神と左手
『駄目だっ!』
そんな声が聞こえたと同時に鮮血が舞う。
頬に血が掛かり、鉄の匂いが充満する。
「………?痛く…ない?」
恐る恐る目を開ける。
自分の心臓目がけて振り下ろしたはずのナイフが、布に巻かれた左手に突き刺さっていた。
「なんで…?」
もう指一つ動かせなかったはずの左手が、”僕の”心臓を庇うように動いていた。
予想外の事態に混乱している所に誰かの声が響く。
『この…大馬鹿者が!』
「だ、誰…!?」
突如聞こえてきた謎の声に、左手に突き刺さったナイフの事も忘れ辺りを見渡す。
しかし見渡しても自分以外の姿はなく、人の姿はおろか生き物の気配すらない。
そこでふと、ナイフが突き刺さったままの左手の事を思い出し、左手に視線を向ける。
ナイフが突き刺さった事で布が切れ、解けた布の隙間から白い肌が覗いていた。
それを目にした途端、僕は思わず布を剥ぎ取り左手を露わにする。
もう二度と見たくはないと思っていたカラカラに干乾びたミイラのような左手はなく、雪のように白い女性のような手がそこにはあった。
予想外の出来事の連続に思考停止に陥っていると、またも先ほどの声が聞こえてくる。
『何を惚けている、この馬鹿者が』
「だ、誰?何処に居るの?」
『お前の左手だ』
「左手…?」
その声に導かれるように再び左手に視線を落とす。
『まったく…久しぶりに来たと思ったらいきなりナイフなぞ持ち出しおって…何を考えているのだお前は』
「僕の事を知ってるの?」
久しぶりと言ったその声に、僕は思わずそう聞き返した。
『あぁ…知っているとも、ずっとそこで見ていたからな』
左手が勝手に動き出し、目の前の石碑を指さす。
「……神…様?」
『様付けで呼ばれる程、私は立派な存在ではない』
「じゃあ、なんて呼べば良いの?」
『アリスティアで良い、それが私の名前だ』
「僕は、テオス…です」
何を言って良いか分からず、思わず自分の名前を言う。
『知っている…所でどうしてこんな事をした?』
「………お父さんと…お母さんに…あい…たくて…だから」
『会いたくて私に身体を差し出そうとしたのか?馬鹿者、死んでしまったらそれこそ両親に会えなく――」
「死んじゃったんです…お父さんもお母さんも…」
『―――っ』
「僕が…一人で山の中に入って、それで魔物に襲われて…それをお父さんが助けてくれて、でも魔物に病気をうつされて、お父さんも、お父さんを看病してたお母さんも…病気になって…」
『それ…は』
「二人とも死んじゃって…僕だけが、助かって…それで…それで…」
そこまで言って耐えきれなくなりワンワンと泣き出す。
それからどれだけ泣いただろうか、地面にへたり込みすすり泣いていると、今まで静かに黙っていた神様が声を出す。
『テオス、お前はそれでいいのか?』
「…え?」
『このまま死んで、両親の元に行って…お前はそれでいいのか?』
「…分かんない…分かんないけど…お父さんとお母さんに会いたいよ…」
『それが、お前の両親の死を無意味にするとしてもか?』
神様の言葉に、ビクリと身体が反応する。
「どういう事…?」
『お前の父はお前を助けた時に魔物によってうつされた病によって死んだと言ったな。もしお前がここで死ねば、お前の父は何のためにお前を助けた事になるのだ?』
「それ…は」
『もし、お前が父の死に対して罪悪感を覚えているのなら…お前は生きるべきだ』
「生きる…でもどうやって?お父さんもお母さんも居なくて…僕一人で」
『私が居るさ。お前の両親の代わりに、私が守ってやる』
「神様が…?」
そこまで話した所で、神様にナイフが突き刺さったままなのに気が付く。
「ナイフ抜かなきゃ、でもどうしよう…」
『そのまま抜いてくれればいい、これくらい治せる』
「わ、分かった…」
息を飲み、ゆっくりと左手に刺さったナイフの柄を掴む。
顔を背けギュッと目を瞑りながらナイフを引き抜いていく。
ナイフが抜けてからも、僕は左手に目を向ける事が出来ずに居た。
『もう傷は治したから、目を開けて大丈夫だぞ』
その言葉にゆっくりと目を開けて左手に視線を向ける。
そこには傷はおろか、先程まで左手や地面を赤く染めていた血液も一切なくなっていた。
「大丈夫…?痛くなかった?」
『あぁ、このくらい平気だ』
どこか楽し気にも思えるその声色に、僕は困惑する。
そんな僕の様子に気が付いたのか、神様が声を掛けてくる。
『どうした?』
「何だか…神様楽しそうに喋るから…」
僕の言葉に、神様が答える。
『”楽しい”という訳ではないんだ…”嬉しい”んだよ、私は』
「嬉…しい?」
『あぁ…お前を命を救えた事が、やっとお前を守れた事が――』
『嬉しいんだ』
説明したい設定とか話が色々と多すぎて話がゴチャゴチャになってしまった感。
二章からは説明が大分減るので読みやすくなると思いますので、一章の間だけはご容赦ください。