141-羅生門の再来
律に八妖の刻を任せた影綱は、次に星熊童子たち鬼人の精鋭をどうにかするべく移動を始めていた。
もちろん、最初から一貫して死鬼も探す必要がある。
だが八妖の刻の心配がなくなった今、侍達にとって明らかに次の脅威となるのは、姿を見せている星熊童子、金熊童子などの名前付きの鬼人達だ。
死鬼の行方は未だにわからないが、彼らがわざわざ妖鬼族の中に隠れる必要はない。隠れているのなら、妖鬼族全体とは別行動で何か目論見があろのだろう。
しかし、星熊童子などは名前のない妖鬼族達に紛れているはずなので、侍達への脅威としては死鬼よりも上だ。
そのため彼は、妖鬼族の軍団に向かって影の中を泳いでいた。
(おかしい……さっきまでは、先頭に立って指揮を取っていた者が数名はいたはず……)
影の中を高速で移動しながら、影綱は違和感に眉をひそめる。たしかに彼は、さっきまで名前付きを優先して確認していなかった。
だが彼がだいだらぼっちのもとへ向かっている時、八妖の刻を確認していた時には、少なくとも1人2人くらいは先頭に立っているのを見ていたはずだった。
それなのに、現在は妖鬼族の先頭に名前付きが誰もいない。
星熊童子も金熊童子も、牛鬼も熊童子も誰一人として。
彼は移動スピードを落とすことはなかったが、薄っすらと焦りを表情ににじませる。
最初から死鬼は見当たらず、その他の名前付きもいない。
死鬼はそもそも来ていない可能性、その他は八妖の刻が律1人に足止めされたことで撤退した可能性というのもある。
しかし、クロウ達が守護神獣たちを引っ張り出したことで、もうこの先これ以上に有利な戦いはないだろう。
この百鬼夜行にはおそらく死鬼も来ているし、名前付きも撤退していないと思われた。
最初からよくない企みがあったのか、油断を誘っているのか……どちらにせよ非常事態と言える。
彼は顎に手を添え、この後の展開に頭を悩ませながら影移動を続けた。
(守護神獣が来た時のために戦力温存、もしくは彼らへの奇襲要員……? とはいえ、今を妖怪だけに任せるものか?
全員で手早く全滅させている方が……)
彼は考え込みながらも、北から東へと移動を続ける。
その時々に目についた妖怪や鬼人の下っ端を片付けながら。
(守護神獣たちに関係がないのなら、単純に私達の油断を誘っている……? いや、死鬼は手強いが、その他は……)
現在いない守護神獣と、愛宕に残っていた雷閃四天王、律。
どちらを優先している可能性もありそうで、だが名前付きが消えた理由としてはどちらも決め手にかけている。
影綱があっという間に北の前線に近づいていくと、そこにはもちろん、彼が律のもとに飛ばすまで天逆毎と戦っていた侍達がいた。
怪物と戦っていた疲れからか、妖怪どころか名前のない妖鬼族にまで押されてしまっている。
彼らの様子を確認すると、影綱は素早く影から飛び出して、その勢いのまま数体の妖怪、妖鬼族を斬りつけた。
抜いた瞬間から刀身が朧げに揺れており、軌道どころかその刀の大きさ、攻撃の回数すら曖昧になっている、変幻自在の斬撃だ。
"不知火流-朧火"
「影綱様!! 助かりました!!」
「そういうのは後で。今は集中してください」
「は、はい!!」
ギリギリで助けられた侍達が口々にお礼を言うが、影綱はそっけなく受け流す。彼からしたら大した相手でもなかったし、何よりもそれどころじゃない。
彼が斬ったのは、量産されたのかというくらいにそっくりな天狗や火車、名前のない赤鬼や青鬼などの下っ端だけだ。
4箇所あるとはいえ、最前線にも死鬼や名前付き、他の雷閃四天王すらいなかった。
他の3箇所にいるという可能性もあるが、そもそも死鬼は4人で、名前付きまで含めれば10人はいる。
紫苑が敵ではなかったとしても、人数的にいないのは異常だ。
そして、もちろんここにも雷閃や美桜、海音の姿はない……
彼が御所の屋根に立ってから、影で探っても移動して見回ってみても、まったく見かけていなかった。
(まさか、前線以外で密かに他の四天王を潰している……?
しかし、それができるのは死鬼のみ。
もし合っていたとしても、依然名前付きの行方は……)
彼は持ち直した部下たちを見守りながら、死鬼や名前付きの鬼たちの行動を考え続ける。
その結論は、名前付きに関してははわからない。
だが、もし死鬼が今いる面子に対して何か狙っているなら、やはり行方不明の四天王だろう……ということだった。
仮にこの場に雷閃辺りがいたのなら、影綱が来たことで一騎打ちを続けられなかっただろう。
ここじゃなくとも、前線はどこも影綱や他の四天王がやってくる可能性が高いので一騎打ちには向いていない。
そもそも乱戦では、下っ端も気にかけないといけないので論外だ。
(わざわざ裏でやらずとも、被害を減らすために私が隔離したというのに……茨木め。組み合わせのためにここまで……)
影綱が一度はある程度減らしたので、侍達は戦線を維持できている。そのため彼は、前線にいる必要はないと判断して御所へ向かい始めた。
御所を中心に、まだ妖怪や妖鬼族がやってきていない範囲に死鬼は潜んでいるはずだ、と。
「……っ!!」
だが、その場からほんの少し離れただけで彼に1つの人影が近づいてきた。その人影は、どんな方法でか影の中を泳ぐ影綱を大剣で的確に捉え、彼に防御を余儀なくさせる。
「久しぶりだな……!! 影綱ッ……!!」
「ふん、茨木童子ですか……」
人影――茨木童子は話しかけながら腕を振り抜くと、影の中の影綱どころか家屋までまとめて吹き飛ばす。
これまで幕府側は街の被害も抑えようとしてきたが、死鬼が相手だとそう上手くもいかない。
奇襲だったこともあり、影綱と共に家屋約10軒は倒壊した。
しかし、影綱本人はまったくの無傷だ。
家への衝撃は無理でも、自身への衝撃はほとんど受け流し、一二軒程度しか吹き飛ばされなかった。
そして、吹き飛ばされた体が止まると、影綱はゆっくり立ち上がって茨木童子に話しかける。
「……星熊童子達はどこですか?」
「やはり目敏い……彼らはとある神を足止めしている」
「とある、神……?」
「ふっ……知らぬのならばそれでいい。
某の役目は、貴様をここで足止めすることだ」
「……なるほど、海音ですね?」
「……」
影綱は少し考えてそう問いかけるが、茨木童子は沈黙を保ったままだった。表情にもまるで変化がなく、彼の問いかけが合っているのかを察することはできない。
しかし、影綱の中では結論が出たようだ。
終始裏方に徹していた彼だったが、ついに腰から刀を抜いて茨木童子に言い放つ。
「ならば私は、雷閃と美桜を信じるまで。
あなたをここで殺しましょう」
「それでいい。互いに名を背負っている者同士。
存分に楽しむとしよう」
獲物を定めた影綱の言葉に、茨木童子は笑みを浮かべながら満足そうにうなずいた。
そして、影を纏う影綱に向かって一気に距離を詰める。
影に姿を隠していく影綱に対して、茨木童子は霧のように姿を曖昧にさせながら……
"不知火流-朧火"
"羅生門-霧の乱舞"
彼らは互いに曖昧な形をした剣技を放つ。
それぞれ影と霧で、とらえどころのない軌道、無数の刀影、大きさすら揺らぐ変幻自在の連撃を。
「人は、殺し合いを楽しまないッ……!!」
「鬼は、獣なのだろうッ……!?」
2つの技は激突し、影と霧には真逆であるはずのまばゆい火花を散らす。同時に互いの口から漏れるのは、あなたは鬼人である、私は鬼であるという問答だ。
永く差別され続けてきた、鬼人。
彼ら妖鬼族の恨みは消えない。
彼らの悲しみや恐怖は癒えない。
かろうじて恨みが少ないのは、長く生きた者の中でも人から異形へと変わった世代ではなく、後から生まれた世代だけだ。
それも特に強力な、己の力を制御して人の形に極限まで近づき、偏見無しの人と接したごく一部。
そして人間側もまた、妖鬼族への恐怖は消えない。
理解しようとしても、わかり合おうとしても、それは一部の力ある者だけでしかなく叶わない。
だが、その芽はたしか彼らの中に……
雷閃と酒呑童子。
お互いに主がいるものとして、決して譲ることのできない戦いが始まった。