162-絶望を眺める者
人は誰しも、仮面をつけている。
好かれるために。嫌われないために。
争いを生まないために。自分を、騙すために。
誰よりも心優しい者は。
どのような醜さからも目をそらさない。
しかして心は壊れ、正常に生きるために、平静を装うのだ。
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雷閃達と同じく、晴雲に言いくるめられた影綱と茨木は、喧嘩をしながらも一緒に愛宕の北側へと向かっていた。
進行方向から聞こえてくるのは、侍達の悲鳴や鬼人達の怯えた声だったが、2人は焦ることない。
影綱は部下を信じているのだろうし、鬼人である茨木はそこまで命を大事には思っていないのだろう。
晴雲と分かれた時と変わらない速度で、前よりかは隣の神秘を気にしながら歩いている。
「はぁ、実に残念です。たくましい鬼人でありながら、霧に紛れてコソコソするしか能がない臆病者とペアとは」
「ふん。貴様の価値も大差ないだろう。
暗い影の中、ずっと引きこもって事務仕事をしていたのだろうから、せめていい餌くらいにはなってくれ」
お互いに睨み合いながら罵る彼らは、警戒を続けながらも一定のペースを保って進んでいく。
しかし、場違いにも目の前でぼんやり月を見上げている人物を見つけると、呆然として立ち止まった。
「……時平? こんな所で何を……?」
「あぁ……こんばんは、影綱殿。2日ぶり……ですかね」
彼らの視線の先にいるのはが、儚げに微笑む1人の文官。
影綱直属の部下である鬼灯時平だった。
自身の部下であるため、影綱は戸惑いながらも体の力を抜く。
しかし……
「ッ……!!」
彼の隣にいる茨木童子がとったのは真逆の行動だった。
一瞬呆然としていた彼だったが、すぐに平静を取り戻すと霧に紛れて急接近する。
そして、時平の首元に向かって全力の一撃を放つ。
"羅生門-獄炎乱舞"
それは、霧の中に隠した炎。
直前になってようやく気がつけるレベルの隠蔽は、ぼんやりと立つ時平の首に吸い込まれていき……弾かれる。
気がついたら家屋に突っ込んでいた茨木には、何が起こったのかを正確に理解することはできなかっただろう。
彼は、防がれたという事実に顔を歪めながらも、探るように時平を見つめる。
「茨木童子!? ……時平に、戦闘能力が……?」
突然の出来事に驚いた影綱も、流石に違和感を覚えたようだ。警戒を強めて軽く身構えると、同じく時平の一挙手一投足を観察し始める。
時平の様子に変化はない。
いつも働いている時やさっき話した時と変わらず穏やかだ。
しかし、いつの間にか時平の背後にはぼんやりとした巨大な人影が現れ、この場には嵐が生まれていた。
「定期的に、八咫の島々を覆う嵐……」
影綱のつぶやきに、時平は笑みを深める。
だが、彼はそれ以上の反応を示すことなく、未だ荒い息をついている茨木童子に話しかけた。
「……いたんですか、茨木。
影綱殿の背後に隠れていて気が付きませんでしたよ」
「か、ふ……!!」
「それで、どうかしましたか?」
時平の目に射抜かれた茨木童子は、壁にめり込んだままビクリと体を震わせる。
しかしどうにか立ち上がると、大剣を支えにして時平に視線を受け止めた。
「ふぅー……ふぅー……貴方様は、他の方々ほど固執していないと思っていたのですがね……」
「どうでしょう? 私はもともと、積極的に人を襲いはしませんでした。ただ、目をそらさずに見ていたのです。
家族に刃を向けられるのを。血走った目を向けられるのを。
鬼人が拷問されるのを。殺されていくのを。
怖い怖いと話しているのを。決して理解されないのを。
……やがて、魔獣とされていくのを。
暗い感情は着実に溜まっていく。近年、意識が変わってきているようですが、私達のような当事者から恨みは消えない。
何千年もずっと我慢してきたのですから、そろそろ滅ぼしてもいいですよね?」
茨木童子への返事として、時平はただ淡々と自身が溜め込んできた恨みを吐き出していく。
事実、まったく固執していないかのように。
もはやそれらは過去で、今は何も感じていないかのように。
だがその言葉とは裏腹に、彼の纏うオーラは夜の闇が薄く見えるほどにドス黒くなっていった。
現在は深夜。時平の周囲こそ、深夜。
もはや彼らの外側は昼間だった。
茨木童子はまた身震いすると、霧となってかき消え、影綱の隣に現れる。黙って聞いていた影綱も、ちらりと横を見ると最終確認を取り始めた。
「つまり、あなたが晴雲の示した敵ですか……」
「そうなりますね……苦しいですか?」
「いえ。雷閃は敵となれば紫苑にでも刃を向ける。
たかが有能だった部下というだけで、鈍ることはない」
「ふふ、それでこそ影綱殿だ。では、創生の時代を知らぬ子ども達と遊んであげましょう」
"天満大自在天神"
時平がそう宣言すると、嵐はさらに力を強めていく。
彼の周囲を囲うように、背後の化身が鎧として。
影綱と茨木童子を逃さないように、結界として。
暴風が吹き荒れ、火の雨が降り、雷鳴が鳴り響く。
ここは息すらまともにつかせぬ地獄となった。
"本能解放-鬼灯丸道真"
やがて彼を包む鎧が剥がれ、背後に神々しい化身が現れると、彼自身の容貌も別物になっていた。
頭には優雅さすら感じる美しい一本の角。
顔や手足はもちろん硬質化しており、纏う衣も茶色を基調とした地味な和服だったのが、赤や青、緑など様々な色で彩られた派手なものになっている。
どこまでもドス黒いのに何故かまばゆく、背後に羽衣を揺蕩わせ、嵐で形作られた化身を従える様はまさしく神であった。
それを見た影綱達は、いきなり斬り掛かったり、鈍らないと宣言したことが嘘かのように緊張した面持ちを見せる。
「……あれと、戦うのか」
「そう、ですね。晴雲が誘導したということは、一番適しているということでしょうし。……あなたは戦えるのですか?」
「某たちは、排斥後の世代だ。人の形をとれるようになり、大半は弱いと知った今、わざわざ恨む理由はない」
「そうではなく‥」
「もちろん、神であろうとも悲劇に突き進むのならば逆らうつもりだ。紫苑が里の子に恐れられたことから芽生えた種は、もはや某たち全員の望みだ」
「……そうですか」
覚悟を決めた影綱達は、どうにか震えを抑え込むと、毅然とした表情で道真を睨む。
影でぼやける刀と、霧でぼやける大剣を構えながら。
すると、そんな彼らを見た道真は、暗い感情を滲ませながらもどこか楽しそうに言葉を紡ぐ。
「覚悟は決まったようですね。では、あなたには再び地獄をお見せいたしましょう……
オン・バザラ・タラマ・キリク・ソワカ」
"梅花無尽蔵-好玄"
道真が言葉を紡ぎ終わると、その背後に控える化身には急激な変化が訪れた。単なる嵐が人の形になったものだったのが、確固たる質量を持つ仏に。
より大きく、たくましく、神々しく。
悟りを開いたような穏やかな顔で、目の前で合わせた2本の手の背後に千の手を備えた神仏。
それぞれの手に宝戟、羂索、傍牌、髑髏杖、宝弓、五色雲、玉環、錫杖、宝珠、宝鐸、鉞斧などを携えた化け物だ。
さらには……
"花祭り"
暴風が吹き荒れ、火の雨が降り、雷鳴が鳴り響く中、何故か色とりどりの花びらが舞い、どこからか笛などの楽器の音色が聞こえてきた。
怪訝な表情をしていた影綱達だったが、しばらくその香りや音色を聞いていると、段々と不快そうに顔をしかめたり眠そうに目を細めたりし始める。
「宙を舞う花。響く笛の音。これより先は、三途の川。
……死にたい方からかかってきなさい」
「ッ……!! 行くぞ影」
「……わかっていますよ、霧」
明らかに調子が悪そうだった彼らは、道真の挑発を受けると不調を飲み込み駆け出していく。
それぞれが影となり、霧となり、"天満大自在天神"の影響から逃れるように。
道真が操る、圧倒的な手数を持つ千手観音と激突した。