54.乗馬
王の視点です。
昨日自分が倒れたので朝議は宰相や大臣達だけで行い、自分には報告だけされた。執務室にも行かせてもらえず、昨日の昼頃からずっと寝室にいる。
侍女達は朝から念入りに自分の髪を梳かしたり、爪を磨いたりしてくれた。こんなにピカピカになった爪を見るのは初めてだ。
次に侍女達はアレクセイと乗馬に行く時の服をいくつか持って来ていた。普段のドレスだと目立つので町娘が着るような服が用意されたのだ。アレクセイもおそらくいつもの軍服ではないだろうし、もちろん甲冑ではないだろう。普段と違うアレクセイを見られると思うと顔がほころんでしまいそうになる。
ふとアレクセイはどんな格好をしていても目立つのではないかと思った。上背もあり体格も良く、立ち振る舞いからも高貴な生まれだと窺えるからだ。
(私も背筋を伸ばすぐらいはしておかないと…)
自分は背筋を伸ばしてみた。なんなら首も伸ばしてみた。維持するには筋肉を使うのでなかなか大変である。
「陛下、どの服になさいますか?」
ダニエラが言うと他の侍女達が笑顔で服を見せてきた。自分には何が流行っているとか、どんな色が似合うかがさっぱり分からず、どれを着たらいいのか分からないので侍女達とリーザにお願いし決めて貰うことにした。
「おかしな所はないかしら?」
実際に服を着て、鏡の前に立ってみる。まず正面を見て、次は横、その次は後ろを見てみた。自分から見ると何もおかしな所はないのだが、侍女達は首を傾げた。
「こちらの柄がよかったでしょうか」
「こちらも合わせてみましょう」
侍女達はいつになく真剣な顔つきをしている。
何がおかしかったのか分からないまま、別の服を当てられた。それを何回か繰り返し、気付いたら正午近くになっていた。そろそろ侍従が達が昼食を運んでくるだろう。アレクセイと乗馬に行くのは昼過ぎなので早めに昼食を食べておきたいので、いつもより早く用意してもらった。ついでに侍従達にもこの服の意見を聞いてみようと思う。
侍従達が昼食を運んで来た。侍従達はいつものように自分とあまり目を合わせようとせずにしていた。
昼食を食べ終わり、侍従達が片付け終わったのを見計らって、自分が着ている服について聞いてみた。
「この服どうかしら?」
「た、大変、よ、よくお似合いでございますっ!」
侍従達は慌てて逃げるように寝室から出て行った。
「行っちゃったわね…」
何も逃げなくてもいいのにと思いつつ、突然聞かれたらそうなるかなと思った。彼らが出て行った戸の近くでリーザが苦笑しているのが見えた。
「リーザどうしたの?」
「いえ、彼らがあまりにも慌てていたものですから、つい」
寝室から出る時の侍従達の様子が見えたのだろうか。
「いつになったら普通に接してくれるようになるのかしら…」
「慣れれば大丈夫でございましょう」
「そうよね。慣れればきっと…」
大丈夫であると言いたかったが、今の様子だとそれは出来なかった。彼らを信頼していないわけではない。むしろ自分が慌てふためかせてしまっているので当分先になりそうだ。
「陛下、どのような髪型にいたしましょう?」
クラリッサが笑顔で聞いてきた。今は簡単に結われており、町娘の格好なのでこれでいいのかと思っていた。しかしそれは違ったようで、クラリッサはやる気満々で目が輝いている。リンダやジャンナ、トスカも意気込んでいる。それをダニエラとアンナが優しく見守っていた。
「あまり派手でない髪型がいいのかしらね」
目立たない服装がいいのならば地味な髪型にしたほうがいいだろう。
「おそらく司令官様は後ろに乗るのでしょうから、後ろから見て美しい髪型にいたしましょう」
「崩れにくい髪型が良いですよね」
「馬の乗り方は普通に跨ぐのか、横乗りなのかにもよって変わりませんか?」
リーザによると多分だが横乗りになるそうだ。なので後頭部の左側に邪魔にならない程度にまとめられた。右側を編み込み、毛先を三つ編みにしてお団子状にされた。厚みが出ないように平面になっているので、お団子というより花のようでもある。
「いつ見ても凄いわね」
リンダが鏡で見せてくれた。会心の出来だったらしくクラリッサはご機嫌だ。
この後、リーザから馬の乗り方等を教えてもらい練習してみた。上手く乗れるか不安だが、怖がっていたら出来るものも出来なくなるだろう。アレクセイとアイズベルクにだって失礼だろう。アイズベルクは気難しい性格をしているそうだが、真摯に向き合えばきっと大丈夫だ。
時間になったのでローブを羽織り、侍女達とリーザと共に陣営まで行った。当初はアレクセイが迎えに来ると言ってくれたが、大がかりになってしまう気がしたので断った。
服の他に靴もいつもと違うので、足元がふわふわする。緊張しているせいかもしれないが、靴のせいにしておく。
陣営に着いたのでローブを脱ぎ、ダニエラにローブを渡した。
「陛下、こんにちは。…その格好もとても美しいですね。やはり何を着てもよくお似合いです」
「こんにちは。司令官殿もよくお似合いですね」
アレクセイもいつもの軍服ではなく市井の人々が着るであろう服を着ていた。髪型も満月の夜に会った時のような髪形をしている。いつもは軽く撫で付けられているが、今日はほとんど髪を下ろしている。
「ご案内いたします」
アレクセイは笑顔で言った。
アレクセイに連れられ厩舎まで歩いて行った。アレクセイに厩舎の出入り口で待つように言われ、出てくるのを待った。どんな馬だろうか、気に入ってもらえるだろうかとドキドキしながら待っていると、すぐにアレクセイがアイズベルクの手綱を引いてやって来た。
「お待たせしました。こいつが以前話したアイズベルクです」
「わぁ!」
アレクセイの愛馬、アイズベルクはとても大きい馬だった。黒く艶やかな毛並みをしており、筋肉もしっかりとしていた。全身は黒い体毛で覆われているが、額は白くなっている。自分はこれが名前の由来なのかと見ていると、アイズベルクは耳をこちらに向け、じっと自分を見ていた。
「とても格好いいですね。撫でてもいいでしょうか」
「ええ、構いませんよ。ここら辺を撫でてやって下さい」
アレクセイが撫でた箇所を自分も撫でてみる。思っていたよりも柔らかな毛をしていた。
「す、すごく良い手触りですね」
「…ああ、アイズベルクの耳が横になっていますので、陛下が乗っても大丈夫でしょう。私以外に撫でられてもこうならないですからね」
自分はアイズベルクに気に入って貰えたらしい。自分よりずっとアレクセイと共にいる彼に認められるなんてとても嬉しかった。
「アイズベルク、陛下をお乗せするんだ」
先ほどリーザから習ったように何度か試みてみたが、上手く乗れない。
「…私が先に乗って引き上げましょう」
アレクセイがそう言った時、アイズベルクが膝を折って伏せるような体勢になった。
「驚いたなそいつがこんな風にするなんて…」
声がした方を見ると、アレクセイの叔父のイワンがいた。自分は挨拶すると、大分前からいたらしかった。どうやら自分はアレクセイしか見ていなかったようだ。イワンに謝罪し、アイズベルクに乗った。
「アイズベルクさんありがとうございます」
アイズベルクが立ち上がると、アレクセイが後ろに乗ってきた。かなり密着している。ふと自分の匂いは大丈夫だろうかと思ったが、もう遅い。
「では行ってまいります」
後ろにはドナートとミハイル、アルトゥールがいる。彼らがついて来てくれるらしく、彼らもアレクセイと同じような格好をしている。彼らの馬も賢そうな、優しそうなそんな顔をしていた。
最初、アイズベルクはゆっくりゆっくり歩いていたが、だんだん速くなってきた。
「この速さなら大丈夫か?」
「ええ」
景色が流れていく。顔に、全身に風が当たる。
「……」
流れていく景色を見た。王城の近くであってもこれだけ荒れているのだから、他の領ではどうなっているのだろうか。町や村がなくなったと聞いた。
「他の領ではもっと酷いのよね?」
自分はアレクセイの顔を見た。アレクセイは一瞬だけ自分を見たが、すぐに前方に視線を向けた。
「ああ。自分は南東領と東領を通って王都に入ったんが、南東領の中心から離れ東領に入った時は驚いた。だが、他領の被害を聞くと東領は持ちこたていたのだと知った」
「…」
自分は手綱を握る力を強めた。十年間、自分は何も知らずに塔で生活していた。
「他国はこの国で何かが起きているのは知っていたのに見て見ぬ振りをしていたんだ。実際、宰相殿と将軍殿が働きかけなければ連合国軍は動かなかっただろう」
「ええ…」
助けてくれと叫んで助けてもらえたのは運がよいほうだろう。諸外国はケレース王国を助けても何も得しない。それでも助けてくれた。叫んでも助からなかった命がいるのだから感謝しかない。
自分は視線を前方からアレクセイの顔に移した。アレクセイの黒髪がなびいている。そして視線をアレクセイの顔から下に向ける。
(鎖骨……)
いつもは軍服で覆われていて見えない鎖骨が見えた。自分の鎖骨よりもかなり太くてしっかりしている。
(大胸筋……?)
鎖骨の下にあるのは大胸筋だ。かなり盛り上がっているので想像しい得ないほど鍛錬してきたのだろう。対する自分は肋が浮き出ている。
「…もうすぐで農地だ。景色を見なくていいのか?」
「!!」
アレクセイの言葉に慌てて周囲の景色を見た。以前王城から眺めた時より緑が増えているようだ。より近くで見ているからかもしれないが、着実に緑は増えている。
「綺麗ね…」
「ん?ああ、そうだな。収穫に間に合いそうでよかったな」
「ええ、本当によかった…」
収穫の時期にアレクセイはいない。一緒に喜びたかった。涙が出そうになったが懸命に堪えた。
「…あの丘の上に行こう」
自分の耳の近くでアレクセイの声がし、アレクセイはアイズベルクの足を止めさせ遠くを指さした。自分はアレクセイが指さした方向を見ると丘があり、丘には大きな木が一本立っていた。
アレクセイが再びアイズベルクを歩かせた。かなり走って来たと思っていたが、全然疲れていないようで元気よく歩きだした。
「丘は走ってみるか」
「えっ?」
アレクセイはアイズベルクを走らせるとあっという間に丘の上に到着した。
アレクセイが先に降り、自分はアレクセイに抱きかかえられるように降ろされた。てっきり乗った時のようにアイズベルクが伏せてくれるのだとばかり思っていたので、驚きを隠せない。しばらく心臓は静かになりそうにない。何回か深呼吸してみたが、やはり無理だった。きっと自分の顔は赤いのだろう。そんな自分を見てアレクセイは笑いながら言った。
「ほら、いい景色が見えるぞ」
アレクセイが腕を伸ばして、視線を誘導してくれた。辺りを見渡してみると遠くに山がずっと連なっていた。山頂付近には雪が残っている。青く澄み渡った空には白い雲がぷかりと浮いている。時折吹いてくる風はとても気持ちよかった。風に乗って鳥の鳴き声が聞こえてきた。
後ろを振り返ってみると同じように遠くに山が連なっているのが見えた。左右を見てもずっと山が続いていた。
「……世界はこんなに広かったのね」
「ああ…」
周囲の風景を一通り眺めた後、大木の根元に腰掛けた。自分の服が汚れないようにアレクセイがハンカチを敷いてくれた。
アレクセイが自分の右側に座り、大木に寄りかかった。自分も真似して寄りかかってみる。そういえば、地面に座るのも木に寄りかかるのも初めてだ。風が木の枝をゆらし葉がさらさらと鳴った。土の匂いも草木の匂いもする。こんなに近くで自然を感じたのは初めてだ。
「初の乗馬はどうだったか?」
アレクセイの低い声がした。アレクセイの顔に視線を向ける。見慣れぬ髪型をしているので、また心臓が高鳴る。ようやく収まりだしたと思っていたのに。
「あんなに速く走れるのね」
「あれでも抑えた方だぞ」
「そうなの?」
「帰りは全力で走らせてみようか?」
アレクセイがニヤリと笑ったので危険なのだろう。
「あんまり速いと振り落とされちゃうかもしれないから遠慮するわね…」
アレクセイはふふっと笑った。
「俺がそんなヘマをすると思っているのか?あいつもエレオノーラを気に入っているようだから大丈夫だろう」
アレクセイは微笑みながら自分を見てくる。
「怖いから…」
自分は視線を下に向けると、いつも着ない服が見えた。
怖いのもあるが、本当はアレクセイと一秒でも長く一緒にいたいだけだ。
「…そうか」
自分は無言で頭を縦に動かした。泣きそうになったので別の話題を考える。
「そ、そうだわ。国防副大臣は国境付近にあの男達の息のかかっていない兵士を送っていたそうよ」
「そうだったか。やけに素直に言うことを聞くとは思っていたんだ。もしかして指揮や伝達の情報系統がぐだぐだになっていたのもそうか?」
「ええ、あの男達に不利になる情報は流さないようにさせていたみたいよ」
ここまで言って、もっと違う話にすればよかったと後悔した。しかし何も浮かばない。
「…エレオノーラ、髪飾りは間に合わなかった。つけている姿を見たかったんだがな…」
「……また来てくれた時につけるわね」
国の話以外になると、別れを意識せざるをえない。
「ああ…」
「次はいつ来られるの?すぐには無理でしょう?」
アレクセイの顔を見ようと思ったが、見たら泣いてしまうのでなるべく見ないようにした。
「他国に報告に行かないといけないからな。父上と分担するにしても何ヶ月もかかるだろう」
アレクセイは少し考えながら言った。広い大陸中の国々に行くのだからかなり時間がかかるのだろう。
「そう…それが終わったらまた会えるわよね?」
言いながら自分は両手を握りしめた。その握りしめた両手を見る。
「もちろんだ。満月の絵を見ながらエレオノーラを思い出すよ。エレオノーラは夜空の絵と、熊のぬいぐるみを見て思い出してくれるか?」
「…ええ」
何故アレクセイは平気なのだろう。この悲しみは自分だけなのだろうか。他の人は大切な人が遠くに行ってしまっても平気なのだろうか。
「……エレオノーラこっちを見てくれ」
アレクセイに言われ、おずおずとアレクセイの顔を見ると目が合った。アレクセイの目はいつもより少し潤んでいる気がする。アレクセイも悲しいと思っていてくれるのだろうか。
「エレオノーラ、俺はまたこの国に来てエレオノーラに会いに行く」
「ええ…」
我慢していたのに涙が出てきてしまった。
「会えない時は手紙を書くよ」
「っ、ええ…」
アレクセイは自分の涙を拭ってくれた。止め処なく流れる涙を何度も拭ってくれた。
「エレオノーラ、俺はいつでも貴女を思っている」
「私も…アレクセイを思っているわ」
アレクセイに抱きしめられた。自分が泣き止むまで抱きしめてくれていた。
「ねぇ…、アレクセイの手を握ってもいいかしら?」
自分が落ち着いて再び木に寄りかかった時に思い切って聞いてみた。
「駄目だ」
「えっ!」
いつもなら承諾してくれるのに。
「何故なら俺もエレオノーラの手を握りたいからだ。…よし、こうしよう」
アレクセイは左手の平を上にして、自分の右手をアレクセイの左手の上に乗せた。そして指を絡ませるようにして手を握った。
「わぁ!アレクセイ頭いいわね!」
「だろう?…エレオノーラの手は小さいな」
「アレクセイの手が大きいのよ」
アレクセイの手は大きくて分厚くてゴツゴツしている。そしてとても温かかった。だんだんアレクセイの体温が手から全身に広がっていくような気がした。
エレオノーラは化粧していないようですね。
少しでも楽しいと思ってくださったら、評価&ブクマをお願いします。
※予告なしで加筆修正を行う場合がございますので、予めご了承ください。




