12-9 愛する人の為に 互いの信念
意識が朦朧としている中で、かろうじて自分が運ばれていることは理解できた。
刺された腹の奥は熱を持ったように熱いのだが、体全体は徐々に冷たくなっていく感覚に囚われている。
視界もぼんやりとしていて指の一本も動かす気が起きない中で、かすかにリートさんの顔が見えたので恐らくは錬金術師ギルドだろう。
そして、リートさんの腕がなぜか紫色になったあたりから、段々と腹の奥の熱が解されていき、呼吸が少し楽になった気がしてきた。
意識がだんだんと覚醒していき、ゆっくりと開いた瞳に映ったのは、レンゲとソルテがミィに飛び掛かり、それをシロが止めている姿だった。
「どきなさい、シロ!」
「……落ち着く」
「落ち着けって……? 落ち着けるわけないでしょう? そいつは隼人のパーティメンバーなのよ?」
「そっすよ。今ご主人に近づけちゃあいけない相手っすよ!」
激昂する二人と、冷静なシロを見ながら、状況を振り返る。
隼人が現れて、俺が刺されて、ウェンディが攫われて……ウェンディの姿が見えないって事は、どうやら攫われたままのようだ。
だからこそ、二人は隼人の仲間であるミィに激昂しているのだろう。
「……もし主にとどめを刺しに来たのなら、シロとソルテが疲弊してる今、レンゲとアイナを無視して一直線に進めば主にとどめを刺して逃亡まで出来たはず。なのに、声をかけてきた。敵と判断するには早過ぎる」
「だから何? 敵か味方かわからないんだから、最低でも無力化しないと安心なんか出来ないわよ」
「シロは頭にきてないんすか? ウェンディ攫われて、ご主人も刺されて……自分の不甲斐なさにも、隼人にも!」
「……きてるよ。もうギリギリ。でも――」
「……そこまでだ二人共」
っ……はぁぁ……。
ああ……まだ動かすと顔を歪める程には痛むな……。
「……この建物の上に二人、向かいの建物の上に一人」
「「っ!!」」
俺の言葉に反応して、すぐさま入り口付近にいたシロとソルテが動く。
「ソルテは向かい」
「分かってるわよ!」
俺の意図を汲んでくれたようで助かるよ。
「まだ動いちゃ駄目ですよ後輩君。寝てなきゃ駄目です」
「リートさん……」
「ああ、やめてくださいよ。そういう目はずるいですよ。年下の後輩君のおねだり光線は反則です。……もうしょうがないですねえ。はい。肩に掴まってください。体も預けちゃっていいですからね」
「すみませんリートさん」
別におねだり光線はしていないのだが、今回は本当に余裕がないので、お言葉に甘えて頼らせてもらおう。
「……ちっ、一人逃がした」
「主様、ごめんなさい。あいつら異常に早いわね……」
「距離を取られたら途端に居場所が分からなくなったな……っっ……」
それだけ隠密スキルが高いって事か。
空間魔法はなり手が少ないだけで通常スキル扱いだからな……そこまで万能ではないか。
「旦那様……」
「悪いな皆。心配かけた……っ、はあ……おいで、ミィ……」
「お、兄さん……」
俺が呼ぶと、ゆっくりと歩み寄ってくるミィ。
近づいてくるにつれて、俺の怪我が見えたのか顔を崩して泣きそうになっていくのを見て、より大丈夫だと感じられた。
「よく、来てくれたな……ありがとう」
「おに、いさん……ううう……あああああ」
「よしよし……」
大粒の涙を零し、拭えども拭えども止まる事が無いミィが落ち着くように、腕を伸ばしてそっと撫でる。
少し腹が痛むが、今はこうしていないとな。
「……何か、話す事があるんだろう?」
諭すように優しく問いかけると、ミィは涙を止められはせぬままに何とか話そうとしてくれる。
「うぐっ、ミィは、ミィは隼人様とお兄さんが、争うのが、ひぐ、うううう……見だぐなくでぇ……」
口を開き声を放つと、必死に止めようとしていた涙をまた流し始めてしまうミィ。
「ひっ、レティが、公爵、囚われでぇぇ、隼人様、手出し、ぃ、ウェンディさんを、連れできだらっでぇ……」
「うん……そっか」
「うう、でも、それは、ひぐぅ、隼人様とお兄さんが、争う事になるがら、ミィは駄目だっで……でも、もう、間に合わなぐでぇ……」
断片的ながらも、状況は理解した。
必死に泣きながら伝えるべきことを、ミィが伝えたかった事がしっかりと伝わったよ。
「ありがとうミィ。ちゃんと理解したよ」
「お兄ざん……ううう」
よしよし。
泣き止んでおくれ。
そして、なるほどな……。
レティが公爵に囚われて、それを助けるにはウェンディを攫ってくるしかなかったわけだ。
「ん? でも何でレティは囚われたんだ? そもそも隼人がそんな事を簡単に許すはずがなくないか?」
少し泣き止んだミィには悪いが、当然の疑問をぶつけてみる。
今はしゃくり上げてはいるものの、少しは落ち着いてくれたようだ。
「ぐす……元々、レティは公爵の元婚約者だったのです……。でもそれは、とっくの昔に公爵側から破棄されてて、でもその破棄が無かったことにされてて、不正を疑ったけどその証拠が出て来なくて……レティの家族も、過去の事件で逆らえなくて……」
「後手後手に回ったと……。問答無用でぶった切ってくれてたら楽だったんだけどな……。まあ、立場とあいつの性格を考えると難しいだろうけど……」
伯爵対公爵の構図な上に、糞真面目だもんな。
理性的なあいつの事だし、感情のままに切り伏せるなんてできないだろう。
例え英雄でも、人を切るってのは簡単じゃないだろうし。
特に出会った頃の事を考えると、あいつはな……。
でも……。
「なるほどな……。あいつも、苦しんでんだな……」
相当悩んで、どうすればいいのか考えて、苦しんで振り絞って出した答えがこれしかなかったのだろう。
レティを助けるために、ウェンディを攫って俺と相対する道を選んだわけだ。
……宣言通りに。
なるほどだよ。相変わらずのいい男っぷりだなおい。
思わず笑みがこぼれちまうよ。
「……ねえ、主様? 裏切られたのよ? なんで笑えるの? まさか、ウェンディを諦めるつもりじゃないわよね?」
「ん? いや――」
「ご主人が隼人に命を救われたってのは知ってるっす。そのおかげで、自分達はご主人に出会えたってのもわかるっす。けど! だからって許せることじゃないっすよ!」
「許すも許さないも何も――」
「悪気があろうと無かろうと、やむを得ぬ事情があったとて、それは隼人の事情だ。我々には関係がない。主君。命じてくれれば我々が必ずウェンディを取り戻す。我が命に代えても――」
「待て待て待て。興奮しすぎだってのお前ら……。全員一回深呼吸しよう。な?」
一回ちょっと頭に上った血を落ち着かせようか。
俺みたいに――ってのは、笑えないジョークだな。
まあ、俺も血が抜けてるから上る血がないのかもしれないが……。
「だって……あんたの顔はまるで隼人を許していそうな顔だったんだもん……」
ん? 俺そんな顔してたか?
ああ、そうか。笑っちまったもんな。
あいつならそうするだろうって、あいつならそうするに決まってるよなって。
どれだけ悩もうが、最終的な答えはこれだろうなって。
だけど、だからといってだよ。
「あのなあ……命を救ってもらった恩がある。だからウェンディは諦めよう……なんて、俺が言うと思うのか?」
「それは…………絶対にしないわ」
「そうね。旦那様がウェンディ様を諦めるだなんて、ありえないわよね」
「当然。ウェンディを諦めるわけがない」
「じゃあなんで……」
「ちょっと思い出した事があってな……。隼人が言ってただろ? 『僕も大切な人の為ならば……誰であろうと敵に回せます』ってな」
「それって……ユートポーラで……」
「ああ。あいつが、ミィやレティ、エミリーやクリスに向けた言葉だよ。そして、今がその時って奴なんだろうさ」
「だから……笑ったんすか?」
「ああ。少し嬉しかったんだよ。あいつが、惚れた女を取り戻すために、その道を選んだことがな」
むしろ、隼人に俺と相対したくないからレティを諦めた……なんて言われたら、ぶん殴ってたところだ。
倫理も道徳も無視をして、いいからさっさと助け出せと俺が怒鳴りつけているところだろうさ。
「でも……私は許せないわよ。ウェンディが攫われて、主様も死ぬところだったのよ? 許せるわけないじゃない……」
「そうっすよ! マンティコアの血毒って変な毒まで使ってたんっすよ!? もう少しで、本当にご主人が死んじゃうかと思ったんすからね?」
「幸いにもシロが対処法を知っていたおかげで辛うじて助かったのだ。もし回復ポーションを使っていれば……危ないところだったらしい」
「そうなのか……。シロ。ありがとな」
そういえば、俺が回復ポーションを使おうとしたら何かに弾き飛ばされたんだよな。
あれもシロか? いやでも、あの時シロはいなかったし……。
「……違う。シロじゃない。……対処法は、隼人から聞いた」
「なっ……」
「そうだったんすか!?」
「ん……。だから、敵なのかわからなくなった。今ミィから理由を聞いて腑に落ちた。最初から、狙いはウェンディだけ」
「そう……。だから、私達は生かして帰されたわけね……」
「一般的に、マンティコアの血毒は第一級危険指定の猛毒ですからね。更に、錬金術師にマンティコアの血毒とは、厭らしい……とは思いましたが、実際は対処法を知りさえすれば大した毒ではありません。対処法を教えたという事は、隼人卿には殺す気はなかったのだとみて私も良いと思いますよ」
単なる戦力分断と時間稼ぎって考え方も出来るけど多分それは都合が良かったんだろうな。
でも、そうか……。
「……隼人が俺を殺す気はなかったってのはわかった。でもな……。残念だけど、それを含めて許すも許さないも関係はねえんだよ。隼人の立ち位置や想いがどうであれ、こうなった以上隼人との争いは避けられない。ウェンディを攫われた以上……どうしてもな」
「お兄さん……」
ミィが悲しそうな表情を浮かべているが、残念ながらこればかりは変えられないんだ。
これがまだ、ウェンディが攫われる前であれば話は別なんだがな……。
「悪いなミィ。俺も、『世界だってなんだって敵に回す』って宣言しちまってるからな。あいつに信念があるように、俺にも通さなきゃならない信念がある。……まあでも心底憎くて争う訳じゃあないさ。正義だ悪だでもねえんだ。俺の信念と隼人の信念が交差して、お互いを退けなけりゃ進めないってだけだ。異論はあるか?」
無い……と言うように、ソルテ達も頷いてくれる。
「……無いわよ。その……疑ってごめんなさい。私が馬鹿だった。主様が諦めるわけないわよね」
「結局、やる事は変わらないんすもんね……。ようし! やってやるっすよ!」
「うむ。主君の進む道を、通すべき信念を通すのが騎士たる私の役目だろう」
理由は分かった。そして、納得もした。
関心もしたし、男としてある種の尊敬もした。
だが、俺のすべきことは変わらない。
何一つとして。
「さて、それじゃあここからが肝だな。どう、ウェンディを奪い返すか、だ……。理想を言えば、ウェンディもレティも取り返して隼人との衝突を避けるのが一番だが……そう簡単にはいかないだろう」
「公爵領ならば、早馬で二日あればつく距離だ。王都から少しだけ離れた位置にある」
「主、ウェンディの座標はわからないの?」
「……残念だけど、空間座標指定を使っても分からない。なんらかの妨害があるとみていいだろうな」
公爵領自体がわかったとして、今向かっても返り討ちだろう……。
とはいえ、座標がわからなきゃ転移系の魔法は使えない。
勿論、隼人やエミリー、クリスやレティの座標もわからないんだよな……。
ついでに言うと、公爵であるゲルガーも……。
となると、なんらかのアイテムか……それか――。
「……ゲルガーの治める街には今は結界が張ってあるのです」
「やっぱり、結界か。だが、まだウェンディ達は公爵領にはついていないだろう。ウェンディと隼人達の付近はそれに近い高密度の魔石を持ってるってところか……。で、いいのか? ミィ。俺に情報提供なんかして」
「こうなったら……仕方ないのです。平和に終わって欲しかったのです……。でも、間違っているのは、隼人様なのです。だから……」
「ああ。ウェンディを奪い返して、ついでにレティも救ってお説教だな」
「なのです! ミィも……力をお貸しするのです」
ありがたいな。
今は少しでも戦力が欲しいところだ。
結界があるとすれば、尚更な……。
「さて、それじゃあ当面の問題は結界か……」
「でも、街一つ覆う結界って事は、それなりに距離を置いてでかい装置があるんだと思うわ」
「その場所がわかればいいんだが……駄目か。結界の装置自体も座標がわからね……え? あ、ぐぅ……やべ……」
視界が大きく歪んで、気持ち悪い……。
身体を起こしていたせいで、頭に血が回らなくなったの……か……?
何も……こんな、タイミングで……。
「もう……無理したからですよ。少し休憩にしましょう。話し合いは一旦ここまで……。まずは体を回復させて――」
リートさんの声がぼやんとして聞こえてくる。
更には、俺を心配する皆の声も。
回復しないと……ああ、でも……くそ。
落ち着け俺……。慌てたって、何にもならねえ。
ウェンディ……。
今すぐにでも、助けに行きたいよ。
でも……このまま行ったところで、助けられるはずもない。
失敗は……出来ない。
だから……頭はクールに、心を燃やせ。
頼むよ神様女神様……。
神頼みでも何でもしてやるから……。
ウェンディ、どうか無事で……。




