間話-けがの完治と旅立ち
薬草の街、フォミュル。
常に薬の匂いで溢れ、食べ物にも薬膳料理が多いという、薬ばかりで病的なほどに健康な街。
そこで1番の名医であるのがヒュギエイアだ。
守るというよりは救うことに特化した祝福で、数々の患者を癒やしてきた治療のエキスパート。
そんな彼女の病院の院長室で、彼らは大人しく最後の診察を受けていた……
手にカルテを持ったヒュギエイアの前に、肩をフーに抑えられたリューが座っている。
抑えられた……つまり、そうまでしないと診察を受けないということだ。
そんな彼なので、もちろんヒュギエイアを前にしても怯むことはない。彼女に治ったと言わせるべく、テンション高く詰め寄っていた。
「治ったかなぁ? もうそろそろ遊びにゲフンゲフン……
クロウ達を助けるためにヤタに向かっていいかー?」
「あなた、ブレないですね」
「だって暇なんだもんよー。適当な獣でも狩って、ここで焼いたりしていいってんならいつまででもいてやるぜ?」
「もう二度としないでください。
次やったら、ついけがを悪化させてしまうかもしれません」
疲れた表情のヒュギエイアは、何かを思い出したように顔をしかめてため息をつく。
目の前の患者が引き起こした問題の数々、そもそもの重症者の人数、破損した施設の修繕、苦情……問題は山積みだった。
もちろんこの場にいるのはリューとフーだけだが、ここ最近で彼女の能力が必要だった患者はかなりの人数。
前提として、彼女はもうだいぶ疲弊しきった後なのだ。
それなのに、さらに問題を起こしかねないリュー。
もうさっさと出ていってほしい。それが彼女の本音だった。
「あんたの力にそんなの含まれるっけ?」
「……薬だって、飲みすぎれば毒ですよ」
「なるほどー……いいことを聞いた。ならもう薬を飲まなきゃいいってことだな!! あっはっは」
「……」
もうヒュギエイアは諦めたらしい。
特に反応をせず、黙ってカルテに目を落とす。
そこに記入されている内容でも、今目の前を見ても、リューのけが――左脚、右腕の欠損や火傷はもう完治している。
ここ最近の治療では、動きが正常かどうかなどのリハビリのようなものばかりだったので、もう引き止める必要もない。
彼女はカルテへの記入をさっさと終えると、彼らに離席を促した。
「もうけがをしないでくださいね。
それから、暴れるなら外でお願いします」
「当たり前だろー? 言われるまでもないって」
「前科持ちが寝ぼけたことを……!!」
「あっはっは!! だいじょぶだいじょぶ。
もう暴れるならヤタでするって」
「捕まりますよ……?」
流石のヒュギエイアも、思わず神妙な面持ちでたしなめた。
彼女も聖人なので、魔人だから敵対する、という者ばかりではないことは知っている。
だが、当然それは問題を起こさなければだ。
ここ最近はリューから大きな被害を受ているので、彼女の脳裏には安々とその光景が思い浮かぶ。
リューはローズの仲間なので、本心からの心配だった。
しかし彼は、そんなヒュギエイアの心配もどこ吹く風だ。
もう既に退院後のことに心を奪われているようで、ふわふわと飛びながら席を立ってしまう。
そして、晴れやかな笑顔を見せながら退室していった。
「まぁ、治してくれてありがとな。じゃ、また来るわー」
「来ないでください」
去り際に彼は次回も来ることを匂わせるが、ヒュギエイアはと耳に入ると同時に断る。
冗談じゃない、といった風だが、どうやらリューには聞こえていなかったらしい。
彼女の反応を気にすることなく、そのまま飛んでいってしまった。フーもいつも通りに扉を閉めているので、彼女も気にしていないのかもしれない。
「……」
それを見たヒュギエイアも、少し顔をしかめただけで留めて次のカルテに目を落とす。
まだまだ退院させるべき患者は残っている……
~~~~~~~~~~
次に入ってきたのは、リューと同じく欠損のあったヘーロンだ。もちろん彼女も治っている。
彼女はリューとは違い、1人で部屋に入ってくると、気品すら漂わせながらゆるりと椅子に座った。
だが行動とは裏腹に、表情は若干強張っている。
「……どうでしょうか?」
ヘーロンに急かされ、ヒュギエイアはカルテから目を離す。
目や手で見ても、データに残されている文字を見ても、彼女に残るけがや後遺症などはない。
だが、1つだけ彼女が変わってしまったことがあった。
それが彼女の不安の種……
それが彼女の人生を根底から覆すもの……
「まず、ブライスのことは忘れてしまったんですよね?」
「はい……誰のことを言っているのかさっぱりわかりません」
ヒュギエイアがゆっくりと最終確認をすると、ヘーロンは怯えながらも肯定する。
現在の彼女にある主な症状は、けがとはまったく無関係の記憶障害。魔人になった者の大半が陥る、記憶の蓋だ。
もちろんオーラもある。
それは、神秘になった原因を忘れていることもあって、そこまで濃いオーラではない。
だが、ヒュギエイアやリューがすぐに気がつくくらいにはっきりしたオーラだ。
もし普通の人間が見ていたら、聖人魔人の区別がつかずにありがたがっていたかもしれない。
しかし、ヒュギエイアやよく会う患者達は、みな神秘との関わりが多いため、オーラが見えてもそれを問題視することはなかった。
神秘になったのなら当たり前。
それこそがヘーロンの精神を蝕んでいた。
「私は、寿命が……それに、大事なことを……
みんな聖人なのに、私だけ魔人ですし……」
クロウという例外とは違って、何も言われなくても魔人の自覚はある。しかし、彼女がいたのは科学の国だ。
多少は神秘を扱いつつも、メインは科学で自然とは程遠い。
近年での生活も比較的安定していたため、悠久を生きるだけの心の強さも持ち合わせていなかった。
さらには、そのような環境に生まれる神秘も聖人ばかりだ。
彼らはより良い生活を目指す、という正の感情から生まれていた。ヘーロンとは、真逆とも言える。
この孤独感も、彼女を苦しめる要因だ。
だが、これは病やけがではないので、ヒュギエイアにも治せるものではない。
言うなれば、生物からの超越――種ではなく生命としての進化だ。彼女はそれを、気遣いながらゆっくりとヘーロンに伝える。
「正直なところ、これに治療法はありません。
忘れた事実が苦しいのなら自力で思い出すしかないですし、半不老不死が辛いのなら……誰かに殺されるしかありません。
しかし、魔人であることに負い目を感じる必要もまたありません。大事なのは、力をどこに向けるか。
悠久を生きる、その理由」
「誰かに……? もし、私が銃で脳を撃ち抜いても……?」
「……山は、自分の意思で崩れることができないでしょう?
基本的に神秘の死は、他の神秘によってもたらされます。
例外はあるでしょうが、少なくとも自殺はできません」
記憶の蓋は自力で開くしかなく、自殺はできず、何を言われようとも科学者の中で魔人は彼女だけ。
それだけでニコライやマキナの対応や関係は変わらないだろうが、彼女自身の認識は変わる。
真逆の存在となった疎外感。いつ呪いに飲まれて、暴走してしまうかもしれないという不安感。
心が押し潰されそうになる事実を前に、ヘーロンは顔を大きく歪ませながら言葉を絞り出す。
「私は……あの方々ほど、国を想ってはいませんでした。
ただ、好きな研究を、していただけ。
まさか神秘に成るだなんて……」
「……ですが、おそらくあなたは暴走しませんよ。
あなたが恨んだのは‥」
「そうだとしても、辛い生き方です。
いいえ、生きているのかさえわかりません。
世界の敵にならないだけ、マシなのかもしれませんが……」
ヒュギエイアは、しばらく彼女を見つめるとカルテを机に戻す。もともとこれは病気ではない。
体の状態は確認できたのだから、後は心の問題だ。
ならば彼女ができることなど……
「あなたはまだしばらくここに残るといいでしょう。
毎日でも話を聞きますよ。
本職ではないですが、同じ神秘として……」
「……ありがとうございます。今日、みなさん退院ですもんね。騒がしかったですが、寂しくなりますね……」
「ええ……」
ヘーロンはまだ入院を続けるということになり、席を立つ。
そして、先程のリューとは比べ物にならないような、陰鬱とした足取りで部屋を出ていく。
「あの子の方がわかりやすく辛いでしょうけど、ヘーロンさんは別の意味で辛いわね……。いつか抱え込んだものと向き合えた時に、どう受け取るか……」
ヒュギエイアは次のカルテを取り出しながらも、まだ彼女について頭を悩ませる。
彼女が恨んだものと、どう向き合ってもらうか。
もしかすると、まだ正常だった彼らも……などと考えながら、次の患者が来るのをを待った。
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次に入ってきたのは、やはり同じく欠損があり、彼らよりも前にこの病院を訪れていたリヒトだ。
彼はリューのように付き添いはいないし、ヘーロンのように不安そうでもなかった。
彼は、体の欠損というとてつもない大怪我を治療してくれたヒュギエイアに対しての、最上の感謝をこめた笑顔で席につく。
「ありがとうございました、先生。
おかげで完治しましたよ」
「そうね。記録では……
一応最後にもう一度見せてもらっていいかしら?」
「もちろんです」
彼女はカルテにざっと目を通すと、リューやヘーロンにも頼んだように、リヒトにけがのあった場所を診察していく。
主に左腕の状態確認と、その他の細々とした傷跡を確認する。彼女はそれを僅かな時間で終えると、満足そうにうなずいた。
「問題ないでしょう。退院してくださって大丈夫です」
「ありがとうございます。
多分また来ますんで、よろしくおねがいしますね」
リヒトに退院許可を出すと、彼もまたリューと同じように次回の話を始めた。
わざわざ彼女の病院に来るということは、それだけ重傷を負うということなのだが、彼はにこやかだ。
それを聞いたヒュギエイアは、もちろん嫌そうに顔をしかめる。リヒトのカルテをしまう場所を訂正しながらため息をつき、ゆっくりと向き直った。
「ふぅ……あなたも予約ですか……」
「あは、リューくんかな?
でも私のはもう少し大変かもです」
「……ついにエリスが動くのかしら?」
「なんで今なんですかねー……
まだ均衡は維持されているはずなのに」
彼女の質問を聞くと、リヒトは肯定と同時にその疑問点まで含むことを、不思議そうにつぶやく。
聖導教会の騎士として、仕事に対しては真面目な様子を見せていたが、今の彼は一介の医者に対して自然体だ。
ヒュギエイアはしばらく彼を見つめ、それに対して質問で返す。聖導教会の騎士にとって、大いに意味のある質問を……
「あなた、ガルズェンスに大厄災がいたことは?」
「え……!? いたんですか……!?」
その質問を聞いただけで、リヒトは意味を理解したようだ。
爽やかな笑顔を浮かべていた彼だが、その瞬間に真面目な顔つきになる。
「大っぴらに活動していないだけで、いたそうよ。
世界中で川が凍りついたり、雪が降ったりしたでしょう?」
「あれが……!? な、なるほど……
ルールの外側に、ですか。つまり……」
「ええ、彼女は期待しているのでしょう。
均衡が崩れて、維持が堕ちることに……」
「ですが、それは……」
「さて、どう転がるでしょうね……
少なくとも、私は止めるべきではないと考えるわ。
あの子達には、あの子達の過去がある」
「っ……!!」
ヒュギエイアの言葉を聞き、リヒトは唇を噛みしめる。
その表情の奥にあるのはどのような葛藤か……
「私は、教祖様には逆らえない。いや、逆らわない」
「そうでしょうね。あなたは加護を受けている」
「……世界は……いえ、人類は、ちゃんと存続できますか?」
「どうでしょうね……私は聖人だけど、私も永く生き過ぎてる。もしかしたら、もうどちらでもいいのかもしれないわ」
「そうですか……」
リヒトはまだ苦悩の表情を浮かべていたが、もうそれ以上何かを聞くことなく部屋を出ていった。
後に残されたヒュギエイアは、次の患者のカルテを用意し、訪れるのを待った。
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その後もずっと白銀の騎士達が続き、最後に入ってきたのもまた白銀の騎士だった。
彼は燃えるような赤毛であるため、活発そうな印象を受けるが、落ち着いた表情でヒュギエイアの前に座る。
しかし、リヒトのように笑顔で話しかけることはない。
リューのように迷惑をかけるよりはマシだが、少し相手にしにくい人物だ。
ヒュギエイアは、少しカルテを見つめた後で彼に話しかける。
「一応聞いておきますが、調子はどうですか?」
「そうですね……いいんじゃないでしょうか」
「手足の欠損、凍傷、毒、火傷、腐敗……データ的には回復してますけど、エリスの相手ですからね……」
治療した内容の一部を読み上げながら、呆れたようにため息をつく。リューやリヒトも重症だったが、彼は内部からしてボロボロになっていた。
確かに治ってはいる。
しかし、それでも未だに呆れ帰ってしまう程の意味のわからない数だった。
「アルコーンは何名いたんです?」
「治療には関係ないですよ、ドクター。
俺はリヒトのようにできませんから、もう行きます」
ヒュギエイアが騎士達の戦っていた相手のことを聞くと、彼はすぐに立ち上がってしまう。
だが、ドアの前まで来ると立ち止まって、また少し彼女に視線を向けた。
そして、さっきは拒否したというのに、何事もなかったかのように質問に答え始める。
「知っての通り、元々倒すことは許可されていませんし、実力的にも不可能です。だから様子見や牽制として、上位の者2名で指揮を執り向かいました」
「らしいわね」
「はい。元から死にかけるのはわかり切っていたのですが……
その上で1つ言っておくと、来るのがバレてましたね」
「バレていた……?」
「ええ。気が立っているのか知りませんが、着くと同時に総攻撃を受けました。アルコーンは2名、成りかけが1名」
彼は立ったまま質問に答えると、今度こそ部屋の外へ出ていった。患者は彼で最後なので、ヒュギエイアは考え事をしながらすべてのカルテをしまう。
「あの子……またやってる」
ヒュギエイアは、外から聞こえてきた「いてっ」という声にまたしても呆れながら、椅子にもたれかかった。