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「知らない人だわ……」

「まあ、上級生だから知らなくても当然かもね。……あ、ほら、見て。噂をすればなんとやら、よ」


 タビサ・ロートン。聞き慣れない、上級生だという女生徒の名前を聞いても、ぴんときていないわたしの肩をエリーが叩く。エリーが顔を向けた方向に、わたしも視線を移動させる。校舎の、おしゃべりに最適なバルコニーからは、中庭が一望できた。


 タビサ・ロートンがだれなのかはすぐにわかった。そばにはわたしの元恋人のライナスがいたからだ。ふたりは……非常に仲睦まじそうに……だれが見ているかもわからない場所だというのに、はしたなくも体を密着させていた。


 そういうわけで、わたしはふたつの意味でタビサ・ロートンとライナスを見ていられなかった。結婚したので、もうライナスへの気持ちはケジメとして捨ててしまっていたが、それでも彼との幸せな結婚を夢見ていた頃の自分を思い出して辛くなる。そしてふたりの恥知らずなほどの密着っぷりに、生娘でもないのに頬を赤らめてしまう。


 タビサ・ロートンとライナスは見ているこちらに熱が伝わってきそうなほど、見つめあっている。今すぐにでもその唇と唇がぶつかりあっても不思議ではないほどに。それを、通りすがりの生徒たちはびっくりしたような目で見たり、あからさまに嫌そうな顔をしてはそそくさと去って行くのであった。


 ふたりが公衆の面前でこんな風に密着していることにもおどろいたが、わたしは別の意味でもおどろいた。


 ……まず言っておきたいのは、わたしはだれもが称賛するような器量よしではない、ということである。それでも年頃の女の子らしく外見には気を遣っていた。少しでもライナスの気を引きたかったし、「可愛い」と言われたくて毎日身だしなみを整えて、少しでも自分をよく見せようと頑張っていた。


 けれども、タビサ・ロートンの冴えなさといったらどうだろう。ひっつめ髪はちょっと乱れていて綺麗じゃないし、化粧の類いも一切していない。制服に指定されたワンピースドレスも、どこかくたびれている。……それが遠目にもわかって、わたしは動揺した。


 わたしはいつだって綺麗で、可愛くあろうと努力していた。ライナスだってそんなわたしを「可愛い」と言って褒めてくれた。外見がすべてだなんて、さみしいことは言わないけれど、けれどもそれにしたって、ライナスの新しい恋人だと言うタビサ・ロートンの冴えなさは、わたしには衝撃的だった。


「スクール始まって以来の才媛だって言われているらしいわ。でも才媛にしても衆目を気にしない言動はどうかと思うわよねえ?」


 エリーはわたしに同意を求めるが、わたしはなんにも言えなかった。


 タビサ・ロートンの見た目が冴えなくても、ライナスは一向に構わないのだろう。スクールの才媛だと言うのならば……きっとついこのあいだまでのわたしみたいに、夢見がちな空想を抱かず、現実にしっかりと足をつけた女の子に違いない。恐らくライナスは、そういうところに惚れたんだろう。


 けれども、けれども、それじゃあ今までライナスのために一生懸命オシャレに精を出していたわたしは、なんなんだろうか。ライナスだって、そんなわたしを非難したことなんて一度もなかったのに……。なのに、ある日突然別れを切り出して……。


 結婚したのだから、という気持ちもどこかへ行ってしまいそうになる。手酷くフられた時点で、ライナスへの恋心なんてものはたしかになくなっていた。


 けれども、けれども、それにしたって……。


「あ、うわっ」


 エリーが露骨に嫌そうな顔をする。タビサ・ロートンとライナスが、ぶちゅーっとキスをしたのだ。わたしはびっくりするやら、恥ずかしいやら、ライナスへの未練みたいなものを自分がまだ持っていることにおどろくやらで、複雑な顔をしていたと思う。


 エリーがわたしの肩を叩いたので、わたしはまたバルコニーに備えつけられたテーブルへ視線を戻した。


「まあ、とにかく、向こうから接触があるかどうかはわからないけれど……気をつけるに越したことはないわ」

「気をつける?」

「恋に狂った人間は、手負いの獣よりも厄介よ。タビサ・ロートンは既に陰湿に噂をバラまいてるから……直接アンになにかするとは思えないけれども、気をつけて」

「え、ええ……。噂って、わたしの家のこととかよね?」

「そう。さっきも言ったけれど、ザカライア・ジョーンズの醜聞とか、アンの家の状況とか……どこでだれが流しているんだかわからないけれども、そういうことを面白おかしく吹聴しているってわけ。才媛らしいけれど、性格はサイアクよ」

「みんな、それを信じているのね……」

「たしかにそういう連中もいるけれど、信じていないやつの方が多いから、気にしないで……とは気軽に言えないけれど……まあ、テキトーに流した方がいいわ。私も聞かれれば訂正しているから」

「ありがとう、エリー……」


 頼もしいエリーの言葉に、涙が出そうになる。持つべきものは友人である。噂の訂正は、わたしよりも遥かに社交的なエリーに、申し訳ないが任せた方がいいだろう。


 誇張された噂も、そのうちにみんな興味を失って忘れ去って行くだろう。……けれどもそれは、今すぐには訪れない。わたしはしばらくは同級生たちのクスクス笑いに晒されることになるのだ。


 なんとなく新しい家となったジョーンズ邸には居づらいと感じていた。けれどもまさか、スクールでもそんな風になるとは思ってもみなかった。逃げ場になると思っていた場所は、まったくそうではなくなってしまったのだ。


 それに、望まない、愛のない結婚をしたのは確かだ。客観的に見れば、わたしは家の事業のためにその身を売られたということになるのだろう。そして夫となったザカライアさんが色々と怪しいのも……確かだ。


 わたしはこれまでの人生で、一番の難所に到達しているらしい。考えること、考えたいことがいっぱいありすぎて、頭がおかしくなりそうだった。


 けれども今、わたしが抱える悩みを一度に解決する、魔法のような方法など存在するわけもなく……。


 ハア、と大きなため息をついて肩を落とすわたしの背中を、エリーは元気づけるようにポンポンと叩いた。

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