56.円舞曲
王の視点です。
今日は午後からアレクセイが馬に乗せてくれ、王都の端まで連れて行ってもらった。こんなに楽しい時間はとても久しぶりだ。まるで物語の中に入ったような気分になった。永遠に続いて欲しかったが、どんな陳腐な物語でもそんな展開はないだろう。必ず別れが訪れるのだ。どんなに酷い物語でもいいからこのままでいさせて欲しかった。
自分は侍女達と寝室に帰ってきた。髪をほどいて、服を脱いで湯浴みをする。
「夕日ってあんなに美しかったのね。初めて見たみたいに感動してしまったわ。小さい頃に見たはずなのに忘れてしまっていたのね」
「これから沢山見られますよ」
アンナが優しく囁くかのように静かに言った。
「ええ、そうよね。色々な景色を見ていきたいわ」
アレクセイと一緒に、とは言わなかった。言ったら泣いてしまう。泣くのは侍女達がいなくなってからにしよう。優しい彼女達を心配させてはならないとそう思った。
侍女達に体を拭いて髪を乾かして寝間着に着替える。
「陛下、乗馬で体を痛められましたか?」
ダニエラが言った。アンナも気付いていたようだ。二人には隠し事は出来ない。
「ええ、慣れていないから少しね…。手綱をずっと握っていたから手が痛いわね」
リンダが水で冷やした布を持って来てくれた。リンダはジャンナと二人で手を冷やしてくれた。
慣れない体勢を長時間したからか手だけでなく全身が痛い。全身を冷やしたら風邪を引くだろう。
自分は手を動かしてみる。かなり痛いので明日ペンを持てるか分からない。昨日のうちにアレクセイ宛てに手紙を書いておいて良かったと思った。だが、乗馬についても一緒に見た景色についても書きたくなった。
(明日早起きして書こうかしら…)
おそらく女性と思われる足音がし、戸をノックする音が聞こえた。いつもは侍従達が食事を運んでくるのに、見慣れぬ侍女達が食事を運んで来た。自分がすでに寝間着になっているので侍従ではなく侍女達が運んで来たらしい。元々王族の担当で現在は官舎の手伝いをしている侍女達だそうだ。彼女達はとても緊張しているようだった。あの男達にされた事を思えば当然の反応だろう。侍従達と同じように、時間をかけて信頼関係を作っていければと思う。
「夕飯は貴女達が運んで来てくれたのね。ありがとう」
自分は彼女達の緊張をほぐそうと笑顔で言った。彼女達は驚いたような顔つきになったが、すぐに平静を取り戻しお辞儀をした。
自分が食事を食べ終わると、彼女達は食器を持って寝室から出て行った。彼女達は自分にどのような印象を抱いただろうか。傲慢だとは思われはしないだろうが、気弱とか馴れ馴れしいとか思われたかもしれない。
(王様ってどうしていたら正解なのかしらね…。正解なんて人それぞれだから、考えても仕方ないのかしら…)
歯磨きが終わり、侍女達は寝室から退室し一人きりの時間になった。寝台に登ったが、横にならず上体を起こしたままアレクセイとの日々を思い出す。
最初は自分を殺しに来たのだと思った。しかしアレクセイは自分の話を信じてくれて塔から連れ出してくれた。その後もずっと手助けをしてくれたし気遣ってもくれた。気遣ってくれたのを子ども扱いされていると思ってしまったが、自分の体調を考えてであった。
城の上から景色を見せてくれたし、星空も一緒に見たし食事も一緒にした。どれも瞼を閉じればつい先刻体験したかのように色鮮やかに思い出せる。
食事の時には少し喧嘩してしまった。そういえば誰かと喧嘩だなんて初めてだったかもしれない。そもそも近い年齢の男性と話をしたことすらなかった。
夕日もとても美しかった。アレクセイの故郷ではどんな夕日が見られるのだろう。セマルグル王国には海も山も他にも様々な地形があるし、数多くの建築様式の建物があるらしい。これらが夕日に照らされたらどうなるのだろう。いつかアレクセイと共に見てみたい。
(…やっぱり今手紙を書かないと)
寝台から飛び降りたかったが、全身が痛いのでゆっくりと降りた。ショールを肩に掛けて便箋とペンを引き出しから出した。しかし、いざ書くとなると言葉が次々と溢れ出てきて上手くまとめられなかった。
(貴方の故郷を見てみたい…とか?あまり気取った文は好きそうじゃないから、なるべく簡潔に書かないと…)
自分のペンを持つ手は僅かに震えていた。痛みもあるが、泣いてしまいそうだったからだ。
(本当は手紙なんて書きたくないわ。ずっと側にいてと言ってしまいたいわ)
分かっている。一国の王がそんな馬鹿げた発言をすべきでないと十分理解している。
(明日アレクセイの顔を見たら言ってしまいそうで怖いわ。そんな醜態を晒しては駄目よ。ワルツもきちんと踊らないと…。アレクセイの思い出の中では少しでもましなエレオノーラでいなくちゃ…)
朝になってしまった。手紙は結局無難な内容になってしまい、一昨日書いた手紙と昨晩書いてた手紙の二通も必要なのかと悩んでしまう。アレクセイを困らせてしまうのではないだろうか。
自分の筋肉痛は一晩寝たら治るだろうと思ったが昨日のままだった。自分はこれで踊れるのだろうかと肩を落とした。最初から大して出来ないのに更に動けなくなってしまった。悲しんでいても何も変わらないので、寝間着のまま踊りの練習をする。アレクセイは脚が長いので歩幅も大きいはずだ。自分はいつもより遠くに足を出した。しかし、そうすると次の動きが出来ないと気付いた。自分には筋力も柔軟性もないので大きく足を開くとそのまま動けなくなるのだった。自分は痛みを堪えながら、よろよろと通常の立ち姿に戻った。
(アレクセイに歩幅を小さくしてくれるようにお願いしなくちゃ…)
しょんぼりとその場に立っていたら、侍女達とリーザが入って来た。
「陛下、おはようございます」
「おはよう。…トスカはどうしたの?」
トスカが見当たらなかった。今日は休みなのだろうか。
「はい、別の仕事を任せております」
ダニエラが微笑んで言った。トスカに別の仕事とはなんだろうか。勘ぐるわけではないが、音楽に関する何かだろうか。ワルツを奏でてもらう予定だったが低音楽器のコントラバスと打楽器の準備が出来なかったので次の機会にお願いするつもりだ。
「そう…」
「さあ、今日はどのドレスをお召しになりますか?」
クラリッサが言った。いつもなら持ってくるのは一着だけなので首を傾げてしまった。どれも着用したことがある、色とりどりのドレスがあった。花畑があったらこんな感じだろうか。
「このドレス……」
自分は沢山のドレスの中から一着のドレスに目が留まった。塔を出て最初に着たドレスがあったのだ。そう、母が着ていた青いドレスだ。どうやら自分の体型に直してあるようだった。それに加え、細部の装飾が変えられているようだ。もしかしたら流行りのデザインなのかもしれない。
自分は青いドレスを手に取りじっと見つめた。
「そちらになさいますか?」
自分がドレスに見入っていたらリンダに話しかけられた。
「このドレスも直してくれたのね」
「ええ、ダニエラさんとアンナさんが陛下のお体に合うように調節された後に、侍女総出で装飾などを直したのです」
「えっ!全員で?」
リンダが頷づくとクラリッサとジャンナも頷いた。話を聞くと昨晩給仕をした侍女達も手伝ってくれていたらしい。他のドレスもよく見ると前に着た際と僅かにデザインが変わっている。
「そうだったのね。本当にありがとう。なんとお礼を言ったらいいのか…」
侍女達の頑張りに応えなくてはと思う。当然侍女達だけではなく、この国のために働いてくれている人達全員にもだ。
侍女達が来る前までとても小さな事で悩んでしまっていた。アレクセイならば自分の歩幅に合わせてくれるだろうし、どんなに失敗しても怒ったりしないだろう。分かっているのにいい格好をしようとしてしまう。見栄を張ってしまう。
「陛下はそのままでも十二分にお美しいのですが、より際立たせるためにお手伝いをさせて頂きました」
ダニエラが笑顔で言った。他の侍女達も皆笑顔だった。
アレクセイの記憶に少しでも美しい状態の自分が残ってくれればと思っていたが、綺麗なドレスが弱気な自分を引き立ててくれるから大丈夫だろう。もう安心だ。
着替えが済み朝食を食べ終えた後、アレクセイが帰国する前に一緒にワルツを踊るために、自分と侍女達とリーザで執務室ではない別の部屋に向かった。部屋に近づく度に心臓の音が大きくなっている気がする。
部屋の前にはすでにアレクセイとイワンと二人の部下達がいた。まさかイワンとイワンの部下達も来るとは思わなかった。こんなに大勢の観客がいるとは思っていなかった。
「おはようございます。そのドレスは塔を出た後に初めて着たドレスですか?」
アレクセイがいつものように笑顔で声をかけてきてくれた。
「おはようございます。そうです。侍女達が直してくれたのです」
「そうでしたか。とてもよくお似合いですよ。女神も嫉妬するでしょうね」
女神も嫉妬とはなんだろうかと考えていたら、アレクセイが腕を曲げて差し出してきた。自分はアレクセイの腕に自分の手をかける。部屋の前にいた侍従が戸を開いた。自分は緊張しながらアレクセイと共に部屋の中に入った。
部屋の中に入るとトスカとニコロ、ダリオの三人がいたので少し戸惑っていると、間髪入れずに息を吸う音がし、トスカが高らかに歌いだした。ニコロとダリオの前には水の入ったグラスが並べられており、ニコロは細い棒でグラスを叩き、ダリオはワイングラスの縁を指でなぞった。
アレクセイと自分は顔を見合わせた。自分はただ驚いているだけだったが、アレクセイはすぐに行動を起こした。自分はアレクセイに手を引かれ部屋の中央まで連れてこられた。
「エレオノーラ、一緒に踊ってくれるか?」
アレクセイは真っ直ぐと自分を見て言った。
「ええ、もちろん」
自分はアレクセイと手を組んで踊り出した。最初はかなり身長差があるのでどうやって手を組んだらいいのか困惑したが、アレクセイが即座に対応してそれなりの形になった。
アレクセイは歩幅を自分に合わせてくれたようで、いつも通りに足を動かすだけでよかった。リーザと踊りの練習をした時は全然出来なかったのに、アレクセイと一緒だとなんだか上手に踊れているような感覚になる。体が自由に動くのだ。少なくともそんな錯覚に陥る。
トスカの歌はとても伸びやかで気持ちが良かった。ニコロとダリオも演奏に必要な物が間に合わなかったのに、グラスを代用して音を奏でてくれた。グラスの音はこんなにも綺麗だったのか。
何回か基礎の足型を繰り返したが、音楽はまだ終わりそうにない。アレクセイの顔を見ると、不敵に笑った。何をする気なのかと考える間もなく、気付くと自分は床から足が離れていた。アレクセイは自分を抱きかかえるように持ち上げていたのだ。そしてそのまま、くるくると回った。
「なっ…」
自分は小さく抵抗の声を上げたが、アレクセイの目を見たらその気はなくなった。自分はこの慈しむようなその眼差しを生涯忘れないだろう。
二人が踊っているのはスローワルツです。
三人はこっそり練習をしていたので一夜漬けではないです。
次回はとうとうお別れです。評価とブクマをしていただけると幸いです。
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