間話-とある呪いの日常
月明かりも街灯もない、ところどころ崩れかけた裏路地……
何一つとしてはっきり見通すことのできない、暗い暗い街の中を、1人の青年が歩いていた。
彼の髪は黒く、彼の服は黒く、彼は完璧に闇に紛れている。
だが肌は病的に白く、何故かそれだけが、何の明かりもないこの場で光っているようにはっきりと目に映る。
コツ……コツ……コツ……
彼の歩みは、常に一定のスピードを保っている。
それは、この誰もいない裏路地の中にあって、何よりも恐ろしく不気味に響いていた。
コツ……コツ……コツ……
「ひっ……」
「……」
道の脇から、子どもの小さな悲鳴が聞こえた。
だが、それでも青年は迷いなく歩き続けている。
道はまるで見えず入り組んでいるのに、彼の目には道標が見えているかのようだった。
コツ……コツ……コツ……
「う、うわ……」
「……」
彼は誰もいない裏路地を歩き続け、やがて1つの建物を目に止めた。
この死んだような場所に似つかわしくない、騒々しい物音のする建物……
中からは、他にはない明かりが漏れており、男達の騒ぐ声が響いている。
グラスをぶつけ合う音……ドタドタと歩き回る音……
青年は笑みを深めながら、その建物の扉を開き、中へと踏み込んでいく。
「……」
「おいおい、イカサマしてんじゃねーだろーな?」
「ゲヘヘ……しててもわかんねーんだろ? クズ」
「あー? グハハ……殺す」
「待て待て……ゲームになんねぇよボケ」
中にいるのは、ボロボロの服を身に着けた男達。
だが、ただ貧乏という訳でもなさそうだ。
酒、煙草、つまみ、賭け事などの娯楽には惜しみなく金を使っている様子がうかがえる。
男達はそれらに夢中になっているのか、青年の乱入にはまったく気が付かない。
そのため、青年はまっすぐと奥のカウンターへと進んでいった。カウンターにつくと、彼は自然にその席の1つに腰を落とす。
ここまでくれば、流石の男達も青年の存在に気付き始める。
カウンター席にいた者などは、ギョッとしたように彼に目を向けた。
明らかに警戒されていたが、青年は自分のペースを崩さない。薄っすらと笑みを浮かべ、平坦な口調で男達に話しかけた。
「こんばんは」
「ああん? 何だてめぇ?」
「……こんばんは」
「おいおい、コイツ舐めてんだろ。やっちまおうぜ」
「ガハハ、そうだな。こんなヒョロガリ、ボコボコにして奴隷にでもしてやろう」
「……こんばんは、時代錯誤の糞共」
「はぁ?」
しばらく挨拶を繰り返していた青年だが、彼らの反応、そして言葉を聞いて対応を変えた。
変わらず挨拶は続けるが、明らかに侮蔑と挑発を込めた言葉を返す。
今度は何故か、優しげな笑顔だ。
「ハッハッハ……おー……コイツ、マジでやっちまおう」
「へっへ……そうだなぁ。久々に楽しもうぜ」
青年の挑発を受け、男達は立ち上がった。
腰に吊るしていた剣を手に取り、ギラついた目を彼に向ける。
人数。体格。全てにおいて青年は彼らに勝る部分がない。
だというのに、青年に怯えなどは一切なかった。
それどころか、指を絡ませて弄んでいる。
「うんうん。人間ってものはみんなそうだよね。
それでこそ、俺が暴れられるってものだよ」
彼は、平然とそう言ってのけた。
それを聞いた男達は、もちろん激高する。
一斉に立ち上がり、各々の腰や懐から、剣やナイフなどの武器を取り出した。
「あぁ? ナメてんのかよ」
「ははは。舐める価値があるとでも?」
「殺すッ……!!」
「それは俺のセリフだよ……人間」
男達が武器を振りかぶった瞬間、青年はポツリとつぶやく。
そして、その直後にやってきたのは……
「ガッ……!! な、何だぁ!! これは!!」
「い、息が……!!」
「体がッ……吹き飛ば、されるッ……!!」
この建物全体を、瞬時に地獄に変える嵐。
息すら満足にできず、重力が消えたかと思わされる、大自然の力。
「があぁぁ……!!」
「何なんだ!! テメェ……!!」
「い、痛ぇ!!」
「ギャー……!!」
男達は次々に空へと空へと舞い上がる。
しかし、もちろんただ空を飛ぶだけではない。
空中で抵抗ができない彼らは、体を風に切り裂かれていく。
風圧で潰されていく。舞う自身の武器に、体を貫かれていく。
地上には、血の雨が降った。
その雨を全身に浴びながら、青年はボロボロのカウンターから生き残っていた酒を取り出す。
直後にそれらは崩れ去るが、青年が地面を足で叩くと岩が盛り上がってきて、テーブル、椅子などの一式が現れた。
青年は満足げに笑みを浮かべると、ゆっくりと座ってくつろぎ始める。
当然ここには無事なグラスはない。
しかし、それもまた彼は自分で作り出した。
指を鳴らすと、テーブル上に冷気が集まり氷のグラスへと。
足を組みながらそれに酒を注ぎ、1人寂しくそれを呷る。
廃墟となった建物内ではあるが、彼はとても満足そうだ。
「……美味い」
彼はグラスに次を注ぎながら、ぼんやりと周囲を見回した。
自身が壊した建物を……
「ルールが縛るのは、秩序を崩すこと。
大厄災の激突、暴走……」
再び酒を呷り、一息つく。
段々と彼の目は、焦点が合わなくなっていく。
どこか、遠い場所を見ているような……
「いつだって滅亡側が不利なルール……
たとえ俺が世界を滅ぼそうとしても、結果は目に見えてる」
彼が思い起こすのは、彼女という大厄災が生まれた理由。
彼女が今も生きる理由……
「死ぬこと……滅ぼすこと……たしかにどちらでもいい。
どちらでもいいけど……」
彼女が生き続けるのは、ある種の義務感。
彼が世界を恨むのと同じ理由……
「どちらの可能性もあるように。今は、数千年かけた準備の時間だ。均衡が崩れない程度に暴れつつ……ね」
そう言うと彼は、視線を背後に向ける。
廃墟の中で、誰もいないはずの空間に向かって。
「黙れよ……ああもう、勝手なことをすんなよなぁ……!!
なんでアタシが、アンタに協力する気になったと思ってんだよ……!!」
闇夜に紛れ、青年の背後に立っていたのは1人の女性だ。
肌は青年と対照的に浅黒く、より存在を察知しにくい。
だが、かなり苛立った様子で噛みついているので、一度認識したらもう見失うことはないだろう。
そんな彼女の様子を見ても、青年はやはり平然と返事をする。
「この国が豊かな西方諸国をぶんどるため」
「そうだ!! だから戦力集めが必要なのさ!!
なのに、勝手に皆殺しにしてんじゃねぇ!!」
「ははは。だけど、ちゃんとイオランと繋げてあげただろ?
この国の元奴隷を戦士にするより、よっぽど効率がいい」
「テメェが殺したアイツらは奴隷じゃねぇ。ただのチンピラだ。ビオレ奴隷商会舐めてんじゃねぇぞ」
「まぁ落ち着きなよ。酒飲む?」
「うるっせぇ!!」
青年がマイペースに酒を勧めると、彼女はツカツカと彼の元へと歩み寄り、それを叩き割った。
無惨に砕け散った酒瓶は、岩でできたテーブルに広がり、染み込んでいく。
それを見た青年は、悲しげな声音で口惜しそうにつぶやく。
しかし、その表情には薄っすらと笑顔が張り付いていた。
まるで仮面のように。
「あーあーもったいない。
こんな荒れ果てた国では貴重品だろうに」
「ハッ……もともとクターのような死んだ大地じゃねぇんだ。
ちゃんと作る技術は育ってる。魔獣が暴れなきゃな」
「それが問題で荒れてるんだろう?」
「だからこれ以上荒らすなっつってんだよ!! アタシは!!」
女性はたまらず怒鳴りつけるが、青年にはやはり気にした様子がない。
用済みになった氷のグラスを砕きながら、困ったように見える笑顔で穏やかに口を開く。
「そう言われてもね。エリュシオンは神のお膝元。
ガルズェンスは独立を謳ってはいるが……あの国含めた西方諸国は、だいたいあれの影響下だ。
ヤタにはあの子がいるし、アストランは戦闘民族。
まぁそもそも人間じゃないんだから、手を出すつもりもないけど……ともかく、こことかクターが1番気楽なのさ」
「気楽だぁ……? ふざけんな!! そもそも2000年以上も何してんだよ!! 迷惑だ!!」
「だから準備だって……あれが彼と交わした契約は、たやすく俺を縛るルールを作った。多分あれが生きている限りは解けないし……どうしょうもないんだよ。
今はあの少年に期待かな。多分俺が死んだ後になるんだろうけど……人類への打撃が大きいといいね。
まぁ、私が死ぬ時は……」
もう彼女は怒鳴る女性には興味がないようだ。
それだけ言うと、文句を言い続ける女性を置いて外へと歩き始める。
女性ももう諦めたのか、黒コートの人物に目を向けることはなく、反対方向に向かっていく。
やはりその人物とは対照的に、静かとは程遠い怒りに満ちた歩き方だった。
「そういえば、あの子がヤタにいるらしいよ。
玉藻前の意志を継いだ、君のお気に入り」
建物から出る直前。
彼は振り返って、どういう訳か少し女性的になった声で女性にそう伝える。
すると、彼女もまた振り返ったが、相変わらず彼女に対して怒りをあらわにしていた。
「だから黙れよ。アタシはただ、恵まれたヤツが不幸になったのが嬉しかっただけだ。アイツ自体に興味はねぇ。
むしろ、戦力にするつもりだった玉藻を奪われて、殺してやりたいくらいだよ!!」
「ビオレ奴隷商会も大したことないね」
「あ? 白紙にしてやろうか?」
「困るのは私ではないよ」
女性は脅しを含めて言うが、彼女が事もなげに反論したことで言葉に詰まり、忌々しげに唇を噛み締めた。
文句は数多くあれど、女性には彼女達の協力が必須だ。
もうそれ以上は口に出さず、建物内から出ていった。
彼女が去っていくのを見届けてから、彼女は外へと向き直る。そして、同時に背中から白い翼を生やすと、大空へと羽ばたいていった。
それが向かうのはヤタ。
天災が眠る、東方唯一の発展国だ。
141話「羅生門の再来」で影綱が使った札は土の相なのですが、よく見たら木の相になっていたので修正しました。
どちらにせよ御札なので問題はないですがすみません。
それから、うちにはテレビがないので関係ないのですが、年末年始は暇だったりするかなと間話を3日まで投稿します。