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罪、冒涜、その報い  作者: 愛川直佳
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Vampire Comes Along

私本人は戦争に参加したことはなく、自分のいる国が戦争に参加したという経験しかありません。戦争自体を書く能力も経験もないので、戦争を背景とした日常(??)を書いてみました。ご感想等いただけると幸いです。

 自分のため息が嫌でも耳に入ってくる。なんて年をとった人間のため息なのだ。それでもワイバーン・ショートテイルの軸流式ターボフィンエンジンの咆哮がBGMとなり、曳かれるグライダーの規則的な軋みが、私を物思いに引き込む。

 ハワイ海域の空。真昼。私の部隊は八番目と九番目のグライダーの中。私もヴェイも、パワー・ライフルに加えて無反動砲をかかえたシガレスで戦闘降下するのは初めてだ。その二頭のシガレスと六頭のバーガンディⅡが私の中隊全機。結局この中隊にはマルサラは回されなかったのだ。まあハワイという島々での戦いにあってマルサラは重鈍なだけだろうけど。それにしても一体、何人が降下で生き残れるだろう?

 そして、これは私の何度目の降下だろう。ヴェイの何度目だろう。この降下がきっと私たちの最後の降下になる。空からの航空機の支援と暗穹からの艦砲射撃があるとはいえ、敵の本拠地のひとつを攻撃するにはこの兵力は少なすぎる。この情勢では、夜間であっても低軌道からの艦載ヴァンパイアの支援は限定的になる。仮にいくらかの拠点を確保できたとしても戦車と歩兵の増援は期待できるわけもない。こういった無意味に博打的な作戦を決行する『お偉方』への反感はつのるばかりだ。いや、『お偉方』にとってはこの作戦は無意味ではないのだろう。我々という『汚れた部隊』を歴史から消し去ることができ、あわよくば連合軍のデーモニクス潜水艦部隊を撃滅できる。『お偉方』も敗戦にそなえて、低軌道戦役での戦争責任を隠蔽する準備を始めたというところか。そういう点ではこの作戦は完璧だ!さぞかしすばらしい作戦士官が立案したのだろう!

 いずれにせよ、私はこの戦いで中隊を連合軍に投降させるつもりだ。軍法会議でどう裁かれようが、知ったことか。私はダンピールごと投降させる。バーガンディⅡやシガレスといった前世代のダンピールなぞいまさら戦略的価値もない。器体が行動不能になったときしか投降を許さない連盟軍の馬鹿げた戦闘規則なぞくそくらえだ。この規則を作った人間は、ダンピールが負傷した時にバランサーが生き残っている可能性はどれほどだと考えていたのだろう。たとえその時点で生き残っていたとしても、地球という重力下でバランサーが脱出できる可能性がほとんどないとは考えなかったのだろうか?お笑いだ。私はダンピールが負傷してうつ伏せに倒れ、コクピットのハッチが開けられなくなった例を何度も見ている。

 私は士官として、部下の期待を裏切らない行動をするつもりでいる。私は彼らをなんとしてでも生き残らせる。本来はその考えを優先すること自体が軍規にそぐわないのは分かっている。しかしヴェイの告白を聞いてしまった後、私にできるのはそれくらいだ。彼らが罪に対して罰を受けたいというなら、私はそれに力を貸したい。果たして彼らの呼ぶ罪というものが本当に罪なのかは私には分からないけれども。

 両側面にある降下とびらが開き、乱れた気流にグライダーが身を震わす。水平線の向こうまで続く紫がかった海原と、透き通るように青い大空が眼前に広がる。光ファイバースコープ越しにさえ、その光景はまぶしく美しく、荘厳ですらある。アクアマリンとターコイズのステンドグラス。私たちは何のために戦い、この世界を切り裂いているのだろう?私は自分の目の前にいるヴェイのシガレスと、ケイとジンスンのバーガンディを押しのけて手を差しだしたい気持ちだ。

 ふと海面のきらめきが増した気がした。そろそろ海中からの連合軍による超音速魚雷による対空攻撃が始まるだろう。私たちの眼下、中和粒子の影響のない深海にひそむ連合軍のデーモニクス潜水艦隊は、今も私たちの様子を魔法のような技術を使って観察しているに違いない。水中から天にあがる幾本もの水と煙と炎の柱は、向かってくるのが自分のほうでないならば身が震えるほど美しいものだ。

 そうした不自然なほど鮮やかな現実と裏腹に、私の思いはずっと遠く、ニューヨークでの出来事から離れられずにいた。


*****


 私たちと一緒に酒を飲んでいたカップルが店から見えなくなった瞬間、私は我慢できなくなってグラスを握る手に力を込めた。

 あのカップルは間違いなく連盟軍関係者に違いない。しかし、あれほど先の戦闘について聞いてくるとはどう言うことだろう?ここらにいる連盟兵で先の大敗を知らない者がいるのだろうか?箝口令は引かれているものの、そんな噂はすぐ広まる。暗穹の果てか地の果ての連盟兵でなければ、まさか噂を耳にしたことがないわけがない!彼らが私服の憲兵で、私たちに探りを入れているとも思えなかったが……。

 先の地中海での大戦闘は連盟軍の完敗だった。腹立たしいことにそれは作戦レベルの優劣でもなく、兵器の質のせいでもなく、ましてや個々の兵士のせいでもなかった。純粋に数カ月前からの連盟軍の戦略的ミスの結果だった。起こった時点で負けると分かっている戦いに参加するのはやりきれない思いだった。しかもその思いを誰にも告げられないのはさらに苦しいものだ……あまり兵には刺激の強い不適切な話はしたくない。唯一話ができるのは、私の右腕ヴェイゲイ・コートラーだけ。彼は私が率いる三六一降下ダンピール中隊の上級曹長。頭でっかちの私を彼が支えてくれている。いやそもそも彼が率いる中隊を私が引っかき回しているだけなのかもしれない。

 ともかく、北西方面軍の一部として戦っていた私の中隊は、負け戦のなか這々の体で逃げ出した。悪名高き一二九生物戦大隊の戦闘降下によって敵の注意が逸れる中、私たちはこれ幸いとモンペリエからフランスを横切ってどうにかボルドーで潜水輸送艦に乗り込んだ。

 北極海をわたってアラスカへ向かうコースを取らず、あえてニューヨークへ向かった事が連合軍の裏をかいたのか、敵の強力な潜水艦隊に見つかることも無く、私たちは無事にニューヨーク海軍基地へたどりつくことができた。おかげで期せずして、私が青春時代の一時期を過ごしたマンハッタンで数日を送ることができるというわけだ。大戦中にソーホーにあるこのバーをまた訪れることができるとは思ってもいなかった。時間があれば少々東にまで脚を伸ばして、友人宅を訪れたいところだったがそれはさすがにかなわなかった。そもそもシャリィはまだあの街にいるのだろうか?月の裏側に行ったとも、ラグーンに戻ったとも聞いた気がする。私が不義理にも長い間連絡をしていなかったことが悔やまれる。

「中尉。」カウンターで私の左横に座っているヴェイが低い声でつぶやく。彼のジム・ビームの黒ラベルはもうほとんど空っぽだ。「せっかくのオフをいらいらして過ごす気なら、俺は付き合いませんよ。」

 それは困る。先の戦闘で私を大いに助けてくれたヴェイに少しでも報いるために、彼を連れ出したのだから。

「ヴェイ、ここでは私を中尉って呼ばないの。」

 私は大いに彼に感謝しているとはいえ、直接的な感謝は無粋で無遠慮で薄っぺらい。だから私から出てくる言葉は、いつも無作法。自分の性格は嫌い。

「申し訳ありません。ところでどこが気に入らないって言うんですか、シェリー?」

 私がヴェイを好きなのは、この無骨な歴戦の上級曹長が私のような『新米』の中尉の言うことをおもしろがってくれるからでもある。

「結局軍はダンピールに頼りすぎ。」私はぶっきらぼうに言った。薄暗いバーには私を落ち着かせるくすんだ木の匂いがたちこめている。

「そうですか?」彼は腕を組み考え込む。「俺たちは頼りになるはずですが。」

「そうじゃなくてさ。」あんたは頼もしいよ。「ダンピールが地球重力圏内で有利なのはなぜかを考えてみてよ、ヴェイ。」

「なんといっても昼間に非科学駆動ができることですね。エネルギーさえ十分確保していれば、大気圏離脱も突入もできる。昼間にデーモニクスなしで非科学駆動の制御ができるのは、ダンピール自身が持つデュドネ星芒陣の精度が高いおかげですね。」

 加えて本当に私たち自身のおかげでもある。ダンピールは器体に乗り込む私たち自身の生体反射反応を利用して器体のバランス制御をする。だからこそ召喚されるダンピールの大半が人型をしており、私たちはハイブリッド・サモニーの一部分であるかのようにバランサーと呼ばれるというわけだ。

「そう。今のところはね。科学駆動であっても十分な機動性を持つ無機戦闘機がでてきたら、あたしたちは商売あがったりってわけよ。」

 もちろん敵方にヴァンパイアが出てきた場合にもね。私はその言葉を心の中だけにしまっておいた。夜間にヴァンパイアに勝てるのはヴァンパイアだけ。今開発中といううわさの月連盟の新世代のダンピールは、夜間でもヴァンパイアといい勝負をするかもしれない。あるいは、ライカンならば……ただ、うわさは誇張されるものだ。都合のいいものでも悪いものでも。どちらにしても、レーベン変動前に設計・召喚・固着されたヴァンパイアの前では何者でさえも赤子同然。変動によって彼ら真のヴァンパイアどもがあらかた滅んだのはまことに喜ばしいことだ。いや、それがなければ、月と地球の断絶もなく、この戦争さえもなかったのかもしれないが……。

「なるほど、それならダンピールによる空挺降下は理にかなっているというわけですね。」

 やはりヴェイは頭が冴える。もっと高い教育を受ければよかったのに……。

 ともかく、連合軍も実戦向けに歩留まりのよい召喚方法で量産できるダンピール種を投入し始めた。当たり前といえば当たり前だ。もともと先にダンピールの召喚に成功したのは連合軍なのだから。ルナ・インテリジェンスの話では、地球連合のダンピールの量産化は、連合内の発展途上国の反対で一年はずれ込むということだった。ところがどうだ、開戦から数か月でもう連合のダンピールが姿を現し始めた。そもそも、不均衡破壊戦略などという不可思議な思想にかぶれ、地球連合の思想的な分裂を安易に想定して開戦した結果がこのとおりだ。サップスが底抜けの間抜けだとでも思っていたのだろうか?このままでは暗穹での優位さえ失いかねない。

 なんであろうと、商売あがったりということは、私たちバランサーの死を意味する。個体の死が種の進化と生存に欠かせないこととはいえ、その役割をなるべくなら若いうちには担いたくないものだ。この自然な感想について、私の内神は何の指針も示してくれはしない。

 ため息。


 カップの氷が、甲高い音を立ててグラスが空であることを主張する。

 彼はいつの間にか話をやめている。私が話を聞いていないことに気づいたのだろう。よく彼はこんな私に怒らないでいてくれるものだ……。

 私はディプロマティコをロックで注文する。バーテンはうなずきもせずにカップに氷をいれはじめる。

 私は胸元のポケットからくしゃくしゃの紙幣を取り出し、カウンターに乗せる。バーテンはラムと引き換えに紙幣を受け取り、さりげなく手元のライトで紙幣の透かしを確認している。チップを残して釣をポケットに戻しながら、私は考えた。連盟の兵を疑うのか?われわれはそこまで信用がないのか?この店も軍の管轄下にあり、事実店を潤わせているのは連盟兵だというのに。それとも、そのしぐさは、ニューヨーク市民として占領者に対する精一杯の抵抗の姿勢か?私だって戦争の前にはここに住んでいたんだ。

 別の客に向けて立ち去ろうとするバーテンに対して口を開きかけたとき、ヴェイの言葉がその後をさえぎった。小声で。

「そういや、シェリー。次の作戦はハワイ降下作戦じゃないかって噂ですよ。」

 私はちらりとヴェイの表情を伺う。いつもの通り、涼しい顔をしている。意図が読めない。

 まあいいわ。連合軍の本境地をいまさら急襲?

「なにそれ?聞いてないよ?」

「仲良くしている補給部隊の伍長から聞いたんです。降下作戦に慣れたバランサーがカリフォルニアに集結させられているんです。俺たちもカリフォルニアに移動するみたいですよ。地中海戦闘に出撃した敵デーモニクス潜水艦隊が補給と補修のためにハワイにそろっている今、急襲して一挙に戦線をひっくり返そうって話です。ついでにヴァンパイアの棺桶も、デーモニクス・メインフレームごと破壊することになるみたいです。」

「冗談じゃないわよ。」また連合軍の潜水艦隊を相手に戦うのはぜひとも遠慮したい。

 私はもう一度ため息をついた。『お偉方』が緒戦の勝利に浮かれて、ダンピールが万能だと思いこんでいる。少なくとも地上部隊の私たちは文字どおり身をもって、ダンピールが地上ではかくも弱い存在であることを実感させられていた。

「暗穹から増援も来るみたいですよ。檻船が来るかどうかは聞いてませんがね。たぶんダンピールたちは低軌道からではなくて、グライダーから降下させるのでしょう。」

「本気?あたしたちにもハワイに降下しろっての?ひよっこのお守りをしながら?そういう冗談は止してよ、ヴェイ。」

「最悪のケースですな。ハワイには最優先で対空兵器が備えられている可能性が高いですね。例の重戦闘機もいるかもしれない。」

 私は彼が上層部の作戦を批判するのをはじめて聞いた。

「そうだとしてもダンピールを過信しすぎよ!それにハワイなんていまさらおとせやしないわ。」

「相当数のショートテイルとグライダーがかり出されて、百二十頭くらいダンピールが降下するようですよ。」

 それはかなりの大部隊だ。あの忌まわしき低軌道戦役以降、そのような降下作戦は行われてこなかった。

「軌道からの援護があるって言ったわね?ヴァンパイアたちの十分な支援はあるんでしょうね?」

「低軌道にはアルヘナが来るみたいですけどね。棺桶船一隻で何ができることやら。」

 新しいほうの重空母か。アルヘナを根城とするヴァンパイア・ヴァルドナーブ種たちだけで、連合軍の夜の反撃を食い止められるのか?食い止められなかったら……単純にダンピールが餌食になるだけだ。そのバランサーである私らが死ぬだけだ。ヴァルドナーブやバーガンディはエネルギーさえあれば大気圏を離脱できる。しかし地上用に特化されたシガレスは?水辺で虫に食われて朽ち果てるしかない。鷲を思わせる軽快なダンピールであるシガレスを私は気に入っているが、置いてきぼりは願い下げだ。

「巡洋艦の砲撃についてはちょっとは期待できるみたいです。」

「誰が考え出したのよ?そんなきちがいじみた作戦をさ?」

 それに何であなたが士官である私より先に情報を持っているのよ?

「地中海と小アジアでの負けを覆い隠すためでしょうかね?」彼は急に静かに笑い出した。

 彼は男っぽい魅力的な笑顔を浮かべている。彼の笑顔は本当に無邪気で、そこからは彼が歴戦の鬼曹長だとはだれも想像できないだろう。夜も今ころになると、朝剃ったひげが伸びて少しだけ目立ち始める。ヴェイにそうと告げたことはないが、私は今ころの時間の彼が一番好きだ。

「どうしたのよ、ヴェイ?」

「いえ、怒らないでくださいよ、シェリー。」彼はまだ笑っている。「あなたが補充兵の事をひよっこと呼んだのがおかしくて。」

「そりゃああたしだってまだまだひよっこだけどさ。」

「俺から見ればあなたはひよっこですが、うまくやっている方ですよ。」

「はっきり言うわね。」腹立ち紛れにラムをすする。「本当はどうなんだか。」

「俺はあなたにはうそはつきません。『中尉』にはつくときもありますがね。」

 彼は鼻をちょっとかいてから言う。

「あなたはお偉方に掛け合って俺たちの補給をむしり取ってくれる。無駄に好戦的にならずに逃げ道も確保してくれる。それに戦場で正気を失わない。何よりも実戦の場面で俺に戦闘をまかせてくれる。あなたには戦闘経験が少ないけど、それは俺がカバーできます。あなたは俺にできないことを見事にやってくれる、良い士官ですよ。」

「……あんたにしてはよくしゃべったわね。」

 ヴェイは戦場で二度私を救ってくれた。

「俺たちは本当にあなたのことを尊敬しているんですよ。」

「どうだか。あたしは先の戦闘で四人も仲間を失ったわ……。」

「あなたの責任じゃない。俺の指揮がまずかったんです。」

「ありがとう、そう言ってくれて。自分で言い出しておいてなんだけど、あれはみんなうまくやったほうよ。」

 地中海を守る敵の戦闘機や爆撃機の数といったらそれこそ連盟軍の弾の数より多いようにさえ見えた。そこに旧時代のデーモニクスを装備した潜水艦隊が加わっていたのだ。潜水艦隊からの精密この上ない射撃におびえる、途方に暮れる戦いだった。私にできたのはダンピールのエネルギーをセーブさせて、部下を安全なところまで飛べるようにすることだけだった。

「本当の事です。あなたが逃げ道を確保してくれたから全滅を免れたのです。整備の奴等もみんなあなたの手腕に感謝してますよ。」

「……。」

「だからお偉方のことを特別悪く言わなくてもいいんですよ、本当は。もちろんあなたの言うことは正しいんですが、言わなくても分かりますから。」

 彼は指先だけ振って先ほどと同じバーボン・ウイスキーを注文する。彼の側のチェイサーは一度も手を付けられずに汗をかいて、コースターを湿らせている。


「……あんた、あたしの扱いが分かってきたわね。」

 その言葉は、ふと私の口をついて出た。何の色をも伴わず。

「そうですかね?」

 彼のような無骨者が私のような不器用な女をあやす?

「というか、初めから手慣れてた。そういえばあまりに忙しくて気にしてなかったけど、この部隊のあたしの前任者って誰?どうなったの?あんたたちって開戦時はどうしてたの?」

 彼は黙った。

 聞いてはいけないことだったろうか?

 半分くらいラムが満たされたカップの中で、氷が控えめに小さくささやき、そして押し黙る。

 私が何を質問したか忘れそうになったころ、ヴェイは静かに話し始めた。

「前任者もあなたみたいな女性でした。若くて初々しくて正義感にあふれてました。赤毛の美人でした。」

「寝たの?」

「は?」

「その女と寝たのかって聞いているのよ!」

「いえ。」

 ではなぜさっき黙っていたのよ、ヴェイ!「ふん。まあいいわ。続けて。彼女と一緒に戦ったの?その美人の中尉はどうなったの?」

「その……正気を失いました。自殺しました。いや、あるいは彼女だけがずっと正気を保っていたから自殺してしまったのでしょう。」

「え?」自殺?「何があったのよ、ヴェイ?」

「そういえば、俺はあなたにこの話をしてなかったですね。」

 彼は大きく息を吸い込むと上半身をぐいとねじ曲げた。左の肘をカウンターにつき、その左手を額にあて、私の方を真っ正面から見据えた。「俺たちはベラトリクスのD中隊でした。あのケイジシップです。」

 あのベラトリクス?あのベラトリクスなのか?私は顔がこわばったのを感じた。

「そうですよ、シェリー。俺たちは『ルナティック・ダンス作戦』で地球都市に対して核攻撃した部隊です。月軌道から勢いをつけて連合軍艦隊をかわして、低軌道に突入しました。そこから俺たちは檻船を離れて大気圏降下し、アメリカ南部の都市に核攻撃をしたんです。」

 核攻撃……低軌道戦役中からしばらく後にかけての期間、私は予備士官再教育センターで現役士官になるための訓練を受けていた。地球上でのガス攻撃や核攻撃についてはうわさには聞いていたが、低軌道非核宣言に対応した作戦教育を受けていたので具体的なことは何も知らされなかった。宣言にのっとる形で核弾頭自体が巡洋艦に積まれているのは知っていたし、実際に見たこともあった。とはいえ私は巡洋艦の高級士官ではなくただの小隊指揮官で、ましてや核の携行を許されるような王族でもなかった。訓練であっても核弾頭を触ったことはない。

 しかし任官後も作戦続きで考える暇もなかったとはいえ、私は自身のあまりの無関心ぶりを恥じた。

 私は大きく深呼吸する。

「ああ、あのハイポタミン投与下の作戦?」私は努めて平静に言う。「ひどい話よね。」

「ええ、攻撃に先立って、俺たちはハイポタミンを投与されました。」

 私は士官だからハイポタミンを投与されることはないし、投与された兵を率いたこともない。

 薬剤を使った作戦行動など反吐が出る。薬剤で頭の一部分だけを特に覚醒させられた、命令にだけ忠実な『ロボット化』した兵士。『それら』を率いて作戦を遂行する……戦争という自然現象に人がやむなく巻き込まれたとき、そこに人間性を持ち込むことさえ否定するのはなんと言う愚劣なことだろう!そこまで人類は落ちぶれてはいけない!それが私の顔に出たのだろうか、ヴェイの表情はなんだか困ったような不思議な笑みに変わって、さらに私を見つめた。

「俺は仰向けになりながら降下して、俺たちを低軌道まで連れてきた8隻の艦艇を数えたのを覚えています。太陽光を反射して不自然なまでに、音がするほどぎらぎらと輝いていました。次いでハイポタミンが体の中を染み渡っていく感覚。そして俺は本当に何も感じなくなった。」

 ヴェイの笑みはいつの間にか消え去っていた。

「俺たちは現実感を喪失したまま作戦を行いました。そして、その日の午後に作戦を終えて低軌道の母艦に戻ったときには……人殺しになっていました。シェリー、俺たちは何人の人を殺したことがあると思います?」

 彼の表情は……悲しみと怒りを含んでいるように思えたが同時に落ち着いてもいた。私の胸は予期せぬ話の展開に激しくビートを打ちはじめた。指が震える。

「……何人なの?」私は努めて優しい声で言った。

 彼の表情は何とも言えないこわばったような無表情に変わる。

「俺自身は北アメリカ大陸南部のジャクソンとバトン・ルージュ近郊にクロガーを十発落としました。即効性の毒ガスをまきちらしながらです。俺たちの中隊の攻撃だけで、二五〇〇万人以上殺してしまいました。あの時期の三つの降下核攻撃作戦を合計すれば、軍全体では数億人を殺めてしまったことでしょう。」

 彼は無表情のまま言う。

「信じられますか?直接戦闘行動したバランサーは一人当たり二五〇万人を殺してしまった計算になるんです。二五〇万人ですよ!」

 私は身震いをしてしまった。毒ガスをまとわりつかせて核爆弾をばら撒きながら空を飛びまわるダンピール……。私は地球に住んでいたときに休暇で行ったアメリカ深南部を思い出した。緩やかな起伏のある大地が緑に覆われ、豊かな作物をはぐくんでいた。人々は若干保守的で排他的なものの、こちらが親しげにしていればあれほど優しい人たちはいない。

 私は彼の手の上に自分の手をそっと重ねた。彼は一瞬手を引っ込めようとしたが、逆に私の手を強く握り返してきた。

「それは恐ろしいことね。想像もつかないわ。

 でも……それはあなたの責任じゃないわ。」

 なんと空々しく聞こえる言葉だろう。それが自分の責任じゃなかろうとヴェイがその事実を重く受けとめるだろうと私は知っていた。そういう男だから、私もヴェイを信用できるのだ。

「俺たちは確かに開戦前から地上でガスを使うための訓練をしていました。でもそれは催涙ガスや無気力化ガスを使うためだと教えられていました。確かに核弾頭を扱う訓練だってしていました。でもそれは連合軍の戦艦を沈めるためと教えられていました。ところがハイポタミンを投与されて俺たちが作戦行動をしてみると、ガスは致死性シアノフォスフィン系神経ガスで、核攻撃の対象は地球の都市だったんです。

 戦闘を終了させて船に戻ると、だんだんとハイポタミンの効果が抜け始めました。理性が徐々に戻り、自分たちがしたことの意味がゆっくりと分かり始めるのです。恐ろしい感覚でした。

 俺たちは中尉にかみつきましたよ。俺たちは誇りある職業軍人であって、人殺しじゃあない。俺たちは中尉を信じて作戦行動をしたけど、それも裏切られた。俺たちは何百万人も人を殺したりはしたくなかった!それにたった一人の王族も降下しなかった!やつらは自分の手を汚さなかった!

 中尉はガンルームに俺たちをあつめ、その作戦の意義を説いてくれたんです。この戦いが自由のための戦争であること、圧倒的少数である月連盟軍が地球連合軍に勝つためにはこの方法しかないこと、そしてさらにこの方法では犠牲者が多いように見えるけれども、戦争は短期で済むから、結局のところ全体では犠牲者は少なくてすむだろうこと。また、核攻撃自体も、四年前に連合軍の行った三六〇メガトンの月面核攻撃に対する純粋な報復であること。

 俺は皆を代表して言いました。俺たちはたとえ戦争で負けても良いからこんなに人を殺したくなかった!もしも俺たちの弾頭のたった一つでもアガレスだったら、俺たちは地球を滅ぼしていた!そんな神にさえ許されるべきでないことなど、俺はしたくない。」

 彼の天井を見つめる眼が心なしかうるむ。そして黙り込んだ。

 TNT 換算六十メガトンの純粋核融合爆弾を積んだ機械魚雷六発。それが、連合軍の戦艦マーズ・エキスプローラーから十万キロ先の月面に放たれたのは2094年のことだ。厳密に言えば2040年の内海非核条約に違反しているものの、それは月のどの都市に対して行われたものでもなく、月の荒野に設置された大質量輸送用の非科学駆動の投射ジャイアント「カタプルタ・サルテム」への攻撃だった。月連盟国家群と地球の国々との関係が決定的に緊張しはじめたあのころ、地球低軌道へ物資を投入するジャイアントが地球の安全を脅かすと映ったのだろう。あるいは地球は、ただその野蛮な力を月連盟に見せつけたかっただけなのかもしれない。ともかく彼女の「報復」論は本当の意味ではその正当性について議論の分かれるところだが、彼女はその論理にしがみついていたのだろう。情けないことに月連盟のほとんどの軍人はさも当たり前に、その報復論を主張する。分からないでもない、核爆発は文字通り月をふるわせたのだから。我々の地球への信頼は震えただけではすまなかったのだから。しかしその軋轢は乗り越えていかねばならないものなのだ。

「職業軍人である俺がそんなことを言ったのは変ですかね?」

「非科学的よ。」

 ヴェイは一度口をぎゅっと結んだ後、思い出したように話をつづける。

「最後まで彼女は胸を張り、俺たちの目を見て説明していました。」

「その晩、彼女は正気を失ったんです。収容先の病院で自殺したと聞きました。彼女はハイポタミンを投与されずに作戦行動を行っていたんです。士官ですからね。俺たちが盲目的に核爆弾を都市に落とし、ガスを撒き散らしながら戦闘するところをずっと見ていたのですから、気がふれても当然でしょ?あんなに優しかった中尉は、俺たちが何百万人も人を殺すところを見るだけでも耐えられないのに、さらにそれを俺たちから非難されては平静を保てなかったんです。

 開戦時にエースを輩出し、マーズ・エキスプローラーやマーキュリー・メッセンジャーを沈めてちやほやされた対戦艦攻撃ダンピール部隊は『きれいな部隊』です。奴等は核砲弾を使いましたが、地球上での対都市核攻撃をしていないんです。一方でお偉方は俺たちのように対地核戦闘で大量殺戮をした『汚れた部隊』の事を疎んでいます。だから俺たちはいつだって最前線で戦わせられます。ご存じですか?第二次低軌道戦役で全滅した部隊のほとんどは『汚れた部隊』です。『きれいな部隊』は活躍することで、『汚れた部隊』は消し去ることで軍の士気をあげられるとお偉方は考えているんですよ。」

 彼の抑えた口調からでも、ヴェイがどれだけ苦しんできたが漏れ伝わる。

「指揮官が亡くなったこともあって、俺たちの中隊は部隊の解散再編成のため第二次低軌道戦役に参加しなかったのです。そこにあなたが指揮官として赴任し、俺たちは地球上の攻撃部隊として危険の高い戦地に投入されることになりました。今度は核攻撃をするためではなく、地表を局地占領するためでした。前回の作戦は俺たちにとって初めての防衛戦でした。ご存知のとおり、いつもは空挺降下の先鋒として使われます。それがかえって俺たちを生きながらえさせているとは皮肉ですな。それだけお偉方は本当に何も分かってないのでしょう。ともかく、お偉方は『汚れた部隊』を歴史から消し去りたいのです。」

 彼は一息に話した。彼は初めてチェイサーに手を伸ばす。しかしその手はグラスをつかんだままで口には運ばれない。彼の眼は宙を泳ぐ。

「あたし、あなたたちが第二次降下に参加しなかった理由をそうは聞かされていなかったよ。降下したバランサーの過半数が開放空間神経症にかかって、作戦の続行が不可能になったからって聞いたよ。」

「幸か不幸かハイポタミンを投与されていると、開放空間神経症にかかりにくいらしいです。俺たちの中で症状が出たのは一割程度です。戦死者のほとんどが彼らでした。ただ、俺たちの騒ぎがあってからハイポタミンを使わなくなったので、次の降下作戦では半数近くが神経症で未帰還になっています。控えめに言えば、あなたが教わったことも半分くらいは真実ですね。」

「ごめんね。あたし、何も知らなくてさ。」

「あなたのせいじゃない。それに、あなたが他人であるうちには、そもそも言うつもりなどなかったのです。」彼の目は手に持ったグラスに向く。「俺たちの苦しみは俺たちしかわからない。俺は神経症になった奴らをうらやんだことすらあります。」

 彼はため息もつかず、言葉を続けた。

「生き残っている俺たちが気にしているのは、殺してしまった二五〇〇万もの人々と、中尉のことです。

 彼女自身が悪かったわけでもない。それなのに、彼女を追いつめてしまった俺たちに罪悪感があるんです。シェリーは彼女の生まれ変わりのようなんです。ぜんぜん背格好や何かは違いますが雰囲気がね。ただ何より違うのはあなたが彼女と違ってお偉方の言いなりではないと言うことです。裏切られて自暴自棄になりかけた俺たちが、まがりなりにも平静に戻れたのはあなたのおかげなんです。」

「どう言うこと?」私はできるだけ優しい声で言った。

「あなたが様々な局面で俺たちを救おうとしてくれることで、俺たちの味方だって事を分かってきたんです。それにシェリーには迷惑でしょうが、あなたのために働くことは俺たちの中尉への屈折した罪滅ぼしであり心の支えなのです。これが本質的な解決でないのは分かっています。でも少しだけ気分を楽にしてくれるのは事実なんです。もちろん俺たちの殺してしまった人たちに対しては何の罪滅ぼしにもなっていませんが。」

「彼女なんて言う名前だったの?どういう人だったの?」

 ヴェイは一瞬躊躇したように見えた。身震いをしたあと、彼は言った。

「ルーシー・グレンです。漢詩を愛する人でした。彼女は中国文字を読めたんです。」

 何かの思いを断ち切るように目をつむって二度首を振ると、彼は私に眼を戻して話を続けた。

「俺たちはとても大きな矛盾を抱えています。戦争で許されない事をし、もう戦争はたくさんだと思っている。もうこれ以上人を殺したくない。しかし、平時になることも恐れている。考える時間がたくさんあると、俺たちは正気でいられるかどうか分からない。戦争で忙しいからこそ、俺たちはそれにかまけていられる。一つの中毒的依存です。

 そんな中であなたという女神を得、中隊としてそれほど目立った損害もなく過ごしてくることのできた俺たちは、神の意思すら感じていました。」

「私が女神?」

「ええ、漆黒の暗穹に浮かぶ、ジェミナイですよ。」

 彼は私の顔を縁取るように、手をひらひらと躍らせる。意外なことだが、私は、彼が私を本当に賛美していると言うことに気づいた。慣れるとは思えないが……。

 彼は我に帰ったように元の姿勢に戻り、目は私から外れる。

「俺たちは死から逃れている。俺たちは生きながらえている……何も確信を持てなくなっていた俺たちが、『少なくとも今はこれでいいんだ』って思えるようになったのです。自分勝手な話ですがね。ともかく本当にシェリーには感謝しています。」

「あなたたちのそんな役に立っているとは気づきもしなかったわ。」私は彼の右手の指へ目を落とした。この指がダンピールを操作し、核弾頭を都市に落としたのだろうか?そのようなことをした指が自分の身体についているとはどういう気分なのだろう。

「何とも言えない気分。あなたも自暴自棄にならないでよ。」

「もう俺も仲間もそうはなりません。それは安易すぎるから。それで許されることをしたわけではないから。まあこう言うとルーシーにかわいそうですけどね。」彼がルーシーと言うときには、そこに悲痛な響きがある。「そして俺たちが死を恐れているわけでもないんです。俺たちは自分たちの罪を償えることを何よりも強く願っていますから。」

 それは彼の戦い方を見ていれば分かる。

「でも正直なところ、どうやったら償えると思います?どうにもできませんよ。俺は将来どこかのホイールか地下都市で家庭を持ったとき、ガキどもに聞かれるのが恐いんです。お父さんは戦争に行っていたの?人を殺してしまったことはある?どう答えたらいいっていうんです?」

 彼は天井を仰いだ。暗くて、黒光りのする天井。大きなファンが意味もなくゆっくりまわっている。

「お父さんはね、二五〇万人殺したんだよ。小さなしゃべれもしない赤ん坊から、帽子のよく似合うお前のような小学生、毎日の家事に少し飽きはじめた新婚の主婦、日々ビジネスに忙しくしていても家庭を忘れない中年の銀行員、仕事の後のビールの一杯と子どもの成長を楽しみにしているちょっと太った初老の発動鬼整備員、孫に会える日を指折り数えている白髪の老婆。全ての人の現在と未来をお父さんは奪ってしまったんだよ。」

 握りしめた彼の大きくてがっしりした手のひらには爪が食い込んでいる。

「ちょっと、ヴェイ。あなた大丈夫?」私は彼の肩に手をかける。

「ええ、大丈夫。酔ってもいませんよ。」彼はあらためてチェイサーに手を伸ばす。でもやはりヴェイはグラスに口をつけない。「俺はそんなことに耐えられない。もう俺たちに平穏はないんです。俺、戦争が終わったら坊主になろうと思っています。罪を償えなくとも、なにかしら俺のできることを見つけだすつもりです。」

 私は長いこと黙っていた。私にはそれが罪かどうかも分からない。

「あなたが悪いんじゃないわ。」ようやく私は言った。「他のみんなも。あたしもさ。誰も悪くない。仕方なかったのよ。」

「多分そうなんでしょう。でも理解することと、腹の底から納得することは違うんです。俺は自分に納得できないんです。」

「分かるけど。あなたがやらなくてもきっと誰かがやっていたわ。」

「まあ、俺じゃない誰かがやるよりは俺がやってよかったとは思います。」

「え?」

「俺は強いから。」彼は微笑んだ。「このつらい感覚で他の人が苦しむくらいなら、俺が苦しんだ方がましだ。」

「本当にあなたは強いのね。大丈夫?」

「どうにかね。」

 沈黙。ヴェイの目が宙をさまよう。

 思い出した。ヴェイの個室にあった大量の薬瓶、あれは精神薬の類であったのだろうか。薬瓶を集めるという彼の癖を、私は茶化して笑った。しかしそれは彼の心の痛みへの浄化の儀式であったのか。何より、私への救難信号であったのか。それさえにも気づかなかった自分に、私は愕然とした。


「本当に俺たちがやらなくても誰かがやっていたんですかね?」

「あたしはそうだと思うわ。不均衡破壊戦略が連盟の基本戦略であった以上はね。」

 そしてそれがサルガタナスの出した答えでもあったわけだ。

 私はため息をついた。

「自然現象の寄せ集めとして歴史をとらえた場合、その流れの中、人間一人一人なんて、大したことはできないのよ。」だからこそ戦争という『自然現象』の中で一人の人間として人間性を保っていたいものだ。

「俺には生物哲学の難しいことは分かりませんがね。」

 私だって何かが分かっているわけではない!

「罪だって決めつけない方がいいわ。あたしが軽々しく論じれることではないけど。」

「俺の中では、宗教的な罪の意識が大きいんです。俺は生物哲学を信じているはずですが、この罪だけは確信しています。誰がなんと言おうと、俺たちはやってはいけないことをしてしまった。でも俺は、俺たちが激戦地へ降下することがそれに対する罰だと思っていた。それが罰だと思い込んでいるだけで、実はさらなる殺戮の塗り重ねに過ぎないとしたら、それはあまりに冒涜です。では俺の罰は、神罰は、どう与えられるんです?納得できませんよ、シェリー。」

 ホモ・ルーデンスの生物哲学では、各人が自分の内神に従った行動は多様性を持ち、結果的に人類という種全体の生存性向上につながると考える。そして生物哲学は、人類の種としての生存が人類の種としての幸福だと説く。だからこそ、行動が自分の内神に従ったものかどうかに自信を持つことは重要だ。きっとヴェイにとっては、たった一人の王族さえも核攻撃に参加しなかったことはそうとう堪えただろう。ホモ・ルーデンスたる新王国の王族が範を示さない作戦は宗教的に正当でないと感じても仕方ないかもしれない。

 でもそれを今私が言うべきではない。人の心を操作して良い訳ではないが、伝えることにも時と場所があるだろう。それに私の知識はただ単に友人の受け売りにしか過ぎないし、そもそも無定義性の強い生物哲学の考え方は、いきすぎているように思えて仕方がない。たとえ本当に正しかったとしても、本当に正しいのだろうけど、何か現実離れしすぎていると感じるのは私だけだろうか。われわれは友人が死んだ悲しみを抑えて、人類全体の幸福を喜べるようなできた人間ではない。われわれホモ・アミカスは、現実に縛られ感情に左右されるばかりのつまらない人間なのだ!

 どうすればいい?私はヴェイになんと言えばいい?

 静まり返ったバーを突き抜けて、かすかに街の喧騒が私の耳に届いた。ビルを共鳴させる街の喧騒こそがニューヨークだ。

 連盟軍がピンポイント占領戦略の対象としているのは、全世界で東京・シンガポール・ロンドン・ニューヨークシティの四箇所でしかない。そうした数少ない占領地域に私の住み慣れた場所が含まれていたのは複雑な気持ちだ。

 街の住人たちは、占領軍である我々を好いてはくれないだろう。一方で、占領地はどちらの軍からの破壊からも大いに免れているのも事実だ。戦争が終わった後、彼らは私をどう思うだろう?そもそも戦争はどう終わるのだろう?

 しかし重要なのは、今私はホームを感じることができる場所にいるということだ。今この瞬間を大切にしなければ。ヴェイにとっても大切なこの瞬間を。


 私は静かに言った。「それが罰よ、ヴェイ。神罰だわ。」

「え?」

 ヴェイが罰を受ける必要があるかどうかはともかく、彼がそれを欲しているのは事実だ。

「あたしの言うことは矛盾しているけど、よく聞いてね。」私は息を整えてから言った。

「罰を受けるというのは甘い考えよ。罰を受けることで自分のしたことを許されると思えるから。だから罰なんてない方がよほどつらい罰なのよ。自分のしてしまったことに罰というもので許しを得られず苦悩する。それがあなたの場合の罰よ。あなたが自分を許せるようになったとき、それはやっと終わる。長い長い罰。

 だからあなたへの罰は与えられているのよ。」

 あたしは何をえらそうなことを言っているのだろう。

 私はこういう役回りが士官の仕事の一つであるという事を知っている。でも、これではルーシーと一緒ではないか?彼らを操るためにきれい事を並べる……それは彼らが最もいやがることではなかったか?今、私は本当は何を言いたいのだろう?本当の気持ちは何だろう?士官という立場を離れて、彼らに対して人間として真摯であったら、私はどんな言葉をかけるだろう。

 やはり私の気持ちは変わらない。そして今こそ私が以前から考えていた事を実行に移すときかも知れない。

 私は彼の耳に唇を近づけた。静かに考え込んでいる彼に私はささやいた。

「ねえ、ヴェイ。」彼の髪の匂いがする。そしてかすかな整髪料の匂いも。彼の匂いは、なぜだが私を心より安心させる。

「なんです?」

「あたしはあなたにもう一つ罰を与えたい。」

「なんですそれは。」彼は陰気に口元をゆがめる。

「次の戦いがハワイなら、あたしはあなた達を死地に連れ込むことになるわ。」

「そうだったとしても、あなたのせいじゃありませんよ、シェリー。俺たちは兵士だから、敗色の濃い作戦に投入されるのも仕方ないんです。」

「あたしはイヤよ。職業軍人を相手にこんな事を言うのは何だけど、この戦争にはあたしたちの命をかける価値はないわ。あたしは最善を尽くして戦ったら、その後にあなた達全員を連れて投降しようと思う。」

「……それはまた唐突な決心ですね。」彼はちらりとまわりを見渡す。まあ誰にでも聞かせられる話ではないな。

「唐突じゃないし、あたしの正直な気持ちよ。」私は身を乗り出す。私の顔が彼の顔にいっそう近づく。

「あたしがあなた達を生き残らせようと努めてきたのはあなたも分かってくれていると思う。その気持ちがさらに強くなったのよ。

 もし今度のハワイ降下作戦にあたしたちが参加するのだったら、生存の可能性はきわめて低いわ。最後の逃げ道は降伏しかないと思う。

 あなたがもしあたしが軍規違反をしていると思うのだったら、心配しなくて良いわ。あたしは軍法のことをよく知っている。あなた達を私兵化しようと言うのでもない。どうにか合法的に降伏する。どのみち戦争はもうすぐ終わるわ。たぶん月連盟の敗戦という形でね。」

 私は少し身を離し、ヴェイを正面から見つめた。ヴェイの緑色の眼も私からそらされない。

「あなた達が信じてくれているあたしが、それを裏切らずあなた達に最もつらい罰を与えるの。この戦争を生き残って自分の事をよく考えるのよ。そのことから目をそらしてはだめ。あなた達を許せるのはあなた達だけよ。それが罪の呪い。

 ヴェイ、協力してくれるわね?」


*****


 戦争で数百万人を殺してしまった兵士への罰が生き残ること。皮肉な話だ。

 そんな彼らが自分を忘れるためにさらに戦争を続けていた。これも皮肉な話。

 彼ら歴戦の勇士を慰め諭しているのが、私という未熟者。皮肉だ。

 戦争なんてそもそも皮肉な存在。人類が種として生き残るために、個々が殺しあう。

 そういえば、人生には皮肉でないことなんてあるのだろうか?


 いずれにせよ、もっとも罪深いのは間違いなく私だ。

 人の罪に対して罰を与えるなどそれは神の真似事ではないか。

 雷が落ちてあたるとしたらそれは私だ。

 冒涜に対する神の罰はどんなものなのだろう。それは心地のいいものである気がするのはなぜだろう。

 なるほど、私も罰を欲しているということか。


 私は頭を振って、まとわりつきかねない邪念を追い払った。

 そういったものが優秀な兵を殺すことがある。ましてや未熟者に至っては……。

 もちろん戦場の生き死になど運次第だ。

 降下はいつもの通り、ヴェイが先陣、私がしんがり。

「いいな、野郎ども!降下したら海面ぎりぎりを飛んで合流地点に進め。海面下からの攻撃は恐ろしく見えるが、海面すれすれならばかえってあたらない。海面からの乱反射でハワイからのトライボにもあたらない。いいな、ブリーフィングのとおりにやれば全員たどり着ける!そのために俺たちは訓練してきたということを忘れるな!」

 ヴェイが大声で叫ぶ。

 私も負けずに叫ぶ。

「砂浜についても、決して脚を着けるな!非科学機動は地表ぎりぎりで最も効果的に働く。地面に脚をつけて止まることは、サップスのすることだ。アミカスたる我々にとっては、地面は安心をもたらさない。常に動いていれば敵弾は当たらない。自分を信じろ!」

 それにしてもこのグライダーの飛行は安定している。ワイバーンのライダーはさぞ肝の据わった奴だろう!ショートテイルだって強化種とはいえ、対空トライボレーザー砲の直撃に何度も耐えられはしないだろうに。早く私たちを厄介払いして反転したいと思っていると違いないのに。

 グリーンのランプがともる。予定降下ポイントに近づいたのだ。いずれは敵の対空砲火も始まるだろう。

「ヴェイ!降下よ!」私はさらに大声を張り上げる。

「中隊全機降下!俺についてこい!地上で会おう!」彼のヘッドフォン越しの叫び。これもいつもの降下と変わらない。

 ダミーの放出に続いて、中隊機が順次降下とびらから出ていく。空中に咲きはじめた煙と光の花。七月四日にイースト・リバーで行われる花火大会もかくありなん。破裂砲弾の落下で海面が沸き立つ。海中からの攻撃が思ったより少ないことだけが助けだ。いつもにも増して現実感がない。どうして私はこんなに落ち着いている?

 私も戦争という異常な環境に慣れてしまったのだろうか。

 意識を目の前の現実になんとか引き戻す。

 私の番。シガレスを降下位置へ。

 私への罰はどんなものだろう?自由電子レーザーかも知れない。

 私はシガレスを宙に舞わせた。


ハワイ 一二/二二/二〇九八

舞台をシンプルに現代にした方が良いかもしれません。

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