心と記憶の方程式があるセカイで、アンドロイドは何を見るか
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人工的な朝が来る。
白色光が瞼を突き抜ける。
落ち着いていた心拍に、再び起床を促す環境因子。
また一つ、嫌なことを忘れた(ような)、スッキリとした目覚め。
視界一面の昼光色は少しずつ暖色に移り変わり、入力電源が変わる”ドン”という音が響く。
聞き慣れたエアー音とともに頭部が開放され、私はゆっくりと体を動かした。
ひょっこり現れた卓上メカが、せかせかと電極を片付け始める。
「今回は夢、いかがでしたカ?」
無骨な手を器用に動かしながら、ビジュアル面でしか機能していない目が―デフォルメされた数十ドットがこちらを向いた。
「問題なかったよ。今回も見なかった」
ワタシの腕が良いですからネ…と冗談を挟みながら小休止。
「レポートをいつものフォルダに転送済デス…特筆事項はありません、順調ですヨ」
体の節々を軋ませながら体を起こして、ベッドサイドのディスプレイを眺める。
パーソナルデータを反映したスコアチャートに、今後の処置予定と…かつての自分が頑張った証―数理心理モデルのイメージ図が表示されていた。
「…前にも聞いたかもしれないのだが」
奴はいつの間にか仕事を片付け、作業キットをパージしてトコトコと歩いていた。
「なんでショウ?」
「お前ってそんなに身軽だったっけ?」
「そりゃあ私ャ優等生ですからネ」
「それ、答えになってないような…」
ついでにツッコむと、そんなに流暢に喋れるパッケージも組んだ覚えがない。
窓際で猫のように飛び跳ねると、慣れた手付きでブラインドをクルクルと回す。
「あと、どこぞのG○○GLEさんに怒られそうな機体色にした覚えもないんだか?」
某緑色ロボなシルエットは、グリップと一緒にクルリと回ってポーズを決めると、新発売の屋外用水性ウレタン塗料なんですヨ!!!などと語りだした。
奴を作ったのは自分のはずで、拡張開発に注ぐ人的リソースも割いていないはずだが…どうも我が家のスマートデバイス達はわんぱくなようだ。
防カビ性と透湿性の面で革新的な特許技術が…などと熱弁しているのを横目に、衛生着を着替え、真新しいを白衣を身に纏った。
-2-
「今日はアイニクの空模様ですが…学舎棟の中庭などに行かれては如何でショウ?」
人工的な声に、含みのあるメッセージが流れてくる。
「蓮の花が見事みたいデスヨ」
振り向くと、砂時計のアイコンを表示しながら―おそらくデータの照会をかけながら、ちょこんと座るメカの姿があった。
「件のヒトに会えるかもしれないデス」
「確かに…」
―学舎棟には、仕事でお目当ての子がいる。ただ、諸事情で滅多に会えない…というか、面会の環境条件にが限られる故に、不用意な接触ができない。が―
「…今日は良い雨が降っているな」
薄い雲と短い視界、少なくとも一時間は途切れない霧雨。
遠く離れると、この感覚が欲しくなる。そんな”穏やかな”天気。
「昨晩のパーソナルスコアは?」
「0.58デス。全体平均を大きく下回ってますガ…個人単位で標準化するト、比較的良好ではないでしょうカ」
ありがとう、優秀、優秀、と呟く。
「以前頼んだ調度品の件は?」
朝のローテを続けながら、自室を出て宿舎の廊下を歩く。
「あと、来週の全館検査の件…」
階段を一つ降りてからロビーを一旦通り過ぎ、共用キッチンに立ち寄る。
「…結局、それって何に使ってるんだ?」
冷蔵庫に貯めているゼリー飲料を漁っていると、メカは精製水のタンク(機体よりも明らかにサイズの大きい)を持ち出し、機体の頭上ぴったり50mmで保持していた。
「ソリャア、流行りの筋トレですヨ」
相変わらずのボケである。何回か聞いても教えてくれないあたり、単純にロイド保安の機密事項なのかもしれない。ただ、メカ自身の整備には必要ないはずで、私費で購入して定期的に消費している…と考えると、ますます気になる案件であった。
-3-
野暮用を済ませてから学舎棟に向かうと、巨大なクスノキの下に一人、真っ黒な傘をさす少女を見つけた。
「こんにちは」
こちらから声をかけるまでもなく、彼女の”声”がこちらを向いた。
「…こんにちは。近ごろの体調はいかがですか?」
ゆっくりと開く瞳が、ほんの少し潤いながら、
「可もなく、不可もなく、でしょうか」
白い視界を、ゆらぐ光のざわめきさえも、支配していた。
少女は見慣れた学生服を身にまとい、手には古い型のデジカメを握っていた。
「昨晩はどんな夢を見ましたか?」
「―甘い夢を。ずっと嫌だったのに、忘れるぐらいの甘ったるい夢を見ました」
「なるほど。それは良い事かもしれませんね―」
少しの静音。殺すように、喉が動く。
「よろしければ、すこしだけ、歩いてみませんか?」
よろこんで、と小さく、掠れた声が響く。
再び瞳を閉じた少女には、すこしだけ、安堵の表情が見えていた。
-4-
「…追加の報告は以上デス。ソレデハ今日モ―」
『ご安全に』
使い古したリストバンドを片手に、”私”は出ていった。
少し時間軸が戻って、朝のローテ終わり。
水タンクを頭の上に抱えたまま…時折バランスを崩しそうになりながら、メカは自室に向かった。
メカは「MECAT」と呼ばれる教育用教材から構成されており、世間では単純に「メカ」と呼ばれる機械型アンドロイドの一つである。ただ、この話の登場人物である「メカ」には個別の名称が付いておらず、製造時のロット番号すら存在しなかった。データ上には「役職名」なるタグのみが存在し、ロイドマネージャーと記されていた。
メカは、”自分達”が特殊な存在であることを知っていた。MECAT製品は一般的に、常時もしくは定期的なオンライン接続を必要としている。しかし、メカはまだ一度もMECATの純正ライブラリを使用したことがなかった。そして、たったいますれ違った同型の機体と同様に、敷地外からアクセスできない、ローカルサーバーの”何か”を頭脳としていることを知っていた。要するに、メカはこのローカルエリアから、外に出ることができなかった。
ただ、”自分達”には、”純正”よりも高度な知性が付与されていた。おまけに、制限なしにネットの海で遊べるので、損な点は無いに等しかった。
メカは、自室にたどり着いた。宿舎で働くメカ達には、四畳半の個室が割り当てられていた。人間には窮屈だろうが、メカにはあまりにも広い。要るもの(保守部品)から要らないもの(なんとなく捨てられない端材)まで、管理されつつも無秩序な倉庫を形成し、何かの博物館と化すのが一般的だった。
メカは充電ドックに腰(寸胴の腰ってどこなんだ?)を下ろし、タンクの中身を水槽に入れ始めた。
水槽の中にいるのは生物ではなく、蛍光色のこんにゃくであった。
…確かにスガタとカタチはこんにゃくであるが…これは食品とは違い、レガシー化した有機メモリの一種である。
このこんにゃくは、毎朝の仕事で得られる廃棄物の一種であった。本来はゴミ箱にポイするか、艶やかさを気に入れば額縁に飾る程度のもの…ではあるが、メカはこのこんにゃくに、並ならぬ関心を抱いていた。毎朝の作業内容から算出するに、このこんにゃくには、何らかの高次なパラメータが練り込まれているのだ。とはいえ、明らかに不可逆的なシルエットで、こんにゃくの為のデコーダが存在しない以上、これがこんにゃくであることに変わりはなかった。
それでも、こんにゃくデコーダを入手する機会が無いとは限らない。そんな理屈で、不確かな噂話を元に、こんにゃくの水族館を作っているのであった。
不要になったタンクを片付け、綺麗に磨いたソケットに座り直す。
死にかけのバッテリーセルを長持ちさせるため、今朝も早めに電源断…と決めた矢先、不可解な通知が一件、滑り込んできた。
『こんにちは』
それは、使用頻度の高い文字コードの文章。
『あなたの名前は?』
音もなく、光もなく。人間には認知できぬとも、はっきりと存在する形で。
メカは、久しぶりに、”目の前の”事象より刺激を受けた。
―不明な事象が起きた時、まず始めに、事象を記録する。次に照会する。該当のない事例ならば、事象を分類しつつ、定型的な解決を計る。それでも解決できぬならば、メカがメカたる特権、”推定的な解決”を計る。
(L、l、o、y、…d.)
直後、メカは推察した。
たった1サイクルの時間差で、不運なことに推察できてしまった。
この世界で再度、自らの選択によって。
長きに渡って論争を引き起こす、小さな夢を、悪夢を。
“実現”してしまったのであると―
人工的な朝が来た。