174-それが人である証①
愛宕中で鬼神が暴れている中。
ローズとライアンもまた、2人の鬼神と戦い続けていた。
だが、彼らはこの国に燻っていた憎悪ではない。
彼らはこの島から逃げ出した鬼人であり、彼らが浮かべるのは怒りを湛えながらも愉快そうな笑みであった。
「ギャハハハ!! 愉快だ、本ッ当に愉快だぜ!!」
周囲一帯からマグマを吹き出させるフォノスは、自らも焼かれながら、ローズの乗る茨とニーズヘッグに変身して耐えているライアンを燃やして高らかに笑う。
同時に、仲間であるはずのデュスノミアまでもが溶岩に浸かってしまっているのだが、彼女は彼女でそれを防ぐすべがあるらしい。ローズ、ライアンと違って、まったく苦しむ様子を見せていなかった。
「ッ……!! そんなに……愉快だって、言うなら、見逃して、ほしいんだけど……!! 私達は、ただ……この国に来た、だけ……」
溶岩を出しているフォノスはもとより、本来巻き込まれているべきデュスノミアにも効かないとなれば、この状況は一方的すぎる。そう待つことなくやられてしまうだろう。
ライアンは溶岩を耐えるだけで手一杯であるため、この状況に焦っている様子のローズは、みるみる顔色を悪くさせながらも震える手で茨を操作した。
"黒茨鎖錠"
彼女の操作する茨は現在、大多数が彼女の足場になっている。フォノスの溶岩は止めどなく、しかも茨があるほどに燃えるスピードが上がってしまっているためだ。
そのため、彼女が攻撃に回せた茨はほんのわずか。
彼女の髪と同じく、いくらか黒みがかった茨が鎖となってデュスノミアに襲いかかる。
「無駄でありんす。わっちはあの女とは違って、ただあべこべにするのではござりんせん。不法を定めるんでありす。
少しの熱気ならば耐えるはずの茨は、本株から離れるほどに脆くなりんすよ」
しかし、溶岩の中で涼しい顔をしているデュスノミアは、その茨を見てもほとんど表情を動かさない。
扇で口元を隠すと、ただじっとその茨を見つめ始めた。
すると、彼女に迫る茨は溶岩に触れてもいないのにボロボロと炭になって消えていってしまう。
さらには……
「……溶岩とは、液体のように揺蕩うものではござりんせん。
空気のように、天に昇りながら獲物を焼くものでありんす」
デュスノミアが楽しげにつぶやくと、本来は地面に溜まっているだけのはずの溶岩はどんどん天へと昇っていく。
ただ地面に溜まっているだけでも、足場がなくなって致命的なのだ。
ローズはあ然としながらも、至急安全なところまで茨で体を持ち上げる。戦闘開始時からすでに弱っていた上に、熱気で体力も奪われているため、息も絶え絶えだ。
「はぁ……はぁ……こほっ……!! はぁ……ライ、アン……」
今の彼女には、自力で耐えながらも動けずにいるライアンを一緒に避難させるだけの余力がない。
必死に溶岩から逃げながら、苦しげな視線を彼に向ける。
「お〜う。一応無事だぜ〜……」
「よかっ、た」
「だけど、どうするかね〜……炎なら効かねぇんだけど、溶岩までくると流石に反撃まで手が回らねぇな〜」
ニーズヘッグに変身しているライアンは、ローズの心配そうな声に軽い調子で答える。
しかし、その言葉とは裏腹に、ニーズヘッグの鱗は所々が爛れており苦痛に顔を歪めていた。
ローズは足場の茨や立ち昇る溶岩に遮られて見えていないようだが、無事ではないようだ。
「あ〜くそ、俺にはよくわかんねぇけど……
そんな愉快なら俺も見逃してほしいな〜……」
「ギャハハハ、なんだ? 本気で言ってたのかぁ!?
テメェら見逃したら意味ねぇんだから、見逃す訳ねぇだろ!?
かつて俺様達は、異形だからと追いやられたんだ!!
それなのに今、そいつは人なのに追いやられて苦しんでる!!
そんな人間の醜さが、心の底から愉快なんだからさぁ!!
ギャハハ!! だからよぉ、次は俺様達の番だよなぁ!?
この世から追い出してやるぜ、人間共!!」
「そ〜かよ!」
"獣の王"
フォノスの返事を聞いたライアンは、ローズに苦痛を悟らせないように、己を奮い立たせるように気合を入れる。
溶けかけているニーズヘッグの鱗を纏い直し、さらにスリュムなど他の獣の力も使った合成魔獣の姿に。
「奪え、スリュムヘイム!!」
"スリュムヘイム"
そして同時に、いつも相手から力を奪っているサークルも展開したのだが……
「そりゃあなんのつもりだぁ!? この俺様の影響下でぇ!?
俺様から力を奪いてぇと!? ギャハハハ、無理だろ!?」
「あっはは……やっぱりそうなるよな〜……
ならもう、正面突破しかねぇな〜……!!」
「それこそ、無理ってもんだぜぇ!!」
スリュムの能力を封じられたライアンは、覚悟を決めて笑うと、溶岩の中に両手をつける。
人型になったことで両足だけが溶岩の中にある状態だったのだが、足を曲げることなく手をつく、いわゆるクラウチングスタートの体勢だ。
自ら入らなくとも、溶岩は天へと昇っていくため勝手に全身が燃やされていたのだが、だとしても自殺行為だと言えるだろう。しかし彼は、体が燃えることなど気にも止めずに力を込めた。
「駆けろッ、スレイプニル!!」
次の瞬間、巨大な人型になっているライアンは、目にも止まらぬ速さで溶岩の海を駆け抜けた。
ガルズェンスで得た神馬スレイプニルの瞬発力を使い、体をボロボロにしながらも溶岩の元凶であるフォノスへと……
「だから無駄だってよぉ!!」
"鬼焔捷疾"
しかし、フォノスはその動きを完璧に捉えていた。
一直線に自分に向かってくるライアンに対して、的を外すことなく黒炎の槍を投げて命中させる。
命中箇所は両足の膝。それがたとえ黒炎の槍でなくとも、移動中に受けたら致命的になりそうな場所だ。
だが……
「ぐっ……!! あっはは、そっちこそ無駄だぜ〜……!!」
「あぁん!?」
「俺は、人並み外れてタフなんでね〜……!!」
「はぁ!? あがッ……!!」
"スレイプ・カルキブス"
ライアンは止まるどころか、むしろスピードを上げた。
神馬の瞬発力を爆発させることで、黒炎の槍が勝手に抜けてしまうほどの速さになり、その勢いのままに腕を振り抜く。
「ッ……!! こりゃ相当……」
「……溶岩とは、簡単に固まらないものではありんせん。
外気に触れたらすぐに固まってしまうものでありんす」
「は……?」
神馬の瞬発力によってフォノスが殴り飛ばされると、隣でつまらなそうに眺めていたデュスノミアは、またぽつりとつぶやく。
すると溶岩は、今度は立ち昇るのをやめてその場でガッチリ固まってしまう。巨人の巨体でもの凄いスピードを出していたライアンは、全身に溶岩を被っている状態であったため、完璧に動きを封じられてしまっていた。
「おいおいお〜い、とんでもねぇな〜……
けど、俺には巨人の力も‥」
「人は大きくなる程に力が弱くなるものでありんす。また、固まった溶岩を砕くには道具が必須でありんす」
「マジ、かよ~……!!」
溶岩の中では茨の槍は使えないため、ライアンに武器はない。他に持っている力も、氷や単純な身体能力に関わるものだったりと溶岩に対抗できるものはなかった。
唯一レグルスの光には可能性があったが、接近時の補助以上に使うと制御できないことが多いため、捕まって何もできないライアンは力なく笑うだけだ。
「チッ……!! いいとこで邪魔をするんじゃねぇよ!!」
「……鬱陶しいじゃありんせんか。耐えるか走るか殴るかしかできんせんようでありんすが、わっちには対抗手段がござりんせん。わっちはただ、この世の法則への不法を。
それに、手伝えと言ったのはぬしじゃありんせんか」
「ぐッ……ぐぬぬぬ……!!」
着地したフォノスは苛立たしげに怒鳴りつけるが、当のデュスノミアはどこ吹く風だ。
溶岩に体を焼かれることはなくとも、多少熱くはあるのか、扇で軽く扇ぎながら薄っすらと微笑んでいる。
論破されたフォノスは、デュスノミアに言い返すことができずに黙り込んでしまう。
しかし、岩が砕かれるような異音に気がついた彼は、胡乱げな視線を前方に向けた。
「チッ……!! ……あぁ?」
「ライアンを、返してっ……!!」
「……その茨は、まだぬしの体の一部でありんす」
視線の先にいたのは、少し離れたところで天に昇る溶岩を耐えていたが、それが固まったことで自由になったローズだ。
拘束されるライアンを見た彼女は、茨という道具を使って、必死の形相で溶岩を砕いて進んでいく。
しかし、デュスノミアがつぶやくとすぐに溶岩は壊すことができなくなり、進行が止まってしまった。
「……!! なら、熱で溶けてっ……!!」
「炎とは、溶岩に溶けてしまう液体でありんす」
次に炎を使って溶岩の熱を取り戻そうとするが、今度もデュスノミアの言葉を受けて何もできなくなる。
ローズが操っている炎は、溶岩に触れると一瞬で蒸発してしまった。
「そんな、言ったもの勝ちでッ……!!」
「……わっちはこの世界の正しい法則に逆らう者。
ぬし程度の神秘では、対抗手段はありんせん」
何度も言葉一つで封じられて叫ぶローズに、デュスノミアはつまらなそうに呟く。相変わらず扇で顔を隠した、実に余裕そうな態度だ。
だが、しばらく唇をかみしめていたローズは、何か思いついたのかぱっと顔をあげると強い光を宿した目でデュスノミアを射抜いた。
「っ……!! ……ううん。対抗手段なら、あるよ。
呪いって、いうのはね……個人の、意志なんて……簡単に、飲み込んじゃうの。だから……」
彼女がそう宣言すると、真紅の炎がその身を包むように柱状に集まっていく。やや液体になっていた部分も、もはや完全な炎に戻って赤々と燃えている。
炎の中で輝くローズの髪は、まだ微かに銀髪が強かったところも含めて、すべて黒銀色になっていった。
黒く、黒く、呪いに塗りつぶされていく。
「私程度ではだめでも……暴走した神秘はこの星のもの。
国を、滅ぼしたい……契を、破壊したい……そんな呪いに、身を任せる。だから私は、あなた達を滅ぼすよ。
デュスノミア、フォノス」
「おいお〜い、もしかしてそれって‥」
「うん、呪符を埋め込まれたからこそできること。
暴走したからこその……呪神モード」
"呪神モード:玉藻前"
彼女が腕を振りながら名乗ると、炎の柱は弾け飛ぶ。
中から現れたのは、髪が銀髪から漆黒になり、狐のような爪、炎のドレスを身にまとったローズだ。
しかし、彼女は額に手を当てながら荒い息を吐いており、目もどこか遠くを見つめている。
「ハァ……ハァ……」
「ギャハハハ、ちゃんと俺様達に攻撃できんのかぁ!?」
「滅、べ……!!」
「ッ……!!」
"封神炎儀"
そんな彼女の様子にフォノスが挑発をすると、ローズは血走った目を向けながら彼に向かって手を持ち上げる。
すると、フォノス、デュスノミアの両名を一瞬で獄炎が包んだ。
デュスノミアが不法を使う暇もなく、既に不法が使われた溶岩も溶けていた。もちろんフォノスも抵抗できない。
「グアァァァッ……!!」
「こ、れは……!!」
「滅べ、滅べ、滅べ……!!」
"大文字"
フォノス達は反撃できず一方的にやられているのだが、暴走しているローズは構わず、続けて攻撃を繰り出す。
背後に現れた炎の輪っかから9つの尻尾を生み出し、それぞれから大文字の形をした炎を敵に。
封神炎儀に閉じ込められている彼らが避けられるはずもなく、彼らはそのすべてをその身に受けた。
「グァァ……!! ギャハ、ハハ……今回は、負け……だな……」
「あぅ……ぁ……ぁ……」
「ヒヒ……また、会おうぜ……リー・フォード……」
「滅べ、滅べ、滅べ、滅べ、滅べ、滅べ……!!」
"九尾日輪合掌"
デュスノミアは既に消えかけていたが、フォノスはギリギリまで耐えており、ローズに言葉を投げかける。
しかし、ローズには当然聞こえておらず、彼らの灰すら燃やそうとしているのかとどめを刺す。
ローズの背後から消えた輪っかが、彼らだったものがいた場所の頭上に現れると、回転しながら9つの尻尾でその場を包み込む。
既にデュスノミアどころかフォノスも消えている。
だが、ローズはそれでも燃やし続けていた。
「ッ……!! ローズッ……!!」
「滅べ、滅べ、滅べ……!!」
"スリュムヘイム"
それを見たライアンは、ローズを止めるべく能力を使う。
ローズが溶かした上に、フォノスもデュスノミアも消えているため彼を閉じ込めていたものはもうない。
暴走するローズに駆け寄っていくと、その足元に力を奪うサークルを展開してもとに戻った彼女を抱きとめる。
「……悪かった。お前にやらせちまって……」
「わた、しは……」
「安心しろ、あいつらはもういない。寝てていいぜ。
もう能力も使えねぇだろ?」
「……う、ん」
「他にも敵はいるみたいだけど、あとはクロウ達に任せよう。俺はすぐに合流できるところで、お前を守るぜ」
「あり、がとう……」
「お休み、ローズ」
ライアンに促されたローズは、安心した様子で目をつぶる。
この国にいる間のほとんどを暴走しているような状態で過ごし、連戦の最後には完全な暴走をした彼女は流石に限界だったようだ。
すぐに穏やかな寝息を立て始める。
そんな彼女を見守るライアンは、眠った彼女を少し撫でると、横抱きにして安全な場所まで移動を始めた。
「鬼神は魔獣じゃねぇのかね〜……」
すべてが終わった後この場に残されたのは、そんなライアンのつぶやきだけだった。
ライアンのつぶやきは夜闇にかき消え、足音も聞こえなくなった頃。ドロドロに溶けた戦場から少し離れた場所に1人の人物が現れる。
神父のような格好をしており、瓦礫に腰掛けて不気味に笑っている男だ。彼は岩戸の方向を見ながらホッとひと息吐くと、横に倒れている者を見ながら口を開く。
「さて、これで家族の死の偽装は完了ですね。
ふむ……あいつはどうしますか……」
何やら考え込んでいる神父は、岩戸の方向をぼんやりと眺めながら、しばらくコツコツと小気味よく靴を鳴らしていた。