水鏡に写った運命の人
「お姉様、お姉様お待ちになって!」
鈴を転がしたような声、艶やかな金髪を揺らし少女が駆ける。
「遅いわよ!エレイン!」
「お姉様が早すぎるのです」
はぁはぁと息を切らす妹を待ちきれず、馬の腹を蹴った。
ふんわりと波打つ妹の髪とちがい、真っ直ぐ伸びた髪の毛を一つにまとめたのは、馬に乗る時に邪魔だから。
令嬢らしからないと言われようとも、乗馬に向いたズボンが1番のお気に入りだ。
馬が地を蹴る振動が心地いい。部屋の外の空気も美味しくてたまらないと息を吸う。ずっとこうしていられたらどんなにいいか。
侯爵家の片隅にひっそりと立つ煉瓦の家がみえてきた。
突き出た煙突からは、ゆるりと煙が立ち上る。
私の遊び場はもうすぐだ。
今日はどんな面白いことをしてるんだろう。
自然と顔が笑みになるのが止められない。
目的の場所に到着し、飛び降りるように馬を降りると井戸のそばの馬繋ぎに手綱をくくる。
ドアを思い切り開くと、呆れたように眉尻を下げた美少年がこちらを振り返った。
「またきたのか。イアンナ」
「もちろんよ、ユーリス!今日はどんな楽しいことをやってくれるの?」
自分より低い背丈の彼に向かって、イアンナはにんまりと笑う。
ズカズカと家に上がり込むイアンナを、溜息一つでユーリスは迎え入れた。
その後ろから息を切らしたままのエレインが現れる。
「エレイン、今日はいつもより早いんじゃないか?」
「ひ、日々鍛錬しているつもりなんですけれど、お姉様には敵いません…」
「イアンナは淑女じゃないから気にしなくていい」
「なんですって!ユーリス!そこに直りなさいよ」
「世紀の大魔法使いの魔法をこんな気軽に見にくるのは君くらいだ」と舌をぺろっと出し、不敬な魔法使いは背を向けた。
「今日は水鏡の実験」
姉妹に席を勧めたユーリスは、別の机に置かれた大きな水盤を抱えた。
背が低いユーリスが大きな水盤を持っている姿が心配になり、立ち上がって水盤をぐっと握る。
「え、なにするつもり」と戸惑うユーリスに「わたしが運ぶわよ。腕っ節には自信があるの」と引っ張って奪う。ユーリスが顔を顰めた。
助けてもらってなぜ顔を顰めるのか。
「お姉様は男性の心に疎くていらっしゃるから…」
困ったように頬に手を当てるエレインは座ったままである。
水盤をどん、と、机の上に置くと、イアンナはユーリスを期待に満ちた目で見つめた。
やれやれとユーリスが戸棚からいくつかの瓶をとり、光る苔のようなものを水盤にはられた水にハラハラと撒く。
そっと光出した水に手をつけると、口元を隠し、小さく魔法の言葉を呟く。
魔法使いは魔法の言葉が人にバレないように口元を隠す。
ユーリスの金色の瞳が燃えるような紅と混じる。魔力を使っている証拠だ。
魔法を受けて、水盤の水がゆらゆらとうごき、細く立ち上った。
水の先が裂け、牙が覗き、体がぶくりと膨れたと思えば翼が生えた。
幻想的なその様子に、イアンナとエレインから驚きの声が上がる。
「わぁ!これはなに?」
「伝説の生き物とされる竜」
魔法のいい材料になるらしいんだけど、と残念そうに呟くユーリスは狂科学者の片鱗が見え隠れする。
せっかくの美少年が台無しだ。
「本当は見たいものを見せる水盤なんだけど、これは僕が見た本のーーー」
その瞬間、はっと脳裏に輝いた考えにイアンナはぱっ笑みを浮かべた。
「ユーリス!わたし、運命の人がみてみたいわ!」
「え、」
「お、お姉様、なにを」
2人が戸惑う間もなく、イアンナの翠の瞳がきらきらと光る。それと共に水盤に水が立ち戻り、光る。
あまりの眩しさに目を閉じた3人が目を開けると、そこにはゆらゆらと靡く水面に美しい青年が映っていた。