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カソット  作者: 綾部葉月
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1ヲルクの偽典と非日常の入り口

 キリスの足元から音もなく黒猫が現れた。この黒猫がキリスと契約している悪魔、なのだろう。

 緊張がさっと走った。退魔師相手に簡単に名乗ってはいけない。悪魔も名乗りを聞いていて、名前を知ればさまざまな魔法の効果を上乗せできる。

「んー? ニュイ、この少年のこと喰いたい? 普通の人間なんて喰ってもおいしくないと思うよ」

 黒猫はキリスの足にじゃれついている。甘えて何かをねだるようだ。この悪魔はニュイというらしい。そのまま、闇、か。

「ほら少年、記<ソゾ>を知ってて、見えるくらいなら学はあるでしょ。あんまり保留使うとニュイに本当に喰わせるよ」

「ジス……ジスフーム、です」

 脅しが半端なく怖くて、僕は名乗ってしまった。

 退魔師になりたいと思っていた。その退魔師が目の前にいる。なのに逃げ出したいくらい、怖い。

「ねえねえキリス、少年ジスをどうするつもり?」

「あまりやかましく喋らないでくれるかな、ギルバレッタ。時空の放浪者ヲルクを連れてると知ったわたしの身にもなってくれ」

 ギルバレッタは不服そうに口を噤んだ。

「ジス、悪いようにはしない。ひとつ頼みを聞いてくれたらいいんだ。そんなに難しいことじゃない」

「頼みって……?」

 さきほど軽く殺気を感じたのは言わないことにしておこう。

「何、簡単なことさ。ヲルクの偽典に関する情報が欲しい」

 僕の知る限り、とても簡単には思えない話だった。

 半笑いの僕に、

「喜望節で学校は休みでしょ。わたしはこの都市に不慣れでね、情報を得る場所も分からない」

「ジス、ヲルクの偽典が何かくらいは分かってるよね」

 キリスとギルバレッタが畳み掛けてくる。

「分かりました……時間は、かかりますよ」

 でも、日常から離れていくことにうきうきしていた。

 もっとも、僕の思った非日常よりずっと、事態はおもしろくて大変だったのだが。


  * * *


 ヲルクの偽典の説明をしよう。

 特殊な種族であるヲルクは、成人したと見做されると、偽典と呼ばれる本を授かる。誰が成人と見做すのか、誰から授かるんだか寡聞にして僕は知らないが、その本を使うことによって特殊能力が発動するそうだ。特殊能力は人によってそれぞれで、偽典も持ち主にしか使えない、らしい。

「と、ここまでが学校で習うことで」

 僕たちは目抜き通りの茶屋に移動していた。まさか学校の男子寮に女性ふたりをおいておくわけにはいかなかったので、取り敢えず場所を移した恰好である。

「ジス、物知りだね」

 ひと通り説明を聞いたキリスが感心したように言う。表情に乏しいのだがそんな雰囲気だ。一方ギルバレッタは眠そうにしていて、まじめに話を聞く気はないらしい。

「他に情報が必要ですか」

「必要だね。それからわたしに敬語つかうのやめて。そんなにいいご身分じゃないんだ」

 キリスの琥珀の瞳はどこか遠くを見ていた。

「……わかりまし……分かったよ。でも、なんでヲ……ギルバレッタと一緒にいるのかとか、偽典に関して情報が欲しいとか、全然状況が飲み込めないんだけど」

 キリスはふむ、と首を傾げて、

「旅の者の事情だよ」

「全然説明になってない」

「そうかな? 敢えて言うなら頼まれたからだね」

「誰によ?」

 間髪を入れずギルバレッタに問われたが、キリスはお茶を飲んで聞こえなかったふりをした。

 茶屋は喜望節の休暇中の昼間だからだろう、それなりに繁盛していて話し声が途切れることはない。僕とキリスとギルバレッタも、その中に溶け込んでいるはずだった。

 少なくとも、悪目立ちはしていないと思っていた。

 だから、よお、と気軽に挨拶するように声をかけてきた男に、僕は特に警戒はしなかったのだ。

「なんだか偽典なんてことばが聞こえてきたけど、ヲルクの嬢ちゃん。ローブの少年は色からするに学生だな? 男のナリしてる嬢ちゃんは、只者じゃなさそうだ」

 がっしりした体格の、僕よりは少し年上で20代にさしかかったくらいの男性。傭兵か何かのように見える。笑っているが、友好的な笑みでないことは確かだった。

 しまった。学校の外に出るのにこのローブを着てくるんじゃなかった。黒いローブは学生証と同じようなものだ。

 ギルバレッタが不安げにキリスを見ている。キリスは不敵な笑みを浮かべていた。

「何か用?」

 キリスがなんでもなさそうに男性に訊く。

「ナンパじゃないんだよ。ちょっと表出な」

 ぴりぴりした空気に、まわりの客もこちらをうかがっている。

 キリスが頷いたので、僕とギルバレッタも外に出た。

 男性は迫力のある笑顔のまま、人目のない路地裏に僕たちを誘導する。

「もう1度訊くよ。なんの用?」

 キリスの悪魔、ニュイが姿を現して、男性に向かって威嚇している。鳴き声はなかったが、毛を逆立てて目をらんらんと輝かせていた。

「なんの用って訊かれてもなあ?」

「用事がないなら失礼するよ。ふたりとも、わたしの方に寄ってくれるかな」

 魔法を使うのだろう。僕とギルバレッタがそばに寄った瞬間、光弾がはじけた。すぐに妙な浮遊感があって目の前の景色がぼやけ、ふらついた僕が立ち直すと、別の場所に移動していた。

 都市のどこからしいが、僕の知らない場所だった。さびれた通りで、人の気配が全くしない。建物がロゼっぽいくらいしか情報がない。

「今の、魔法?」

「そうだよ。少し離れた場所に移動しただけだが、撒くには撒けたはず」

 キリスは注意深くあたりをうかがっている。

「あーもうああいうの嫌」

 ギルバレッタが大袈裟にため息をつく。

 ニュイが尻尾を振りながらキリスを見上げている。何回かキリスが頷いているところを見ると、会話しているのだろうか。

「そうなの? ……なるほどね」

 キリスが相槌を打つ。ニュイの声は全くしないのだが、僕に聞こえていないだけだろうか。

「ジス、しばらく学校に帰れないかもしれない」

 僕の話だったらしい。驚きでことばが出ない。

「どうもさっきの男、……伏せて!」

 キリスが叫んだ。

 爆発音そして爆風と火薬のにおいがする。

 吹っ飛ばされそうなくらい強い爆風だった。重い音がまだ尾をひくように残っている。

 僕と同じように伏せたギルバレッタが悲鳴をあげた。

 ギルバレッタの視線の先を追うと、ちろちろと燃える炎を背負うようにさきほどの男性が立っていた。

「悪魔憑きに実際に会うのは初めてだな」

「退魔師と呼んでくれないかな」

 さきほどキリスが魔法を使ったから、男性はキリスの正体を看破したのだろう。キリスもその覚悟が最初からあったのか、驚いたふうもなくだるそうに言った。

「さて。逃げないで話を聞いてもらおうか」

「あなたも只者じゃなさそうだね。聞くだけ聞きましょう」

 男性はにかっと笑った。悪意に満ちた笑い方だった。

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