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蝉時雨と夏の希望  作者: 卯月 桜華
DAY5 夕陽に誓ふ
13/21

想いは宿る

「で、どうしてこうなる?」

「優輝さん、ほらほら頑張って! 日が暮れる前には絶対たどり着きたいんやから」


俺は先導する夏希がピョンピョンと跳ねる姿を見て、深いため息をついた。

額から次々と流れ落ちる汗をぬぐいながら、夏希を怒らせてしまった代償がどれほど大きいものかを今更ながらに痛感する。

ニコニコと異様なほど微笑む夏希には何時もとは違って、恐怖すら覚えた。

一体、どうしてこうなってしまったのだろう? 

いやもちろん、俺が悪いのはわかっているし、反省もしている。

だけど、だからと言ってこれはあんまりだと思うのだ。

特にインドア派の代表と言っても過言ではない、俺には!


「なんで、山登りなんだよ……」


そう、俺が今いるここは山の中だった。

周囲には青々とした木々が生い茂り、耳元では羽虫がぶんぶんと俺を挑発してくる。

虫除けスプレーをちゃんと吹き付けたというのに、既に何箇所か噛まれており、赤く腫れていた。

おまけに、昨晩の雨のせいかジメジメとしており、足元は滑りやすい。

神経を張り詰めていなくてはならないし、体力だけでなく気力まで消耗しなくてはならなかった。

明らかに普通の登山道でない獣道はこれまでにないくらい、とてもハードだった。

とはいえ、日差しは木々に遮られているので、一番マシなところを見つけるならば、それだけだ。

なにはともあれ、俺のふくらはぎは既に死にそうだった。


「あのなぁ、夏希。俺は確かになんでもすると言った。けど、人間には限界というものが……」

「もう、それ何回目? まだ山に入ってから、二十分くらいやで。もうちょっと頑張ろう!」

「そんな」


俺は思わず弱音を吐いたが、返ってきたのは非情な答えだった。

夏希はちょっと申し訳なさそうな表情をしながらも、俺の腕をぐいぐいと引っ張ってくる。

俺はそれに絶望的な気分になりながら、ぬかるむ斜面をなんとか踏みしめていった。

ほんと、そこに山があるからとか、そんな理由で登山する人の気がしれない。

それを強く実感した瞬間でもあった。


さて、なんで唐突に山に登ることになったのか。

それは主に夏希を怒らせてしまったことに大きな原因があった。

絵を描くと言った後、何時も通りに戻った夏希にそれはもう謝り倒したのだ。

それこそ、「なんでもするから」もいう言葉を深く考えずに放ってしまうほどに。

それを受けた夏希は非常に良い笑顔で、二つ要望を出してきた。

一つは美味しい昼食を提供すること。もう一つがなんと、この山を登ることだった。

その時は訳が分からなかったが、今思えば体力のない俺に対する復讐なのかもしれなかった。

ただ、見せたいものがあるから、とも言っていたが。

まぁ、そんなこんなで昼過ぎからコンビニで購入した虫除けスプレーを全身に振りかけて、山登りを開始したのだった。

ちなみに、俺の持ってきたリュックには他にも飲み物や夏希のお菓子、俺のスケッチブックなどが詰め込まれている。


「そうそう。唐突やけど、優輝さんは付喪神の存在って信じる?」

「付喪神って、モノとかに憑くっていう神様のことか?」

「そう、それ。神様の中でも低位ではあるけれど、大切に使い続けているものに憑く神様。優輝さんは、そんな神様が本当にいると思う?」

「なんだよ、藪から棒に。でも、正直……信じ難いな。そんな目に見えない存在」

「やっぱり」


夏希もはなから信じているなんて答えは求めていなかったようだった。

特に落ち込んだりすることもなく、前だけを見て山を登っていく。

ミンミンと蝉が煩く鳴く中、夏希は身体全体で夏を感じ取るように、一歩一歩を大切に歩いていた。

俺もそれに何とか食らいつきながら、唐突に出てきた「付喪神」なるものについて考えてみた。


付喪神。それに対して抱く俺のイメージは神様というより妖怪といったイメージが強い。

長い間使われていたものが、ある時捨てられてしまった為に、その人間に対して悪戯を仕掛けるといったものだ。

あまり詳しくは知らないものの、古典なんかで見た覚えがある。

こうして覚えているのも古典の先生の話が面白かったせいだし、普通に問われたら分からなかっただろう。

妖怪の中では比較的ポピュラーとはいえ、世間の中での認知度は低いように思えた。

それに、俺はオカルトマニアでもなんでもない。

本当にいるかと問われたら、流石に大真面目には信じられるとは言えなかった。


「まぁ、いたら面白いなとは思うけど」

「そっか。そうやんな」

「夏希は? 夏希はそういう存在は信じてるのか?」

「ウチ? ウチはまぁ」


信じてる、かな。と夏希は少し曖昧な口調で答えた。

そこには苦笑いが浮かんでいる。

もしや、付喪神から悪戯でも受けたことがあるのだろうか。

俺は途端に好奇心を煽られた。

信じきれないとはいえ、こういう話は結構好きだ。

テレビとかでも特集があるとついつい見てしまうタチなので、身近にそういうことがあるとやっぱりワクワクしてしまう。

俺は一時、疲れも忘れて夏希に質問を投げかけた。


「へぇ、会ったことでもあるのか?」

「会ったこと、というか。ウチもそうであって欲しいと願ってるって感じかな。優輝さんとはちょっと違うけど。でも、案外身近にいるもんなんやな、とは思った」

「それは、どうして?」

「奈良がそういう街やから。正倉院の宝物もそうやけど、奈良は適当な場所でも工事すれば、壺のかけらとかそういう古いものが見つかる場所。だから、この場所には沢山の人の想いが宿っている、とウチは思うねん。古代より息づいていた人々の大切にしてきた想いが、ここにはある。そう信じたいから」

「夏希は、奈良が好きなのか」

「好き、とはもう言えへん。ただ、退屈ではあるけれど、同時に平和で落ち着く場所であるのは確か。今更、嫌いにはなれへんよ。それは、自分の人生を否定することでもあるから」


夏希はクルリ、と振り返った。

そして、ニンマリと笑って俺の手を引いてくれる。

たどり着いたそこはまだ山の中腹ではあるものの、小さく平らな場所があった。

ここなら、どうやら一先ず休憩出来そうである。

俺たちは地面に腰を下ろすと、リュックに入れてあった飲み物で喉を潤した。

既に温くなってしまっていたが、スポーツドリンクの甘さは疲れた身体に丁度良い。

俺たちは人心地につくと、話を続けた。


「だから、優輝さんも描いた絵、大切にしてや? モノには想いがきっと宿ってるから」

「そりゃもちろん、大切にするさ。夏希にもらった大切な記憶だからな」

「なら、付喪神がついてしまうほど長くって約束出来る?」

「それがどれくらいかはわからないが、生きている限りはきっと」

「男に二言は?」

「ない」


俺は断言した。なんかの拍子で紙がダメにならない限りは、きっとそうなるだろう。

この数日間のことは俺の中でもかなり特別なことだった。

それを大切にしないはずがない。

だからこそ、きっぱり言い切ることが出来た。


「たとえ、この五日間が終わっても、これがあれば、きっと忘れない。だから、大切にする」

「ほんまに? もし捨てたら、優輝さんの夢に出てきて、文句言うかもしれへんで?」

「それは怖いな。でも、うん。約束する」

「……ありがとう」


夏希はどこか、ホッとしたようにそう呟いた。

そこで、ようやく夏希が俺との関係を断ち切りたくないのだと、強く思っていることに気がついた。

俺も喧嘩して自覚した、夏希との関係の儚さ。

俺もわかっていたつもりで、夏希はそれより更にその先を見ていた。

ならば、どうするか、というところまで。

まだあと三日あるのに、たとえここで別れても、生きている限りは会えるかもしれないのに、だ。

夏希は意外に甘えんぼうなのかもしれなかった。

それもそのはず、彼女は俺よりも十も年下なのだ。

もちろん、そんな無粋なことは口に出したりしないが。俺は夏希に隠れて、小さく笑みを零した。


「さぁ、優輝さん。歩ける?」

「出来れば遠慮したいがな。なんとか」

「もう、それが二十代の男のセリフ? そこはもっと、もちろん! とか答えるところやろ?」

「二十代の男だからとか、差別だぞ。体力はないんだから仕方がない」

「開き直ってるー」


夏希は呆れたように俺を見ていた。

今日一日で夏希の信用度がどんどん落ちていると思うのは気のせいだろうか。

弱いところを見られてからというものの、どうもかっこ悪い姿を晒してばかりな気がするのだ。

まぁ、捉え方によればこういう軽口も言えるような仲になったとも言えるが、できるだけポジティブにそう思いたい。というか、そうであって欲しい。


俺が思わず現実逃避をしていると、既に歩き出していた夏希がふと足を止めた。

そして、何やら思い出したように手を打つ。


「あー、そういえば、優輝さん」

「なんだ」

「ここら辺、猪が出るらしいで?」

「イノシシ!?」


俺は驚いて、素っ頓狂な声を上げてしまった。

ここは山の中とはいえ、そんなに市街地から離れてはいない。

現に、麓に着くのも徒歩で三十分程度だった。

俺たちの場合はバスを使ったので、二十分もかからなかったかもしれない。

だから、そんな野生生物がここにいるのは意外だった。

猪はニュースなんかだと作物をよく荒らしていたり、人に怪我をさせたりすることもあると聞く。

俺はちょっと怖くなって、キョロキョロと周囲を見回してしまった。


「まぁ、そんな滅多に出るものでもないけどな」

「なんだよ、驚かせないでくれよ」

「でも、一応気をつけてって話」

「わかった。にしても自然が豊かだな。こんな場所、大阪とか東京ではそれこそ、それ目的に出かけなきゃ触れられなかったし」

「田舎やもん。まぁ、大阪には近いから、そこまで困ることはないらしいけど」

「確かにな」


俺は大阪の中心部からここに来るまで三、四十分ほどだったことを思い出す。

その気になれば、わざわざ奈良で泊まらなくても、毎日大阪から通うことも不可能ではなかった。

それでも、なんとなく大阪に帰るのは何となく気が引けて、奈良で宿を取っているのだが。

奈良は宿が少ないのが難点なので、本当に運良く、悪くないところが取れてよかった。


そんな取り留めのない話題で夏希と喋っていると、ふと腕に蚊がとまっているのが視界に入った。

血を吸われて痒くなっては堪らないと、俺は慌ててそれをペチンと叩き潰す。

しかし、気がつくのが遅れたようで潰れた跡には血もついていた。

これで後で痒みに苦しむことになると思うと、憂鬱である。塗り薬も買っておくべきだった。


「あーあ、また刺された」

「優輝さんは蚊に好かれるタイプやなぁ」

「そういう夏希はさっきから全然刺されてないよな。理不尽なことに」

「ウチの血の方が美味しそうやのにな」

「全くだ。おっさんの血の何が良いんだか」


にしても、ここまで差があるとは如何なものだろうか。

俺は其処彼処を噛まれているのに、夏希は払う様子すらない。

夏希の容姿が整いすぎて、蚊も遠慮しているのか。それとも、俺の血が美味しすぎるのか。判断に悩むところだ。

まぁ、元々俺は噛まれやすくはあるので、頻度にたまたま差がありすぎるだけなのかもしれない。


虫を追い払いながら歩いて行くと、次第に坂は更に険しくなっていった。

立っているだけでも、足の裏の筋が伸びるような感覚になる。

俺は前かがみになりながら、滑らないように細心の注意を払いながら坂を登った。

元気な夏希はそんな俺を気遣って、時々手を貸してくれる。

息も絶え絶えな俺に頑張れ、とも声をかけてくれた。


「優輝さん、あと少し!」

「本当だな?」

「ほんとほんと。あと少しで休めるところにつけるから! やっとゴールやで!」


あと少し、という言葉は何度も聞いた気がしたが、夏希の様子を見るに、今度こそ頂上が近いようだった。

俺は最後の力を振り絞って、重い足を引きずりながらも、前に送る。

すると、次第に視界が開けてきた。


「おめでとう! やっと到着したで」


ああ、登りきった。俺は夏希の祝福の言葉と共に、その場にへたり込んでしまった。


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