の神獣――神人、鈴鹿大明神……様、世界を眠らせるもの――大口真神、世界を生かすもの――宇迦之御魂神、星を開くもの――天迦久神。貴様たちが普通の生物だとでも言うのか? 是非あれも眠らせていただきたい」
夜刀神の化け物呼ばわりに、少し悲しそうな顔で呟いた大口真神だったが、夜刀神は気にすることなく言葉を続ける。
0番目の守護神獣であり、彼らを統括していた鈴鹿大明神に、一般的に守護神獣とされる八柱の中でも、特に強く、環境すら変えてしまう概念たち。
その締めくくりには、ぞんざいな言葉遣いで普通の生物ではないとまで言い切った。しかし、すぐに丁寧な口調で大口真神に頼み込み始め、彼女は呆れたような目を向ける。
「褒めているのか、貶しているのか……
ですが、あれは無理ですよ。心が強すぎます。
タイミングや与えられた手傷にもよりますが……」
「ならばどうするのだ?」
「我が足止め、夜刀が撹乱、止めは天坂海音でどうでしょう? 力技には力技で対抗するのが一番です。
動けるのであれば……ですが」
「大丈夫です。毒も慣れれば食べ物のようなものです」
「……うん? 人なのか、それは……?」
大口真神が方針を決めると、ちょうど将門を閉じ込めていた雪が消し飛ばされる。
夜刀神は海音の発言に戸惑っていたが、他の2人は気にせず将門を倒そうと動き始めたため、彼もそれに続く。
「人を見捨てた神など、我らには必要ないッ……!!
醜い獣共を守って死に絶えろ、守護神獣ッ……!!」
「……」
"白闇"
二刀から黒い斬撃を飛ばしながら叫ぶ将門に、大口真神は哀愁を帯びた表情で雪を差し向ける。
今度は足止めのために閉じ込めるのではなく、彼を惑わすための白い闇だ。
黒い斬撃によって何度も斬り裂かれているが、絶えず供給される雪によって逃れることは叶わない。
少しずつ移動はしているも、惑い続けていた。
「ッ……!! 夜刀神ッ……!!」
「ふはははは!! 踊れ将門!!」
"廻流操蛇"
吹雪で見えなかったのか、身を抉られる寸前で攻撃に気がついた将門は、バク転を繰り返しながら距離を取る。
それを追う夜刀神は、手を動かすことでいくつもの水流を操っていた。
しかも、1つ1つが瓦礫や地面を軽々と砕いており、動きも蛇のようで捉えどころがない。
たとえ黒い斬撃で斬っても、夜刀神が気がついたらすぐに元に戻るため、本体を放置したままでは効果が薄いのだった。
だが……
「あ、おバカっ……!!」
"水穿拳"
調子に乗った夜刀神は、そのまま将門に突っ込んでいく。
両方の拳に水を纏わせ、やはり蛇のような捉えどころのない動きで打撃を繰り出した。
「……」
「うおぅっ!?」
それは、触れたものを瞬時に穿つような強烈な攻撃であり、もはや打撃ではないとまで言えるだろう。
しかし相手は、素手の夜刀神とは違って刀をという武器を持っているうえに格上の神だ。
無言で、どこか戸惑いすら漂わせて振るった刀に、夜刀神は悲鳴を上げた。
「し、しまった!! 撹乱だけでよかったというのに……!!」
「アホだな……貴様」
"痣丸"
思い切り体を後ろにそらして避けた夜刀神に、将門は本気で追い打ちをかける。全身の痣を濃縮し、この一太刀で確実に殺すべく黒い斬撃を……
"反射泡"
「グッ……!? な、にぃッ……!?」
だが、夜刀神を斬ったと思われた斬撃は、彼に届くことはなかった。体の表面に浮かんでいた泡に弾かれて、逆に将門の体を斬ってしまう。
「ふはははは、かかったな!!
りふれくしょん、というやつだ、バカめ!!」
まんまと引っかかった将門に、夜刀神は派手な笑い声を浴びせかける。そして、そのまま撹乱を続けるべく距離を取ろうとするのだが……
「ここまでコケにされて、我が逃がすと思うのか……!?」
「うっ……!!」
"霧隠れ-痣丸"
背後で悍ましいオーラを放つ将門は、無理に接近することなく二刀を振るう。放たれたのは、霧状になった黒い斬撃だ。
スピードは大きく落ちているのだが、怯えたように振り返って守りの体勢に入った夜刀神に追いつくのは容易い。
反射するはずの泡も、拳に纏った水もすり抜け、防御不能の呪いの乱撃が彼を襲った。
「ぐ、あ……!!」
「さぁ、祟り殺してくれようぞ!! 人間食いの夜刀神!!」
「かはっ……!! まさかまさかの‥」
みるみる顔色が悪くなっていく夜刀神に、将門はとどめを刺すべく歩み寄る。
しかし、彼が夜刀神の元に辿り着くことはなかった。
"白牙"
彼との距離を半分ほど縮めた辺りで、将門の足元に異変が訪れる。柔らかな雪だったそれは、瞬く間に固く、鋭く変化していき、足元から将門をすくい上げてしまう。
「くッ……!! 大口真神ッ……!!」
とどめの邪魔をしたのはもちろん大口真神だ。
少し離れたところにいた彼女だったが、どうやら雪に包まれたこの空間で起こることは大体わかるらしい。
宙を舞う将門の向かう先には、白で埋め尽くされた中で厳しい表情をして佇んでいる、大口真神の姿があった。
将門がちらりと夜刀神がいたはずの辺りを見やると、既にそこは白闇に包まれている。
「いいだろう。貴様を消せば、天坂海音の姿も捉えられるというものだ!! 死ね、善神大口真神ッ……!!」
大口真神は明らかに誘っているのだが、そもそも彼女に向けて飛ばされた将門に選択権はない。
禍々しく輝く痣丸を構えて、大口真神に迫っていく。
"痣丸"
「惑いの雪原にて其方は惑う。唯一の光は眠り雪。
ここは、夢すら絶える忘却の世界……!!」
"忘れ雪-絶夢"
地上に落ちていく将門を、純白が包む。
極限まで体温を下げる冷気、まるで夢の中のように上下左右前後が曖昧な空間。
ここが現実なのか夢なのか、生きているのか死んでいるのか、空にいるのか地面にいるのかすらわからない。
唯一わかるのは、目の前に佇む大口真神のみだ。
彼は大口真神以外を知覚することなく、朧気な意識で二刀を振るう。これは夢か幻か、それとも本当に現実なのか。
黒が白を塗りつぶした。
「……」
白い闇が消え去った後。
雪原に立っているのは、禍々しく輝く光輪や脈打つ痣以外にも、反射されたことで生まれた黒い傷のある将門だった。
しかし、彼にもほとんど意識はない。
ギリギリ生きてはいるが、極限まで体温が下がった状態で眠りかけており、今にも死にそうな状態だ。
とはいえ、もはやここには積雪もない。
このまま放置されていれば、いずれ体温も戻って仮死状態から復活してしまうだろう。
大口真神、夜刀神は呪いで斬り伏せられ瀕死。
彼にとどめを刺せるのは……
「……本当に、1人では勝てなかったのか。
それは私にはわかりませんが……」
白闇に紛れていた海音は、毒に侵され、眠気にも襲われている様子だったが、ようやく動きの止まった将門にどうにか歩み寄っていく。
「こほっ……ともあれ、決着ですね……」
小さく呟いて立ち止まった海音は、吐血しながらも刀を構える。水で形作られた、細身で優雅な鎧や羽衣を輝かせ、その洗練された神秘を再び迸らせる。
"天羽々斬-神逐"
彼女が神々しく光り輝く、神聖な水を纏った刀を振るうと、その斬撃は眠る将門を右腰から左肩にかけて斜めに両断し、昏い血を浄化しながら天を斬り裂いていく。
「ガァッ……!! 貴、様ッ……!!」
「やはりタフですね……」
体を真っ二つにされた将門は、眠気眼ではあるものの目を覚ます。もはや暴れるほどの力はないが、どうにか体をくっつけようとし始めた。
"天叢雲剣-神逐"
そんな彼を見た海音は、続いて刀を振るう。
刀に纏った水で空気中の水分を操り、ねじ曲がる天で斬る。
既に体が半分になっていた将門は、為す術もない。
反撃も防御もできず、ねじ切られていく。
「ッ……!!」
「念のため、肉片すら残さずに殺しておきましょうか……
流石に復活はしないと思いますが、したらもう無理です」
しかし、それを見ても海音は油断しなかった。
続けて刀を納刀し、吐血しながらも一瞬のうちに将門の背後に現れ、手元を煌めかせる。
"我流-霧雨:神逐"
するとその瞬間、将門だったものは粉微塵になって消えた。
後に残るのは赤い水たまりのみであり、やはり再生するようなこともない。
既に水の鎧や羽衣が消えて、納刀もしてたる海音は、それを確認するとほっと息を吐く。
だが、そのまま倒れ込んだり休んだりすることはなかった。
「はぁ、ようやく……ですが、まだ強いのがいますね。
大口真神様と蛇の神様は……まぁ、大丈夫でしょう」
禍々しい光輪が現れた後の将門の攻撃は、毒を含んでいた。
そのため、傷の深さ以外にも、自身と彼らの肌の色を比べればその容態を測ることができる。
傷はもちろん海音が多く、肌の色もより悪いのは海音だ。
大口真神達を放置しても死ぬことはないと判断すると、海音は次の相手がいる方へと向かっていった。