123-執権、影綱・後編
俺達は時平が淹れてくれたお茶を飲みつつ、のんびりと影綱の仕事ぶりを眺めながら話して時間をつぶす。
特に声を潜めてはいないので聞こえているはずだが、彼は本当に一言も話さない。
ものすごい集中力で、みるみるうちに書類の山が左から右へと移っていく。
本来は時平も一緒にやるはずだったと思うんだけど……
まぁ影綱は何も言ってこないし、別に問題はないのかもしれない。
全部署をまとめるのは、この2人だけのはずなんだけどな……
幹部陣の大部分を野放しにしているだけあって懐が深い。
……別に嫌味という訳ではなく、本気でそう思う。
もはや狂気的だ。
けど、海音も雷閃達のことを知っているようだし、特に用事はないから放っておこう。
神秘に成るようなやつは、変なやつが多い。
触らぬ神に祟りなしだ。
それよりもこの人だな……
俺はおぞましい仕事ぶりの影綱から、ドールと話している時平へと視線を移した。
幕府の首脳陣はもれなく神秘と聞いている。
だけど、雷閃四天王ではないこの人はどうなんだろう?
めちゃくちゃまともな人に見えるけど……
「どうかされましたか?」
「いや……」
俺の視線に気づいた時平が首を傾げるが、俺はお茶を手にとって答えをぼかす。
つい神秘に成るような人はどこかおかしい人ばかり……といった風に考えてしまったから、少しバツが悪い。
特にこの国の聖人達は、サボる美桜、雷閃、橘獅童と、神秘のはずなのに意志が強いとは思えない人達ばかりだった。
それに、海音は海音で紫苑なんかと同じような浮世離れした感じだし、影綱は仕事スピードがどうかしている。
正直、魔人と違って正の感情で成ったはずなのに、ここまで異質に見えるのはおかしいと思う。
マキナやニコライのような、ずっと引きこもっていそうな研究職じゃないんだし。
まぁ、魔人なのにまともな俺達も大概かもしれないけど……
これは負の感情が外に向いてないってだけだろう。
正常だ。
「そうですか……みなさんは、晴雲様の助言を受けて守護神獣を探しているのですよね? 彼らの様子はどうでした?」
すると何を思ったのか、彼はさっきまでドールに聞いていた目的――人探しをしているという話の延長線上にあることを聞いてきた。
暇しているとでも思ったのかもしれない。
「夜刀神とは仲良くなったよ。白兎大明神ともうまく付き合えそうだ。宇迦之御魂神は取り付く島もなかったけど……」
「噂には聞いていましたが、案外順調にいってるようですね。よかったです」
「そうだな……」
噂というと……神獣達の人間への不信感のことだろうか……?
正直知っていたなら部下をちゃんと指導してほしいものだけど……この人も忙しいんだろうから仕方がない。
今は休んでいるが、大裳に頼まれてるんだもんな。
「まぁ俺達の話はこんなところだろ。
あんたは普段、どんなことしてるんだ?」
ドールが仲間を探して来たことや助言を受けて守護神獣に会いに行っていること、サボっているやつらや紫苑を見つけた経緯なんかは話していた。
彼女は飛ばしていたが、今俺が神獣と会った結果を教えたので、もうこちらから話すことはないだろう。
とすると、やっぱり暇なので聞いてみる。
2人しかいない、幕府を実質的に仕切る立場の人なのだから、海音のように勝手に仕事を増やしていく人じゃないと信じつつ……
「そうですね……本来の領分だと、問注所、政所、侍所から上がってくるものすべてをチェックしたりですかね。しかし、最近は政所の仕事も3分の1は入ってきていますし、問注所も、海音さんが侍所の指揮を執っているので、半分は入ってきますね。あとは……海音さんの行きどかない範囲で、各部署の管理をしています……が、私の声、部下に届きにくいんですよね。その分大変です」
彼はなんてことないように言うが、仕事量は少なくとも普段の2倍はある。声が届きにくいというのは……大きさの話か?
ああ……本当に過労だ。
どうやら本当に仕事の少なそうな雷閃はともかくとして……
美桜と橘獅童がサボっていることからは、とてつもないしわ寄せが来ている。
「大変だな……」
「えぇ……本当に……今もみなさんのおかげで休めていますので、とても感謝しております」
海音の話ではサボっているという話が多くを占めていたし、美桜の話では各部署の仕事内容が多くを占めていた。
なので、ぼんやりと大変そうだとしかわからなかったのだが、時平の話で実際の被害を聞くと、よりその過酷さが理解できた。
労いに対する彼の反応も、海音と違って本気で辛そうだ。
彼女も大変ではあっただろうが、どこか他人事のようだったからな……
時平が、疲れをにじませた顔に薄っすらと涙を浮かべていると、俺まで辛くなってくる。
「美桜さんはもう仕事に戻っていますし、これからは普通に休めますよ……」
「そうだよーよかったねー」
「ええ、ありがとうございます。
それに、君にも癒やされるよ……ロロくんだったかな?」
「そう!! オイラ、ロロ!!」
ドールが励ましロロが同意すると、彼はロロに対して優しい視線を向けた。とても穏やかで幸せそうな表情だ。
……宇迦之御魂神は、神獣と人が仲良くなることに驚いていたけど、それは獣側から見た場合だけなのかもしれない。
吾輩との話でも、幕府の下っ端が暴走しているだけ……みたいな話になったしな……
一方的に嫌われていそうだ。
「神獣ですか……」
「うわっ……!! いつの間に……!!」
「ええ、こんにちは。仕事が終わりました」
俺達がロロと戯れる時平を見て、ホッと一息つき和んでいると、突然後ろから声をかけられる。
驚いて振り向いてみると、そこにいたのは顎に手を添えてこちらを覗き込む影綱だ。
さっきまで奥の机で仕事をしていたはずなのに……
しかも全く気が付かないなんてあるか……?
今俺達が座っているテーブルは横長で、彼がいたのは横方向だった。常に視界に入ることはない。
なので真正面から見ているよりは気づきにくいだろうが、それでもやっぱり人並み外れている動きだ。
今も彼は、滑らかな動きでお茶を淹れ、席についている。
時平の出した急須を揺るぎなく扱う様は、まるでその道のプロだ。
「……海音さんに頼まれて、雷閃さん、美桜さん、紫苑さんなどを連れてきました」
お茶を淹れ終わった彼が座るのを確認すると、ドールは少し迷いながらも影綱に報告をする。
俺と同じく、影綱が大裳の報告にまったく返事をしていなかったので、聞いていないと思ったらしい。
「ああ、一応話は全部耳に入ってます。ご苦労さまです」
「あ、いえ……」
しかし、彼は意外にも耳に入れていたようだ。
お茶の香りを楽しみながら、労いの言葉まで口にする。
有能……
というかあの人の報告は、雷閃は勝手に帰ってきたみたいな言い方だった気がする。
しかし今彼が耳に入っていると言ったのは、俺達が連れてきたというもの……
え?
もしかして、仕事しながら会話にも耳を傾けていた……!?
有能どころの話じゃないな……化け物だ。
ついでに美桜の補佐官っぽい大裳は大丈夫か……?
たしかに俺達が連れてきたとは言い難い状況だったけど、報告が正しくないって、結構ポンコツじゃね……?
そんなことを考えていると、影綱は俺を見据えて深い笑みを浮かべる。え、何……?
「大裳は優秀ですよ。世の中に完璧な存在などいないのですから、致命的なミス以外はミスと言うべきじゃありせん」
「あー……そうかもな……」
「ふふ。庇ったり大げさに言っている訳ではありませんよ?
人は補い合って完璧を目指した生き物です。ミスを補填できる者がいるのであれば、それはただの成長なのですよ」
「いや、それよりも考えていることを読まれたのがな……?」
彼は俺が言葉に詰まる様子を見せたからか、さらにわかりやすく説明をしてくれる。
たしかに、完璧はないから致命的じゃなければミスじゃない、だけでは意図が伝わりにくくはあった。
だがそれよりも、口を開いていないのに答えられたことの方が戸惑いが大きい。
しかも、初めてじゃないんだよな……
「ああ、なるほど。なんと言うか……仕事柄生まれた、私の趣味ですよ。ほとんど2人だけで幕府を管理しているのでね。
つい情報収集をしてしまったり、その情報や状況から、部下の意図を読み取る癖があるんです」
「うん、今癖って言ったな。趣味じゃないだろ」
「ははは。ちゃんと趣味でもありますよ。
だって、今は仕事中じゃないですから」
俺が思わず突っ込むと、彼は愉快そうに笑いながら顎に手を添え、首を傾けてた。
……どうやら、海音よりもよっぽど重症らしい。
仕事が終わっても癖が抜けないだなんて……これが職業病か。
するとやはり考えを読まれたようで、彼は苦笑しながら否定してくる。
「生活に害がある訳でもないですからねぇ……病気という程でも。ところで雷閃はどんな感じでした?」
「んー……遭難してたぞ」
「……遭難。まぁあいつはそうなるか……」
どんな感じかと聞かれて真っ先に思い浮かんだのは、海に浮かんでいたという衝撃的な光景だ。
なので、素直にそれを口にしたのだが、彼は意外にも驚くことがなかった。
しかも、大裳や時平のように様付けでもない。
将軍という国のトップに対する態度ではない気がする……
まるで、付き合いの長い親友のような理解度と気安さだ。
……もちろんこれも読まれて、また笑みを向けられる。
俺ばかり思考を読まれているので、この人の考えていることがわかりにくい……
「意外ですか?」
「まぁな。何がとかは言う必要ないよな?」
「ええ、わかっています。そう、ですね……
私とあいつは、いわゆる幼馴染というやつでして。
命を助けられたこともあるので、絶対の信頼を寄せているのですよ。部下達なんかの前ではちゃんとしてますがね」
「えぇ……」
あの遭難者が、この化け物みたいな影綱の命を助けた……?
1人でとんでものい仕事量をこなすわ、思考を読むわ、聖人である以前にスペックが段違いだろ。
聖人なら戦闘能力も高いだろうし……
それに対して雷閃は、まず遭難してたし、地図読めないし、マイペースでありながら人には逆らわない……
強いことは強いのだろうけど、ちょっと比べるまでもない感じがする。
「ははは。あいつはすごいやつですよ。
草舟に見えて、要所要所で必要なことは外さない」
どこまで読んでいるのか知らないが、やはり彼は笑う。
迷子になるような人でも、自由にさせてもいいと思えるくらいの信頼か……
「とりあえず、病的に信頼してるのはよくわかったよ」
「ふふ。ならよかった。……そろそろあいつも来る頃でしょう。獅童さんを捕まえに行きますかね……」
彼はそう言いながら立ち上がると、部屋の外へと視線を向ける。特に誰か来そうな気配はないけど……
来るのに探しに行くのか……?
少し疑問に思ったが、彼が探すというのならその方がいいのだろうと軽く腰を浮かしかける。
しかし彼は、そんな俺に静止をかけると自分だけ外に歩いていく。
「そういえば、あなた方の仲間に狐はいますか?
宇迦之御魂神様以外で」
「いないけど……」
「なるほど……」
影綱は探しに行く直前に立ち止まり、今思い出したといった風に聞いてくるが、ちょっと意図がよくわからない。
だが俺達が戸惑っていると、彼はそれを教えてくれることなくそのまま出発しようとし始めた。
「みなさんは待っていてください。時平、お願いしますね」
「ええ、お任せを」
どうやら影綱は、大裳と同じく、時平に俺達のことを任せて別のこと――彼の場合は橘獅童探しをするようだ。
この2人が幕府を仕切ってるっていう話だったけど、あくまでも時平は影綱の補佐。けっこう損な役回りしてんだな……
というか、1人で探せるのか?
雷閃達が来てから全員で探した方が楽な気がするんだけど……
「私も聖人ですからね。今のあなたは完全ではないようですし、任せておいてください」
彼はやはり思考を読んでくる。
しかも、チルがいないことまでお見通しだ。
……どうかしてんだろ。
"雷光の影"
「は!?」
「えっ……!?」
俺が呆れつつも影綱を見送ろうとしていると、彼は部屋の外へ出ることなく、その場で沈み始めた。
まるでここが海かのように、自然に床をすり抜けていく。
いや、一体全体どういうことだよ……!?
「あれは、雷閃様の影としてあの方が得た力です。
派手な力ではないですが、影に潜ることで探しものも楽に探せるんですよ」
俺達が驚いていると、時平が湯呑にお茶を注ぎながら教えてくれる。どうやら普段から探しものに使われてるようだ。
……贅沢な使い道!! 俺も似たようなもんか……
「なるほど……戦闘以外での使い道が多そうですね」
俺達は、たしかに影綱に任せておけば大丈夫そうだと思い、大人しくその場で待つことにした。
影綱かっこいい……