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蝉時雨と夏の希望  作者: 卯月 桜華
DAY7 消ゆる夏の希望
18/21

雨のち蜃気楼

昨晩ははほとんど眠れなかった。

なんでかって、理由は明白。

無論、夏希のことを考えていたためだった。


昨日、夏希を見つけた後。

夏希はしばらく泣いた末、それでも最後には泣き止んだ。

ごめん、ウチ、最近すごい泣き虫や。

そう言って、弱々しい顔で微笑みながら。

正直、その笑顔は普段の眩しい笑顔とは対照的に、とても痛々しかった。

無理していることを全くもって、隠しきれていないのだ。

どう声をかけたものかと悩む俺。

しかし、明日話すからと夏希は半ば俺を追い立てるような形でホテルの前まで送ってくれた。

その間、俺が発せた言葉といえば、ああ、とか、うん、とかそんな情けない相槌だけ。

理由を尋ねられなかったばかりか、気の利いたことさえも言えなかったのだった。

これはもちろん、その後の俺に死ぬほどの後悔をもたらした。

こんな情けないことがあろうか、と俺は自分を責めずにはいられなかった。


まず、後悔したのは、何故自分が夏希のことを知ろうとはしなかったのか、ということ。

今改めて考えてみれば、この六日間を俺はほとんど夏希のことを知らずに過ごして来た。

知っていることといえば、夏希の過去の話と、抽象的な目的と、いつもの天真爛漫な姿だけ。

苗字も、年齢も、学校のことさえも俺は知らなかった。

そして、それでいいとさえ思っていた。

それを知らない関係は酷く心地よかったから。

夏希のそれに触れないことは、自ら遠ざけている社会のことにもふれなくても構わなかったから。

そんな独りよがりな理由で俺は夏希を知ろうとしなかった。

もちろん、好みだとかそういう話は普通、徐々に時間をかけて知っていくことだろう。

だから、六日間という短い時間で彼女の全てを知ろうとするのは随分とおこがましい考えだ。

でも、夏希が何かを悩んでいることは幾度となく涙を見せたことを鑑みれば実に明白だ。

それでも俺は自分の身を優先したのだと思うと、本当に反吐が出そうな話だった。


そうして出て来た、次なる後悔は、夏希に自分の悩みを打ち明ける場を作ってやれなかったこと。

俺が夏希にとって、悩みを打ち明けるほどの価値がある大人であれなかったことに対する後悔が湧き上がって来た。

俺は父さんとのことで、数日前夏希に悩みを聞いてもらった。

そして、その時夏希は、俺に生きていてもいいよとその時に欲しかった言葉をくれた。

俺の悩みを聞こうとし、真剣に向き合ってくれた。

夏希は俺に誰かに甘える機会をくれたのだった。


しかし、その逆はどうだっただろうか。

俺は夏希に真剣に向き合っていただろうか。

俺は夏希に甘えてばかりで、表面上のことしか何もさせてやれていなかったのではないか。

答えは決まっている。

俺は夏希に甘えることを許していなかった。

夏希には無邪気な姿を要求して、心理面において俺が何かをしてやれたということはなかった。

つまり、俺は物を与えて自己満足に浸っていただけの浅ましい自己中野郎だったのだ。

こんな奴に縛られていた夏希のなんて可哀想なことだろう。

そりゃ何かを言えるはずもなかった。


「夏希」


俺は待ち合わせ場所に佇みながら、ぽつりと呟いた。

はたして、その名を口にする価値が俺にはあるのだろうか。

最早、思考はそんな自らを罵倒する言葉で埋め尽くされていた。

俺のお家芸といって過言ではない、典型的なネガティヴ思考。

現実から逃げ出そうとする自分の心の弱さが、今もまた露呈していた。

全く、これだからいけないと自嘲する。

俺は非建設的な思考から逃れようと首を左右に振った。


大切なのは過去を後悔するばかりでない。

それを踏まえてどう行動すべきか、だ。

後悔することはいつだってできるが、行動に移すにはタイムリミットが存在する。

今回の場合は挽回の余地があるのは、今日一日だった。

今日一日でいかに、本当の意味で夏希を笑顔にさせられるか。

重要な点はそこに尽きた。


「にしても、ついてないな」


気持ちを切り替えたところで、俺は空を見上げた。

今日は最終日にもかかわらず、生憎の雨。

今までずっと晴れていた分、今日にそれが回って来たらしい。

重く垂れ込める雲はまさに俺の心情を表しているようでもあって、余計に気分が重くなった。

せめて空だけでも明るければ、空元気だって出せたものを。

こう天気までもが悪いと、視線は自然と俯きがちだった。

これではいけないと、視線をなんとか前に向ける努力をしていると、俺の目には人々の日常風景が映った。


今日も待ち合わせ場所は駅前だ。

目の前を急ぎ足で通りゆく人々は傘をさしている。

俺は待ち合わせの時間まで一時間以上あるし、他に用もないので、駅ビルの前の軒下でぼんやりとそれを眺めていた。

横断歩道で信号待ちをしているサラリーマンはこの雨を憂鬱そうに、止まないかと空の様子をうかがっている。

制服姿で歩く眠そうな女子高生は雨とか、マジないわーとスマホで天気予報を見ている。

そして、友達とバスに乗り遅れまいと走る小学生は、これやとサッカー出来ひんな! と友達に大声をあげていた。


雨は存外、嫌われ者だ。

俺はそう思って、苦笑した。

俺自身に関して、雨はそんなに嫌いではないから、そんな雨をちょっと憐れんでしまう。

もちろん、こういう日は若干憎らしく思わなくはないけど、それでも嫌いにはなりきれない部分が雨にはあった。


雨は色んなものを洗い流してくれる。

だから、雨の後の清浄な空気は俺にとってとても心地よかった。

良いことも悪いことも、全てリセットした気になれる。というのは、何かの小説の受け売りだっただろうか。

もう忘れてしまったけれど、その気持ちは今も確かにあった。


それから、傘を叩く雨音もまた一興。

学生時代は雨の日になるとどこかワクワクしていたのを覚えている。

普段は自転車でパッと通りすがってしまう駅までの道を、姉の「自転車の片手運転はダメ」という言いつけを律儀に守り、歩いていく道はいつもと違って見えた。

雨粒に濡れた世界はいつもよりほんの少し静かだ。

外出する人が少ないせいかもしれないけど、僕はそれを雨音が雑音を消してくれるせいだと信じている。

日々ノイズと隣あわせで生きている僕を、雨は時折、そんな世界から切り離して、守ってくれている。

そんな気がしたものだ。


「今はそんなことないって、思うところもあるけれど」


やっぱり、憎むことは出来ないのだ。

雨はいつも俺に優しい。

だから、ちょっと思う。

図々しいかもしれないけれど、夏希にとって俺がそんな存在であればいいな、と。

例え大勢に嫌われていたとしても、嫌いになれない人がいてくれたら、それだけで嬉しいのだ。

別に好きなんて言ってもらえなくてもいい。

だけど、俺にとっての雨と同じくらいになれたらいいな、とそれだけは願ってしまう。

もし、拒絶されてしまっても、俺にそれを責める権利はないから、どうとは言えない。

けど、想うこと、それくらいは許して欲しい。


「夏希、来ないなぁ」


気がつけば、約束の時間は三十分も過ぎていた。

なのに、夏希の姿は現れない。

その頃になると、それほどまでに失望されてしまったのか、という不安になる気持ちや、夏希が何かトラブルに巻き込まれてしまったのかもしれない、という心配する気持ちなどが次々に湧き上がって来る。

探しに行くべきなのだろうか。

それとも、もしここに来た時のために待っておくべきか。

俺は悩んだ。でも、冷静に考えて、今ここを動けば、入れ違いになってしまう可能性が高かった。

また、探しに行くのは俺が迷う可能性が否定できず、夏希が何処にいるか見当もつかない以上、かなりリスキーな選択だ。

少なくとも、一時間以上経つまではここにいるべきだろう。

時計を一時間読み間違えた、という可能性も夏希に関しては無きにしもあらずだ。


しかし、夏希は約束の時間から一時間半経っても現れなかった。

俺の中には徐々に不安と焦燥が蓄積されて行く。

やっぱり、この約一週間一度たりとも時間に遅れなかった夏希がここまで来ないのは何かがあったに違いなかった。

例え俺に失望したのであっても、妙なところではしっかりしている彼女のことだ。

唐突に約束を破ったりはしないだろう。

そう考えると、やっぱりおかしかった。


「探しにいく……べきか」


俺にできる事はそれしかない。

例え、入れ違いになっても、またここへ戻ってくればなんとかなるだろう。

俺はそうと決めると、スニーカーの紐を結び直した……のだが、突然、しゃがみこむ俺の背後から声がかけられた。


「あれ、昨日の兄ちゃんか?」


俺は聞き覚えのあるクセの強い関西弁に振り返る。

すると、そこにはピカピカと光る頭にタオルを巻いた、たこ焼き屋のおっちゃんがいた。

最もここは駅なので、もちろん今は片手にたこ焼きはないが。

彼はどうやら俺にたこ焼きをぶつけたことを覚えているらしい。

彼は俺が振り返ると、確信を得たように笑みを深めた。


「あぁ、やっぱり。昨日の兄ちゃんやった」

「ええっと、はい。そうです。昨日はたこ焼き、ありがとうございました。とっても美味しかったです」

「いやいや、こっちこそ堪忍な。あん時は急いでたもんやから。ちゃんと前が見えてへんかった」


ガハハと豪快に頭を掻きながら笑うおっちゃん。

彼を見ていると昨日の気の毒になるほどの申し訳なさぶりといい、本当に愉快だった。

都会の人間にありがちな気持ちの壁もほとんど無くて、あまり話すのが得意でない俺も話しやすかった。

とはいえ、いつまでも雑談に興じているわけにはいかない。

今は夏希を探しにいかなくてはならないのだ。

俺はおっちゃんも美少女である夏希のことだから、覚えているだろうと踏んで、駄目元で聞いてみることにした。


「あの、すみません」

「ん、なんや?」

「昨日、俺と一緒にいた女の子見ていませんか? 姪っ子なんですが、はぐれてしまって。夏希っていう黒髪で、白いワンピースを着ている子なんですけど」

「女の子? はて……」


おっちゃんは訝しげに首を傾げた。

もしかしたら、ピンとこないのかもしれない。

また、俺のシャツを汚してしまったことに相当ショックを受けていたし、俺よりも身長の低い夏希には目が行かなかったという可能性もある。

だから、念の為、もう少し情報を足してみることにした。


「わかりませんか? 俺に汚れた部分を隠す為、このハンカチを貸してくれた女の子です。手も繋いでました。ちなみに十歳は年下です」

「んんー? そんな子、おったかな? 見てた限り、兄ちゃんは一人やったで? 確かに、そのハンカチは見たけどなぁ」

「えっ?」


俺はおっちゃんの発言に驚愕した。

いや、でもそんなはずはない。

きっとおっちゃんの記憶が曖昧なだけだ。

もしかしたら、俺のツレだとは思っていなかったのかも。

全く似てるところがないし……とも言って見たが、おっちゃんは頑なに首を振り続けた。


「いんや、わしはまだボケてないからな。兄ちゃんは一人やったと思うで? だって、兄ちゃん時々一人でブツブツいっとったし。なんや、クスリでもやってるんか? 若いのに、あかんで?」

「クスリなんて、してないです! 俺は確かに夏希と……」


一緒にいたはず。

俺はギュッと手の中のハンカチを握りしめた。

ああ、間違いない。このハンカチは夏希のものだ。

夏希が俺のまやかしだとしたら、このハンカチは何処から出てきたというのだ。

それじゃ、説明がつかない。やっぱり、おっちゃんが記憶していないだけだろう。


「ありがとうございます。ちょっと、他のところを探して見ますね」

「すまんなぁ、力になれんくて。じゃあな、兄ちゃん」

「いえ、それでは」


俺はおっちゃんに会釈すると、その場を離れた。

今のおっちゃんの言葉で嫌な予感を覚えつつも、まさかなと首を振る。

まさか、そんな訳はない。でなきゃ、この六日間、自分は虚空に向けて語りかけていたことになる。

それは随分笑えない話だ。

もしそれが真実なら、自分は既に相当にいかれている。


とりあえず、思い当たる場所もないので、俺は今まで夏希と訪れた場所を回ってみることにした。

ここからだと、かき氷屋や一昨日訪れた雑貨屋が近い。

まずはそのあたりからだ。

店員が彼女の顔を覚えている可能性は相当低いが、通りすがりの人に片っ端から聞いて行くわけにもいかないし、それは不審者扱いされそうだ。

夏希を見つける前に自分が警察に捕まっちゃあわけがない。


ということで、かき氷を訪れたのだが。

かき氷屋の店員は俺が入ってくるのをみるなり、顔をしかめた。

記憶を無理やり掘り起こしてみると、確かこの大学生らしき女性店員は夏希と来た日にも店にいたように思う。

でも、何故そんな顔をするのだろうか。全く心当たりがない。


「こんにちは」

「……こんにちは」

「あの、お尋ねしたいことがあるんですけど」

「はい、なんでしょう?」


店員はそう答えながらも、顔つきを変えなかった。

相変わらず、警戒心丸出しである。

これでは話しづらい、というか話を聞いてもらえなさそうなので、まずはそのことについて聞いてみた。


「あの、俺何かしました?」

「……いえ」


店員は慌てたように首を振ったが、今のタメは明らかに何かあったようにしか思えない。

もしかして、夏希とも何か関係しているのだろうか。そんな淡い期待を抱きつつも、俺は深く問い詰めた。


「なんでもいいので、言ってください。俺、今少し困っているんです」

「……それって、前にご来店になった時、一人で喋ったらしたこと、ですか」

「一人……? いや、まさか。女の子と一緒でしたよ。黒い髪の女の子と」


また、この人もおっちゃんと同じことを言うのだろうか? 

しかし、女の子といたと言えば、店員は怯えた目で俺をみた。

この人、危ないと思っているのが明らか顔に現れている。

そんな訳ない、と思いながらもそんな顔をされると、俺もその可能性を疑ってみる他なかった。

俺が来るまで数日が経っているのにこれなのだから、その時の俺が相当印象に残っていたのだろう。

一人で喋り続ける気味の悪い客という印象が。


俺は店員に礼を言って、かき氷屋を飛び出した。

そして、雑貨屋でも同じ質問をしてみる。

すると、返ってきたのはやはり、俺は一人だったということ。

姪っ子と俺が語っていたが、そんな子が同時に店にいたことはないという。

男性のお客様が一人でご来店なさるのは珍しいから、よく覚えてますよー、と店員は自信ありげだった。


俺はその後もいろんな店を回った。

けれども返って来るのはどれも、俺一人だったという話ばかりで。

俺は愕然とした。

夏希の姿は誰にも見えていなかったのだ。

俺はこの六日間、ずっと一人だった。

それを多くの人が証言している。


じゃあ。だとしたら、この手のひらに残るハンカチは誰のものだろう。

俺はそれをギュッと握りしめた。

これは、夏希がいた証は確かにここにあるのに、人々は全てを否定する。

全員が密かに結託して、騙しているんじゃないだろうかと思えるほどに。

俺はもうどうすればいいのかわからなかった。

ただただ途方にくれ、絶望に打ちのめされていた。


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