132-多邇具久命
ドール達との別行動を始めた俺達は、先程よりもスムーズに森の中を飛び進む。
地面に足をつけていた真神や吾輩だと、どうしても木の根や草むら、岩などに道を遮られるが、射楯大神の通る空中には幹以外に何もないから、その分早く進めるようだ。
彼は、俺達を追ってきた時と同じくほぼ無音で羽ばたいて、肩肘を張らずに気楽に飛んでいた。
やはり森を領分と言うだけのことはあるな……
それに激突に気をつけろというのも、どうやら冗談か何かだったらしい。俺達は、多邇具久命を探すのすら彼に任せて、のんびりと飛行を楽しむことができていた。
……うん。逃げてよかった。
まぁしがみつくのも、そこまで楽って訳ではないけど……獅童とは話すどころか、近くにいるだけで苦労しそうだ。
俺は海音を助けたいとは思ったけど、海音みたいになってまで何かしようって訳ではないからな。
任せられるところは、遠慮なく放り投げる。
移動も神獣たちを頼りっぱなしだし……
射楯大神の背は他の神獣よりは多少疲れるが、歩きや馬車の操縦で気を張るよりは全然いい。
ライアンとロロも、俺より体力があったりしがみつくのに慣れているので、リラックスしている。
「どこまで行っても巨大だな〜。
動物はあんまり見かけないけどよ〜」
「そりゃあねぇ。のんびりしてる時はならともかく、飛んでるミーの邪魔なんて誰もしないよ。飛び方によっちゃあ、ぶつかるだけで死んじゃうかも。かも? かも!!」
「……オイラもそうなれるかなー?」
「神獣ならなれるさ。長生きして、心を強めなよ。
そしたらみんな餌だ。食べちゃえ」
「やめろ。そして前を向いてくれ……!!」
黙って聞いていると、射楯大神は飛行中にも関わらず頭を後ろに向けて、危ないことを言い出した。
前半だけ聞いてりゃロロにとって励ましになる言葉だが、最後の一言がとんでもない。
そんなことになったら、夜刀神と同じじゃねぇか!!
他の神獣や聖人、魔人に叩き潰されてしまう。
というか、まず前見ていないのが危なすぎる……!!
気を抜いてほっといたら、本当に激突するところだったぞ……
「まぁ、何にせよ大っきくなることだよな〜」
「長そうだね……でも、オイラがんばるよ」
「お〜頑張れ〜」
正直、射楯大神は参加すると後ろを向くので、入ってこないでほしいな。彼の行動には少しハラハラさせられる。
だが飛行自体は順調で、一瞬後ろを向いても結局激突はしない。樹木もどんどん後ろに流れていき、景色にもだんだんとなだらかな土から、ゴツゴツした岩が多くなっていた。
背に乗る俺達の間にも、のんびりとした空気が漂っている。
……あ、そういえば。
彼に頼り切ってめちゃくちゃのんびりしてるけど、知ってる訳ではなかったんだよな……どこに向かってるんだろう?
景色は少しずつ変わってきてるけど……
「なぁ射楯大神。結局これどこ向かってるんだ?」
「えっとねぇ、彼は蛙じゃない? だから、そこら辺の泥の中とか、谷底の水辺にいたりするんだよね」
「つまり、谷底か?」
「イエース、谷底!! 戸隠峡谷!! 水辺だ!! 泥沼だ!!」
「わかったわかった……」
どこに行く、とは断言しなかったので確認すると、彼は狂ったように同じ場所をいろいろな言い方で言い始めた。
何が楽しいのか、皆目見当もつかない……
とりあえずしがみついている手を片方離し、なでて落ち着かせる。あんまり期待してなかったけど、一応は当てがあったんだな……
会話が噛み合わないと思ってたけど、口に出さない部分では案外ちゃんとしているようで、少し見直した。
引きこもりの吾輩よりも断然考えている。
まぁ、それを踏まえても吾輩の方が安心できるけど……
……と、そんなことを考えている間に、目の前にある木々の隙間から光が漏れ始めた。
谷が近づいてきて、光が多く届いているようだ。
さっきまで暗く目に映っていたからか、木々も奥地より健康そうに見える。
「うん。ということで、もう着くよ。でも、落ちないようにね? 落ちてもミーは助けられないからね?
痛くしていいなら鷲掴みにするけどさ」
「わかったわかった……ちゃんとしがみつくから」
彼は谷へ着くことを予告すると、また何度も繰り返すように似たような注意を言い始めた。
落ちるな。助けられない。助けられても痛い。
目的地もそうだったけど、めちゃくちゃ強調してくるな……
ただ注意されるよりも気をつけようって気持ちになる。
……外国を回っていたからか?
まるで普段から危険を誰かに教えることがある、もしくは自分に言い聞かせることがあるように注意喚起が上手い。
俺達はもちろんそれに従い、さっきよりも強く彼にしがみついて森を突き抜けた。
俺達が森を抜けると、その先にあったのは思ったよりも小さく、そして思ったよりも暗い谷だった。
たしかに他よりは光が入っているが、狭いせいで谷の上にも分厚い木の葉が被っていて暗くなっている。
岩戸にある、宇迦之御魂神の祭壇があった崖はかなり明るく幻想的だったので、てっきり多邇具久命も暖かな泥や水辺でのんびりしてるのかと……
「さぁさ、降りるよ。落ちたら獣たちの餌だね!!」
俺が予想外の光景に目を奪われていると、射楯大神はまるでそれを見ていたかのように、また注意喚起をしてきた。
やはり伝え方が独特で、すごく気を付けたくなる。
最悪……かはわからないが、悪い状況の例がめちゃくちゃ具体的だ。
というか、よくわかったな……?
話す時は大体頭を後ろに回してくるけど、普通に目玉が後頭部にもあったりするのか……?
少し気になったが、まずは注意してくれた通り体をしっかり固定してからお礼を言う。
「いちいち物騒なんだよな……!! けど、ありがとう‥」
「ふっふ〜!! とっつげき〜!!」
「っておいおい……!?」
「あっはっは〜!!」
「うにゃあ!?」
すると、彼は俺の言葉を聞き終わる前に谷底へ急降下し始めた。話の途中で急降下とか、注意した意味がかなりなくなるんだけど……!?
しかも、わざわざ急降下しなくても……!!
唯一ライアンだけは楽しそうに、俺達は射楯大神に必死にしがみついて谷底へと降りていった。
~~~~~~~~~~
「イヤッホ〜!!」
「ああぁぁぁ……!!」
「うにゃあぁ……!!」
「あっはっは〜!!」
谷は狭く、暗く、そして……深い!!
そのため、急降下なんて危なすぎるはずなのだが、射楯大神は器用に体勢を保って谷底へと落ちていく……!!
おそらくここに来る時はいつもこうしているのだろう……
とても慣れた様子で、迷いも怯えもまるでない。
ただ、それはもちろん射楯大神だけだ!!
俺達は……いや、俺とロロはちゃくちゃ怖いし、ふざけるなと怒鳴りつけたい……いや、あとで怒鳴る!!
本当に……本当に……心の底から、相談もなくいきなり急降下とか頭がおかしいだろと叫びたいッ……!!
せっかく飛べるんだから、普通にゆっくり降りてくれよ……!!
あと、激突に注意ってのはこれなのか……!?
どうやって注意するんだよ……!!
俺が叫びながら心の中で毒づいていると、このスピードなのですぐに谷底まで辿り着く。
また登る時に同じ体験をするかもしれないが、ひとまず一息つける……
「ああぁぁ……!! よ、ようやく……」
「ほぅれ〜い!!」
だが、危険な急降下が終わり、ちゃんと地面に足をつけられると安心していると、彼はそのまま横向きに飛び始める。
どうやらこの狭い谷底を、飛びながら探すつもりらしい……!!
左右はギザギザしている崖なんだぞ……!? 正気か……!?
もし激突したり、羽をぶつけて墜落したりでもしたら……!!
俺が再び恐怖していると、彼は実に楽しそうに、本当にいるかもわからない多邇具久命に呼びかけ始める。
「多邇具久〜!! ミーがやってきたぞ〜!!
急に目に入ったら爪で串刺しにしちゃうから、いるなら早めに出てきてね〜!! 潰れるよ〜!!」
……やっぱり物騒だ。
というかこれ、探すじゃなくて呼びつけるだろ……!?
谷川や泥にいるかもしれないのに、こんなスピードじゃ絶対に目に入らない。
こんなことを言うからには、ちゃんと仲がいいんだろうな……!?
もしもこいつの一方的な友情だったなら、いくら一番人間に親しんでいる神獣であっても、激怒して協力を拒否するんじゃないか……!?
ちくしょう、もう嫌だ……
何でこの国のやつらはみんな頭おかしいんだよ……!!
サボり魔共はまとめて自由気ままで、プラス獅童は怪物、美桜は寝すぎ、雷閃は方向音痴。
影綱と海音は引くほど仕事ばかりで、実際化け物じみた有能さだ。
紫苑は人の形をしているが、鬼人だから人間の感性とは違って無理やり団子食べさせてくるし、常識が通用しない。
こいつも会話が噛み合わないし行動も無茶苦茶。
大口真神も思ってたよりも感性が違う。
夜刀神は唯一戦った守護神獣だというのに、中身は素直でただ勘違いしてただけ……あれ、吾輩は結構まともだな……?
なんか一緒にしちゃって申し訳ない……帰ったら謝ろう。
……うん。なんか、毒づいたら冷静になったな。
ふぅ……
俺も気持ちが落ち着いたし、このスピードにも少し慣れてきたので、顔を横に出して何かいないか探してみることにする。
できれば、多邇具久命が怒りながら出てくる前に見つけて、射楯大神をさっさと黙らせたい。
正直、一番近くにいる俺達が一番の被害者だ。うるさい。
するとちょうどその時、少し先にある泥が盛り上がった。
あそこに何かいる……?
「うるっさいのー……誰じゃ?
儂と遊びたい子でもおるのか?」
「おお〜、多邇具久〜。ミーだよぅ」
どうやら泥から顔を出したのは多邇具久命だったらしい。
射楯大神は彼を見るとスピードを緩め、嬉しそうに声をかける。
だが、多邇具久命は嬉しくなかったようだ。
しばらくこちらを眺めた後、何事もなかったかのように泥に潜り込み始めた。
「…………おやすみ」
「寝ないでおくれよ!? ミーだって!! え、見たよね?
ミーに気づいたよね? え、気づいてない?
ううん気づいたよ!? ちょっと〜、蛙爺さん!?」
「うるっさいのー……お主は儂と遊びたい訳じゃなかろう?
儂は人間や獣の子なんかとの遊び以外に興味ないんじゃ」
「人間イルヨ〜。子どもじゃないけど、まだ若い子たちさ」
「む……?」
射楯大神は最初、俺達を追ってきた時のように騒がしくまくし立てていたが、多邇具久命が人間と遊ぶと言ったのを聞いて、背中から俺達を放り出した。
……おい!!
「痛って……!!」
「あっはっは〜、まさかの展開に俺もびっくりだ〜」
「呑気かよ」
俺達は、彼が飛行を止めたので力を抜いており、抵抗などできるはずもなく泥の上に投げ出された。
汚れたし……!! それはいいとしても、普通に痛ぇよ……!!
だが多邇具久命の方はというと、俺とは真逆で嬉しそうに笑みをこぼした。本当に友好的だ……
「おお、嘘じゃないのか」
「いやいや、ミーは隠神刑部じゃないんだよ?
まさか狸に見えてる? 見えてないよね?」
「うるさいと言っておろうが」
彼はまた口を挟んだ射楯大神を鬱陶しそうに見ながら、泥の中から立ち上がってくる。
だがそれは後ろにいる射楯大神を見る時だけで、視線を下げて俺達を見る時には、また笑顔に戻っていた。
「いやはや……こんなところまで来る子なんて久しぶりじゃ」
「そうなんですか?」
「まぁ楽にせい。……遊びに来た訳ではなさそうじゃが」
「ああ。頼み事があって……」
彼はそのまま話を聞いてくれそうだったので、俺はいつものように妖怪と妖鬼族が攻めてくるらしいことを伝え、助力を頼む。
今回は、先に幕府の下っ端が暴走したことも謝っているし、上層部にも伝わっていること、何か対処をするだろうしお詫びもするだろうことも言った。
あとは彼の心次第だ。
俺達は、固唾を呑んで返事を待つ。
「うむ。いいじゃろう。協力しよう」
「いいのか? ありがとう」
「ゲコココ。儂が子ども達の願いを無下にすると思うたのか? それに、特に襲われたりもしてないでの……」
「え!?」
俺達の表情から驚きか何かを読み取ったのか、彼は不思議だが蛙らしい笑い声を上げると補足説明をしてくれる。
彼も大口真神と同じように、人間をもれなく子どもと見ているのは置いておくとして……
確認していない場合を除けば、この国にいて襲われていないってのは初じゃないか? どういうことだろう……?
すると彼は、やはり表情から察して口を開いてくれた。
「儂は他のと違い、かなり交流を持っておったからの。
勘違いも暴走も起こるはずがないということじゃ」
「なるほど……」
夜刀神はそもそも人に恐れられる神だった。
かつては本当に人間を食べていたらしいのだから、襲われても当然だ。
大口真神と宇迦之御魂神は、最初から今までずっと人間の味方をしているはずだが、なにせ会わない。
勘違いする人がいても仕方がないのかもしれない。
「まぁ時間はあるようじゃが、それはそれとして急いだ方がいいじゃろう。射楯、運べるかの?」
「任せてよ。多邇具久なら掴むくらい耐えられるでしょ?
激突じゃなきゃさ」
「そうじゃな、流石に儂はお主に乗れんからの。
そうしてもらうとしよう」
俺が考え事をしている間に、守護神獣たちは出発の準備をし始める。多邇具久命は友好的な神なだけあって、とても俺達の事情も汲み取ってくれるな……
よく人と遊んでいたようだし、一番まともそうだ。
射楯大神が多邇具久命の背中を掴んだのを確認すると、俺達も来る時と同じように彼の背中に乗る。
夜刀神。大口真神。射楯大神。そして多邇具久命。
これで4柱目の守護神獣だ。
半分の助力を得られたのはありがたいな……
「は〜い。じゃあ激突しないように気をつけてね〜。
特に多邇具久、ぶら下がってるだけだしさ」
「ただぶら下がっとるだけなのに、何を気をつけるんじゃ」
「へっへ〜」
守護神獣たちは、最後にまた少し掛け合いをしてから出発する。俺はかなりの達成感に浮かれながら、射楯大神に乗って戸隠峡谷を飛び出した。
守護神獣で1番安心感ある人(蛙)です。
真神ちょっと怖いし……好々爺っていいですよね。