114-白兎
海は島のごとく固く凍りつき、空からは巨大な亀と美しい女性が降ってくる今日この頃。
俺達は絶賛混乱中だった。
「……」
「あ……あ……」
「雷閃ちゃ〜ん!!」
「……」
「あ……ああ……あ……」
……ふぅ。
……美桜って残酷な人なのか?
とりあえず朱雀と巨大な亀は消されたが、押し潰されたという事実は消えないので雷閃は息も絶え絶えだ。
白目をむいて痙攣しているし、口からは泡を吹いている。
しかも、降ってくる時に美桜が言ったセリフがひどい。
「死んじゃだめ」だ。
それなのに、むしろあんたが殺しかけているぞ、としか言えない状況になっている。
……うーん。これはどうすれば……?
ひとまず……えと、これはヤバい状況なのか?
なんか、本当に混乱してて理解できねぇ……
「あ……あ……ああ、三途……の、川だぁ……綺麗……だなぁ……」
「ここに川、ないよ〜!! う、み、だ、よ〜!!」
美桜は悲痛そうに叫んでいるが、さっきまでと打って変わって両肩を持って揺さぶっている。
明らかにやっちゃだめな対応……だよな?
聖人として長生きしていると思われるこの人が、こんなヘマするか……? 大ダメージを受けたけど、命には別条ない。
そのくらいのような気がしてくる。
……まぁそれはそれとして、うちの回復要員はロロだけだしやってもらうか。
「ロロ、あれは治せるか?」
「え……? あ、そうだった。治す。治すよー」
離れて固まっているロロに頼むと、どうやら彼は能力のことを失念していたらしく、弾かれたように駆け寄る。
「なめさせてー?」
そして一応美桜に声をかけると、痙攣を続ける雷閃を一舐めした。すると、心做しか呼吸が落ち着いた気がする。
だが当然まだ治りはしないので、続けて二度、三度と舐めると……
「うぐ、痛てて……いやぁ、死ぬかと思ったよ……」
雷閃は薄っすらと目を開け、頭を掻きながらどうにか起き上がった。
ロロが舐め始めてからは美桜が斜めに支えていたので、今の状態でも立ち上がることができたようだ。
海で溺れて、鮫に食いつかれ、海に引きずり込まれ、巨大な亀に押し潰される……
もしかしたら不幸体質なのかもしれない。
海音の話してくれた特徴には、たしかあまり人に逆らわないということが上げられていた。
それだけでも不安感があったのに、さらに不幸体質もあるというのなら、いよいよこの人が将軍で大丈夫なのかと不安になってしまう。
だが、彼は俺達の不安感など吹き飛ばすぞ、と言わんばかりに柔らかな声でほのぼのと会話を始める。
死にかけたはずなのにノリが軽い……
「あ〜よかった〜。ありがとうね〜ロロちゃん」
「お安いごようだよー」
「おや……? 随分と格の高そうな神獣様だねぇ。
美桜ねぇ……美桜」
雷閃が起き上がってホッとしていると、またしても強い衝撃が俺を襲う。美桜ねぇ……? 聞き間違いか?
「だよね〜。この子はロロちゃんっていって、こっちの子の……相棒みたいな子なんだよ。ね〜」
「ちがうよ!! クローはオイラの親がわりだよー!!」
「へー……そっかー……ちゃんと仲の良い子達もいるんだねぇ。
良くて敵対しないくらいだと……って、夜刀神様ぁ!!」
俺が衝撃を受けて固まっていると、突然雷閃が大きく声を上げた。話はまったく聞いていなかったので、なんと言ったのかはわからない。
しかし、八咫国の将軍である彼が驚く程のことだ。
下らないことではないはず……
俺は反射で体を飛び跳ねさせながらも、彼が見ている方向を見やる。
「うむ、吾輩だ」
「いやぁ……ついに外に出てきたんですね〜。感慨深いなぁ」
「ふっふっふ……吾輩だって外にくらい出るわ。狩りなどな」
「あは〜。そんなつまらない話じゃないってわかってるんでしょー? もー意地悪だなぁ」
そこにいたのは人型の夜刀神だが、どうやら雷閃は人型の彼のことも知っていたようだ。
驚くほど仲よさげに雑談を始める。
……大体わかったかな?
多分この将軍――嵯峨雷閃は、海音が言っていた通りの人に流されやすい性格だ。
正直、幕府の将軍がそんなことあるか……?
もしかして誇張なんじゃないか……?
などと考えていたが、この物腰の柔らかさや夜刀への接し方を見ると、もう迷いなく言い切れる。
この人は、他人に、流されやすい!!
……マジでこの人が将軍でいいのか?
俺が脱力しながらそれを眺めていると、しばらくして彼も視線に気がついたのか、こちらに目を向ける。
正面から見ると案外するど……
「こんにちはぁ。僕は嵯峨雷閃っていいます。君達は?」
……くない?
一瞬鋭い視線を感じた気がしたが、彼は俺達――おそらく俺、ライアン、ドールの3人に向かって話しかけると、急に柔らかな印象になった。
普通に優しい人物だと思っていいのか……?
もしかしたら、将軍だという先入観から錯覚してしまったのかもしれない。
「俺はクロウ」
「俺〜ライアン」
「ドールです」
「話には聞いていますよー。……えと、みなさん。
なんで夜刀神様と一緒にいらっしゃるんです?」
彼は俺達の名前を聞くと、にこやかに質問してくる。
だけど……話には聞いている?
明らかに知らないから出てくる質問なのに、なんでわざわざそんなことを言うのか、ちょっとよくわからない。
これが海音の「人に流されやすい」という評価ってことか……?
国のトップである将軍のはずなのに、どこかへりくだるような話し方だ。
俺は少しこの扱いにむず痒さを感じたが、丁寧すぎる言葉遣いの人だと割り切ることにして普通に答える。
仲良くなれば、そのうち普通に話してくれようになるだろう。
「晴雲に、守護神獣を引っ張り出せって助言を受けたんだ。
それで会ってみたら、ついてきてくれた」
「ああー……あの人ですかぁ……」
「……何かあるのか?」
俺としては、幕府関係者の助言なのでそれだけ言えば問題ないという思いがあった。
俺達個人の目的だとしても、それ以外だとしても、関係者の助言を受けて、美桜も同行しているのだから間違いはない。
だが雷閃は、何故か少し考え込むような様子を見せた。
神を連れている理由としては弱いのか……?
なら、百鬼夜行が攻めて来るという占い結果を伝えて、必死に勝ち取った信頼だとアピールを……
「そうですね〜……頼りにはなるんですけど、何を考えているのかわからない所があるといいますかぁ……
このタイミングで守護神獣なんだなぁ〜……って思いまして」
「そうなのか? でも愛宕に攻撃があるからっていう理由だし、幕府関係者なら問題ないだろ? 頑張った結果だよ」
それに、何を考えているかわからないのは彼らも同じだ。
俺からしてみれば、真面目に仕事してる海音以外の幕府幹部はみんな何を考えているかわからない。
サボって詩を詠ったり、どこでも寝たりする美桜も、サボって何をしていたのかもわからず、どういう訳か自国内で遭難していた雷閃も。
晴雲含め、みんな掴みどころがなさすぎる。
そんな何を考えているかわからない雷閃は、さっきまで死にかけていたとは思えない優しげな笑顔だ。
「ああ、彼らの怒りが溢れるとー。もうずっと守護神獣達の不信感は高まっていますし、妥当ではありますねー……
それで引っ張り出せるあなた方もすごーい!!
……ところで、ここはどこです?」
俺はあまりの話の変わりように、思わず固まってしまう。
いやまぁ……たしかに遭難してたなら、今いる場所がわからなくもなるだろう。
けど、今は妖怪や妖鬼族が愛宕に侵攻してくるっていう、なかなか重要な話をしてたはずなんだけど……?
それに、夜刀神っていう神を連れていることにもだいぶ驚いていたようだったのに、切り替えが早すぎないか?
もう納得したのか?
なんか、リューやシリアとは別の意味でやりにくい……
こんなにも下手に接してくる人なのに……
俺が何も言えないでいると、ロロと入れ替わって離れていたドールが近づいてきて話を引き継いでくれる。
ありがたい……
ちなみに美桜は、無事とわかったらもう興味がないのか白虎を呼び出して寝ていた。
いやまぁ、害はないけど……あんたそれでいいのかよ……
「ここは愛宕近海の海上です。麒麟さんの力で足場を作ってもらって、あなたが起きるのを待っていたんですよ」
「へぇ愛宕なんだぁ……随分と流され‥
あ、わざわざ見守ってくださり感謝です」
「い、いえ……」
どうなら愛宕の近くで溺れた訳ではないらしく、説明を受けた雷閃は少し驚いた様子で声を上げる。
占いは3日前なので、遭難したのは少なくとも4日は前のことになりそう……雷閃将軍やべぇな……
ドールはまだ彼の下手に出る接し方に慣れていないのか、少し戸惑い気味だ。
この人をどうするか決めたいけど、今はみんなペースを乱されているので、上手くまとまらないかもしれない。
律は彼には無関心だけど、海音の頼みを受けてないからな……
今のメンバーであの場にいたのは俺、ドール、ライアン、ロロ。
だがライアンは、何が面白いのかにやにやと笑いながら黙っている。俺とドールもあれだし、ロロは……
うん、単純に無理だ。
美桜起きてくれねぇかなぁ……
愛宕近いし、先に連行した方がいいのかなぁ……?
そしたら白兎に着くのは夜になるけど……
白兎大明神探しは店を回ることだし、少し覗いてくくらいはしたいかも……
「……お腹が空きました」
「はい?」
俺がどうにか思考を続けていると、雷閃は唐突に俺に声をかけてくる。……もう頭が真っ白だ。
「次の目的地はどこです? 愛宕? 白兎? 岩戸?
まぁどこにでも白兎亭はありますし、ついでに乗せていってもらえるとありがたいなぁ」
「おお、そうだな。乗っていくといい」
雷閃の言葉を受け、吾輩は喜々として立ち上がる。
そして、光りながら足場の端まで歩いていくと、勢いよく海に飛び込んだ。
まぁこの人は、言えば幕府に戻ってくれるっぽいし、今すぐ連行する必要はないか……?
というか、人に逆らわなくて流されやすいと言う割には、意外と自由人だな……
「さぁ乗り給え!! 白兎に向かって直行するぞ!!」
「助かりまーす。ほら美桜姉、起きて起きて」
「う〜ん……まじめちゃ〜ん、乗って〜……」
「まったく……仕方ないな」
本来の姿に戻った吾輩が、そう言いながら足場に体を預けると幕府陣はすぐさま乗り始める。
吾輩も含めて、彼らは俺達についてくる感じのはずなのに……
「あっはっは……!!」
ライアンも遂に大笑いしだすし……
「はぁ……雷閃。
俺達はたしかに助言を受けて守護神獣探しをしてるけど、海音に頼まれてあんたらも探してたんだからな」
「あ……」
俺が吾輩に乗りながら釘を刺しておくと、雷閃は目と口を丸くして俺を見返す。
この反応をするってことは、自覚はある様子……
「白兎の後は、ちゃんと幕府に戻ってもらうぞ」
「あは〜。了解しましたぁ。
海音さんにも迷惑かけたもんなぁ」
「自覚あるならサボるなよ……」
どうやら、彼は本当に大人しく戻ってくれそうなので、もう白兎の後でも大丈夫だと確信を持って言える。
美桜のことも、彼に頼めば問題なさそうだ。
人に逆らわないなら、頼めば聞いてくれるだろうし……
俺は、彼と出会ってからのゴタゴタに気疲れを感じながらも、美桜を任せられる安心感に満たされ白兎へと向かった。