自由落下ガール
昔ボツにした作品を短編として作った作品です。
初めての短編作品ですが、読んでいってもらえたら嬉しいです!
いつも通りの放課後。場所は屋上。左手にスマホ。
フェンスに寄り掛かる形で、夕日のオレンジ色に染まるグラウンドをぼーっと眺めていた。
僕が屋上を選んだのは、風が涼しいからとか、夕焼けが綺麗だからとか、図書室よりも人が少ないからとか...そういうのは全部全部、口実で。『立ち入り禁止』の屋上に一人で入るのがかっこいいと思ったからだ。
「あら、あなた自殺でもするつもり?」
───とんでもなく、失礼な女だ───
「...そうだよ」
嘘を吐いてみる。なんの意味もない、自分でも何でそんなどうでもいい嘘を吐いたんだとツッコミのひとつでも入れてやりたくなるような、本当に本当にどうでもいい嘘。
「ふふっ。そう、なら...私と同じね」
嘘嘘嘘だと思う。
「遺書も家の玄関に置いてきたわ」
否否否───本当か?
「...悪かったよ、嘘ついて。でも自殺とかってあんまり軽々しく口にするなよ」
この嘘塗れなどうでもいい会話を終わらせるつもりだった。そのつもりで言った。
「あら、本当よ」
なのに、彼女は声のトーンを変えずに嘘を吐き続ける。この無益で無意味な話題をこの期に及んで続けようと。
「一人で死ぬのが寂しいわけじゃないけど、何かを共有できる友人はいいものよね」
「そこでなぜ期待を込めた眼差しで僕を見る...自殺は嘘だと言ったぞ」
「その嘘が実は嘘かもという希望があるわ」
無ぇよ。
「僕はまだやり残した事が」
「あるの?」
「無いけど、探せばきっとある」
「そうね、あなたなら宇宙飛行士になるのも夢じゃないわ」
「そこまでは言ってねぇ」
完全に、向こうのペースだった。黙っていれば可愛いであろう顔は黙っていないせいでとても可愛いとは───。
「今、すごく不愉快な波動を感じたわ」
───どうやら、他人の心を読む妖怪のようだ。
「精神の自由だ」
「あなた如きに基本的人権が適用されると本気で思ってる訳じゃないでしょうね」
思いつく限りの悪口を注ぎ続ける彼女に、本気で尊敬の念を抱く自分がいる。最早一切の怒りが湧いてこない。
「あら、なにその顔。なにか言いたい事がありそうね」
「いや、素直にびっくりしてた。いい意味で」
「いい意味で?」
「本当だよ」
「あなた変わり者なのね」
お前には言われたくない。
「お前には言われたくない、って思った?」
「正解だよ」
人の心を読む妖怪が居ることを思い出す。名前は確か、サトリとかいったか。
「...お前、サトリみたいな奴だな」
「よくわかったわね。私の名前は新藤 悟よ」
「なんか、すまん」
新藤 悟は、クスッと上品に笑う。それから、
「嘘よ。新藤 月子」
「僕の謝罪を返せ」
とんだ嘘つき女だった。...この思考も読まれているのだろうか。凄く凄く凄く怖い。
「...魔女」
「いや、ハズレだ。そこまでは思ってない」
「ドラキュラ」
「そんな事も思ってない」
「ダンタリオン」
「...なんだそれ」
「全部、人の心を読む事ができる架空の存在よ」
紛らわしいな。
───ところで、あなた───
「今、『そこまでは思ってない』って言ったけど。どこまでなら思ったのかしら」
「言ったっけ」
そう言って目を逸らす。
「目を逸らさないでくれる?」
───危危危───
頭に警報が響き始める。
───危危危───
「...とんだ嘘つき女だな」
「ふふ、正直ね」
サトリよりも魔女がしっくり来る女だった。
「今、思った事当ててみていい?」
「良くない。やめろ。多分当たってる」
コイツは寧ろ、僕が思う事を誘導している。分が悪い。
───鐘鐘鐘───
───鐘鐘鐘───
───鐘鐘鐘───
「...あら、まだ明るいのにチャイム?」
「あぁ、今日はテスト前だから五時にどの部活も解散だ」
「そう」
残念そうな表情。彼女が始めて見せた人間じみた表情だった。
「俺はもう行くよ。お前もあんまり長くいるなよ」
「...言っておくけど、本当に自殺するの。そのフェンスにあなたの指紋がべったり付いていると思うから、さっさと友達の所に行って私を殺害していないアリバイを作ることをオススメするわ」
確信した。コイツ、本気だ。
初対面の僕に対してあんな魔女の様な態度をとったのも、もう二度と会わない人間相手に気を遣う必要がなかったからの様にすら感じる。
「どうしたの?早く行きなさい。五時半に飛び降りる事にするから、それ以降はアリバイ作りが出来なくても責任は持たないけど」
「いや...やめとけよ。痛いぞ」
こんな事しか言えない。気の利いた事は一つも頭に浮かんでこない。
「...せめてもう少し気の利いたことは言えないの?」
「五月蝿ぇよ」
痛いところを突かれて、思わずたじろぐ。脳の引き出しから全力で『気の利いた言葉』達を探そうとするが、何処に消えたのか。何一つ姿形も見せない。
つい最近、時間をかけて仕上げた課題プリントを家に忘れた際、理由も無くカバンの中を探し続けた事を何となく思い出していた。
「すまん、家に忘れてきた...」
「そう、じゃあ後で補習ね」
───このやろう。
「てゆーか、なんで自殺すんだよ。イジメか?」
「違うわ。私はこう見えてクラスじゃ人気者よ」
いや、嘘つけ。それは無い。絶対にない。
「お前が僕の心を読んだ前提で謝る。すまん」
「先に謝られると、責めにくいから止めてもらえる?...でも、まぁ」
───どちらにせよ責めるけど───
「悪魔か!」
「人をさっき魔女がしっくり来るって言ったばかりじゃない。今度は悪魔?あなたって優柔不断ね」
「言ってねぇよ...」
思ったけど。
───ところで───
「質問にまだ答えてなかったわね。いいわ、教えてあげる」
風が彼女の長い黒髪を靡かせた。
鳥の群れが学校中の木から羽ばたいた。
まるで、世界が彼女のこれから行う演説に拍手を浴びせる様に。
生唾を飲み込む音がした───僕だ。僕は、この演説会場にはきっと場違い。子供が大人の演説会場に居るような浮き方をしているに違いない。
それでも、彼女は自らの命を断つ演説を、たった一人の子供の為に。
紡ぐために息を吸い込む音が、新藤 月子の口元から聞こえた。
「今日は、すごくね」
───夕日が、綺麗だったのよ───
「それ...だけなのか」
「えぇ、それだけよ」
絶好の自殺日和よね、と僕に同意を求めてくる。
「...本当に、それだけか」
「えぇ」
そうよ、と。月子は言った。
「強いて言えば...そうね。私、死ぬ事に憧れているの。幻想的で、美しいと思ったの」
「いや、お前...」
気の利いた言葉どころではない。自分が、何を話せばいいか分からない。脳の引き出しは、爆発して木っ端微塵。欠片も残りはしなかった。
爆発した引き出しからひとつだけ、言葉を拾う。ソレを刃として彼女の首元に突き付けるかの如く、それだけは伝えなくてはと。
「生きたいのに生きられない人達だって、いるんだぞ」
弱々しい、振るっただけで砕け散りそうな刃。その刃を、彼女は。
「そう...生きたいと思えるなんて、幸せね」
振り返りざまに、片腕で粉々に砕いた。
フェンスを人間とは思えない跳躍で超え、そのまま重力のままに下降───その手を、フェンスの隙間から辛うじて右手で掴む。
「歳をとるに連れて、いつか死ぬのが怖くなるんじゃないか───それが一番怖かった」
「やめろ...」
「それなら、死ぬのが怖くない今死んだ方がいいって」
「やめろ!!」
「天国はあるのかなって、毎日ずっと、それだけを考えていた」
もう、わかってる。
「地面に叩き付けられる瞬間、本当に後悔してたの」
わかってるから。
「ごめんなさい。嘘をついてたわ、私───幽霊だから自殺はもう出来ないの」
嘘じゃない。これは、きっと嘘じゃない。
でも、だからって。
そんな悲しそうな笑顔で、消えるのだけはやめて欲しいんだよ。
「何でもいい、生きている間はいくら不幸になったっていいの。自分のやりたい事をしていいの。自殺っていうのは、自殺以外にやりたい事が本当に無くなったらすればいい。だから、無理な夢でも試してみればいい。ムカつく奴がいるなら、死ぬ前に一回ぶん殴ってやりなさい。...会えて良かった。さよなら、晴太」
痺れる右手から、月子の手が離れる。そして、その瞬間。
彼女の姿は、世界から忽然と消え去った。
僕の名前は、新藤 晴太。
四年前にこの学校の屋上から飛び降りた、月子の弟だ。
僕はつい先程まで右手に握っていた月子の左手の感覚を思い出しながら───ポケットからスマホを取り出すと、『自殺 方法』『自殺 飛び降り』の検索履歴を全て消去した。
「...帰ったら、遺書もバレないように処分しないとな」
───要するに、僕の方がよっぽど嘘吐きだった。最も、彼女には見抜かれていたと思うけど。
月子は、昔からいつも僕の考えを見抜いていた。きっと最初から全部全部、僕の嘘も見抜いていたんだと思う。
「...ありがとう、月姉」
再び、強い風。
僕はそれを月子からの返事として受け取り、屋上を後にした。