143-将軍の責務
八咫国将軍であるはずの雷閃は、今宵もまた迷っていた。
昨日の昼に外出してから、日をまたいでもずっと迷っていた。
街からは出るな。その言葉があったおかげで愛宕には留まっているが、現在どこにいるか、御所はどこにあるかなどはまったくわかっていない。
東西南北、当てもなくただふらつくことしかできなかった。
そんな彼は、百鬼夜行を迷子の状態で迎えることとなる。
「変な夜だなぁ」「妖しげな月だなぁ」「絶対何か起こるよねぇ?」などと訝しげにしながらも、てんで的外れの場所でなんの助けにもなれずに……
彼がぽけーっと街を歩いていると、突然異変が訪れた。
北東の辺りにいた彼の耳に、四方から家屋を破壊する音が聞こえてくる。
それは単純に力で薙ぎ倒された音だったり、炎で焼き払われているような音だったり、地面に飲み込まれているような音だったりと様々だ。
しかし、彼から一番近くから聞こえてきたのは、幸か不幸かもっとも手に負えない化け物たちの出す破壊音だった。
つまりは、北側を叩き潰した巨山だいだらぼっちと、東側で家屋を薙ぎ倒す怪物天逆毎……
瞬時に影綱の影が侍達を配置したが、彼らでは明らかに時間稼ぎにもならないような相手だ。
しかし、ここで草舟の雷閃は、もっとも安心できる選択をする。
「あ、影綱の影だ。……入ろっと」
そう、影綱の影に身を任せることだ。
彼は突然迫りくる影と影に気がつくと、それを避けたり防いだりすることなく吸い込まれていく……
「あ、あれ……? ここは……?」
そして、彼が配置されたのは彼からもっとも近かった八妖の刻、天逆毎の目の前だ。
凄まじいスピードで瞬きを繰り返しながらも、力むことなく戸惑ったような表情で突っ立っている。
すると、さっきまで恐怖に震えていた侍達は、突然の雷閃の登場に気づいて沸き立った。
方向音痴で、幕府の仕事はほとんどしていなくて、それでも人に頼まれたら断らない、ナヨナヨしく少し頼りない男。
それでも八咫国の将軍として信頼されていたため、彼が戸惑うほどの歓声が浴びせられる。
「ら、雷閃様……!?」
「雷閃様だ!! 助かったぞ!!」
「うぉー!! 将軍様だ!!」
「う、うん。雷閃だよ〜……ところで、ここはどこかなぁ?」
しかし、やっぱり雷閃は雷閃だ。
この状況でものんびりしており、さらには口癖のように現在地を尋ねた。
そして雷閃の登場に安心しきった侍達も、怪物天逆毎を前にして呑気に報告を始める。
実質無視されている状態の天逆毎も、思わぬ強敵の出現に驚き、喜びと共に固まっているようだ。
「おそらく東地区です。
かなり破壊されていますが、覚えがあります」
「それから、住民の被害は0のようです。
影綱様が移動させたと思われます」
「わぁ〜さっすが〜!!」
報告を受けた雷閃も、怪物天逆毎を前にして諸手を挙げる。
まだその元凶が野放しになっているというのに、満面の笑みで部下達を褒めた。
もちろん彼に褒められた侍達は嬉しそうだ。
しかし、最初は驚いていた天逆毎も、そう長くは硬直していてはくれない。
すぐに気を取り直すと、雷閃に向かって丁寧に挨拶をした。
「こんばんは、将軍殿。ちょうど退屈していたところです。遊び相手になってもらいましょうか」
その声は、さっきまで木っ端のように吹き飛ばされていた侍達にとって、死が話しかけてきたようなもの。
しかも天逆毎の後方には、彼女に巻き込まれないよう戦闘に参加していなかった百鬼夜行がいる。
自分達が決して敵わない怪物と、自分達と同等の実力を持つと思われる妖怪、妖鬼族の軍団……
彼らは一気に現実に引き戻され、恐怖に震えた。
だが唯一、雷閃だけはほのぼのしている。
当然と言えば当然だが、天逆毎に臆することなく言葉を返した。
「こんばんは〜。あなたが襲撃してくるのって、随分久しぶりですねぇ。一体全体どうしたんです〜?」
「ほほほ。あなたはやっぱり気が付かないのね。これは百鬼夜行ですよ。ほとんどの人間には逃げられましたが、幕府関係者を皆殺しにすれば、あとは非力……すぐに人は滅びます」
妖怪であっても、変わらずヘラヘラと笑顔で話しかけていた雷閃だったが、天逆毎の言葉を聞くと途端に表情を消す。
まるで今までが嘘かのように、冷たい表情と声色で彼女を威圧する。
「あぁ……なるほど。じゃあ敵か」
「ええ。彼らじゃすぐに滅んでしまいますよ。
ちゃんと将軍であるあなたが……」
「そうだね。残念だけど、さようなら」
天逆毎は、さらに挑発的な言葉を投げる。
将軍である雷閃が守るべきものは、私がすぐに滅ぼすぞと。
するとその瞬間、雷閃は消えた。
"不知火流-雷火"
彼は眩い光と共に、気づいたら天逆毎の目の前にいた。
まだ納刀してある刀に手を置き、鋭い目を彼女に向けている。
いきなりのことに天逆毎は立ち尽くしているが、彼は容赦なく雷火の如き刃を振るう。
その刀身には雷に混じって炎がちらついており、まともに受けたらただでは済まないであろう、電光石火の居合斬りだ。
だが、刀は天逆毎を斬ることはなかった。
彼女はいつの間にか手を持ち上げており、雷閃の居合い斬りを指でつまんで受け止めている。
「ほほほ。私と対等に戦える存在など、そうはいません。さようならにはまだ早いですよ」
「……いいや。これが百鬼夜行だと言うのなら、僕はすぐに君を殺して次に行く」
首近くに刀が向けられ、あと一歩で死ぬというところまできているはずだが、天逆毎は軽い調子で話しかける。
まるで、まだ遊んでいたいから手を抜いているかのように。
だが雷閃は、普段とはまるで違った凛々しい顔つき、間延びすることのない冷たい声で断言した。
防がれた攻撃を押し込むべく、さらに力を込めていく。
すると刀は、じわじわとだが確実に首に近づいていった。
しかし天逆毎は、死がより近くなり、指に熱も感じているはずなのに変わらず余裕の笑みだ。
「いや、あなたは迷うでしょう?」
「……まぁ」
「うふふ。ならば、結局変わりはしない。
大人しく私だけを見ていなさい!!」
"千里飛ばし"
雷閃を論破した天逆毎は、凶暴な笑みを浮かべると刀をつまんでいるのと逆の左手で雷閃に殴りかかる。
刀を抑えられてる以上、雷閃にそれを防ぐすべはない。
身に纏う雷や同じ左腕で防御しようとするも、ほとんど身動きが取れず避けられないため直撃した。
「ッ……!! くぁッ……!!」
「うふふ……うっふふふ……!!」
それは、アッパーとまではいかないが、下からすくい上げるように天に向かった斜めの拳だ。
衝撃の瞬間に天逆毎が刀から手を離したため、雷閃は遥か上空へと吹き飛ばされていく。
「あ……うぐ……」
為す術もなく空を飛ばされる雷閃だったが、うめきながらもどうにか気を取り直すと、雷で体勢を整えた。
衝撃は全身に響いているようだが、それでもただ殴られただけなので、服の上からでは目に見えるけがはない。
体内はぐちゃぐちゃだったが、戻れさえすれば戦闘は続行可能で、刀も無事だ。
「あいつ……ゼェ……ゼェ……こんな馬鹿力だったっけ……?
油断、しちゃったなぁ……」
しかし、彼がいるのは遥か彼方の海の上。
愛宕の街どころか、八咫も見えないような場所だった。
方向音痴である雷閃では、自力で戻ることができない。
現状を把握して悔しそうにつぶやくと、ひとまず刀をしまって口から流れている血を拭う。
「あれ……? なんか変な感覚だね。もしかして漁師のおじさん達が言ってた、何故か遠洋に出れないっていう……」
「こ、ん、ば、ん、は♡」
「なっ!?」
「あなたは私の遊び相手。
勝手に逃げるなんて許しませんよ」
"千里飛ばし"
雷閃がこれからどうするかと悩んでいると、どうやってか彼の背後に天逆毎が浮かんでいた。
そして先程と同じく、彼を殴りかかる。
「そう……何度も……!!」
"布都御魂剣"
またしても為す術もなく飛ばされるかに思えた、その瞬間。
雷閃は目にも留まらぬスピードで刀を抜くと、刀身に空を焼き焦がす程の雷を纏って迎え撃つ。
「天を斬り、地を太平せよ!! 布都御魂剣!!」
「我に逆らうな!! 人間!!」
先程まで揺蕩っていた雲など、もはや跡形もなく。
圧倒的な破壊力を持つ拳と、圧倒的な輝きを放つ刀は激突した。
深夜にあって、まるで昼間のような輝きが空に浮かぶ。
両者はほぼ互角であったが、刀は天逆毎の右腕を斬り裂き、半分になった拳はその状態でも雷閃の胴体を貫いた。
「カハッ……!!」
「ぐぅぅ……!!」
またも殴られた雷閃は、同じ軌道を辿って愛宕へと飛ぶ。
今度は斬られた天逆毎は、全身を雷に焼かれ腕の残骸を撒き散らしながら落下していく。
どちらも瀕死で、そしてどちらも勝者だった。