寂れた宿屋の風物詩
ムルタルの街に来て一日目の夜、日中を穢神の探索に費やした俺達はその日の夜は宿屋の一室でゆっくり――
「おーいテオ!こっち適当な肉料理三人前頼むぞ!」
「テオ、こっちはグラティナータを一つ!」
「テオ君、僕にはグラブラックスを!」
「テオ坊、私にはシュニッツェルを頼む!」
「テオ殿、この老人でも食べやすい柔らかい物を頼みますぞ」
「「「テオー!なんか酒のつまみをくれー!!」」」
「だぁぁぁぁ!!てめぇら少しは遠慮しやがれ!!」
――宿屋でゆっくり一室でどころか、宿屋の調理場でせわしなく左手を動かしていた。
スカムの宿屋の一階にある食堂のテーブルには現在この宿屋の店主であるスカム、俺の雑貨屋に良くやって来るお馴染みの商人四人とその護衛、そしてこの街の衛兵たちが陣取っていた。
俺がこの宿屋に泊まっている時は毎回のようにやって来ては今のように好き勝手注文していく。
しかも自分が作るより美味いからと宿屋の店主であるスカムまでそいつらに交じってこちらを手伝う事すらしない。
毎年の事なので俺もアリスも慣れてはいるが、慣れてる=平気という訳ではない。
料理を作るのは主にアリスだが、材料を持ってきたりアリスが届くように移動したり、料理を運んだりと俺もやる事があるので結構しんどい。
全員が満足する事には俺もアリスも疲労困憊でそのまま泥のように眠るのだが、今年はそんな事にはならずに済みそうだった。
「ねぇ、肉料理ってこんなので良い?」
「あぁ良いぞ。スカムの野郎は量があればそれで良いからな。ついでにこのグラブラックスをビックスの所に運んでくれ」
「分かった」
三人前の肉料理の乗った大皿とグラブラックスの乗った皿を持ってトテトテとテーブルに向かうティアの姿を見つめながら、俺はアリスに話しかける。
「今年はティアが居てくれて助かったな」
『あぁ、おかげで負担がかなり減った。これが終わったらめいっぱい労ってやらねばな』
俺とアリスがそうこう話してる間に料理を運び終えたティアが戻って来る。
「次、どうすれば良い?」
「何か一口で摘まめて塩気のある物複数頼めるか?。品目は任せる」
「ん、分かった」
小さく頷くとティアがお立ち台の上に立ち、小さな手でテキパキと準備を進めていく。
「テオ、お塩取って」
「あいよ」
『テオ、下の棚からモルトビネガーを取ってくれ』
「了解」
左腕しかないアリスの代わりに、お立ち台の上からでは届かないティアの代わりに俺が二人が必要とする物を用意していく。
最初こそ一気に注文が入るが一度料理に舌鼓を撃ち始めると注文が止むので今のうちに簡単なつまみなどを先んじて用意する。
全員が食事に夢中になっている間、手すきになったティアが話しかけてくる。
「ねぇ、テオってこのお店の店員さんなの?」
「いや、違うけど」
「じゃあなんで働いてるの?」
そういや忙しくてそのまま勢いで巻き込んだから説明をしてなかったな。
「あーまぁザックリ言うと迷惑料って奴かな。俺がここに泊まる間はこうして料理して宿屋の稼ぎに貢献する約束になってるんだよ」
「迷惑料……?テオ、何かしたの?」
「別に何かしたって訳じゃ無い。ただ迷惑を掛けた……というか、現在進行形で迷惑を掛け続けてるからな」
俺はチラリと調理場から顔を覗かせ食堂の方の様子を盗み見る。
まだ料理を食べてるようで暫く注文が入る様子も、こちらに意識が向く事も無さそうなので続きを話す。
「ほら、前にも話したけど俺は世間じゃ”神の腕を持つ男”って呼ばれてるって言ったろ?。そして神様が世間一般的には悪者扱いされてる事も」
「うん、覚えてる」
「じゃあここで問題だ、”神の腕を持つ男”が泊まってるって噂のある宿に普通の人間が泊まりに来ると思うか?」
答えは明白だったが俺の言葉にティアは黙り込むだけで答えようとはしなかった。
それはきっと答えを言う事で俺やアリスが傷付くと思ったからだろう。
そんなティアの気遣いに右手と左手でティアの頭を撫でてやる。
ティアの綺麗な髪を梳くように撫でるアリスに対し、乱暴な手付きでわしゃわしゃと頭を撫でる俺。
「意地悪な問題だして悪かった、それと気つかってくれてありがとな」
「……それならもうちょっと優しく撫でて」
不貞腐れた顔をしながらティアが手櫛で乱れた髪を整える。
そんな時、食堂の方からスカムの俺を呼ぶ声が聞こえてきた。
「おーい!テオー!」
「なんだー?」
返事をしながら俺が調理場から顔を出すとスカムが手招きしてくる。
「なんだよ、注文ならわざわざ呼ばなくても良いだろ」
「いや、注文じゃなくてな。実は今この宿にお前達以外の人間が一人泊まっててな」
「あ?俺ら以外の宿泊客が居んのか?この寂れた宿に?」
「寂れた言うな!客が居ないのは誰のせいだと思ってやがるんだ」
「悪かったって、だからこーして料理に釣られた馬鹿共から金巻き上げるのを手伝ってるんだろうが」
「ちょっと馬鹿共って誰の事よ!?」
「お前ら以外誰がいんだよ。人が宿に泊まるなり毎日馬鹿みたいに注文しまくりやがって、少しは遠慮しやがれ」
アムルと俺が睨み合っているとスカムが間に割って入って来る。
「はいはい、夫婦喧嘩は俺の用事が住んでからにしてくれ」
「ばっ!?誰と誰が夫婦だってのよ!?私は別にテオの事なんか――」
「で、用事ってなんだよ。面倒事ならお断りだぞ」
「アンタ、せめて否定するなり何か反応しなさいよ!。私一人だけ声を荒げて馬鹿みたいじゃない!」
顔を真っ赤にするアムルをスルーしスカムと話を続ける。
「さっきも言ったが、今この宿にお前らとは別に一人宿泊客が居てな。ソイツの食事をすっかり忘れてたんだ」
「おい、客に飯も食わせずに店主のお前が酒と飯かっくらってたのかよ」
「いやぁ……うっかりしててな、悪いんだが超特急で何か作って運んでくれねぇか。お詫びとしてちょっと豪華なもんにしてくれると助かる」
「ッチ、しゃーねーなー」
ここに宿泊している間、料理を作るのは俺(とアリス)の仕事だ。
宿泊客に料理を作るのも仕事の範囲内ではあるため断るという選択肢はない。
調理場に戻ると早速一人分の食事の用意を始める。
『主食にパスタ一品、主菜に肉料理、副菜にサラダ、それとスープくらいで良いだろうか?。あまり作り過ぎると宿泊費に含まれた食事代の予算を超えてしまうだろうし』
「ちょっと豪華にって話だったから少しくらい問題ないだろ」
ティアにも手伝って貰いながらテキパキと料理を作っていく。
「こんなもんで良いだろ」
「お肉、いっぱい」
『ちょっと多すぎやしないか?』
出来上がった料理を見て三者三様の反応をする。
豪華にとは言ってもアリスの言う通り、一人前としてはちょっと作り過ぎたかも知れない。
肉料理をティアに任せたおかげで主菜だけでも腹が膨れるのではなかろうか。
「まぁ少なくて文句言われるよりは良いだろ。別に全部喰う事を強要してる訳でもねぇし、とりあえず冷める前にさっさと運ぶぞ」
量が多いため一人では運びきれず、ティアにも手伝って貰い階段を上がってすぐ右手にある二階の部屋まで料理を運ぶ。
コンコン
「遅れて悪い、食事を持ってきたぞ」
『テオ、客に対してその口の利き方は無いだろう』
「俺はこの宿の宿泊客であって従業員じゃねぇ」
小さい声で俺がアリスにそう言っていると、ドアの向こうから返事が返ってくる。
「そこに置いておいてくれ、あとで自分で運ぶ」
「あいよ」
料理の乗ったトレイを部屋の前に置き、一階に戻ろうと階段に足を一歩踏み出した所で俺はふと先程の部屋の方に視線を向ける。
『テオ、どうかしたのか?』
「いや……なんかさっきの声に聞き覚えがあったような」
ドア越しで声が籠っていたので判然とはしなかったが、何だかつい最近聞いたような気がしてならない。
俺が首を捻っていると下の階で酒盛りをしている連中の俺を呼ぶ声が聞こえてくる。
どうやら料理が無くなったので追加の注文をしようとしているようだ。
「まぁ良いか」
思い出せないという事はそう大した事では無いのだろう。
俺は声の事を頭の隅に追いやり、酔っ払い共の料理を作るためにティアと共に一階へと降りて行くのだった。