7-19 幸せ・願望 夜の鍛錬
今回は※印で視点移動が複数回あります。
ミゼラと主人公の視点となりますので、ご注意ください。
むかつく……むかつく……むかつく……。
本当に腹が立つ。
私がハーフエルフであることに甘えている?
ハーフエルフであることを恨んだ事はあれど、甘えた事なんて一度もないわよ。
あんな、女神様から強力な力を貰っただけの『流れ人』に、余所の世界から来た男に一体何がわかるって言うの?
どうせ、才能なんて必要なかったのよ。
女神様から貰った強力なスキルで、何一つ苦労する事無く生きてきたのでしょうね。
だから、上から目線で他人を幸せにするなんて言えるのよ……。
私の幸せは私が決める。
あんな恵まれた男に、私のことなんてわかりっこない。
ベッドにもぐりこみ、今日起こったことをずっと考えていた。
このベッドだって、あいつのスキルのおかげで手に入れたものなのでしょうね。
この今まで味わった事の無い上質の肌触りすら憎く感じてしまう。
「……ミゼラ。入る」
勝手に戸を開けられて、シロが入室してくる。
入ってくるなと言いたいところだけど、別にこの部屋だって私のものというわけではないのだ。
「寝てる……? ご飯。冷めちゃったから温めてきた」
「……いらないわ」
「ん。食べなきゃ明日走れない」
「……」
「……主と喧嘩した?」
「っ……」
「主、食事中上の空だった。考え事しているみたいで、後悔してるみたいだった……」
その言葉を聞いて、余計に腹が立った。
後悔? ふざけないで、そんな事しないでよ。
私に正論を叩きつけておいて、後悔なんて……。
ええ、わかってるわよ。あの男が言っていた事が正論だなんて。
ウェンディ様が居る以上、あの男は良い人なのだろう。
ウェンディ様が圧倒的な信頼を置いている以上、あの人は善人なのだろう。
いや、そんな事はウェンディ様がいなくたってわかってる……。
倒れた私の為に無理をして薬を作ってくれたと聞いた。
温かい料理を、振舞って迎えてくれた。
なにより私を人として、扱ってくれた……。
優しいだけじゃ、私は裏を疑う。
厳しいだけじゃ、私は拒絶する。
どちらも持ったあの男は、きっと本気で私のことを考えてくれている。
そんな事は、わかりきっている……。
でも、だからといって今まで真っ暗な世界にいたのよ?
こんな世界滅んでしまえって思い続けてきたのよ?
それが突然、世界が変わってしまったかのように明るくて眩しいものに変わったと言われても決められるわけがないじゃない……。
迷惑をかけたくないなんて嘘。
こんな居心地の良いところ、離れたい訳ないじゃない。
離れたところで、野垂れ死ぬか、また奴隷に戻るのかのどちらかだってわかってるわよ。
でもね、幸せは味わってしまえば手放すのが怖いのよ……それならばいっそ、手に入れられなかったほうがずっと楽だと思ってしまう。
それでも、手に入れるには、ここにいるにはどうすれば良いかなんて……わかってるわよ。
「ぐっ、うう……っ」
「ミゼラ? 泣いてる?」
「泣いでないわよ!」
わかりきっているのに、一歩を踏み出せない私の弱さに、私の甘えに涙があふれ出てくる。
ここまでお膳立てされても、期待されて、失望された時が怖いんだ。
呆れられて、怒られて、捨てられるんじゃないかと思うと、才能がないことがわかっていて、努力をし続ける自信がない。
「……ミゼラは、主が嫌い?」
「嫌いよ……。何の苦労も知らない癖に……」
「主はいっぱい苦労してる。シロ達が、いっぱい迷惑かけてる。それでも、主は笑ってる。笑って、努力を続けてる」
「努力? こんな豪邸まで手に入れられるほどの才能がある男が努力? 笑わせないでよ……」
「……来て」
「ちょっと……」
有無を言わさずシロに手を引かれ、廊下を歩く。
小さな猫人族なのに、力強く引っ張られていく。
だが、手首は痛くない絶妙な力加減で引っ張られていった。
連れてこられたのは真っ暗なリビングだった。
すると、シロはテラスへのガラス扉を開けて手招きをする。
口には指を当ててしーっと静かにするように促しながら。
一体なんなのよと思いつつも外に出ると、シロは体を低くしながら手すりへと手招きした。
「ん……」
手すりの外を見ろとシロが促す。
真っ暗闇の中、庭と門の方に顔を向けると、誰かがいるようで、二人分の影が見えた。
※
「しかしフリード、こっちで良かったのか?」
「どの程度の破壊があるかわかりませんから……。隼人様の家屋を傷つけるわけにはいかないので……」
「こっちならいいのかよ……」
「あくまでも主ではなく、貴方の家ですから」
そういってフリードは構えを取る。
俺はふふっと笑いマナイーターを取り出して対峙した。
「それでは、いきますよ?」
「すぅー……はぁー……ああ。いつでもいいぞ」
深呼吸を一つ。
ふっと吐き出される息とともに一足で俺の間合いの中へと入り込むフリード。
巨躯とは思えない程のスピードで、迫る圧力と、大きな拳がマナイーターで防ぐ事もできずに胴へと突き刺さる。
「ぐうぅ、おえええ……」
「戦いにおいて簡単に間合いに入らせないこと。それが大前提です」
腹の中身を吐き出して、周囲をごろごろと転がりながら、それでも尚痛む腹に鞭を打って立ち上がる。
ずきずきどころか、ガンガンと痛む腹に顔を歪ませながらもう一度と対峙した。
「では二本目ですかね」
「ああ……」
もう一度真っ直ぐに来るフリードに、俺は横薙ぎに剣を振るう。
だが、剣の間合いより手前でぴたりと止まったフリードは俺の剣を避けた後に間合いに入る。
不恰好なまま振りぬいてしまった隙だらけの俺の肩にフリードの拳が突き刺さり、そのまま庭を転げまわるように吹き飛んだ。
「攻撃は次の一手の事も考えて行いましょう。防がれたら、避けられたら、当たったら、どうするのかも決めずに振るうのは、ただの自殺行為です」
「ぎっぐぅ……。ああー、くそ……」
腕が上がらない。
流石に回復ポーションを取り出して飲み、再度フリードの前に立つ。
さあ、3本目だ。
「はぁ!」
また横薙ぎに振るうが、またもフリードは間合いの手前で止まる。
だが、今回はスイングをコンパクトにして次の対応に備えられるように振るっているので、すぐに構えを戻せたのだがフリードが消えた。
その瞬間、脚に衝撃が走り体が浮く。
そして、浮いた体をフリードの肩をぶつけられ吹き飛ばされた。
「戦闘とはいかに相手に自分に有利な条件を押し付けられるかです。脚払いやフェイントは相手の状態を崩し、自分に有利な状態を作るところが利点ですね」
「なるほど……こいつは、こっちじゃないと出来ないわな……」
巨躯のフリードが踏み込めば、当然庭が凹んでしまう。
脚払いは今日レンゲにやられたばかりだというのに、全く進歩しないなあ……。
「まだ続けますかな?」
「ああ。まだまだ頼むぞ」
レンゲ達じゃあ、こんな痛みは味わえないからな……。
今日も寸止めだったし。
実際の戦闘で傷ついて、それに戸惑ってしまい平静を欠くようじゃあいけないと思う。
だからこそ、フリードにお願いして稽古をつけてもらおうと思ったのだ。
「次は空間魔法も使いましょうか。スキルとの併用戦術も学んだ方がよいでしょう」
「わかった。防御主体でいいんだよな?」
「はい。ですが、これからは私も力を込めます。油断すれば、死にはしませんが重傷は免れませんよ?」
「……わかった」
回復ポーションと魔力回復ポーションのどちらも飲み干して準備万全で挑む。
まずは自分の周囲に不可視の牢獄を張る。
もちろん、かなりの魔力を込めて作ったものだ。
「では、いきましょう。最低でも10秒はもってください」
「ああ。やってみるよ」
言うが早いかフリードの姿が消える。
夜ということもあるせいか、動体視力がまるで追いついてない。
そして、目の前に現れたかと思ったらゴギンと鈍い音が目の前から聞こえてきた。
「流石に硬いですな」
不可視の牢獄を殴られた音だと気づき、その拳の重さに若干引きながらもフリードを間合いから離れさせる為に後ろに跳び、その間に新たに不可視の牢獄を一枚張った。
「そうです。相手との距離を取るために使うのも有効ですね」
手を前に伸ばし、ふっ、と不可視の牢獄に触れた後簡単に打ち砕くフリードはそのままゆっくりと歩いてくる。
「貴方のそのスキルは見えません。ですが、触れても効果が少ない。魔力を持たぬ魔物ならば狩れるとは思いますが、魔力の扱いに長ける者の前にはあまりにもお粗末です」
「だな。正直、こうも簡単に壊されると魔力効率も悪いよ」
「本来ならばその力で急な攻撃にも対処しつつ、魔法を使うのが一番でしょう。ですが……」
「使えないなら言ってもしょうがないさ」
「……はい。ですので、貴方はやはりサポートに徹する方が良いと思います。以前のようにダンジョンや洞窟以外では空に浮き、周囲をスキルで守る方が良いでしょう。ですが……」
「ああ。そのダンジョンや洞窟に行かなきゃならなくなったとき、行けないって言いたくないからな……」
そういうとフリードは構えを取る。
「まだまだ行いますか?」
「ああ。むしろこれからだ。フリードの方は問題ないか?」
「ええ構いませんよ。貴方様のその勇気に応えられるよう全力でお相手します」
フリードが優しく笑い、俺も笑う。
だが、そのあとの展開は想像通り激しく厳しいものとなるのだった。
※
「……なに? あれ……?」
見ていて体の全身が震えてしまった。
目の前の光景を見て、体中にぞわりと鳥肌が奔る。
「フリード。隼人の家の執事」
「そうじゃなくて! 何で……あんなにボコボコにされてるの? 助けなくて良いの!?」
「ん。主の鍛錬の邪魔は出来ない」
「鍛錬……? あれが? 馬鹿言わないで、一方的に殴られてるだけじゃない! 止めないと死んじゃうわよ!?」
「止めない。止められない……」
「どうして……」
シロは眉根を下げてとても悲しそうな顔で言う。
「主が頑張っているのに、頑張らなくていいなんて、シロは言えない」
「だって……あの人に戦闘の才能なんて……」
「無い……。でも、毎日鍛錬とお仕事、何か本を読んで調べ物のあと、皆が寝静まった後にも鍛錬をしてる。才能なんてないのに、何処まで頑張ってもシロ達には追いつかないってわかってて、それでも頑張る主を、シロは止められない」
シロは目に涙をためて潤ませ、それでも流さぬよう何とか堪えている。
「なんで……そんな……」
「主がやりたいことだから。主が望むのなら、シロは主を見守る。主の心も守るのが、シロの護衛としての役目だから」
「……どうして……そこまでして強くなりたいの? 錬金という才能があって、周りにはこの街きっての冒険者の三人も、あなたまで居る。このままでも……十分じゃない」
紅い戦線。この街で最高ランクであるAランクの冒険者。
その三人を同時に相手にしても問題無いというくらい、この子が強いというのは聞いている。
それだけの戦力を個人が有しているという事自体も驚愕だが、ならば尚更自身を鍛える事なんて必要ないじゃない。
「ん……主は、弱いことを弱いままでいいと思わなくなったって言ってた。何もできないのは嫌なんだって。本当は、痛いのも怖いのも大の苦手なのに……」
「何も、できない……」
私と一緒……。
だけど、大きく違うのは彼は一歩を踏み出している。
わざわざ自分が苦手とするものに挑戦し、痛みを伴いながらも前へと進んでいる。
目の前で幾度と無く立ち向かっていくあの人の姿を見て、いかに自分が矮小であるかを感じざるを得なかった。
「……あの人は、続けるのかしら?」
「んー……。別の事ならともかく、今回に限っては主はやめないと思う。やめてもいいって言っても、多分やめない」
「そう……。私、惨めね……。あの人の事、何も知らなかったのに文句ばかり言って。あーあ……もう、言い訳も出来ないじゃない……」
「ん。主だから仕方ない。たとえ流れ人じゃなくっても、主は変わらないと思う。一緒に居れば前に進める。楽しい。だから、シロは主についていく。主にずっとついていけるように、シロはもっと頑張れる」
「……そう。ちょっと、羨ましいって思うわね……」
「ん……。じゃあ、ミゼラもシロと一緒に頑張ろう?」
「そう……ね。……出来るかしら?」
「出来る。シロも、皆もお手伝いする」
「……うん」
今こみ上げてくるものは、シロの優しさのせいなのか、私が私を一番諦めていた事を知った悲しさなのかはわからない。
でも、心に宿った小さな灯火は温かく、とても悪いようなものとは思えなかった。
このあと私は流れる涙を止められず、シロに支えられながら部屋に帰り、冷めてしまった夜ご飯を美味しくいただくのであった。




