142-鬼人の親子
百鬼夜行が訪れた夜。
結局ずっと仕事を続けていた海音は、リフレッシュするために御所の外に出ていた。
美桜が戻ってはいるが、そもそも仕事が溜まっていたため仕事漬け……その緊張を解きほぐすための行動だ。
たが彼女も晴雲の占いは聞いていたので、直前でも小競り合いくらいは起きるかもしれない、と愛刀を腰に差している。
少しは気を抜いているが、決して油断もしていない。
他人が見れば、それはリフレッシュになっているのか? と聞きたくなるであろう出で立ちだった。
それでも彼女からしたら、警備や戦闘以外で外に出るだけで十分に気が休まる行為になる。
彼女的には、のんびりと美桜が戻った恩恵を受けていた。
「……月が、変な光り方です」
ゆっくりと歩いている海音は、夜空を見上げながらぽつりとつぶやく。
彼女の目に映っているのは、何故か紫色に輝いている月だ。
しかし、月から目を逸らすと別に異変はない。
どういうわけか月明かりは正常に見え、いつも通りに暗い街を照らしている。
「変な夜ですね……」
ただ月だけがおかしかった。
風は生暖かく彼女の髪を揺らし、襲撃の時のように深い霧に覆われることもない。
両脇を霧が薄っすらと流れ、人々は寝静まり、街は無音。
彼女の足音だけが響いている。
なんの変哲もない平凡な夜で、少し注意深く観察してみるとどこかおかしな不気味な夜。
「……まぁいいです。夜は夜。何か出たら斬りましょう」
しかし、海音はまったく考えることはなかった。
おかしな月を、ただ珍しいものだとして思考を放棄した。
とりあえず何か出たら斬る。
あまりにも脳筋な思考で、彼女は散歩を続けた。
「あれ……? もしかして、何か起こってますかね……?」
しばらくすると、流石に海音も異変に気がつく。
街の四方から強大な神秘が迫り、大地が揺れ、家屋が燃え、倒壊している。
ここまできて、ようやくだ。
彼女はピタリと足を止めると、まずは変なところに飛ばされないように影綱の影を避ける。
そして少し周囲を見回してから、街の様子を見ようと屋根の上に……
「ッ……!!」
海音が屋根に飛び乗ろうとした瞬間。
いきなり何者かが彼女に斬りかかった。
気がついたらそばにいた……と言える程にいきなりだったが、海音もまた気がついたら刀を抜いて、受け止めている。
驚いてはいるが余裕はあり、激突と同時に足を浮かせて、勢いのまま後方に飛んで距離を取った。
一瞬で数メートル離れた彼女達は、お互いに刀を構えて油断なく相手を見ている。
海音は泡のような淡い着物を着ているが、相手はまるでその色を濃くしたかのような紺色の着物だ。
頭には角が生えているが、それ以外は口も手足も完全に人間と同じ姿で、海音と似たような刀を持って襲いかかっている。
「大きなったなぁ海音。ほんま、嬉しいわぁ」
「酒呑童子……!!」
奇襲を防がれた彼女――酒呑童子は、嬉しそうな様子で海音に声をかける。まるで小さな頃からよく知った仲、家族であるといった感じだ。
しかし、海音は対照的に嫌そうにしていた。
といっても刀はブレていないし、体もまったく揺れていないので、奇襲を受けた割には動揺していなそう。
だが顔をしかめているので、迷惑には思っているらしい。
海音は面倒くさそうに酒呑童子に話しかける。
「私は人里に下りたんですよ? お互いに半不老不死なんですから、こまめに会いに来る必要だってないです」
「連れへんなぁ。また母さんに甘えてくれへん?
式神やのうて」
海音は明らかに嫌がっていたが、酒呑童子には特に気にした様子はない。笑顔で彼女のことを娘と言い切った。
すると、さらに大きく口を曲げた海音は懐に手を入れる。
取り出したのはもちろん御札。
それを流れるような動きで顔の前に構えると、感情をぶつけるかのように力強く地面に叩きつけた。
"天后招来"
地面から湧き出るのは、輝く水。
それらが寄り集まり、形作られていったのは1人の女性だ。
美しき天女、式神天后……癒やしの力を持った、母性あふれる使い魔……
彼女は体が出来上がると、明らかに不機嫌になった酒呑童子に笑いかける。
「はぁい。お久しぶりねぇ? 酒呑童子」
「悲しいわぁ……自立したかて、うちが母さんやのに……」
「うん、わかってる。いつか人と鬼人がわかりあえるなら、その時は……みんなで」
「うちは今寂しいんよぉ。
そやから、今だけは目一杯遊んでくれへん?」
天后は挨拶だけに留めるが、酒呑童子はいつでも近くにいる上に母親気質の彼女に、恨めしげな視線を向けた。
海音が未来の願望を語っても、彼女にとって重要なのは今のようで伝わらない。刀を揺らしながら半泣きだ。
そんな彼女を見て、海音も唇をへの字に曲げる。
だが、今回は眉間にしわがないので、面倒くさそうな感じではない。目尻を下げていて少し悲しげだった。
酒呑童子が襲ってきたという事実が遠ざける未来。
もし彼女が海音の前に立ち塞がらなければ、2人が人目を気にせず人里で暮らせる未来はもっと早く訪れたかもしれない。
そのことを頭では理解してなくとも、なんとなくはわかっているふりをしているからこその感情だ。
もちろん、海音には面倒くさいという感情もあるだろうが……
ともかく酒呑童子としてはなくても、妖鬼族としては恨みがある以上人と分かり合えるのはもっと先だ。
百鬼夜行は種族として避けられないなら、この先機会があるかもわからない。
獅童や協力を頼めた守護神獣たちも不在の今が、最後のチャンスかもしれなかった。
直感でそう感じた海音は、一応今遊ぶこともその理想の妨げにはなるのだが、あまり深く考えることなく了承する。
「そうですね。私も人として幕府が忙しかったですし、たまには息抜きでもするとします」
「あ、ええの!? 嬉しいわぁ!!」
それを聞いた酒呑童子は、刀を放り出す勢いで両手を上げた。久しぶりに親子水入らず……ではないが、短時間の襲撃以外では、まともに会うこともできなかった2人だ。
何よりも嬉しいこととして満面の笑みを浮かべ、全身で喜びを表現していた。
だが、1分もすると緩んでいた表情はゆっくりと引き締まり、上げていた手も動きを止める。
まだワクワクとした表情ではあるが、刀を構える体勢や互いを見据える目には油断がない。
「私が人里に降りたのは、大人になった頃とほぼ同時期……」
「そうやねぇ。よう覚えとらんけど、30年ぶりくらい?」
「神秘としては、まだ若いんでしょうね」
「うふふ〜。けんど、あんたは超人やから。
若うてもうちと遊べるんよねぇ。
むしろ、うちが死なんよう気をつけなあかんわぁ」
彼女達は開戦前に、どれくらいの期間まともに会えていなかったかを語り合っている。そして同時に、これ以上ない程に研ぎ澄まされた空気が場を支配した。
この30年という期間は、彼女達の気持ちの高ぶりと同義だ……
「はい。鬼の子、天坂海音。参ります」
「本気を出しぃ海音。うちは水鬼、酒呑童子。誰に言われるまでもなく妖鬼族の恨みを背負うと決めた、とっても強ぉい鬼人やからねぇ!!」
"水神の相-出雲"
刀を構えた酒呑童子が鋭く言うと、海音は御札を構えて彼女自身の聖域を呼び寄せる。
結界は玉藻前の時と同じく、四方八方から輝く水が湧き上がると彼女達を水壁で閉じ込めた。
やはり水は数十メートルにわたって出現しており、半円状の結界の中央には神殿のように形造られている。
壁や神殿以外にも泡や水柱が生まれていて、それが家屋を守るし、海音自身の防御手段、攻撃手段としても使える水の相の奥義だ。それは八咫も海音も守る、まさに聖域……
「では、存分に殺し合いましょう!!」
「ええなぁ!! それくらいやないと楽しめへんわぁ!!」
「いざ!!」
周囲には水の結界。
海音の後方には、彼女の意思を尊重して、どちらも戦闘不能以上に傷つけさせまいとする天后。
予想外の出来事がない限り死ぬことはないが、一瞬の瀕死なら許容範囲である、決して死なない殺し合い。
親子としては最高レベルの喧嘩と言える戦いが始まった。