15 鷹狩の罠
――ボルダン伯爵家のドロテアの私室――
「そしたら第二皇子がいきなり入って来て、私に城から出て行けって言ったのよ!」
腹立たしげに今日の出来事を話す娘に、ボルダン伯爵はどこか上機嫌だ。
家令の目を盗んで城まで行くなど、勝手な事ばかり仕出かす馬鹿娘だが、こうして行動的で時に悪知恵が冴える。馬鹿となんたらは使い様。
「パパ、私をこんな風にしたモニカと、憎たらしい第二皇子を併せて何とかしてよ!」
レーヴァンダール帝国内の公爵家では唯一年頃の未婚女性、モニカ・クラウスティンを排除すれば、我が娘ドロテア・ボルダンはより皇后の座に近くなる。
秀でた才も無いらしく、変わり者で顔が傷物の第二皇子も一括りにし始末してしまえば、表に出て来ないが公務に励んでいるらしい第一皇子ジェラルドの皇位継承が確実なものとなる。
「いいよ、いいよ。可愛いドロテア、全部パパに任せておくといい」
一石二鳥だ。ボルダン伯爵は満面の笑みで娘に答えた。
「嬉しいわ、パパ! だあーぃ好き!」
第一皇子が表に出て来ないなら、こちらから出て来るよう仕向ければ良い。仮に第一皇子が出て来ずとも、代理で第二皇子が出て来る可能性は高いはず。
ボルダン伯爵は、模索していた一つの案を実行に移す事に決めた。
「狩りを領地で開催する。自領で開催するのだ、まだ費用は抑えられるだろう? お前も文句はあるまい。至急招待状の準備をしろ」
「……畏まりました」
家令に命じ、ボルダン伯爵は一人ほくそ笑む。
(金が無いなら領地にある物で済ませれば良い。名ばかりの領地で辺鄙な場所を少しばかり与えられていたが、有効に活用してやる)
伯爵は娘のドロテアが皇太子妃となり、やがては皇后となる未来を思い描き、醜悪な顔をさらに歪めた――
「ボルダン伯爵家が狩りを主催してきたよ。兄上に招待状が届いたけれど、公務で参加できないんだ。私が代理で参加する事になってしまってね」
「狩りを催すなんて、嫌な予感しかしませんね」
先日城を襲撃してきた時にも、ドロテアは第一皇子のジェラルド様の事を尋ねてきた。ユリアン様が参加した方が、まだ皇族にとって良いのかもしれない。
「先代のボルダン子爵はよく皆を招待していたらしいけど、伯爵の代になってからは珍しいね。正直、あのご令嬢の家だから行きたくはないのだけれど、ほとんどの貴族が参加するらしいから、皇族も出るべきという意見が強くてね……」
ボルダン伯爵家とは私もユリアン様も関わりたくはないが、これも準公務の様なモノだ。
「うちの係には面倒を掛けてしまうけれど、よろしくお願いするね、モニカ」
「はい、ユリアン様」
――そして、ボルダン伯爵領で狩りが催される日となった――
通常の職務をこなすため、マサさんとノーラさんは城に残った。今回係からは、レン係長と私が伯爵領にお供している。
鷹以外にもハヤブサや犬を連れて来た者は多いが、中にはキツネを手懐けて連れてきている者もいる。ココと出会ってから、生き物への興味が尽きない。
「ココはまだ子どもなんだから、大人しく一緒にいようね」
「ミュゥ」
「ココは本当にお利口ですね。モニカの育て方が良いのでしょう。感謝しています」
外仕様の話し方で澄ましているユリアン様。ここだけ空気が高貴だが、辺りを見渡せば男たちが興奮して騒いでいる。
「今回のルール、魔法禁止なのが残念ですな」
「ならば、そなたの弓も禁止にして欲しいものだ。少しは獲物を残してくれよ?」
純粋な狩りの腕を競うために、三時間程魔法を使用不可にする錠剤を集まった者全員が飲んでいた。
「それは困りますな。妻と娘のご機嫌を取るチャンスですからな」
「お互い家では肩身が狭いようだな」
「そなたたちは、日頃の行いが悪すぎるのだ」
大声でそんな事を話している時点で、奥様やお子さんに嫌われていると思う。
「これは参った!」
「「アッハッハッハッ」」
こんな風にあちらこちらで、何が面白いのか分からないオジ様たちのテンション高いやり取りがなされていた。ボルダン伯爵家主催の狩りを、貴族たちはこの季節の風物詩として楽しんでいるらしい。
ユリアン様も腕に鷹を携え、最低限挨拶に答えたり会話をしたりしている。
(こうして貴族と交流を深めるのも、皇族の務めか……)
ユリアン様の姿を見ていると、やはり身分を利用して平和を保つ事に努めるのも必要なのだと感じる。官僚だって帝国の役に立てるのだが、公爵家から飛び出してしまった私の心は複雑に揺れていた。
少しだけ暗い気持ちになっていると、職員として第二皇子の成果物の集計やお世話を担当するため少し離れた場所にいた私に、突如一羽の鷹が襲いかかって来た。
「止めなさいっ! ココ、服の中に隠れて」
「ミュッ」
執拗に追ってくる猛禽類に恐怖を感じなくもないが、ココと同じ命を持つ愛しい生き物だ。
人間に操られているだけの鷹を魔法でやり過ごしたいが、念のためと飲まされた錠剤で、苛め対策に身に付けた保護魔法も使えない。
その時、馬が一騎私の元まで駆け抜けてきた。身体に衝撃を受けたかと思うと私は脇を抱えられ、「うっ」と呻いたが、すぐに優しく馬の背に乗せられていた。
「大丈夫だったかい、モニカ?」
「ユリアン様!」
助かったと思いきや、鷹は数を増やし追跡して来る。
「しつこいね。あの鷹の爪には、多分毒が仕込まれているよ」
「何て狡猾な――」
「喋らないで。この先に使われていないコテージがある。そこまで一気に駆け抜けるよ」
舌を噛まないよう、私は黙って頷いた。
「大丈夫だったかい? 飛ばし過ぎて無理をさせたね」
「いいえ、お陰で助かりました。でも、ユリアン様。なぜここにコテージがあると知っていたのですか?」
「あの家の主催の狩りだから、警戒して調べ尽くしたんだよ。領地の事など興味がない伯爵は、このコテージの存在を知らないだろうけどね」
ただ馬に乗っていたようでも、随分汗ばんでいた。衝撃を躱そうと身体に力が入りっぱなしだったのだ。
「風邪をひいては良くない。奥の部屋のクローゼットに着替えがあるから、早く取り替えておいで」
「ユリアン様こそ先に――」
「一緒に着替えたい? 私はここで着替えるから、早く奥に行きなさい」
「はい……」
私が奥の部屋に行き、抜かりなく準備されていた服に着替えを済ませ、そっと扉を開けるとユリアン様の姿はない。
(気を遣って見えないように着替えをされているのかな。今の内、早く馬のお世話をしてあげないと)
大人二人を乗せ森の中の悪路を駆け抜けてくれた馬に、井戸から水を汲み上げ、冷たい水と飼い葉を与えようと私は外に出る。だが、外には見知らぬ男が立っていた。
「誰!!?」
「……」
ゆっくりと振り返った男に、既視感があるような無いような気がして混乱する。私は警戒し、何か武器になる物は無かったかとコテージの中を思い返す。
「酷いよ、モニカ……。私が分からない?」
その優しく耳に残るテノールボイスはユリアン様のモノだった。緩くカーブを描いた金色の髪もそう。だが、そのお顔には、いつもつけられているマスカレードマスクが無かった。
悲しげに下げられた、流れるような眉も、透き通って輝くコバルト・バイオレットの瞳も、スラリと高い鼻筋も、悪い笑みを浮かべた時チラリと覗いてしまった綺麗な唇も……。
美しく華やかな容姿は、私の憧れそのものだった。
「……ユリアン……様?」
このレーヴァンダール帝国のタブーとされていた仮面の下事情を目撃してしまった事と、あまりのユリアン様の麗容さに、私は身も心も固まってしまっていた――




