161-悲しみを抱く者
苦痛に耐えられることは良いことなのだろうか。
壊れてしまうことは悪いことなのだろうか。
幼いながらに悪と定められた子は。
狂気に満ちて。憎悪に満ちて。
望まれるままに滅びを叫ぶ。
それは環境が生んだ怪物。
それは誰もに否定される怪物。
それは肯定を渇望するモノ。
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晴雲を置き去りにした美桜と紅葉は、彼の目の届かないところまでくると、唐突に立ち止まる。
そして美桜が白虎を呼び出すと、意外にも2人仲良く白虎の背に乗って、北西に向かい始めた。
彼女達は、別行動になった3組の中でもっとも苛烈な殺し合いをしたはずだったのだが、影綱・茨木と違って相性はいいらしい。
美桜が急に立ち止まったり、白虎を呼び出して乗るように言っても、戸惑いはしたものの、紅葉はすぐに従っていた。
「出遅れましたけど、この調子なら問題なさそうですね」
「問題って〜?」
白虎に乗って少し経った頃、彼のスピードを体験したからか、少しホッとしたように紅葉が呟いた。
しかし、美桜には彼女が気にしている問題とやらの心当たりはないらしい。ちらっと後ろを振り返って問いかける。
「あ……そうでした。あなた方は知りませんでしたね」
「もしかして、妖鬼族に巣食う闇かしら〜?」
「ふふ、流石に占っていますよね……はい、そうです」
美桜の言葉に頷いた紅葉は、怯えたようにぎゅっと目をつぶると、美桜の腰に回した手に力を込める。
恐怖からか小刻みに体が震えており、その闇というものは彼女の深層部に根ざしているようだ。
「隠れているのか隠されているのか……私にははっきりとは見えなかったのよね〜……教えてくれる?」
「……はい」
美桜に促された紅葉は、彼女を抱きかかえたまま話し出す。
妖鬼族のこと、その始まりからいる5人の鬼神のこと、彼らが鬼人の子ども達を人里に連れ出し、恐怖を絶やさなかったこと、それが一族の総意になったこと。
何度も殺されかけたこと、植え付けられた若者の恨みを消すためには、両者のトップを削り合い、自分達もやり返せたと思わせるしかなかったこと。
隠された妖鬼族の内情を知った美桜は、震える紅葉に容赦なく最終確認をとる。
「鬼神……初めて聞くけど、明らかにあなた達より格上っぽい言い方よね〜?」
「はい、あの方々はこの星が生まれ変わった時から存在する、最古の神秘。始まりの鬼人。もはや星が意志を持ったと言えるレベルの神秘である、神」
「つまり、あなた達死鬼は部下を納得させたかったと。
その鬼神だけが妖鬼族本来の恨みだから」
「はい」
「でも、結局その5人が暴れるなら意味ないんじゃない?
あそこにいる子みたいに……」
「っ……!!」
美桜がそう告げて前方を示すと、彼女にしがみついた紅葉はあからさまに大きく体を震わせた。
どうやら美桜の勘違いではないようで、少し離れた先にいるのは間違いなく先程の話にあった鬼神のようだ。
白虎は立ち止まり、目の前にいる存在の姿はブレることなくはっきりと見えるようになる。
彼女達の目の前にいたのは、花柄の和服を着ている10歳前後の少女――晴雲に預かられているはずの細川魂生だった。
何故か紅葉と同じように震えている彼女は、この暗闇の中でもわかるほどに頬を赤く濡らしながら声を振り絞る。
「あ、あたしはっ……あたしはっ……」
「あら? あの子、晴雲のところの子じゃなかった〜……?」
「鬼神の多くは、人里に紛れ込んでいます。
あの方も、偽装して幕府の占い師のもとに……」
「まぎれてるんじゃ、ない……」
「え?」
「あたしは、人間、なのーッ!!」
美桜の疑問に紅葉が答えていると、その言葉を聞いた魂生は顔をくしゃりと歪めていきなり叫び始めた。
そして同時に、彼女の目から流れ出ていた血涙が、鞭のようにしなって美桜達に向かっていく。
「っ……!?」
"紅葉の帳"
美桜は知り合いのはずだ……と反応できなかったが、既に敵だと知っている紅葉は、素早く前方に紅葉のカーテンを展開した。
「飛んでください!」
「了解した」
だが、彼女はそれだけで防げないことも知っているらしく、同時に白虎に指示を出してその場から退避させる。
すると予想通り、激突の瞬間は紅葉に抑えられていた血は、接触した瞬間からどんどん紅葉侵食していってしまう。
「え〜!? あんなに細いのに……」
「見た目が幼いからと、油断していたら飲み込まれますよ」
「文字通り侵食されるってことね〜……覚悟を決めないと」
血に侵食される紅葉を見た彼女達は、知り合いという意識を押しのけ覚悟を決める。
紅葉が「偽装して」と言っていた通り、崑崙で出会っていた彼女はいないのだと。今の彼女が本来の彼女なのだと。
しかし、当の魂生は覚悟を決めるという段階にすらいないようだ。長い髪はどんどん伸びていきながら逆立ち、目からはより勢いを増した血涙が流れ出る。
さらには、鋭く伸びた爪で自身の肌を引き裂いており、その血すらも操って、辺りは渦の中心のようになっていた。
「痛い!! 痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い!!
誰か……誰かぁ……!! 悲しくて辛くて……あぁああぁ!!」
魂生の悲痛な叫び声を聞いて、美桜は顔をしかめる。
今まで苦しめられ、畏れ見せていた紅葉もすら辛そうに彼女を見ていた。
「あの子……山ではもっと大人しかったのに……」
「……100年程前、里で暮らしていた頃はああでしたよ。
これほど荒ぶってはいませんでしたが」
「痛いっ!! 死んでっ!!」
"血染め髪-白詰"
美桜達が直視できずにいると、血に染まった髪が彼女たち目掛けて伸びてきた。一つ一つはやはり細いが、赤く光る先端は鋭く、美桜達を囲い込むように多方面からやってくる。
「とりあえず白虎は帰りなさい。手数が多すぎる」
「了解した」
「出すなら朱雀……」
白虎から飛び降りた2人は、的をバラけさせるためにそれぞれ別々の方向に走っていく。
紅葉は"落ち葉船"に乗って右側の上空から魂生を狙い、美桜は"桜雲"に乗って左側の中空で御札を構える。
"朱雀招来"
「はいよ主〜……てギャー!?」
「気をつけなさ〜い?
のんびりしてたら貫かれるわよ〜、おしゃべり」
「なんてとこに呼び出してんだ主よぉ!?」
炎の中から現れた朱雀は、美桜に文句を言いながらも的になるべく飛んでいく。魂生の意識を向けさせるために、彼女の目の前をひらりひらりと。
すると狙い通り、魂生は朱雀を狙って髪を操り始める。
上空にいる紅葉に向かった髪はほとんどなくなり、中空にいる美桜のもとからも半分以上の髪が引いていった。
「人間なんて……滅んでっ……!!」
「オレは鳥ってか神獣だし、そもそも死んでるけどな〜」
「人のがわにつくなら、敵っ……!!」
「あひゃひゃ、ちげぇねぇ」
よほど朱雀が気に障ったのか、彼を追う髪はドームのように隙間ない。それでも笑うのをやめない朱雀に、彼女は全方向から鋭い髪を突き刺した。
直前に火の玉になっていたため髪も多少燃やされているが、その中心にいる朱雀も無事ではすまないだろう。
魂生は血に染まった目を見開いて、標的だったものを無表情で凝視する。すると、すぐに炎は火種すらなく消え去った。
「ばぁ」
「……」
しかし、魂生が燃えた髪の状態を確認していると、美桜の隣に火の玉が現れ、ぽんっという小気味いい音と共に朱雀が姿を表した。
痛そうに顔をしかめていた魂生だったが、朱雀のバカにするような態度や、実際にからかわれていたことに気づいたことで無表情である。
「あなた、人間を滅ぼしたいと言っていたのに、もしかして自分が死ぬのでもいいとか思ってるのかな〜?」
どこかほっとしたようにも見える魂生を見て、美桜はさっきまでの彼女の言動について問いかける。
彼女の腹部には、自身で傷つけていたのとは違う傷があった。
避ける気がなかったのか無防備に受けている、空から放たれた紅葉が貫いた痕だ。
言葉では殺してやると叫び、だが殺したと思えば黙り込む。
自らの体を引き裂き、痛い痛いと叫びながらそれ以上の何かに苦しんでいる。
紅葉から見ても狂気的に荒ぶっていることもあり、明らかに異常だ。しかし、魂生に答えるつもりはないらしく、彼女はまた苦しそうに顔を歪めるだけだった。
美桜は悲しげに目を伏せると、続けて静かに語りかける。
「まぁ私も長く生きていて、分からなくはないんだけどね……
命は重い……重すぎる。だから、たとえ悪だとわかっていても、それを手放すことを否定するべきじゃない。
権利として認めることはできないけれど、死を選ぶことになった過程を、その決断を、責める権利もない」
「むずかしいことは、わかんないっ……!! けど、それならいいでしょっ!? もう、死んでっ……!!」
「それは駄目よ〜。否定しないのはその意志。結果を批判はしないけれど、その行為自体は褒められたものではないわ。
だから、どっちつかずの今のあなたは認められない。
死にたいという言葉は否定するし、殺したいという願いも叶えさせはしない」
美桜に否定された魂生は、撒き散る血や逆巻く髪をさらに荒立て、狂ったように叫びながら自身の体を引き裂いていく。
「なんで、なんで、なんで! なんで!! なんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんで……!!
痛い、苦しい、哀しい、怖い、許せない、許して……辛ぁあぁああぁああぁぁあぁぁあぁぁあぁ……!!」
"本能解放-崇徳魂鬼"
血が吹き出す皮膚の下から現れたのは、硬質化した赤い肌。
頭からはネジ曲がった小さな2本の角、口からは鋭い牙が生え、気が触れたかのように震えながら頭上を見上げている。
硬い頬を伝う赤い涙は、硬質化した肌に負けじと輝いており、まるで模様のようだった。
「本当に、敵なの……? できれば救ってあげたいけど……」
「むーちゃん……」
「優先順位を見失うことはしないわ。
まずはあなたを討伐対象として、殺す気でかかる……!!」
崑崙山から爆発したような衝撃が響く中、彼女達はどこにも救いのない戦いを開始した。