149.5-それは彼らを形作るもの⑥
花咲き誇る国、フラーの辺境伯。フォード家。
かつてかの一族は、人々を導く立場にあったという。
だが、少女が生を受けた時代にはその面影はなかった。
国王からは最も厚い信頼を受けていたが、自領のディーテに暮らしている民以外からは疎まれていた。
それは、王が簡単には呼び寄せたり会いに行ったりできず、国王以外からは、国の重役にさえ嫌悪されている程だ。
その状況に、少女の父親は納得できなかった。
たとえ国王と小さい頃から面識があって、可愛がってもらっていたとしても。
祖先が行ったことに対して、今を生きる自分達が責任を取る必要はないと考えていた。そのため彼は、反旗を翻した。
まだ幼い娘がいるというのに、自分の不満を優先してしまったのだ……
結果はもちろん、父親とディーテ領の負けだ。
リー・フォード家は、反逆者となってしまった。
ディーテの領民にはお咎めはなかったが、元から嫌われているリー・フォード家はそうはいかない。
父親は一部の暴走により即刻斬首刑。
そして母親と少女、一家に強い忠誠を誓っていた者たちも、国王が手を回す前に奴隷商に引き渡されてしまった。
はっきり言って、フラーに奴隷文化はない。
そもそも、ほとんどの国でそんな文化はない。
科学文明は滅んだが、それでも彼らの常識として良くないことだと思われていたからだ。
そのため売ったのではなく、確実に国から追い出してひどい目に合わせるために、治安の悪い国へと引き渡す。
人身売買よりも醜い考えによるものだった。
彼女達を預かったのは、ビオレ奴隷商会。
魔獣の被害が多く貧しいタイレンで、荒んだ心の人々を相手に商売をする魔人だった。
彼の国に資源はほとんどない。
王都だけは死守され、国としての形は保っているが、魔獣が襲撃してくるため郊外の畑は荒れて街もボロボロだ。
そのため、魔人は人を商売道具にした。
かつて人々が不安に苛まれ、心の拠り所を求め盲目的に従ったことで生まれた、タイレンの貴族。
結局何もできずに、ただ物資の独占による上下関係だけで成り立たせている彼らから、人的資源を奪い取っていた。
自分達が面倒を見れる分だけ、スラムから孤児を引き取ったり死にかけを連れてきて奴隷とする。
魔人自体は危険だが、魔獣を安定して倒せるため、基本食料には困らない。
そうして育った従順な奴隷を、国を成り立たせたい王都に労働力として売る商売だ。
母親と少女は引き離されたが、そんな商会の世話になることになった。
幸いにも、少女は商会の会長に気に入られる。
彼女に魔人だと見抜かれたこと、そして少女自身がまだ幼いということもあり、奴隷前には劣るが他の奴隷よりかはいい生活を送ることができた。
そして、商会が方向転換をしていたことも大きかった。
当初商会で行っていたのは、労働力を王都へ売ること、ただの労働者として八咫やフラーへ出稼ぎに出させる程度。
だが300年ほど前に、ビオレの元には白く美しい顔に金色の毛並みと9つの尻尾を持つ狐、玉藻前が連れてこられていた。
さらには、その少し前から彼女以外にも魔人が生まれている。
"ハオ"、"ラルム"、"バンダラ"。
どれも彼の国に座する神には到底及ばない。
しかし、その配下であればいい勝負ができるのでは……というレベルの強者だ。
つまり、場合によっては現人神に見捨てられた恨みを晴らすことができた。
それが不可能であっても、西方の豊かな国に攻め入ればこの荒れ果てた土地から逃げ出せる。
そう、ビオレ奴隷商会は軍事化を進めていた。
この方向転換の影響で、少女は戦力として他の奴隷よりも大切に育てられたのだ。
だが、そんな少女が商会から逃げ出すことになったのも、この軍事化が原因だった。奴隷として出会った玉藻前。
彼女は、商会に手を貸すつもりがなかったのだ。
タイレンの魔人とは違って、他国から手に入れた奴隷である少女と玉藻前。彼女達には魔人達ほどに自由がなく、訓練以外では2人だけでいる時間が多かった。
そのため少女は、玉藻前からたくさんの話を聞いた。
ここに来ることになった理由――彼女を嵌めた妖怪、ぬらりひょんのこと。
不本意ながら、彼女の主だった男のこと。
彼の言うことを聞かなかったせいで、1本を残して尾を切られてしまったこと。
景色、食べ物、宇迦之御魂神、奴隷で居続けることの意味、神秘の人生の長さなど、その他にもたくさんのことを。
結局母親はすぐに死んでしまったため、彼女はよく玉藻前に懐いた。自身が奴隷になった理由は覚えていなかったが、またも縛られることを嫌い、八咫に憧れを抱いたのだ。
少女はビオレに頼み込んだ。
「たまには外に行きたい。狐姐のこきょうを見てみたい」と。
ビオレに頼んで優遇してもらった少年、母親代わりとも言える玉藻前と共に、密かに逃亡することを夢見ながら。
だが、ビオレは長く少女を不自由を強いていた。
幼くとも魔人。いずれ貴重な戦力になることが確定している逸材だ。
大人しくしてはいたが、元は貴族だと知っている。
ここの生活やこの荒れた土地は、少女や少年にとっては逃げ出したくなるようなものだろう。
八咫のような、目の届かない遠方に送るのは躊躇われた。
しかし、不満を溜め込むのも困る。
いずれは自由に暴れさせるなのに、もしも敵対したらシャレにならないから。
ビオレは悩んだ。1日、2日……6日……8日……と。
そして長い逡巡の末に、ビオレは八咫への旅行を許可した。
条件は、彼女の信頼するハオとバンダラを同行させること。
少女はもちろんそれをのみ、八咫へと向かった。
八咫で待っていたのは、タイレンとは比べ物にならない程に豊かな世界だった。食べ物はハオが泣く程に美味しく、自然はバンダラが駆け回る程に美しい。
だが、少女達は忘れていた。
玉藻前が扱いにくいからこそ、彼女は尻尾を8本も切られ、奴隷になったのだということを……
いつ逃げ出そう、今の玉藻前で逃げ切れるかな? などと考えながら観光すること2日。
彼らを八妖の刻らが襲った。
普段のようなちょっかいではなく、玉藻前を確実に殺すための本気の襲撃だ。
ハオとバンダラは驚きながらも迎撃した。
だが、少女と少年は守られるばかりで、玉藻前も尻尾がほとんどないので本気を出せずに苦戦してしまう。
そして、玉藻前はこの戦いで命を落とした。
彼女は300年前には死亡したとされていたので、本当に密かな死だった。
少女は泣いた。少年と共に、玉藻前に顔を埋めながら。
そんな少女に、玉藻前は自らの意志を残す。
自分は昔、八咫を滅ぼそうとした。
それは獣の本能で、至って自然な行動。
だが、そうじゃないものもいた上に、とある神秘の支配下にいれられたことで自由を……そして結局力をも奪われた。
君に託そう……「お主がわらわの意志を継承するのじゃ」と。
少女は生まれに縛られた。
これが初めに彼女を形作ったもの。
少女は反逆者の者として、奴隷に落とされた。
そしてこれは、彼女の胸にあり続けた悲しみ。
玉藻前の傾国と、同じ可能性を持つ心。
彼女は思いを継承した。
国を恨む。人を恨む。滅ぼそう。破壊しよう。
少女は記憶に蓋をするまで、その思いに突き動かされて暴れた。ハオ、バンダラを巻き込み、すべてを恨みながら。
しかし……
(……ううん、まだだめ。私は主として、彼を守らなくちゃ)
消えた玉藻前にしがみついていた少年は、今は白面金毛九尾の狐に変身していた少女にしがみついていた。
それに気づいたことで、少女は我に返る。
今優先すべきなのは、八咫を滅ぼすことでも、八妖の刻を殺すことでもない。可能ならば、ハオとバンダラに手傷を負わせてから逃走すること。
少女は少年を守るために、幼い身でありながら必死で戦った……
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ある少年は、リー・フォード家に仕えていた。
一介の使用人ではあったが、確かな忠誠心を持って。
だが、リー・フォード家は反逆者になってしまう。
使用人の彼は、お嬢様や両親と共に奴隷になってしまった。
奴隷になった者は、みな過酷な労働や軍事訓練を強いられる。この訓練には軍事化という意味もあるが、そもそも数名の魔人だけでは奴隷すべての安全を保証できない。
自らの身を守るための体作りだ。
もちろん食事や休息などはしっかりと取ることができるが、まだ子どもだった彼は、リー・フォード家にいたときからあまり仕事を任されてはいなかった。
主に勉強、仕事の練習、お嬢様の遊び相手くらいだ。
そのため、少年にとって奴隷の仕事はとても辛いものだった。
それをよく知っていたお嬢様は、ビオレ奴隷商会の会長であるビオレに頼み込む。
彼は私の友達だし、まだ小さいから助けてと。
ビオレはそれを聞き届けた。
不自由を強いることになるので、せめて友達は近くにいさせて不満を減らそう……と。
そもそもご主人様であったお嬢様に、彼は救われた。
訓練は変わらずあるが、家族とは引き離され、辛い仕事ばかりを強いられる生活からは抜け出すことができたのだ……
ある時少年は、少女と玉藻前と一緒に八咫へ行くことになった。やはり少女が頼み込んだことで叶った旅行だ。
だがそこで待っていたのは、恐ろしい妖怪達。
玉藻前は死に、彼自身も死にかけることになる。
それを救ったのは、またしてもお嬢様だった。
玉藻前の力を継承した少女は、油断していたハオとバンダラに手傷を負わせ、驚いて固まる八妖の刻には致命傷を与えた。
そして、彼らから少年を守りながら逃走したのだ……
八妖の刻は、八咫にいる間は彼らを追い続ける。
玉藻前の力を持つ少女は脅威であり、また場合によっては利用価値があったからだ。
その襲撃から少年を守ったのも、もちろん少女だ。
少女はもう既に記憶に蓋をしていたが、かなりの茨やちっぽけな火を出すことができたので、陽動に使った。
結果、彼らはまともに戦うことなく八咫から脱出することができた……
大陸に戻っても、過酷な旅は続く。
彼らはまだ子どもであり、お金もほとんどない。
しかし、ここでもまた少女の知識が彼らを助けた。
行く先々の村で、手伝いやフラーで使う技術などを教えて次の村へ行くための物資を手に入れる。
少女は年齢の割に博識であり、手先も器用。
可愛らしく愛想も良かったため、村人は彼女を大いに気に入って物資を分けてくれた。
もし村に余裕があった場合には、次の村に送ってもらうことがあったくらいだ……
少年は、長い間少女に守られてきた。
ひたすら主であるはずのお嬢様に救われてきた。
そのため、彼は誓う。
俺は……私は、今まで無力だった。今も大した力はない。
けど、それでも必ずお嬢様を守る。力になる。
今度は私の番だ……と。
しかし、現実は無情だ。
神秘であるお嬢様は、過去を忘れていながら過去に縛られている。
そして、ただの人間で、無力な彼にできることなどない。
ただ少女が苦しみ、支配下に置かれるのを見ていることしかできなかった。
自分にもっと力があれば、男に支配されることもなかった。
もしこんな未来を知れていれば、八咫に来ることもなかった。
少年は、ただ主人のために強く願ったのだ……