穢神
宿屋のおっさんの名前を書き忘れてました。
第18話”冬の訪れ”にておっさんの名前に関する情報を追加しました。
名前はスカムです。
あれから俺達は広場から立ち去ると、脇道に逸れ入り組んだ細い裏路地に駆け込んだ。
”アレ”に気付かれたかどうかは定かではないが、念には念を入れてという奴だ。
人の気配のない裏路地の隅で、ティアを抱えたまま地面にへたり込む。
「はぁ…はぁ…アリス、気配はあるか?」
『特に何も感じないな、そもそも左手だけの私では穢神の存在そのものを探知する事は難しい』
「そうか……」
『それよりも、ティアは大丈夫か?』
アリスのその言葉に抱えていたティアの事を思い出す。
ティアは俺の服をギュッと握りしめ、小刻みに震えていた。
「ティア、大丈夫か?」
「………なん…とか」
喋るのもやっとという様子でティアがそう言う。
何故ティアはここまで怯えているのか?。
もしかしたらティアの過去にアレが何か関わっていたのだろうか。
(そう言えばアリスがアレに気が付くよりも早く、ティアの奴は怯えていたな)
俺がそんな事を考えているとアリスが喋り出す。
『今日の所はもう宿に戻ろう、ティアも疲れているようだし』
「……そうだな」
アリスの言葉に同意すると、俺はティアを抱えたまま立ち上がり裏路地を歩き出す。
それから俺達は寄り道する事も無く宿屋に戻ってきた。
ティアを抱えながら帰ってきた俺にスカムが声を掛けてくる。
「どうした?なんか疲れた様子だが、また何か厄介事か?」
「ちょっとな……それより部屋は?」
「お前が何時も泊ってる三階の部屋の向かい側だ、これがその鍵だ」
スカムから鍵を受け取り、俺は階段を上がって行く。
三階まで上がり廊下の突き当りの右側にある扉の鍵を開け、部屋の中に入る。
部屋の中にはベッドが二つとテーブルや椅子、クローゼットといった家具があった。
「ベッドと椅子の数以外は一人部屋とそんなに変わらないな」
そんな感想を言いながらベッドに近づき、ティアをゆっくりとベッドの上に下ろす。
宿屋に帰ってきた事で緊張の糸が解けたのか、俺の服をギュッと握っていた手が解け、ティアが背を預けるようにベッドに倒れ込む。
「はぁ…はぁ…はぁ…」
「ティア、大丈夫か?」
顔を赤らめながら荒い息を吐くティアに声を掛けるも、ティアの目は何処か映ろだった。
『テオ、私をティアの元に』
「頼む」
左手をティアの胸に乗せる。
左手から光があふれ出し、ティアの全身を包み込むとティアの身体から黒い靄のようなものが吐き出され窓から外に出ていくのが見えた。
「今のは」
『瘴気だ。恐らく穢神の出す瘴気に当てられたのだろう』
この世界には瘴気と呼ばれる物がある。
普段は人の目に見えないくらい薄い物でしかないのだが、この瘴気は何処にでも存在しており、この瘴気は神を汚染し、汚染された神は穢神となり果てる。
穢神となった物はその身に瘴気を貯め込むのだが、そうやって穢神が貯め込み全身からあふれ出させる瘴気は時に人間でさえ汚染する。
しかし、人間を汚染する程の瘴気となれば、闇ともいえる程に濃密な瘴気で無ければあり得ないのだがティアの身体から出た瘴気はそこまで濃密な物ではなかった。
「アリスは大丈夫なのか?俺の左手っていう皮があるとはいえ、濃い瘴気に当てられたら」
『ふん、あの程度の濃度の瘴気でどうにかなるほど軟じゃないさ、しかしティアは出来るだけ外に出さない方が良いかもしれないな』
「かもな、でもどうしてティアはあの程度の瘴気に当てられたんだ?」
『……さぁな、人の中には生まれながらにして神の力を持つ者も居る。もしかしたらティアもそういった存在なのかもしれない』
「人として生まれ、神の力を宿した人間か……話には聞いた事あるが」
なんだか、ティアはそれとは違う気がするのは俺の気のせいだろうか?。
「まぁ何にせよ、やる事はやっておかないとな」
『どうする気だ?』
「決まってる、穢神を探す。あんなのがうろついてる状態じゃ落ち落ち調べものも出来やしないからな」
『ティアはどうする気だ?ここに置いていくのか?』
「そうするしか無いだろ。連れて行ってもまた瘴気に当てられるだけだろうし、出かける前にスカムのおっさんに気にかけて貰うよう言っとけば良いだろ」
俺とアリスはティアを宿屋に置いて行き、穢神を探すべく一度穢神とすれ違った広場まで戻って来た。
「さてと、どうやって探せば良いのやら……アリス、今回の穢神はどういう奴だと思う?」
『情報が少ないが、それでも分かる事があるとすればある程度知性が残っている個体だろうな』
「やっぱりか……普通の穢神なら速攻で人間に襲い掛かって騒ぎになってるだろうし、嫌なパターンだぜ」
穢神には二つタイプが存在する。
一つは溜め込んだ瘴気によって正気を失い獣のように暴れるタイプ、このタイプには理性や知性という物が存在せず、人の前に姿を現す事も多い為、人が神と言った場合はこのタイプの穢神の事を指し、圧倒的に数が多い。
もう一つは人間や動物などを依り代としたタイプ、身を焦がす瘴気の苦痛に耐えきれず皮を被る事でその苦痛から逃れようとした連中であり、このタイプはある程度の知性を保ってはいるが瘴気によって精神を蝕まれ理性と呼べる物は殆ど残っていない。
今回の穢神は知性が残っているタイプであり、人の中に紛れるだけの知性を持ち発見が難しい。
何より厄介なのはただ暴れるだけの連中とは違い、何か良からぬ事を企む可能性がある事だ。
穢神は人間の事を憎んでいる、それには穢神が溜め込んでいる瘴気に原因があるのだが、とりあえずそれは一旦置いておいて今はこの街に潜んでいる穢神を探す事に専念しよう。
「アリス、それらしい気配を感じないか?」
『残念ながら何も、この状態では瘴気を感じ取り辛いからな。目視で探していくしか無いだろう』
人間や動物の身体を依り代にした穢神は大抵の場合は相手を殺し強引に肉体を奪い取ろうとするため、身体が一部欠損している事が多い。
それを隠す為に外套や厚着などをして身体を隠しているのでそれらしい恰好をした奴を探せば良いのだが今は時期が悪かった。
「冬真っ盛りで全員厚着してるからこの中から探すのは手間だぞ」
『真夏に厚着をしていれば分かりやすかったのだがな』
一度怪しいと思ってしまうと道行く人間の全てが怪しく思えてしまう。
「一目で分かるくらい怪しい見た目しててくれりゃ楽なんだがなぁ」
『いくら何でも人に紛れようとしてる奴がそんな怪しまれるような恰好をすると……は……』
「アリス?」
『……テオ、あれ』
アリスが指差す方向に目を向けると、そこには真っ黒なローブで頭の天辺から足の先までスッポリと覆い隠した怪し気な風貌の人間が、周囲をキョロキョロと見渡しながら路地裏に入って行く。
「なんだあの怪しさ満点の奴は」
『追うか?』
「逆に追わないって選択肢あるか?。行くぞ」
俺達は怪しい黒ローブを追って裏路地に入る。
黒ローブは路地を抜けて別の通りに抜ける訳でも無く、まるで追手を巻くように複雑な裏路地を右へ左へと蛇行しながら進んで行く。
その行動に不信感を強めながら何度目かの曲がり角で俺は黒ローブにバレないよう角の先を覗き見る。
(居ない……?)
やはり尾行がバレていて巻かれてしまったのだろうか。
そんな事を考えていた俺の背後から何者かの声が響く。
「動くな」
その言葉と同時に首筋に何かを押し当てられる。
皮膚を押すその感触に俺はそれが刃物であると理解する。
「お前何者だ?何故オレの後をつける?」
「気分を害したなら悪かった。俺の連れが不審な輩の世話になったからそのお礼をしようとここら辺を探し回ってたんだ。そしたら如何にも怪しげな奴が路地裏に入ってくのが見えたんでついな」
「……なるほど、その不審者とオレが似ていたと?」
首筋に付けつけられた刃物はそのままだが、僅かに背後から向けられる剣呑な雰囲気が和らいだ気がする。
「俺は直接姿を見た訳じゃないから断言は出来ないけどな、それよりも――何者なんだ?」
背後に立つ者に質問する風を装いながら、俺は左手を軽く指で叩きながらアリスに尋ねる。
『……少なくとも広場ですれ違った穢神では無いな』
(少なくとも、ねぇ……)
アリスにしては随分と曖昧な言い回しだなと思いながら俺も背後に立つ者について考える。
口調こそ男っぽいがその声色は高く女のようだった。
「お前のその質問に答えてオレに何か得になる事でもあるのか?」
「少なくとも不審者としてアンタを追う事も衛兵に突き出す事もしなくて済むぜ。アンタの答え次第だが」
「命を握られた状態で随分と勇ましい事を言う」
そう言いながら背後に立っていた奴は刃物を引っ込め、俺から少し距離を取る。
俺が背後を振り返るとそこには案の定あの黒ローブの姿があった。
「良いのか?こんなにアッサリ引いて」
「今の問答でお前に悪意ある者では無い事は分かったからな。これでも人を視る目には自信があるんだ」
「ふーん、目にねぇ……それよりも聞きたい事があるんだけど良いか?」
「なんだ?」
「アンタが怪しい奴じゃないって言うなら、なんでそんな怪しげな恰好してんだよ。正直不審者だと思われても仕方がねぇ恰好してるぞ」
頭の天辺から足先まで真っ黒で口元しか肌が露出していないその恰好を指摘してやると、黒ローブはバツが悪そうしながらも答えてくれる。
「……この恰好の方が素顔を晒すよりも警戒され難いからな」
黒ローブはそう言いながら隠していた顔を晒す。
晒されたその顔は女のものだった、それも思わず息を呑んでしまう程の美人だ。
しかしそれ以上に俺に衝撃を与えた物があった。
「こんな顔なら隠しておいた方がマシだろう?」
女の右目にはかなり大きめの眼帯が付けられていた。
だがそんな大き目の眼帯ですら覆い隠せない程に巨大な傷跡が女の顔に刻み込まれていた。
「アンタ、その傷は一体……」
「昔に化け物に襲われて、その時右目と一緒に顔の右半分を抉られたのさ。抉られた部分の肉はどうにか再生する事は出来たが、跡が残ってこんな有様だ」
黒ローブはそう言いながら再び顔を隠す。
「全身こんな有様でな、だからこんな格好して身体を隠してるんだ。さて、オレの疑いは晴れたか?」
「……あぁ、少なくともアンタが俺の探してる相手じゃ無さそうな事は分かったよ」
「それは良かった。また変な疑いを掛けられる前にさっさと離れる事にするよ。お前もこんな裏路地に入ってこない方が良いぞ」
黒ローブは一度言葉をきってから俺に忠告してくる。
「この路地裏には何か良くないモノが潜んでる」
「良くないモノ……それって」
黒ローブの言葉に俺の脳裏に穢神という言葉が思い浮かぶ。
コイツは穢神を知っているのか?だとしらコイツの狙いは何だ?。
路地裏に何かが潜んでいると分かっていながらその路地裏に入った理由は?。
「警告はしたからな、それじゃあ――」
「待ってくれ!」
「――まだ何かあるのか?」
苛立たし気な様子を隠す素振りも見せない黒ローブに俺は再度尋ねる。
「アンタはどうして路地裏に入ったんだ?。俺がアンタを尾行したのはアンタが路地裏に入ったのを見てからだ、少なくとも尾行を巻く為に路地裏に入った訳じゃ無いんだろ?。何か目的があってここにやって来たはずだ」
「随分と詮索するんだな、オレはそう言うのがあまり好きじゃ無いんだがな」
「好きじゃないって言うわりに顔を晒したり傷跡について教えてくれるんだな」
「自分から話す分には良い。それに下手に隠すより素直に話して誤解を解いた方が手間も掛からないし余計な詮索もされ辛いからな……まぁそうしても時折お前みたいなしつこい奴は居るんだがな」
黒ローブは深くため息を吐くと懐から一枚の紙を取り出し俺に手渡して来る。
「オレは今捜索依頼を受けている。ソイツがオレが今探している目標の似顔絵だ」
折り畳まれた紙を前に俺は小さく息を呑む。
この黒ローブは只者ではない、そんな奴が探している者とは一体何者なのか?。
もしかしたら俺達が今探している穢神に関連するものかも知れない。
そんな考えを胸に俺はゆっくりと折り畳まれた紙を広げる。
そこに描かれていたものは――犬だった。
「……犬?」
「犬だ」
「この犬に何かあるのか?何か強大な力を持ってるとかそういう」
「いや、ただの犬だ」
淡々とした様子で言う黒ローブの様子に、俺は急に先程までの自分が恥ずかしくなって来る。
恥ずかしさを誤魔化すように俺は乱暴に紙を折り畳み黒ローブに付き返す。
「なんでただの犬なんて探してるんだよ」
「依頼だからな。この時期に街の外での依頼なんて不可能だし、街中で出来る依頼に絞って受けていたら選り好みなんて出来ない」
「確かにそうかも知れないけどよ……なんか拍子抜けって言うか、もっと重大な事件を追ってるのかと思ったのに」
「それはお前の勝手な思い込みだろう。兎に角オレはもう行くぞ」
「あ、あぁ……引き止めて悪かったな」
俺がそう返すと黒ローブは振り返る事も無くそのまま姿を消す。
黒ローブが姿を消して暫くした後、俺はアリスに声を掛ける。
「なぁ、結局アイツは何だったんだ?」
『分からん、理性的ではあったから穢神ではなさそうだが……』
「だが?」
『具体的な量は分からないが、かなりの瘴気を体内に溜め込んでいる様子だった。少なくとも普通の人間からしたら致死量だろう』
「普通の人間には耐えられない程の瘴気を溜め込んでるねぇ。だとするならアイツの正体は人の身でありながら神の力を持った存在か」
『あるいは穢神と成り果てる前に人間の身体を奪い取って生き延びた神かのどちらかだろうな』
俺の只者ではないという考えは間違っていなかったという事か。
しかしあの傷、あれを見る限りは身体を奪い取ったというアリスの考えの方が正しい気もするのだが、話した限りそんな事をするような奴にも見えなかった。
「まぁアイツが何者なのかいくら考えた所で答えが出る訳でも、探してる穢神が見つかる訳でもないか」
俺は一旦思考を打ち切り、本来の目的である穢神の探索に戻った。
だがこの日はこれ以降特に何の成果も得られなかった。