9-13 砂の国ロウカク 盟友
ロウカクの砂漠の夜は寒い。
魔力球(火)で暖められた荷台の上に布を置いているため床暖房のようになってはいるが、吹き抜ける隙間風は身もだえするほどで、俺たちはくっついて眠っていた。
「ううう……寒い……」
右にはウェンディが、左にはアイナがくっついており、豊かなおっぱいに俺の両腕は抱え込まれているにも拘らずまだ寒い。
すやすやと穏やかな寝息を立て、顔をどちらに向けても幸せな寝顔が見えるというのはとても幸せだ。
だが、俺は今この天国から抜け出さなければいけない試練を迎えていた。
そう。尿意だ。
離れたくない! だが、このままでは漏らしてしまう!
とはいえもう少し、あと少しだけ我慢が出来る……とは思うんだが、ぎりぎりで二人が手を離してくれなかった事を考えるともう限界だ!
「ん……ちょっ……ごめん、ちょっとごめんん……」
俺が離れようとすると、やはり二人ともぎゅうううっと胸の間に腕を抱きしめてしまう。
うはっ! って気持ちと共に、額にやばい感じの汗が出始める。
ちょ、あの、これはまずいですよ?
明日の朝の悲惨な光景が浮かんじゃってます!
無理やり引き抜かなければ! 抗え俺! 帰ってきたら自ら挟めばいいじゃない!
「……なにしてるの?」
「いいところにきたソルテ! ちょっと二人を引き剥がすの手伝ってくれ!」
外を警戒していたソルテが、ごそごそと動く物音を感じて様子を見に来てくれたらしい。
正直言って助かった!
「……おっぱいめ……」
「ちょ、今はそういうの無しで! 尿意が! いい年してお漏らししちゃうから早く!」
すわった目で俺の腕を挟むおっぱいを睨み付けるソルテだが、今は勘弁してくれ!
「はいはい。さっさと行きなさいよ。って、きゃああ!」
俺を無理やり剥がしたソルテが、アイナとウェンディの間に挟まれた。
身長差からWおっぱいに顔を挟まれ、抱き心地のベストスポットが決まらないのかぐねぐねと動かれておっぱいを右往左往していた。
「ちょっ、助けっ……」
「……すまんソルテ! 膀胱が限界なんだっ!」
悪いが今は助けられん。
トイレの場所まで行き、尿意を無くし、手を綺麗に洗って、布で拭いて、星を見上げてから助けに来るからまた後で!
「私は助けてあげたのに! 馬鹿! 恩知らずー! っていうか、あんた達もこれだけ騒いでるんだからさっさと起きなさいよー!」
ソルテの叫び声を聞きながら、俺はすぐさまトイレに指定した岩場の陰へと足を走らせた。
立ちションなのは、砂漠ゆえ申し訳ない!
「危ねえ……ギリだった……」
はぁぁぁ……手洗い用の水で手を洗い、綺麗な布を取り出して寝所の方に戻りながら空を見上げる。
「はぁぁぁ……綺麗な夜空だな……」
焚き火とトイレ用の光の魔石以外の明かりが無い空には、より鮮明に星々が瞬いていた。
空気が綺麗で、とても暗いからこそ鮮明に見えるのだろう。
元の世界でもなかなか見れない景色に見とれつつ、そろそろソルテを……ん?
気のせいか……星空が遠く……。
足元を見ると、俺の足が太ももあたりまで砂へと飲み込まれている。
そして、あっという間に腰を超え、首の辺りまでもあっという間だった。
「へ? ちょっ、まっ!」
やばい! 流砂か!? ソルテを呼ぶ、脱出、どうする? 不可視の牢獄か!? 駄目だ、座標が、冷静にっ! 加速する方向性っ、吸入間に合わな……。
※
顔にさらさらと何かが当たっているのに気がつき目をゆっくりと開く。
「っ……」
背中が痛い。
さらさらとした砂が俺の頭の遥か上空から降り注いでおり、砂の天井だけが視界に入った。
そして、徐々に流砂に飲み込まれた事を思い出したのだった。
「はぁぁ……。流砂に飲まれるなんて不幸だと言うべきか、あんな高い所から落ちたのに命があって良かったと言うべきか……」
ソルテを助けなかった罰だとしたら、ちょっと過剰じゃないですかね女神様……。
「おや、気がついたようだね」
「ん……? ッッ!!!」
突然聞こえてきたどこか間延びしたような、でもゆっくりではない優しそうな声の主の方に顔を向けると、思わず口を開け息が止まってしまう。
目を見開き、動けなくなり、全身に嫌な汗をかいて鳥肌が立つ。
心臓の鼓動が普段の何倍もの音を立てて直接耳に響くかのように大きくはっきりととても早く聞こえてきた。
なんせ……。
「ん? どうしたんだい素敵な来訪者君。ああ、出来れば叫び声は上げないでほしい。煩いのは嫌いでね」
……その姿は、紛れも無く龍だったから。
竜ではなく龍。
地竜じゃない。地竜よりももっと恐ろしい存在だなんてことは、俺程度にだって空気からビリビリと伝わってくる。
何者をも拒み阻むような強固な外殻、巨体を支える四肢の力強さ、鋭く長く強靭な尻尾、岩どころか鉄さえもバターのように斬り裂いてしまえそうな爪、有無を言わさず噛み砕くであろう牙、何をとってもあの恐ろしかったはずの地竜とは比べ物になりそうもない。
「っ、あ……かっ……」
今の状況に混乱しすぎて、必死に叫ばぬよう手で口を押さえ、トイレ行っておいて良かった……なんてどうでもいい事を考えてしまっている俺。
いや、本当、それどころじゃないんですけども!
「あれ? おかしいな? ちゃんとキャッチしたんだけど……もしかして、打ち所が悪かったかな?」
キャッチ? え、俺が無事なのこの龍さんのおかげなのか?
そ、そうだよな。あの高さから落ちて俺の低いステータスで無事な訳がないもんな。
「あ、え、あ……助けてくれて、ありがとうございます……?」
「お? 喋れるって事は大丈夫みたいだね。良かった良かった」
「あの……俺食べられちゃうんですかね?」
自分でも何を口走っているのだろうと思うけど、これは一番重要な事なので先に確認をしておきたかった。
「ふふ。食べるなら最初から口でキャッチしているよ。君は運がいいね。お腹はとても空いてるんだけど、ちょっと考え事をしていてね。今は食べる気がしないんだ」
「……」
口でキャッチ……そのお口でキャッチされたら、ぱっくり丸呑み余裕でしたですよね。
よ、良かった……運が良くてよかった! あ、いや流砂に落ちなきゃそんな運も関係なかったのだろうけど良かった……っ!
「ん? 黙っちゃったね。あ、もしかして疑っているのかな? 君は食べないよ。盟約に誓おうか。龍は盟約を守るものだからね。……まあ、それについて少し話を聞いてもらいたいんだけどさ」
話を聞く……?
え、食べられないのなら喜んでお話くらい聞かせていただきますけども!
正座で! 正座で聞かせていただきます!
「そんなにかしこまらなくてもいいよ。でも、聡い子で良かった。襲われたりしたら流石に殺しちゃうからね」
「あは、はは……」
凄く軽く言ってますけど、リアルすぎます……。
流石にそんな馬鹿な真似はしないですよ。
っていうか、通じそうな攻撃が何一つ浮かばないです。
でも、藁にもすがる思いで剣とか出さなくて良かった……。
「それでね、聞いて欲しい話なんだけど……盟約は龍種にとってはとても大切なものでね。さっきも言ったけど、龍は盟約を守るものなんだ」
「はあ……」
俺はその盟約のおかげで安全って事でいいんですよね?
というか、龍って喋るんだ。
今更だけど、存在そのものに驚いていてそれどころじゃなかった……。
魔物の竜とは違うのだよ竜とはって事なのかな?
「でもね、古くからの盟約って今じゃあ何の意味があるのかもわからない時代錯誤なものも多いんだ。正直、それを守り続けるってのもどうなのかなって悩んでいてね……」
「えっと……」
「あ、君を食べないって盟約の事じゃないから安心していいよ。とても美味しそうだけどね……。うん。とても美味しそうだけど」
なんで二回言ったの!?
「人族ってさ、私的にはあんまり美味しそうに見えないんだけど、君はとても美味しそうに見えるよ」
まさかのダメ押し!?
ほ、本当に食べないんですよね!?
ちょっと涎が出てませんか!?
俺がすっぽりと覆われそうな涎が今にも落ちそうなんですけど!!?
「じゅるるっと、危ない危ない。盟約は守るよ。でね、長じゃない私がもうやめようと言っても無駄だし、かといってこのまま龍種としてその盟約を続けていくのもどうなのかなって思うしで、お腹が空いていても何も食べる気がおきないくらい悩んでいたんだよ」
「はぁ……そんなにですか……」
「家族以外の何も知らない人に吐き出して聞いてもらいたいくらいにね。でさ、君はどう思うかな? 長に従って渋々でも盟約を守るべきか、それとも長に逆らって結果は変わらずとも私だけでもやめるべきか。私はどうすればいいと思う?」
「えっと……」
龍種として盟約は守らなきゃならない。
どんな盟約かはわからないが、その盟約は古くからのものでこの龍さんは乗り気じゃないと……。
情報が明らかに足りないのは、おそらく言葉を選び内容については言わない腹積もりなのだろう。
空気の読める俺はそれを察さねばならない。
食べずとも殺される可能性はまだあるのだから俺も言葉を選ばねば……。
「……それは、盟約を守らなければ貴方の命に関わるものなのですか?」
「いや。そんな事はないかな」
「どうしてもしなければいけない理由があるとか……」
「それもないね。まあ、龍種として盟約を守るという理由はあるけれど」
「もし貴方がそれをしないと、貴方には何か悪い事が起こりますか?」
「うーん……問題無い範疇かな。もともと私は変わり者扱いだからね。より変な龍として見られるくらいさ」
「そうですか……」
特別な事は何もなく、ただ古くからある盟約でしなくても問題はないと……。
……俺としては、でいいんだよな?
おそらく、他人の意見を聞きたかったんだと思うし。
「……俺は嫌なら、やらなければいいと思います」
「……へえ。意外だね。人族って、変化を好まないものだと思っていたよ。それとも、私のご機嫌取りかな?」
「いえ……。基本的には俺も変化は好みません。でも嫌ならはっきりと拒否します」
「へえ……相手が自分よりも上位の相手でも?」
「はい。断ったところで弊害が無いのであればですが、自分の人生ですし、心に譲れない芯を一つ持って、あとは自由に生きたいですから」
期待した言葉がこれかどうかではなく、これが俺の意見だ。
嫌ならしなきゃいい。
やりたくないなら逃げ出してしまえばいい。
まあもちろん、やらなきゃ死ぬだとか、特別な理由が別にあればその限りではないのだけれど、それがなく、ただやりたくないのであれば仮令上からの命令だとしてもやらなくてもいいと思う。
「譲れない芯を持って、自由に生きる、か……そうだよね。じゃあさ、その盟約自体を無くしたいとしたらどうすればいいと思う?」
「うーん……その、長にお願い……は駄目なんですよね?」
「そうだね。聞く耳すら持たれないと思うよ」
「それなら……単純ですけど、貴方が長になれば良いのでは? そうしたら、皆も言うことを聞かざるをえないんじゃないですか?」
「やっぱりそうなるか……。んー……その道しかないのかな……」
うーんと龍が頭を悩ませている。
だが、同じ悩んでいるでも、先ほどよりは機嫌が良くなったように見えるのは気のせいだろうか……。
「……うん。とりあえず、まだ悩みは解決していないけど十分かな」
「あ、はい……」
「ありがとうね。少し、楽になったよ」
「いえ、お力になれたのであれば幸いです……?」
「ふふ。だから畏まらなくてもいいってば。私の名前はカサンドラ。君はなかなか変わり者の人間君だね。変わり者同士、気が合ったのかも。話せて楽しかったよ。あーあ、気が晴れたら。お腹空いちゃった」
「……えっと」
あれ、俺食べられる?
座標転移で逃げるか?
いや、足震えてるし無理か……。
恐らく入りきる前に半身が無くなる未来が見えるよ。
「優しく、して下さい……」
「だから、君は食べないって……。この盟約を、私は守りたいと思っているからね。地竜でも適当に食べに行って来るよ」
地龍って地竜食べるんだ……。
共食い……あいや、あっちは魔物で蜥蜴だったな。
「あ、それなら……」
「ん? どうしたの?」
俺は地図を広げ、地竜が湧いているところで、一番遠くの、一番厄介で、一番数が多く回るにしてもぎりぎりになりそうな所を教えて差し上げる。
「ありがとう。探す手間が省けたよ。それじゃあ、私からもお礼をしようかな」
カサンドラが巨大な突起過多のパルチザンのような尻尾で何箇所か天井を軽やかに突き刺すと、天井の砂がどさああっと落ち始める。
「これでおそらく地上に出られるかな。でも、ここは埋まるだろうね。一人で戻れるかい?」
「はい。大丈夫だと思いま――」
「かしこまりすぎ。盟約を結び、君は話を聞いてくれたのだから盟友だ。普段どおりで構わないよ」
「あ、えっと、わかった。……大丈夫。一人で戻れるよ」
「うん。あそうだ、一つ聞いておきたいんだけどさ。君が持っている芯はなんなんだい?」
「色々あるけど……全部まとめて一つにすると、『幸せになる』それだけだな」
「……あはははは。いいねそれ。当然だけど、凄くいい」
俺も思わず笑ってしまいそうになるほどに愉快に笑うカサンドラ。
ひとしきり笑った後、カサンドラは大きな爪を俺の目の前に差し出してきた。
迫力は凄まじいが、怖くはない。
「それじゃあ、もう会う事は無いと思うけど、またどこかで出会えたら。その時は運命って事で、また話そうか」
「ああ。わかった」
そう言って俺はカサンドラの爪に手を添え、握手の代わりを果たした。
カサンドラは嬉しそうにコクンと小さくない頷きをすると、のそのそと崩れ去る地下を歩いて去っていく。
残された俺は落ちてくる砂の雨に目を向けて、不可視の牢獄を張りつつ完全に崩れ去る前に上昇していった。
去っていくカサンドラを見つめつつ、不思議な龍だったなと思い、地上に出るとシロや皆が起きており俺を探しているようだった。
俺を探しているときは必死の形相で、俺を見つけてからは安堵した顔をした皆を見つつ、流砂に飲み込まれたと伝えはしたがカサンドラの事は言わなかった。
結局、何事も無く無事だったわけだし『煩いのは嫌いでね……』と、言っていたしな。




