166-名を叫べ・後編
言葉が通じない鬼神を土蜘蛛とドールに任せた俺達は、より騒がしい場所を目指して街を走る。
この国の出身である土蜘蛛すらあれの名前がわからなかったので、もちろん俺も誰が敵か、どこに行けばいいのかは分からない。
しかし、それでも運だけを頼りに、鬼神が暴れているような騒がしい場所を目指すのだ。
「ロロ、感知ってできるか?」
「……今、この国にはものすごく神秘がみちてるんだよ。
だから、うまくできない。できないんだけど……なんか近づいてきてる気はする、かな……?」
「何か、ね……」
ロロの感知結果を聞き、俺は少しだけ歩を緩める。
近づいて来ているというのなら、敵であれ味方であれ巻き込まれないようにしないといけない。
今走っている場所は、あの鬼神が破壊したボロボロの場所から変化し、斬り刻まれたような、火事が起きたかのような場所だ。
よくわからないが、何かが起こった場所であることは間違いなさそうである。実際に音は少しずつ大きくなっていた。
そして、そう感じたことは間違いではなかったようで……
「ああァァァぁぁアあぁぁあアあ……!!」
俺達が周囲を警戒していると、突然、勢いよく建物を突き破って、赤黒い物体が叫びながら現れた。
それは、赤黒く燃える紐のようなもの……
いや、よく見たら中心には子どもがいる。
燃えている血塗られたような色の髪を操って、街を切り裂いて暴れている子どもだ。
しかも、俺とロロには見覚えがある人物……
「え、魂生ちゃん!?」
「ぁああァァ……ロロ、ちゃん……?」
ロロが驚愕の声をあげた通り、目の前にいたのは崑崙で出会った晴雲が保護しているはずの少女――細川魂生だった。
彼女は俺達を見て目を大きく見開くと、街を切り裂いていた髪を少しだけ鈍らせる。
しかし完全に止めることはなく、俺達から目を離さずにしながらも街を少しずつ切り崩し、燃やしていく。
俺達を気にしながらも、特に巻き込むことに躊躇はしていない様子だ。
そんな彼女の肌は赤く硬質化しており、頭からはネジ曲がった小さな2本の角、口からは鋭い牙が生えている。
だけど面影はあるし背格好や声も同じだ。
先程の鬼神と同じく、見るからに鬼……
そして、どれだけ低く見積もっても、存在感からして格上の神秘だった。
正直、さっきのよりはマシに見えるけど……
知り合いだから、か……?
山で会った時は普通の子どもに見えたのに……
「何してるのっ‥」
「待ちなさ〜い!!」
肩にいるロロが、信じられないものを見るような顔で口を開くと、それを遮るように魂生の背後から声が聞こえてくる。
魂生の髪を避けながら彼女の背後を見てみると、そこにいたのは燃える鳥と和服の美女たち――朱雀、美桜、それから……
「き、鬼人……!?」
「むっ、あなたは……!! ……誰ですか?」
「こっちのセリフだっ!!」
俺が驚いて声を上げると、あちらも驚いたように目を見開いた後、小首をかしげながら訝しげに目を細めた。
どうやら最初に言った言葉とは裏腹に、彼女は俺達のことを知らないようだ。
いや、何に驚いたんだよこの人は……
愛宕に鬼人がいるのはおかしいけど、人間がいるのはおかしくないだろ。
美桜と一緒に魂生ちゃんを追ってきてたんだから、味方ではあるみたいだけど……
「まぁいいや。とりあえず敵じゃないんだろ?
美桜と一緒にいるし」
「もちろん敵ではありません。
……敵など、最初からどこにもいませんでした。
大抵の場合、敵とは個々の心ですから。今回も……」
「あの子みたいに、か……?」
それを聞いた俺は、美桜と朱雀が対峙している魂生に視線を向ける。彼女はロロを見たからか少し大人しくなっており、美桜達は鬼人の女性を抜きにしても攻撃を防ぎ切ることができていた。
だが、その赤黒い髪は燃えているため、美桜の桜は攻撃を受けるたびに減っていく。
なぜ人だったはずの魂生が鬼神になっているのかはわからないが、あまり長引かせないほうがいいだろう。
俺は混乱している様子のロロを軽く撫でると、どうしたいか聞いてみる。
「ロロ。状況はわからないけど、あの子は放置できない。
お前はどうしたい? どうするにしても、少し落ち着いていそうな今、話しておいたほうがいいんじゃないか?」
「う、うん……話してみる」
俺が促すと、ロロは顔を歪めながらも目に強い光を宿して、俺の肩から飛び降りて魂生の方へ走っていく。
すると魂生は、その髪での攻撃を徐々に止める。
美桜と朱雀も、防御や回避の合間にしていた攻撃を止めたので、既に斬られたり燃えてたりしていた街が崩れる以外は、動くものはなかった。
「魂生ちゃん……なんで、こんなことしてるの?
オイラ、かなしい。いっしょにあやまるから、やめようよ」
「ロ、ロロちゃん……これは、そう望まれたから……むり。
でも、あなたはあたしの友だちだよね?
あなたも人間じゃないんだし、いっしょに人間滅ぼそ?」
「……ごめん。オイラ、クローがつく方につくよ」
ロロに拒否された魂生は、剣を突き立てられたかのように苦しそうに顔を歪めると、血涙の量を勢いを増す。
赤黒い髪がピクリと動き、今にも暴れ出しそうだ。
しかし、彼女はギュッと目をつぶると、全身を震わせながら俺に視線を向けた。
「ク、クロウさん。あなたもふつうの人間じゃないでしょ?
あたし達みたいな異形ではないけど、それでも……
人間じゃないでしょ? あたし達と……」
「……悪いけど、俺は人間だ。和解したいなら協力するけど、滅ぼすなんてことには協力できない」
「そう……そうなんだ……あたしは、あ、たし、は……あたしはぁァァァあァァァああアアアアあぁぁぁああああ……!!」
「ッ……」
俺も拒否すると、彼女はまた最初のように叫び出す。
ロロは俺の側につくと言ったのだから、たしかに俺が拒否したら敵対確実ではあるけど……痛々しすぎる……
彼女からしたら、それは耐えられないことだったのかもしれない。恐ろしく長い髪は、街中を覆う勢いで一斉に蠕き、俺達の方に向かってきた。
俺の剣ではどうしようもない物量だ……!!
「……あなた、無力ですか?」
「え……? まぁこういう相手に関してはそうだなあぁ……!?」
俺が女性の言葉にうなずくと、いきなり俺の視界は真っ赤に染まる。前はもちろんのこと、上を向いても下を向いても横を向いても赤一色だ。
しかも、なにかに運ばれているような感覚がある。
というか、運ばれてる!! ゾワゾワする!!
「なんだなんだなんだなんだ……!?」
「喋っていると舌を噛みますよ?
すぐに安定しますから、大人しく待っていてください」
俺は女性の言葉に従ってすぐさま口を閉じる。
するとその言葉通り、すぐに俺の視界は一気に晴れた。
現在地は空高く……かはわからないけど、とりあえず屋根よりも高い場所だ。おそらく下で蠕いていると思われる髪は、俺からはまったく見えない。
そして尻餅をついた俺の下にあるのは、紅葉でできた絨毯みたいなものだった。
どうやらこれで自分自身と俺を運んでいるらしい。
……便利で羨ましいな。本当に、どいつもこいつも。
「すご……てかロロは!?」
「安心してください。わたくしが紅葉であなたを運んでいるように、卜部美桜が桜で運んでいます」
紅葉から少し身を乗り出してみると、女性の言う通り下の方に桜の絨毯があるのが見えた。
そのすぐ近くには、全身が燃えている鳥も。
あれが美桜の能力で作られた乗り物なのだろう。
桜の花であんなことができるとはな……便利だ。
というか、結局この人は誰だ……?
「そ、そっか……ところで、あんたは……?」
「あぁ、申し遅れました。わたくし、妖鬼族-死鬼の1人、風鬼の鬼女紅葉と申します。以後お見知りおきを。
……あの方々から生き残れなければ無意味ですが」
俺が聞いてみると、女性――紅葉は鬼神と相対しているとは思えないほど冷静に、礼儀正しく名乗ってくれる。
たしか海音が言うには、死鬼は鬼人のリーダー格だったはずだけど……
「風鬼……?」
「あまり意味はありません。ただの称号……ですかね。
あなたは?」
「あ、俺はクロウだ。よろしくな」
「……はい、よろしくお願いします」
「……え、何?」
紅葉に促されて俺も名乗り返すと、彼女は少し不思議そうに俺を見つめた後、返事をくれる。
今のタイムラグはなんだ……?
「いえ。外国の方は、妖鬼族と聞いても反応しないのだな……と。人の形を取れるようになってからは、あまりそういった反応を見ていませんが、それでも名乗れば驚かれますから」
「まぁ俺は八咫の人より知らないからな」
「偏見がないのはよいことです。……それは人の生き方を縛り付けてしまいますから。まぁそれはいいとして……
卜部美桜のもとに送りますね。正直あの方は鬼神の中では最も人に近く、脆く、弱い。わたくし達だけでも凌ぐことができるでしょう。あなたはどこにいるべきか。
その判断は、この場で最も先を見ることができる彼女に」
「わかった」
俺が紅葉の言葉を受け入れると、彼女は俺に向かってにこりと笑って紅葉を操作し始めた。
絨毯全体がぞわりと逆だったかと思うと、一気に細長く形を変えて地上に向けて飛んでいく。
さっき登る時に忠告されていたため、俺はしっかり口を閉じて舌を噛まないように注意する。
それと同時に、下で暴れている魂生も目に入ってくるけど……
「あぁあアアアああぁアァ……!!」
あれが本当に人に近いのか、甚だ疑問だ。
美桜と紅葉のお陰で全員避難できているが、魂生はそんなことお構いなしに暴れ回っている。
髪は桜と紅葉に切られなければどこまでも伸びていくし、それに触れた建物が紙切れのように塵になっていく。
常に流れている血は、髪よりも自由自在な動きで街中を縦横無尽に飛び回っており、それに触れたものは切れるし破裂するし砕けるし侵食されていくしと大惨事だ。
強力すぎて頭がおかしい。
おまけに近場にあるものは、いつ伸びたのか、人の腕ほどもありそうな長さの爪で引き裂いている。
近づいたら絶対に細切れにされるし、俺じゃ絶対に戦いにならない。……そもそも、戦っていいのか?
「美桜!」
「ふぅ……クロウちゃ……ん……?」
「……? どうした?」
「いいえ〜」
紅葉の絨毯によって運ばれた俺は、血と髪を避けながら桜に乗り移って美桜を呼ぶ。
彼女は紅葉と同じようにロロを運んでいるのだが、同時に髪や血がこれ以上被害を出さないように防ぐこともしていたのでかなり大変そうだ。
声をかけたことで俺に気がつくと、なぜか一瞬不思議そうな顔をした後、すぐに乗り移った俺ごと桜を動かし、この場から離脱し始める。
すると今度は紅葉が魂生の攻撃を防ぐようで、彼女は俺を送り届けると、これで周りを気にする必要はなくなった、とばかりに紅葉が荒ぶり始めた。
ローズの茨もそうだけど、何かを操作する能力って本当になんでもできるな……
「それで美桜、俺はこの戦いに参加した方がいいか?」
「そうだね〜……」
紅葉に言われた通り、俺がどうすればいいか聞いてみると、美桜は御札を浮かせながら空を見上げる。
先を見るというのは、どうやら占いのことだったらしい。
だとしたら、彼女の言葉に従うのが一番良さそうだ。
晴雲とどっちの方が精度が高いのかは気になるところだけど……
「強力な神秘は5つあるけど〜……
あなたがやってきた方は置いておくとして、魂鬼ちゃんは……うん、縁が向かってきている。問題なしだね〜。
とすると他の3つの中から選ぶことになるんだけど〜……
多分1つは海音ちゃんが戦ってる……かな? 正直海音ちゃんの戦いは割って入れるレベルじゃないわ〜。配慮とかしないし、移動も一番激しくて追いつくだけでも一苦労だよ〜。
もう1つは〜……影綱? 現状、多分ここが一番戦力が足りていないんだけど、相性的におすすめできなそうね〜。
最後は……う〜ん……」
「どうした?」
黙って占い結果を聞いていたのだが、最後の1人になって美桜は言葉をつまらせる。今までの4人が無理なら、どうあれ最後の1人が俺の行くことになる場所のような気がするんだけど……
俺が促してみても、彼女はなかなかはっきり答えない。
「えっと、う〜ん……多分これ、ボスですね〜……
……獅童が斃れ、将軍が戦っている。獅童……」
「……あの爺さん、死んだのか?」
「……そのようです。これはいよいよ……
ううん。まとめると、海音ちゃんのとこは無理、影綱のとこは相性最悪、雷閃ちゃんの配慮込みで、ボスのところにいくのがおすすめで〜す。……あの子の援護、よろしくね」
「……はぁ、わかったよ。ロロはどうする?」
美桜に指でそれぞれの場所を示された俺は、結局一番ヤバそうなところに送られることになってついため息をつく。
だけど、たしかに一番強い敵のところに幸運が必要だ。
ちょっと怖いけど行くしかない。
だけどロロは……ロロは魂生の友達だ。
彼にどうこうしろとは言わないけど、その行く末は見届けたほうがいいだろう。
「オイラは……残るよ。オイラは何もできないけど、ちゃんと魂生ちゃんのこと、見届けたい……」
「ああ、それがいいよ。
酷だけど、目をそらして後悔するよりはいい」
「決まりだね〜、じゃあクロウちゃんはボスの方向に送るわ〜。いきなり近くじゃ死んじゃうから、他の敵よりはボスに近いくらいの場所にだけど」
「……頼む」
俺とロロの目的が決まると、美桜は胸の前で手を合わせて控えめに笑う。俺達はどちらもそこまで戦闘能力が高くないので、身を案じてくれているのかもしれない。
しかし一切私情を挟むことはなく、容赦なく俺をボスのいる方向に送り始めた。
自分達が乗る桜と俺の桜を分け、俺だけ御所の向こう側に。
左手からはさっきの名前もわからない鬼神が暴れている様子が見えるが、今は目の前……雷と炎などが暴風の中で渦巻いている方が重要だ。