160-怒りを背負う者
自身を律することは美徳なのだろう。
感情をぶつけることは悪徳なのだろう。
しかし、それで心が壊れるのならば。
自身を律することこそが悪徳だ。
畏れよ。震えよ。
今こそ、我らが王の目覚め也。
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酒呑童子が海音から受けた傷も、待機していた天后によってほぼ完璧に癒やされた頃。
海音は天后を消して、背後に酒呑童子を庇いながら、巨大な八つ首の蛇を前にしていた。
その蛇とは、もちろん夜刀神を倒した八岐大蛇だ。
彼は体中を何箇所も抉られ、首も1つ無くなっている。
しかし、まだ7つの首があるし、体も少し抉れている程度であるため余裕そうだった。
対して、海音はけがこそしていないものの、母親と慕う者との殺し合いだった上に、大技を連発していた。
しかも、酒呑童子は仮にも妖鬼族のリーダー格だったので、消耗していないはずがない。
はずはないのだが……
「この蛇、ほんま大きいなぁ。あんたもさっきまでうちと戦っとったのに、1人で平気なん?」
まだまだ体力の有り余っていそうな八岐大蛇と見比べていた酒呑童子は、特に焦ることもなく確認をとる。
あまり心配はしていないが、もし大変そうならば手伝ってあげる……という感じだ。
「当たり前です。他の方々ならば少し手こずるでしょうが、私なら片手間で終わります」
「そぉ? なら任せるわぁ」
しかし海音は、まるでカラスでも追い払うかのような気安さで、澄ました表情をしていた。
すると酒呑童子も、もう八岐大蛇のことなどどうでも良くなったのか、あくびをしながら寝転んだ。
まさに、親が親なら子も子である。
2人とも管理職ではあるはずなので、ある程度はしっかりしているのだろうが、どこかおかしい。
柄に手を置いた体勢で力を抜いている海音は、寝転んでくつろぐ酒呑童子を背に、穏やかに挨拶をする。
「こんばんは、八岐大蛇様。こんなに狙いすましたように出会うとは思っていませんでした」
「……水明の暴君。この名を名乗る我が、もっとも打倒すべき存在。……運がいいのか、悪いのか」
「悪い……のではないでしょうか?
今のあなたは、再生できないのでしょう?」
「ふん……ほざけ小娘」
海音の挑発に乗った八岐大蛇は、巨大な8つの首をゆらゆらと揺らす。ただぶつかるだけでも人体が潰れてしまいそうな巨体だが、その上牙が煌めき、毒が滴り落ちている。
しかし、それを見ても海音は刀を抜きさえしない。
自身に押し寄せてくる牙を、微笑みを湛えながらただ眺めていた。
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それからほんの少しだけ時間が経ち、雷閃達が未だ収まらない騒動の元へ向かい始めた頃。
本当に片手間で八岐大蛇を倒した海音は、また酒呑童子の隣でのんびりとしていた。
「あの蛇って、美味しかったですかね?」
「そうやねぇ……まぁ普通の蛇はええよなぁ。しっとりしとって、臭みも少のうて。昔よう食べさせとったやろ?」
「そうですね。……消えてしまったのが残念です」
「そうやなぁ」
海音が斬り伏せた八岐大蛇は、死んでからすぐに消え去っていた。すぐに腐った、というようなものではなく、まるでその場にいなかったかのように光の粒になっていったのだ。
彼を特に脅威には思っていなかった海音は、どうやら倒した後に食べるつもりだったらしく、心なしか悲しそうに話している。
当然同じように八岐大蛇を気にせず、あまつさえ寝転んですらいた酒呑童子もぼんやりとしながら同意していた。
天后はとっくに消えているため、母娘水入らずの時間である。
しかし……
「あぁ、やっぱり来てしもうたねぇ。……うちらが人とわかりあうのがそないに嫌なん? じいさま」
自分達の元へと近づいてきた足音を聞き、酒呑童子は静かに問いかける。
視線の先にいるのは、血塗られたように赤黒い鎧武者――晴雲の下男であるはずの鬼塚七兵衛だ。
彼はいつの間にか生えていた牙を食いしばると、血走った目で、その怒りを、恨みを、呪いを吐露する。
「当たり前だ。人間は俺達を追いやった。家族ですら我らを化け物と叫ぶのであれば、我らは人間こそを化け物だと断罪しよう。……我らがいる限り怨嗟は消えない」
「七兵衛さん……?」
「こんばんは、天坂海音。人の子であり、鬼の子である侍。
どうせ貴様はそのガキの側につくのだろう? 死ね」
「ッ……!?」
戸惑いを隠せずにいた海音だったが、七兵衛は構わず無防備な彼女に斬りかかっていく。
瞬きの合間に瞬間移動の如く、だが普段の海音ならば問題なく対応できたであろうスピードで。
七兵衛を敵と認識していなかった海音は、まったく反応することができずに真っ二つに斬り捨てられ……
「うちの目の前で娘を殺らせるはずないやろ?
怒りで視野が狭まっとるんやない? ちったあ落ち着きぃ」
海音が真っ二つに斬られる直前。
間に入った酒呑童子が七兵衛の刀を受け止めた。
鼻先数センチというギリギリのところで娘を守った彼女は、七兵衛を非難するように細めた冷たい視線を送る。
しかし、七兵衛は呆れたように口元を歪めると、目に燃えるような光を宿す。
「……わかっていないな。もはや貴様も敵だぞ、反逆者が。
貴様は1人で我を止められると本気で思っているのか?」
"災火-皇"
"鬼横道"
両者は敵対の意を示し、一度距離を取った彼らの刃は凄まじい光を放ちながらぶつかり合う。
七兵衛の刀からは、彼の怒りを表すように赤黒い炎が吹き出しているが、酒吞の刀にはただ斬るという意志が青い光となって宿っていた。
「ッ……!!」
「意志が……背負ったものが……格が……その、すべてが違う!!
貴様なんぞに、超えられるものではないわッ!!」
少しの間鍔迫り合っていた彼らだったが、すぐにその差は現れる。刀はみるみる酒呑童子の方に押し込まれ、弾かれた刀は宙を舞う。
武器を失った酒呑童子は、七兵衛の渾身の一振りを受けると腹部あたりから真っ二つになって吹き飛ばされていった。
「っ……酒呑童子!!」
「ぐふ……母さんと呼びぃ……」
「天后!!」
飛んできた酒呑童子の上半身を受け止めた海音は、軽口を叩く彼女を無視すると、焦りながら天后を呼び出す。
「はぁい……って、ちょっと何よこれ」
「何故か七兵衛さんが……母さんを……」
「ふぅん。あの人、今なら見覚えが……偽装を……?
まぁいいわ。まずは下半身を回収する」
湧き出た水から現れた天后は慈母のような微笑みを浮かべていたが、海音の言葉を聞くと瞬時に緊迫した表情になる。
酒呑童子を預かりながら油断なく七兵衛を見据えると、足元から溢れ出す水を操って半身の奪還を試み始めた。
しかし、当然七兵衛はそれを阻もうとしてくる。
海音達に接近しながら、天后の操る水を片手間に軽く刀を振って消し飛ばしていく。
いくら海音でも、味方が離れた場所で操っているものを遠くから守ることはできない。
せめて2人は……と、天后と彼女に抱かれた酒呑童子を背後に庇って七兵衛と激突した。
「あれにも死ねと言ったんだが?」
「母を見殺しにする娘がいるとでも?」
どす黒い炎を纏わせた刀の七兵衛と清らかな水を纏わせた刀の海音は、酒呑童子の時とは違い互角の鍔迫り合いを見せる。
その間に天后は、酒呑童子を守りながら水に潜って屋根の上に避難していた。
同時に半身の回収も試みているが、やはり鍔迫り合いの余波を受けてできていない。
「海音ちゃーん!! そいつ、意図的に撒き散らしとるわぁ。
距離を取ったこともあって、回収できへんよぅ」
「七兵衛さん、あなた……!!」
「……ふん、そろそろ名前を訂正しておこうか」
自身に対抗してくる海音に驚いていた七兵衛は、海音の言葉を鼻で笑うと距離を取る。
そして再び刀を振って水をかき消し始めるが、それがなくても彼の周りは自然と水が荒立っていた。
「……鬼塚七兵衛ではないので?」
一瞬、すぐさま邪魔を止めさせようと足を踏み出しかけた海音だったが、荒々しい七兵衛のオーラを見て思いとどまり、答えを促す。
しかし七兵衛は答えず、その場に揺るがず立ち続ける。
2本の刀を納め、黒炎は消え去り、牙は歯に戻り、赤黒い鎧すらも消えて、普段のような和服であると錯覚するほどに穏やかな空間で……
"本能解放-鬼七兵衛将門"
沈黙は一瞬で破られた。
和服という錯覚は消え去り、彼が纏うのは赤黒い鎧。
頭からは折れ曲がった角が2本生え、鎧で覆われていない顔や手足は硬質化していく。
己の神秘を完璧に制御することで人の形を保っていた鬼神は、もはや隠すことなくその本能を解放していた。
「同胞の墓は我が決意。我が身を鉄と成し、虚ろなる心を満たさん。我が望み、人類滅殺を遂行する。我が名は鬼神-悪七兵衛将門。太古より八咫に根付く腫瘍よ」
「鬼神、ですか……
聖人、水明の暴君。……参る」
静かに怒りを放出する七兵衛に、海音は静かに答える。
彼女は未だ聖人。しかし、その中でも頭一つ飛び抜けた超人として、1人神に立ち向かっていった。
※補足
超人は、こんな世界になったからこそ生まれた突然変異みたいなものです。人のままでも神秘に迫る力を秘めた、人類が生き残るための防衛機構のようなもの。
数百年に1人現れる人類の守護者……的な?
(実際に守護するかどうかは別として)
ですが大体が神秘になる(寿命がなくなる)ので、各国に1人はいる予定です。