159-名を戴く者
なんとか立ち上がったローズは、ライアンに支えられながらいきなり現れた2人組に向き合う。
どうやらまだ力が入らないようで、足は少し震えている。
しかし心は強く持っており、視線はまっすぐ彼らを射抜いていた。
「悪いけど、私はまだ死ねないんだ。
リー・フォードには、かつての選択を見届ける責任がある」
最初は驚いて固まっていたローズだったが、立ち上がって息を整えたことで、落ち着きを取り戻しているようだ。
少し支えられているだけで、ほとんど自分の力で立ちながら毅然とした態度で言葉を返す。
それを隣で聞くライアンは、彼女を横目で見ながら嬉しそうに笑う。彼は仲間で、休んでいい、捨てていいと言ったのはその責任に押しつぶされそうになった時のこと。
押しつぶされることなく、受け入れたり向き合えたりするのなら当然その方がいい。今の彼女の状態を喜ぶのは当たり前だった。
しかし、どういう訳か彼だけでなく、目の前の2人組までもが愉快そうに笑い始める。
ずっと狂ったよう笑っていた大男――フォノスは、その笑い声をさらに大きくし、腹を抱えて。
艶やかな女性も、口を隠しながらたおやかに。
これは、面識のあるローズからしても不可解なことで、少し戸惑ったように質問を続けた。
「どうして嬉しそうなの? 私達が会ったのは、数年前の八咫での襲撃と、ガルズェンスでの暴動の時だけよね?」
「えぇ、たしかにそうでありんすね。わっちは、あの時少し追い回しただけでありんす」
「俺様はそれと少し戦ったくらいだなぁ!!
だが、俺様達はあの時代を知っている!! 意味がわかるか?
この島では鬼を排斥した人間が、大陸では愚者を演じただけの指導者を蔑んだんだ!! これが笑わずにいられるか!?」
彼らは開口一番に死ねと叫んだ割に、ローズの質問に順々に答えていった。
女性はローズが確認したことを、優雅な動作で肯定し、フォノスはそれに付け足して、力強く質問の答えを叫ぶ。
最初の一言だけでは少し考える必要があっただろう。
しかし、フォノスが意味まで事細かに説明してくれたことで、彼らが笑った理由は明確になった。
彼らは、どこかローズの境遇と自分達の種族を重ねている。
それを理解したことで、ローズは少し複雑そうな表情でうなずいた。
「なるほどね……たしかに、人をやめて人を憎んでいるなら、面白いことなんだろうね。私は笑えないけど」
「ギャハハ!! さっきまで暴れてたくせによく言うぜぇ!!
けど、今は受け入れちまってんだろ?
じゃあ、もう言葉はいらねぇんだよなぁ? ちゃあんと立ち上がってんだから、楽しませてくれよぉ!?」
殺戮の業火
疑問を解消したローズを見て、フォノスは荒々しく笑いながら戦闘態勢に入る。
全身から黒い炎を吹き出して、それを手足に纏っていく。
こうして話している間にも、彼女の足は震えが収まり始め、迷いの類もほとんど消えていた。
そのためフォノスは、これなら消化不良にはならないだろう……とでも言うように、凶暴な笑みを浮かべながら彼女に向かって足を踏み出す。
「……もしかしてあなた、妖鬼族の恨みを超えて……?
いいよ。同じように疎まれた者同士、全力で戦って、そして終わらせてあげる!! いいよね、ライアン」
そしてローズも、彼に応じて意識を集中させていく。
薄っすらと感じ取ったものを含めて、目の前にいる、かつて恐怖の対象であった人間を殺す覚悟を決める。
「了解だ、姫さん。ただし、あんま無理はすんなよ?
俺も、できるだけ気ぃ抜かずにやるんだからな」
「わかってるよ。けど、姫じゃないから!」
もちろん、呼びかけられたライアンにも異論はない。
軽くたしなめながらも、柔らかい表情で迫るフォノスに向き合った。
唯一、女性だけはフォノスの背を見つめたまま動かないが、ここに呪縛にまみれた者たちの戦いが始まった。
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戦闘を開始した彼らがまず相手にするのは、女性を放置して真っ先に接近してきていたフォノスだ。
彼の手には武器がない。
しかし、単純にその身体能力が凄まじいため、彼女達には十分すぎる程に脅威だった。
ローズが消耗しているということもあるため、主に攻撃を受けるのは前に立つライアン。
そして、ローズは彼の後ろから中距離攻撃を放つという、もっとも安全な戦術で戦っていた。
「ギャハハ!! い〜いパワーだ!! その上、まさか俺様の炎にも耐えてくるとはなぁ!! ウザってぇ」
「お褒めに預かり光栄だぜ〜」
褒めながらも面倒くさそうなフォノスに、ライアンは場違いにのんびりと返す。
しかも、おかしいのは場違いなのんびりさだけではなかった。
彼は何にも変身していない。
巨人でも狼でもなく、完全に人の姿のままで黒炎を纏った腕のフォノスと手四つで組み合っていた。
これには、同じように炎を使えるローズもあ然としており、フォノスが面倒くさがるのも当然である。
彼は、まとわりついてくる数粒の妖火を無視してライアンの腹を蹴ると、数本の茨を燃やしながらさっさとその場から離脱した。
「んじゃあ、これはどうよ!!」
飛び上がった彼は、空中でくるりと身を翻すと四つん這いになりながら後ろ向きに地面を滑っていく。
そして、邪悪な笑みを浮かべながら次の技を繰り出した。
"死山黒怨殿"
まず、彼が辿った道に沿って黒い線が現れる。
一見焦げただけのような、ただの線だ。
しかし、もちろんそこには焦げる理由があった。
フォノスの手に触れていたことで燃えたその場所からは、段々と黒煙が立ち昇っていく。
そしてその直後。黒い線を中心にして、まるで火山の中のように地面がひび割れ、マグマが顔を見せ始めた。
「ちょっ……環境変えちゃうの!?」
「ギャハハハ!! この姿じゃあパワーも火力も足りてねぇんだろ? かなり早ぇが、本来の力を見せてやる!!」
フォノスの叫び声と同じように、マグマ地帯はどんどん拡がっていき、すぐに周囲の建物にまで手が届いてしまう。
吹き出す炎や地面に飲み込まれた建物は、一瞬で黒炎に包まれ一部を残して崩れ去る。
「ラ、ライアンっ!!」
「あ、あはは……悪ぃ、流石にこれを防ぐのは無理だわ〜」
「のんきー!!」
「ギャハハハハハ!!」
それを見ていたライアンは、頬をかきながらのんびり呟き、ローズは悲鳴をあげる。
炎や茨では、止めるどころか悪化させてしまうだろうし、獣やそれに付随する能力でも、そう簡単に止められるものではない。
ここまでの広範囲ともなれば、止めるという選択肢を選ぶことすらできなかった。
ローズは燃える以上のスピードで生やした茨で足場を作り、ライアンもついにニーズヘッグに変身して無理やり耐える。
「あっつッ……!!」
ほとんどの建物が燃え尽き、かろうじて残るのは、円形に彼らを囲う黒炎の柱だけ。
それも残ったのではなく、闘技場の壁として残されたものだ。
マグマが沸き立つ地面、黒煙に包まれた空、黒炎の柱に囲まれた中で、フォノスは手を広げながら人間に呼びかける。
怒りにまみれた目で、悲痛な叫びで。
「なぁ、異形や異端は悪か!? 根絶やしにされるべきもんなのか!? ハハハ……滅ぶべきは、そんな思想を持つ可能性のある、醜い人間の方だろうがよ!!」
"本能解放-赫灼夜叉王"
叫び声が響くのと同時に、彼の赤い肌は鱗のように硬質化していき、牙や角も巨大になっていく。
その姿は鎧を着込んだように重々しく、威圧感に満ちていた。
かつての文明に伝わる鬼のような姿は、実際に鎧などを着込むことなく強靭な肉体を持つ、まさに異形……
人の形に制御することなく、力を解き放った怪物の姿がそこにはあった。
「おいデュスノミアァ!! テメェもそろそろ手ぇ貸せや!!」
「同胞を見捨てる……まさに不法だと思うんでありんすが」
「ハッハァ!! なら俺様は破滅をくれてやろうか!?
テメェにだって、ババァにもらった以外にまだ名はあんだろうがよ!!」
「……仕方ありんせん。こなたの世の理、人間が作ったルールのすべて、わっちが覆してあげんす」
流石に我慢の限界だったフォノスが怒鳴ると、一度は丸め込もうとした女性――デュスノミアも、暗い瞳をローズ達に向けた。
そして、力を開放したフォノスと同じように……
"本能解放-黄泉堕魔姫"
艶やかだった姿は、畏怖を覚えるような美しくも恐ろしい姿へと変化する。
彼らは、鬼神。
妖鬼族-鬼人の、さらに高位に位置する存在だ……