153-八咫の守護神・後編
燃える都、愛宕。その街の上空で、熱い拳がぶつかり合う。
片方は文字通り燃えている天逆毎、もう片方は炎そのものであると言える橘獅童だ。
結界を突き破って飛び回る彼らは、互いに防御などかなぐり捨てて、顔や胴体などを狙い続けている。
ただ、この一瞬の愉悦を優先していた。
「ハッハァ!! もうそろそろ死ぬかのぉ!? 天逆毎!!」
メキメキ、と音が聞こえてくるような拳を顔面に命中させた獅童は、炎でスピードを落としながら屋根に降りる。
そして、街に突っ込んでいった天逆毎に大声で呼びかけた。
彼の視線の先には、一帯が燃えている街。
視界が悪くて正確な位置はわからないが、天逆毎が吹き飛んでいった方向は建物が次々と倒壊しており、その火力や落ちる衝撃の凄まじさが窺えた。
しかし、それでも天逆毎は身体能力特化の魔獣だ。彼は口ではそう言ったものの、まだ倒れているとは思っていない。
熱気や煙で視界は悪いこともあり、油断なく前方を睨んでいる。
するとしばらくして……
「もち、ろん。まだまだよ!!」
前方の建物が吹き飛ばされ、炎が巻き上がった。
そして、いきなり彼の背後に火傷だらけの天逆毎が現れる。
「ぶわっはっは!! まぁ貴様はそうじゃろうなぁ!!」
"千里飛ばし-逆月"
"ヒノヤギハヤ"
だが、ずっと彼女と戦っていた獅童は、それだけのことができるとわかっていたのかしっかりと反応した。
ひっくり返されて無防備になるが、天逆毎の拳を腹に受けながらも目にも止まらぬ炎拳を叩き込む。
「ッ……!!」
吹き飛ばされる獅童は、体の向きを直しながら背後に爆炎を噴出して勢いを止める。
まともに食らったため腹部が大きく抉れていたが、燃えているためすぐに傷は塞がった。
もちろん苦痛はあるが、彼はそれを噛み締めて抑え込むと、そのまますぐに天逆毎に向かって飛んでいく。
「勢いは……逆にッ……!!」
"逆月"
その場にとどまっていた天逆毎も、吹き飛ばされなかったからといってダメージが少ない訳ではない。
爆炎で溶けたのか吹き飛んだのか、腹部には背中まで貫通した穴が空いていた。
しかし、それでも天逆毎は倒れることはなく、手のひらをかざすと獅童の勢いを逆にする。
そして勢いがなくなると、逆に天逆毎が離れていく獅童の背後に現れた。
「うぉっ……ぐぁ!!」
"千里飛ばし"
獅童の大きな背中に、天逆毎の拳が直撃する。
今回は何もあべこべにはしていなかったので、殴られた体が吸い寄せられることもない。
獅童は正常に空へと飛んでいった。
だが、このままされるがままになっていたら、彼は千里先まで飛ばされてしまう。死ねなくなった以上、これ以上天逆毎には獅童と戦う理由はないので、このまま放置もありえた。
そのため彼は、流れに逆らって全身に負荷をかけながらも、やはり爆炎で勢いを殺す。
「ハハッ、どうせ貴様は、背後じゃろう!?」
空中に浮いた獅童が勢いよく背後を振り返ると、そこにあったのは誰もいない夜空だった。
天逆毎がいたのは、真横。
彼の横顔を眺めながら、挑発的に笑っている。
「ふふ……残念、横よ」
「どっちでも、いいわい!!」
"火之迦具土神"
"天魔雄"
睨み合う彼らは、またしても愛宕の上空で激突する。
獅童は爆炎の鎧を纏って赤く、天逆毎には靄のようなものが纏わりついており黒い。
まさに陰と陽を体現したかのような光景だった。
「はあぁぁ……!!」
お互いに、ただ殴る。
拳は胴体、顔、腕、脚と、相手の全身に浴びせているため、弾ける炎や拳圧はまるで花火のような華やかさだ。
しかし、もちろんその華やかさというのは、戦いの激しさに直結している。天逆毎は右腕が焼け落ちていき、獅童も拳同士の激突で左腕が吹き飛んでいって痛々しい。
腕以外でも、もとから穴が空いていた天逆毎の胴体などは、今にも下半身と泣き別れしそうになっているし、獅童の脚は片方が膝下から消し飛び、もう片方はねじれている。
見るからに決着の時が近かった。
当然彼らも、もう限界が近いことを悟っている。
そのため、最後に互いの顔を狙って殴りかかっていく。
「ぐぅ……!!」
残っているのは右腕と左腕なので、本来なら互いに邪魔して顔まで届かなかっただろう。だが、それでも無理やり殴った彼らは、同時に吹き飛んでいった。
「ぶわっはっは……!! ゼェ……ゼェ……
楽しい時間は、終わりかのぉ!?」
「そうね……もう、お互い全力を出せる、ギリギリでしょう」
「ははは!! 予告通り、儂ァ刀を抜くぜ」
「ええ、わかっています。お互い、全力の技を……!!」
家屋に激突した彼らは、ゆっくりと立ち上がると少し離れた先にいる相手に大声で語りかける。
そして、獅童は燃えながら腰の刀を抜き放ち、天逆毎は半身に構えて全身を黒く染めていく。
「かつての都は焼け朽ちて、未だに燃ゆる怒りとならん。
我は愛宕の守護者、烈火を宿す都。
人々を守り育てる、歴史の灯火なり」
「天は九つに裂け、世界は緩やかに滅びゆく。
人の支配を逃れたモノが今、貴方に落陽を与えましょう」
"九天破邪"
"不知火流奥義-却火"
言葉を紡ぎ、心を固め、願いのままに力を振るう。
太陽の如き輝きを放つ獅童は、身を焼きながら爆発的なスピードで接近し、刀を振り下ろす。
闇夜の如く姿を隠す天逆毎は、すべてを吸い込みながらその場にとどまり、刀を迎え撃つように正拳突きを繰り出す。
それは、この深夜の街中にあって、もっとも明るくもっとも暗い激突だった……
彼らが交錯し、すべての光が消し飛んだ後。
その場に立っていたのは、上半身をあと少しで真っ二つというところまで斬られ、左腕や右足も斬り飛ばされた天逆毎だった。
しかし、片足だけでどうにか立っている彼女は、今にも倒れそうな様子でふらついている。
どうやら目は焦点があっていないらしく、どこか遠くを見つめているようで、口も力なく開いたままだ。
この場には、ただ暗い沈黙が満ちていた。
「……」
"御夢想の湯"
そんな静かな暗闇の中、突然その後方数メートル先から温泉が湧き上がる。規模は小さいが、確かな力を感じる神秘の湯だ。
湯が集まっていく中央には、全身に拳で抉られた跡があり、ひび割れ、燃え尽きたように細くなった老人。
見るからに瀕死の状態であったが、湯に浸かると少しずつ体の穴や手足の欠損が治っていった。
「ゼェ……ハァ……バケモンが、よぉ……カハ、ハ……
立ったまま……じゃが、ありゃあ、死んどるよなぁ?」
一息ついた老人――すっかり痩せ老いてしまった獅童は、お湯に浮かびながら悪態をつく。
視界の先にいるのは片足で立ち続ける天逆毎。
ふらふらしながらも倒れないが、彼の見立てではどうやら死んでいるようだった。
「あー……まずはぁ……傷を治すとして。残りの八妖の刻は……あのガキがいれば、万が一もねぇじゃろ。名無しの妖怪鬼人を狩るくらいなら……うむ、治ったら残党狩りじゃ」
天逆毎から目を離した彼は、夜空を見上げながらポツリポツリとこれからの予定を立てていく。
まずやるべきことは傷を癒やすこと。
さっきまで握っていた刀は頭の近くに刺さり、弱々しい神秘の光る中、彼は辛勝の傷を癒やし続けた。
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ぬらりひょんが倒れたことで、他の戦場と同じく、律とだいだらぼっち、がしゃどくろの戦いにも動きが現れる。
2対1だと終始圧倒していた律は、倒せない間は手足を砕くなどの足止めに徹していた。
だが、ついに倒せる段階になったことで一気に自身の犠牲を増やし、技の威力を上げていく。
「ま、待て……」
「またないよ、がしゃどくろ。きみは、消えてね」
"神威流-壊拳"
律はがしゃどくろに青く輝く拳を向けると、命乞いを無視して吹き飛ばす。
彼は襲撃時と同じように上半身が拳圧で消し飛び、体がそこまで丈夫ではないため下半身も砕けてしまった。
律の腕もまた消し飛び、ひび割れのような線が顔やふくらはぎにまで入っている。
だが、もちろん凛の回復で元に戻っていく。
そして、完全回復したら次はだいだらぼっちだ。
「久方ぶりに……有意義な時間であった……」
「それなら、よかったよ。
もう、ふっかつしないでくれると、ありがたいな」
"神威流-壊拳:連撃"
今まで律に圧倒されてきたこともあり、彼はがしゃどくろとは違って抵抗はしない。
しかし、山のような存在であるためがしゃどくろよりも倒すのは大変だ。
律は、さっきよりも派手に体を壊しながら連撃を繰り出す。
血しぶきが吹き出し、骨や皮膚の欠片のようなものが飛び散る。
「……はぁ」
そして、だいだらぼっちが完全に消し飛んでしまうと、小さく息を吐いて尻餅をついた。
体を失った彼は青白く光り輝いているが、それもすぐに治る。
同時に苦痛も消えるので、彼はリラックスしたような表情を浮かべて倒れ込んだ。
それからほんの数分後。
倒れて休む律のもとに凛がやってきた。
彼と自分の能力の繋がりを辿って、最速で。
彼女は眠り込んでいる律のあたまを撫でると、彼を抱きかかえて労う。
「……お疲れ様。ごめんね」
悲しげな彼女は、しばらくギュッと抱きしめた後、彼をおんぶしてその場を離れていった。
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他の戦場と同じく、犬神と大天狗、多邇具久命と射楯大神の戦いも大詰めだ。
しかし、お互いにどちらかといえば援護やデバフなどを得意とする神獣達ばかりなので、見かけは地味。
実に静かな決着を迎えようとしていた。
「犬ころは気持ち悪いし、長っ鼻は不快な悪天候、そして蛙はドッロドロだ。うはぁ、きったなーい。
ふふん、ミーだけ御射だけスマートね」
"五十猛樂波"
大天狗の呼ぶ突風、視界を邪魔する雨、消えない火の玉。
射楯大神は、それらを周囲に生やした林で防ぎながら、その中を飛んで木の葉を打ち出していく。
木の葉の弾丸は、林の中では木々に混じって見えにくく、外に出たら出たでぼんやりと影っぽくなって見えにくい。
多くは突風や火の玉をスルーして敵に殺到した。
「ぐぅあ……!!」
多邇具久命が泥で足元を固めているため、彼らは避けることができない。特に大天狗などは空を飛べるため、捕まえる段階で腕が飲み込まれている。
当然うちわを振っても焼け石に水であり、木の葉の雨に体を貫かれた。
もう復活はできないため、彼らはそのまま倒れ込む。
だが……
「ぐふふ……儂は犬神。呪うことしか能のない無力な犬よ。
だからこそ、1人は道連れにさせてもらうおうぞ」
血だらけの犬神は、思いの外平気そうな調子で話しかける。
そして、体から黒い靄が浮き上がったと思うと、彼らに向かって飛んでいった。
「むぅ……儂か」
「あのガキに効きが悪かったのは不思議だが……
ぐふふ、お主のような爺ならば死ぬ可能性が大だろうて」
犬神の霊体は、妖火のように多邇具久命の泥をすり抜けると、彼に毒々しく笑いかけて中に入っていく。
「ううむ……ゴホッ……安静に、しとれば……辛うじて瀕死……」
すると彼の顔色はみるみる悪くなり、咳をする口からはどす黒い血が流れ始める。
彼自身が言う通り、かなりの重体のようだ。
しかし、それでも射楯大神は陽気だった。
仲間が死にかけていても全く気にしておらず、大天狗達が死んだのを確認しながら笑っている。
死骸を羽でつつきながら、これからのことを考えて実に楽しそうだ。
「死んだ? 死んだかな? 死んだよねぇ?
よーし、じゃあミー達の仕事は終わりだぁ。次は何を見に行こうかなぁ? うーん……何千年も生きてると、流石に見たいところもないんだよなぁ……戦わないから生き残るしねぇ。
外に出ても、いつからかどこにも辿り着けないし……
悩ましいなぁ。悩ましいなぁ! 悩ましいなぁ!!」
「うるさいわい。危ういんじゃから、ゆっくり休ませんか」
「戦いは終わりでしょー? ひまひまひまー。
……ドロドロドロ爺連れ回すのも面白いかなぁ?」
多邇具久命が注意すると、彼はほんの少しだけ静かになる。
しかしまだ全然うるさい上に、遊びの予定も迷惑極まりないものになっているようだ。
「治ったらの……じゃから少し黙っとくれ」
「オッケー、じゃあ空から殺し合いを傍観していることにしよぅ。もちろん、蛙の歌にも耳を澄ませておくよー」
「……趣味が悪い」
射楯大神は多邇具久命の言葉に従い、この場が静かになるように飛び立っていく。
しかし、彼の言葉は大体いつも物騒だ。
残された多邇具久命は、その言葉を聞いて顔をしかめながら彼を見送った。
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ぬらりひょんを倒した大口真神は、この場での自分の役目はきっちり終わらせている。
だが、一応守護神獣達をまとめるような立場を任されている身としては、これではい終わりという訳にはいかない。
他の守護神獣が苦戦している可能性も十分にある。
そのため彼女は、雪をまとめるとすぐに様子を見に行くことにした。
一番近かったのは、夜刀神のところだ……
「……やっぱり負けているじゃないですか。生きてます?」
「……」
水浸しの地面に横たわる夜刀神に近づいた大口真神は、人型になって乾いた地面をぴょんぴょん飛んでいくと、軽い調子で声をかける。
だが、夜刀神からの返事はない。
白目を剥いて、口からちろりと舌を出したまま倒れている。
それを少し見つめていた彼女は、口元に近づいて生死確認を始めた。
「ふむ、息はありますね。気絶しているだけですか」
至近距離まで来ても気づかない夜刀神は、全身の鱗が剥がれていたり噛みちぎられていたりと重傷だ。
しかしたしかに息はあったため、彼女は特に心配することもなく彼の傷を雪で冷やし始めた。
蛇なので当然寒さに弱いはずだが、傷も固まるので回復した後も文句は言えないだろう。
「八岐大蛇は……ふむ、あの子の近くを通ったようですね。
だからなのか、とても運が悪い。……任せましょうか」
傷を固めながら結界の外の方向……八岐大蛇の足跡を確認した大口真神は、ポツリと呟く。
その視線の先には、穏やかに降る雪があった。