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蝉時雨と夏の希望  作者: 卯月 桜華
DAY6 燈火の夜
16/21

恋芝居の祭

「うわぁ、人いっぱい」

「だな。平日なのに、祭となるとやっぱり人が多いのはどこも同じか」


夕方。俺と浴衣姿の夏希は東大寺の参道あたりに来ていた。

夏希の話ではどうやらここら辺で屋台が出るらしい。

実際、来てみるとそこは、多くの人でごった返していた。

もちろん東京での大きな祭とは比べるまでもないものの、それにしたって賑やかだ。

少し早めにきてこれなのだから、一時間後にはもっと多くの人で溢れかえっているだろうことは容易に想像できた。

夏希もお祭りに来るのは久々のようで、俺の隣で呆気にとられていた。


あれから。夏希に今日だけの恋人をお願いされた後、俺は正直戸惑っていた。

夏希は別に恋愛対象でもなんでもない。

ただ、意識しているとかそういうわけではないのだが、あの声音を思い出して、なんとなく気まずい気持ちがあったのだ。

何しろあれは、明らかに女性の声だった。

少女ではない、俺の知らない夏希の声。

ふざけて俺に迫った時ともまた違う、真剣味を帯びたそれは数時間が経った今でも鮮明に耳の奥に残っていた。


でも、一方夏希はというと、俺の気も知らずに、随分とマイペースなものだった。

俺が頷いたのを認めたかと思うと、急にお花摘んでくる! と浴衣とお金を押し付けて、走り去ってしまった。

雰囲気を一瞬にしてぶち壊していったのは、言うまでもない。

仕方なく会計を済ませていると、俺も段々冷静になってきて、夏希が戻って来た時には既にいつも通りだった。


そうして、お昼ご飯を済ませた後は、夏希に誘われて何年ぶりかのゲームセンターへと入った。

これは正直、とても楽しかった。

俺の時のゲームセンターといえば、あるのは相当大人向けなもの……つまりはパチンコの類か、メダルゲームという印象が俺の中では強かった。

多分、近所にあったゲームセンターが小さかったせいもあるかもしれない。

けど、今のゲームセンターには実に様々な種類のゲームがあった。


例えば、音ゲー。音ゲーといえば、俺が知ってるのは某太鼓ゲームくらいだ。

でも、今はダンスとか画面をタッチしたりするものもあって、中には相当やり込んでいると見えるツワモノもいた。


あとは、エアーホッケー。

これは俺の時にも既にあったが、久々に夏希と遊んで、懐かしい気分になった。

いい大人なのについつい張り切ってしまって、周りからはちょっとギョッとしたような目で見られたのは記憶に新しい。

因みに夏希は驚くほど弱かった。


「おーい、優輝さん?」


俺がぼんやりとそんなことを思い返していると、待っていた信号はいつの間にか青になっていたらしい。

夏希に目の前で手を振られてようやく我に返った。

今日は一応、恋人という設定であるので、俺の反応が不服だったらしく、頬を軽く膨らませている。

俺は咄嗟にごめん、と謝りながら夏希の手を優しく引いた。

それで機嫌を直してくれれば、との思いからの行為だったが、これがどうも功を奏したらしい。

夏希はすぐに楽しそうに鼻歌を歌い出した。俺はホッと息をつく。


「夏希、食べたいものはあるか?」


横断歩道を渡り終えれば、その先には数々の屋台が軒を連ねていた。

たこ焼きやポテト、綿菓子にかき氷。

美味しそうな香りが俺の鼻腔をくすぐった。

これは食いしん坊な夏希にはたまらないだろう。


そう思って声をかけてみたものの、しかしすぐには返事が返ってこなかった。

不思議に思って、視線を屋台から夏希に移すと、夏希は人を必死に避けているところだった。

こういう日は押し合いへし合いになることが多々ある。

人々は夏希の存在など歯牙にもかけず歩いてくるものだから、ぶつかりそうになっていた。

都会でそれなりに人混みに慣れている俺とは違い、夏希は滅多にこんな人の中で歩くことはないのだろう。

俺はそこまで気が回らなかったことを少し悔やんだ。

成り行きとはいえ、今日だけは恋人となる約束なのだ。

それをどうにかするのは俺の役目だった。


「夏希、大丈夫か?」


俺はグイッと夏希の手を強く引いた。

すると、自然と夏希との距離は近くなる。

一瞬、数時間前のことを思い出しかけたが、今はそれどころじゃない。

俺は夏希を守るようにして背中の後ろに隠した。

これならば、最低でも向かって来る人の盾くらいには慣れるだろう。

少なくとも横に並んで歩くよりは安全なのに違いない。

夏希は驚いたかの表情をしていたが、俺のシャツをギュッと握って、


「ありがとう」


と小さく微笑んだ。

もし、俺が夏希と同じ世代だったら間違いなく、惚れていた自信がある。

それくらい、愛らしい仕草だった。

これは、学校でさぞモテているのだろう。

俺にはいつもこの笑顔を見ていられるクラスメートたちがほんの少し、羨ましく思えた。

もし、彼女と同じ青春の時を生きることができたら、きっと楽しいだろうと想像する。

俺は明日が最後の日になると思うと、寂しくなった。

それでも、この時間を台無しにだけはしたくなくて、その感情を今は押し殺す。

代わりに、さっきは答えを得られなかった質問を再度投げかけた。


「夏希、何か食べたいものはあるか?」

「食べたいもの? うーん」


夏希は迷うように並ぶ屋台へと視線を巡らせた。

そして、そのうちの一つに目を止めると、指をさす。

それはお祭りの定番中の定番だった。


「りんご飴、かなぁ」


キラキラと輝く紅色の宝石。

夏希はそれをご所望だった。

俺は彼女に了解、と告げるとお望み通りにそれを受け渡す。

大きいりんご飴は、昔、俺もよくどこからかぶりついて良いかわからなくて、戸惑ったものだった。

夏希もしげしげとそれを眺めた後で、思い切ったようにガリリッ、と歯を立てる。

しかし、簡単には割れず、軽いヒビが入っただけだった。

夏希は痛そうに口元を抑えている。

俺は思わずプッと吹き出した。


「ああっ、ひどーい! 笑わんといて!」

「いやぁ、さすが食いしん坊だなぁって。感心した。ゆっくり舐めながら食べれば良いのに」

「ううっ、それはそうやけど、早くりんごの部分も食べたいやん。この気持ち、わかるやろ?」

「まぁな。手もベタベタするし」

「ほんまそれ。ウチ、舐めるの下手やし」


その言葉通り、夏希の口周りにはすでに飴が付いていた。

それを俺は時折自分のハンカチで拭ってやる。

こうしていると、恋人というよりは年が離れすぎていて、親のような、もしくは年の離れた兄のような気分だった。

それを言えばきっと夏希には怒られてしまうだろうけど。

けどやっぱり抱くのは甘い気持ちなんかではなくて、微笑ましさだった。


なんだか、夏希が余りにもりんご飴を美味しそうに食べるものだから、俺もつい羨ましくなった。

とはいえ、大きなものを俺も上手く食べられる自信がないので、姫りんごのものを一つ買って、口に含む。

夏希が苦戦していた赤い飴は昔とは違って、今の俺には少々甘ったるく感じた。

渋く思えていたりんごも甘い飴とのバランスがとれていて丁度いい。


俺も変わっていたんだ。と、刹那のノスタルジーに浸った。

それは悪くないことなのかもしれないけれど、ちょっぴり苦かった。

これがまだ味わずにいたかった大人の味、というやつなのかもしれない。

そんな感慨にとらわれた。


そうして、夏希がりんご飴を食べ終えるまで、他愛のない会話を交わした。

お祭りでの好きな食べ物や、好きな浴衣の柄に始まり、俺の姉の変わった一面など、そんなことを主に話した。

夏希はどんなつまらない話でもたちまちそれを笑いに変えてしまうから、話していて飽きない。


一頻り喋り終えた後は、そろそろこのお祭りのメインでもある燈籠を見に行こうかということになり、俺たちは再び手を繋いだ。

世界遺産や町中をほのかに浮かび上がらせる燈籠はとても綺麗ということで、夏希からも何度か話を聞いていた。

だから、俺もそれがとても楽しみだった。

それくらい綺麗だというのなら、夏希を待たせてしまうことにはなるが、また絵も描いてみたい。

そんなことも考えていた。


だが、その時だった。


「あっ、そこの兄ちゃん危ないっ!」

「えっ?」


叫び声に振り返った時にはもう遅かった。

べちゃり、という嫌な音とともに俺のシャツに何かが付着した。

目の前ではピカピカ光る頭にタオルを巻いたおっちゃんが、目を大きく見開いている。

俺は恐る恐る、おっちゃんの視線と嫌な音がした先である、白いシャツの胸元へと視線を落とした。


「げぇっ」


俺はそれを視界に収めた途端、呻き声を漏らしてしまった。

なんと、シャツには茶色いソースがべったりと付いていたのだった。

足元には無残な姿となったたこ焼きが。

それは隣で一部始終を見ていた夏希もうわぁ、と哀れみの声を上げるほどだった。

おそらくシャツを汚した張本人であろう、おっちゃんはというと、青い顔でわなわなと震えている。


「……最悪だ」

「うわわっ、ごめんな、兄ちゃん! わしが急いどったばかりに……。どないしよ、シャツ汚してもうた」


おっちゃんは俺がゲンナリした顔を見せると、大慌てで平謝りしてきた。

それから、頭のタオルをとって、取れるかなぁと汚れを取ろうとしてくる。

しかし、シャツが白であるために、いくら拭いてみても綺麗になることはなかった。

たこ焼きの形をした綺麗な茶色い丸が、胸ポケットの上にくっきりと残っている。

安物のシャツとは言え、カッコ悪いことこの上なかった。


「なぁ、優輝さん」


どうしたものかと頭を悩ませていると、不意に夏希に袖を引っ張られた。

そちらへ視線を向けてみれば、見覚えのあるハンカチが差し出されている。

夏希はポンポンと胸元を叩くジェスチャーと共に言った。


「これ、胸ポケットに差し込んだら、なんとか誤魔化せるんちゃう? ほら、半分を入れて、と」


夏希に言われた通り、二つ折りの状態のハンカチの半分をポケットの中に、もう半分を外に出してみると、うまくソースで汚れた部分が隠れるようになった。

うん、女性用のハンカチではあるが、そのままよりはずっとマシだ。

自分のハンカチは夏希に使ってしまったし、それくらいは仕方がないだろう。

どうやら、また夏希にハンカチを借りる羽目になってしまった。


「夏希、ありがとう」

「いえいえ、ハンカチを貸すのはもう慣れてるから」


夏希は悪戯っぽく笑った。

そして、ギュッと手に力を込めてくる。

それは暗に、ハンカチがなくたって、側にいてくれると信じている、と言っているようだった。

だから、俺もそれに応えて力を込め返す。

些細なやり取りだったが、大切な意味が含まれていた。


「兄ちゃん、ほんまにごめんなぁ」


そして、ぶつかった来たおっちゃんはどうやら、相当人が良いらしく、見ているこっちが申し訳なくなるくらいだった。

いかにも落ち込んでいるのに、そこを責めるなんて非道なことは出来るはずもなく、俺は慌てて手を振る。


「いえ、気にしないでください。どうにかなったんで」

「ああ、ハンカチかぁ。でも、汚してしまったことには変わりないしな。クリーニング代払おた方がええやろか」

「そんな、そこまでして頂かなくても結構ですよ。安物のシャツですし、予備も家にありますから」

「ほんまに? でも、なんもせえへんのは悪いし、たこ焼き、好きなだけ持って行き。それくらいはさせてな」

「あっ、ありがとうございます」


流石にこれ以上断るのも逆に失礼かもしれない。

そう思った俺は素直におっちゃんの言葉に甘えることにした。

たこ焼きはちょうど食べたいと思っていたので、これは嬉しい。

鰹節が踊るアツアツのたこ焼きはいい匂いを漂わせていた。


「忙しいところ、ありがとうございます」

「とんでもない。ありがとうを言わなあかんのはこっちの方や。兄ちゃん、おおきにな」


おっちゃんは最後に笑顔を見せてくれた。

俺たちはそれに見送られながら、その場を後にする。

そういえば、燈籠のことをすっかり忘れていた。

なので、今度はそちらの会場へと足を向けることにした。

もちろん、日が完全に暮れ、人も増えてきたので、夏希を守ることも忘れない。


屋台の並ぶ参道あたりから、横断歩道のある方へと戻ると、誘導員が大声を張り上げて指示を出していた。

どうやら、春日大社の参道と東大寺の参道の間の公園で燈火会とうかえは行われているらしい。

カップルが何と無く目立つ人混みに流されて、歩いて行くと、あたりが次第に暗くなった。

燈籠の明かりを引き立てる為だろうか。

足元が暗く、少しでも気を抜けば、つまづいてしまいそうだった。

一歩一歩探り探りに進んで行くと、やがて視界がひらけてきた。


「うわぁ」

「凄い、綺麗!」


人混みを抜けた先。見えた光景に、俺達は感嘆の声を零した。


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