2 公爵令嬢に起きた異変
「セオドア様が留学して半月も経つわねー。今頃何をしているんだろう。私も外国に行ってみたいなぁ。でも、食事が口に合うか分からないわよね。セオドア様はお元気かしら?」
「身体は頑丈な方です。食べ物の好き嫌いもないですし、きっと元気にやっていますよ。あら? カトラリーがセットされていませんでした」
お昼休み。私とドロテアは食堂に来ていた。いくら貴族が通う学園とは云え、成績優秀な平民も特待生として通っている。社会に出る前に自主自立の精神を植え付けるためと、テーブルについて給仕をする者はいない。
注文した品だけでなくナプキンやカトラリーまで全て揃えてくれて提供してくれるが、自身で空いているテーブルまで運び、食事を済ませた後には洗い場口まで生徒が下げる。受け取った時点で気がつけば良かったのだが、ドロテアのお喋りを聞くのに夢中で確認する事を失念していた。
「あら、おばさんが置き忘れたのね。いいわよ、私、今日は朝食を摂る時間がなくて、もう一品食べようかと迷っていたところなの。ついでに取ってきてあげるわー」
「そんな、悪いですから私も一緒に行きます」
ドロテアは立ち上がりかけた私の肩を押さえ、目を閉じながらかぶりを振った。
「いいから、いいから。慣れない新入生は麗しきモニカ様が通る度に黄色い声を上げて食事どころではなくなるから、モニカは大人しくここで待っていて」
「まあ。逆に迷惑になってしまうのですね。それではドロテアさん、お願いします」
私が椅子に落ち着いたのを見届けると、ドロテアは素早い身のこなしで注文口に向かった。が、少し右往左往し食堂の職員の方と話しをした後、切なげな表情でカトラリーだけを持って戻って来た。
「どうかしたのですか?」
「栄養分たっぷりそうな物しか残ってなかったの。最近お肉が付いてきたのを思い出しちゃったから、見るだけで我慢することにしたわ。――はい、モニカ様。こちらをどうぞ」
ドロテアは、大袈裟に悲しそうな顔をしながら小声で秘密を教えてくれた後、今度はおどけて恭しくカトラリーを配置してくれた。
「フフッ。そうだったのですね。ありがとうございました」
その日以降、食堂で働く人たちは私の注文だけ盛りつけを極端に減らしはじめた。
公爵家の娘が食堂での食事量に口出しし、浅ましいと捉えられては家にも恥をかかせてしまう。違和感を抱きながらも、私は黙って様子を見る事にした。
「あたしらの作る料理がそんなに不味いなら、食べに来なきゃあいいのにねぇ」
「わたしゃあ、人を顎で使う奴が大嫌いだよ」
次第に、私が食堂に行って注文口に立つと、食堂の職員の間からそんな囁き声が聞こえるようになった。全く身に覚えがないのだが、どうやら私に向かって放たれている言葉らしい。盛りつけられるランチの量はますます減っていった。
だが、私は十六歳の食べ盛り。さすがに全部合わせても一握り程度の昼食ではお腹が減って仕方がない。私は練習に励み、さらに上の技術を目指す男性が魔術学校で学ぶ空間収納魔法を身に付け、食堂に行った後に家から持参した公爵家自慢の料理でコッソリお腹を満たしていた。
(学園の食堂も悪くはないけれど、公爵家の料理人の方がやはり腕が良いわ。食堂の料理が不味いって云うのも、あながち間違いじゃないのかも。あ、次は乗馬の授業ね。早く着替えないと)
急いで乗馬服に着替え終え更衣室を出ると、困惑した顔のドロテアが目に入った。
「ドロテアさん? なにかあったのですか?」
「あのね、月のモノが来たみたい。今からまた着替えないと……。ああ、でもどうしよう。昼休みの内に、図書室に本を返さなきゃいけなかったのに……。間に合わないよー」
ドロテアの腕には、返す期限がきているらしき本が抱えられていた。
「それなら、私が返しておきますよ」
「ありがとう、モニカ。じゃあ、お願い。その後は先に授業に行ってていいよ」
「分かりました」
私はドロテアから本を受け取り、着替えの邪魔にならないよう更衣室前を去る。急いで頼まれた本を図書室に返し、そのまま馬屋へと向かった。
「ドロテアさん、早かったですね。大丈夫でしたか?」
「うん……」
お腹の辺りを押さえて表情を曇らせているドロテアが心配で声を掛けた。
「よくもまあ、いけしゃあしゃあと!」
「ドロテアさんが本当にお可哀想ですわ」
何が起きたのだろう……。いきり立つアニーさんに、嫌なモノでも見るような目を向けてくるライザさん。そしてそれを面白そうに眺めるクラスメイトたち。大抵は傍観者だが、クラス全体の雰囲気が悪い。私は何があったのかを聞こうとした――
「集合~! それでは授業を始める」
しかし、先生が来てしまい皆と話しはできなかった。授業中も俯いて元気がないドロテアが心配だったが、その日なら体調も悪くなるはずだ。
(あまり無理をしなければ良いのだけれど……)
なんとか乗馬の授業を最後まで乗り切ったドロテアに声を掛ける。
「本当に大丈夫でしたか?」
「うん。でも、念のため家の者を迎えに呼んだの。それまで医務室で休んでいくから、今日モニカは先に帰って」
「分かりました。それなら医務室までは一緒に行きましょうか?」
青白い顔で力なく微笑むドロテア。
「仰々しいと、男子にばれてしまうから、遠慮する」
「そうですよね……。では、先に帰ります」
――翌日――
「ライザさん、アニーさん、おはようございます」
「「……」」
(あれ? 聞こえなかったのかしら?)
頭をひねるうちに、ドロテアもやって来た。
「おはようございます、ドロテアさん」
「おはよう……」
「ドロテアさん! 早くこちらに来て!」
眉を吊り上げ、ドロテアの手を引いて私から離れて行くアニーさんたち。困惑したような、脅えたような表情をするドロテア。
「うん……」
三人は私から距離を取るように、早足で教室の中へと消えた。昨日の乗馬の授業の前から、同じクラスの人たちの私への反応が変わっていた。
それから、少しずつ少しずつ、ドロテアとも他のクラスメイトたちとも話す機会が減っていった。忌避されているのは分かったけれど、そもそも避けられて無視される理由が思い当たらない。
(自分の身に起きている事くらいは、把握させていただきますか……)
私はみだりに他人の事を詮索したくはなかったが、食堂での件もある。自分の話題の時だけは会話の内容を把握出来るようにと、読唇術と集音魔法を練習し身につけた。