7-16 幸せ・願望 ミゼラと、決意
食事を終えた後は食休みをする者、お風呂に入る者、外を散歩しに行く者など皆自由にしていた。
俺はと言うと、ウェンディの横に並んで皿洗いの真っ最中だ。
普段はウェンディ任せにしてしまう事が多いのだが、今日は片づけまでが俺達の仕事だろうと手伝う事にした。
「大成功でしたね」
「ああ。ミゼラよりも他の皆の方が楽しんでた気がするけどな……」
「突然でしたから無理もないですよ。でも、美味しいっていっぱい食べてくれました」
「だな。嬉しかったな」
一つ一つをとても大切そうに、そして美味しそうに食べるミゼラの姿に、俺もウェンディもあれもこれも食べてとお皿に盛り、流石に食べきれないと呆れられてしまったけど。
「初めは遠慮気味でしたけど、シロ達が楽しそうに騒いでいたので緊張はほぐれたみたいでしたね」
「皆に感謝だな」
「ふふ、皆普段どおりにしていただけですけどね」
いいお肉でシロ達のテンションが上がっただけかもしれないが、結果オーライというところだろう。
「しかし、チョコは美味かったなあ……」
「そうですね。苦さと甘さが絶妙でした……。確か帝国の特産品でしたっけ?」
「ああ。まだこっちにはあまり流通してないみたいだけどな」
「……なるほど。だから500万ノールもしたのですね」
「あははは……」
いやー。申告するのが怖かった……。
怒ってはいないのだが、呆れた様子だったし……。いや、でもまだまだ寸胴にはチョクォはあるし、良い買い物だったはずだ。うん。後悔はしていない。
カラン。
と、後ろから何かの落ちる音がして振り向くと、ミゼラが呆然と立っており足元には残っていた木の器が落ちている。
「ああ、持ってきてくれたのか。ありがとうな」
「ごめんなさい……な、何か手伝おうと思って……。でも、5……5ひゃ……」
「美味い物を食べる為には仕方ない」
「はぁ……相変わらずですね……。ご主人様がお稼ぎになられたお金ですし、構いませんけど……」
「あの……相変わらずなのですか……?」
「ええ。ご主人様は美味しい物に目がありませんので」
「まあまあ。ウェンディだって、ツマミ食いしちゃうくらいだったんだから言いっこなしだぞ?」
「わぁーわぁー! 内緒にしてくださいよ!」
ははは、ミゼラの前ではしっかりした所を見せたかったみたいだが時間の問題だと思うぞ?
「はぁ……。ウェンディ様も大変そうですね……」
「そう……でもないですよ。慣れです慣れ。貴方もここにいるようになったら、慣れなくては大変ですよ?」
「……そう……なのですね。あ、お手伝いします」
「はい。では、私が拭いたお皿を棚に戻してください。分からないことがあれば何でも私かご主人様に聞いてくださいね」
……ミゼラの中では、まだここにいるって決断は出来ないか。
まあ、そう簡単に決められる物でもないだろうし、仕方がないな。
ウェンディもそれを察してか、深入りせずに話を続けているので俺もそっとしておこう。
そのまま俺が洗い、ウェンディが拭いて、ミゼラが皿を棚に戻していくという作業分担が出来上がる。
「あの、このお皿は重ねてしまってもよろしいですか?」
「ええ。そちらは2段目の右側に重ねてお願いします」
質問は当然並び的にも性別的にもウェンディに集中するのだが、こうしてみていると親子……は流石に離れすぎなので、姉妹というところだろうか。
ウェンディの指示に従いながら、しっかりと手伝いをこなすミゼラ。
作業効率が上がり、あっという間に仕事が片付くかと思ったのだが……。
パリーン。
と、なにやら割れるような音が響き、その方向を見るとミゼラが慌てたようにしゃがみこんでしまう。
「ご、ごめんなさい。すぐに拾いますから……っ」
「危ないから触っちゃ駄目だ!」
手を伸ばそうとしたミゼラの腕を俺が取り、素手で触れさせないようにする。
慌ててしまうのはわかるが、割れた皿で指を切ってしまわない様にと配慮したのだが……。
「ごめんなさい…………」
「ミゼラ?」
その場で何度もごめんなさいと呟くミゼラに、異常な雰囲気を感じて様子を窺うのだがとてつもなく顔色が悪い。
握った腕が震え、唇までもが震えている。
「大丈夫だ。大丈夫だから……怪我はして無いか?」
「ごめんなさい……ごめんなさい……。地下は嫌です……。すぐに片付けますから……」
どう見たって、異常事態だ。
これは……トラウマを呼び起こしてしまったのだろうか……。
「ご主人様、私はミゼラを部屋まで連れて行きます。ここはお願いしてもよろしいですか?」
しまった。と思うよりも先に、ウェンディが動いてくれる。
「ああ。しっかり様子を診ておいてくれ。俺も、落ち着いたら行くから」
「はい。ミゼラ、立てますか?」
「ごめんなさい……ごめんな……さい……」
そのままウェンディに支えられ、この場を去るミゼラの背中は震えていた。
その姿を俺は心苦しい思いで見送るのだった。
洗い終わった皿を拭き取り、棚へと戻していく作業をしながら先ほどのミゼラの様子について考える。
やはり、過去のトラウマが……と考えるのが普通だろう。
俺が大きな声を上げて手を取った事が、もしかしたらその引き金となってしまったのかもしれないと思うと、どうにもやるせない……。
悪い事をしてしまったな……。
せっかく今日は良い日で終わりそうだっただろうに、余計なことをしてしまった。
こんな事を考えていると、ウェンディが一人神妙な顔をして戻ってきた。
「ご主人様。ミゼラが落ち着きました……。ここは私がしておきますので、会いに行ってあげてください」
「俺が行って大丈夫なのか?」
「はい。ご主人様に謝りたいと、言っておりますので……」
「……わかった」
俺はウェンディと入れ替わるように部屋を後にする。
今現在ミゼラの部屋の準備は終えていないので俺の部屋へと向かい、ノックをする。
「入るぞ」
「……はい」
ミゼラの声は小さく、やはり元気が無いように見える。
当然といえば当然だが、先ほどまで楽しそうにしていたことを思うと嘘のようであった。
「大丈夫か?」
「ええ。……ご心配おかけしました」
「そうか。指も怪我してないか?」
「それも、旦那様が手を取ってくださったから大丈夫」
「そうか……ごめんな? いきなり大きい声を出したりして」
「ううん。旦那様が頭を下げないで。旦那様のおかげで、怪我しないで済んだのだから……」
「そう言ってくれると助かるが……」
少しの沈黙の後、口を開いたのはミゼラだった。
「……前、ね。同じように手伝いをしていて、お皿を割ってしまって、丁寧にしようとすると遅いと怒られて……怒られないように急いで……結局お皿をまた割ってしまった後に地下に閉じ込められたの……」
「……」
俺は、ミゼラの話に口を挟まずに耳を傾ける。
何があったのかは知りたい。いや、知らなくてはいけない。
だが、ミゼラに無理をさせてまで聞きたいわけじゃない。
なので、話せるところまでは黙って聞くことにした。
「真っ暗で……日の光すら当たらない灯りのない地下室。そこからずっと出してもらえず、ご飯もちょっとだけ……黒いパンの端と、味の無い冷めたスープ……。今日の料理とは比べ物にならないほどの質素な物だった……」
それは……どれだけ辛い事なのだろう……。
人は、日の光を浴びなければ体を壊す。
暗闇と言うのは、人の心を侵食する。
不安、恐怖、疲弊、憔悴など、まともな神経がどんどん壊されていく。
ミゼラは過去の事だと淡々と話してはいるが、その表情はずっと青白く、こうして話しながら思い出すことも辛いのだろう……。
「心が疲弊して、私の心が折れる頃に前の主は言ったの。役に立たないのだから、せめて一生の誓いくらいは使ってみろって……。それでも、私は使わなかった。わずかに残っていた憎しみが、それを許さなかった。それから、私の食事は一日一度……踏まれた痕のある黒パンと、野菜の欠片、それと一杯の水だけだった」
拳を握り、爪が肉に食い込むのがわかる。
唇を嚙み締め、誰だかわからない前の主に憎悪を募らせる。
人として……やってはいけないラインさえ越えるのか……。
「だから、今日は嬉しかった。美味しかった。楽しかった……。食事って、こんなに素敵だったんだって。料理って、こんなにも温かいんだって……それなのに……ごめんなさい」
「謝る事なんてないよ……悪いのは、ミゼラじゃない」
「ううん……私ね、何も出来ないの。貴方が今までの人とは違う事はわかる。ウェンディ様や、他の皆が楽しそうにしているだけでもそれはわかるわ。でもね……優しくされても、私には何も返せないの……」
そんな事はない。
今日だって、皿を割ってはしまったが手伝ってくれてありがたかった。
役に立とうとしてくれたことが、今日は楽しかったって言ってくれた事が何より嬉しかった。
「スキルも何もないの。ハーフエルフは成長が乏しいから……何も覚えさせてもらえてないの。アイナさん達みたいに冒険者として役立つ事も、シロさんみたいに護衛として働く事も、ウェンディ様みたいに家事をこなすことも出来ないの……」
だから、とミゼラは続ける。
「私はここにはいられない……。何も出来ない私は、優しい貴方に何も返せない……。むしろ、ハーフエルフを抱えるというだけで貴方には迷惑をかける。ウェンディ様にも、お世話になった皆にも……貴方にも、迷惑はかけたくないの……」
ああ……なんだよ。
すげえ良い子じゃんか……。
危害を加えたら追い出すだの、出て行くときは止めないだの言っていた自分をぶん殴りたくなる。
いや、ぶん殴ろう。
右拳を自分の頬にぶつける。
手加減なしで、思い切りぶつけたので口の中をおもいっきり切ったようだ。
だが、そうでなくては反省の意味などないので構わない。
「だ、旦那様!?」
「……決めた」
「決めたって……何を?」
「ミゼラ。悪いけど、さっき言ったミゼラを黙って送り出すという約束、あれ無しで頼む」
「え……?」
「俺は、お前を幸せにすると決めた。だから、黙って送り出す事は出来なくなった」
この子は、幸せにする。
いや、幸せにならなきゃ駄目だ。
なによりも、俺の為に。
「話聞いてなかったの? 私は……」
「聞いた。その上で決めた」
「そんな……私の気持ちをないがしろにするの……?」
「ああ」
そう。ここからは完全に俺のわがままだ。
ミゼラの気持ちを無視し、己のわがままを通すという自己中である。
「それなら、私は勝手に逃げ出すわよ……」
「好きにすれば良いさ。俺も好きにする。だから……覚悟しておけよ?」
それだけ言って俺は部屋をあとにする。
部屋を出ると、心配そうな顔でウェンディと散歩から帰ってきたシロが待ち構えていた。
「ご主人様……! 血が……!」
「大丈夫。これは俺への戒めだから。で、だ……さっそくだけどウェンディはミゼラを見ておいてくれ」
「は、はい……その、どうしたのですか?」
「ん。主、顔が締まってる。……何か、するの?」
「ああ」
一呼吸をおいて、真剣な顔でシロ達を見つめる。
「これから、俺のわがままに付き合ってもらっていいか?」
「はい」「ん」
内容は聞かれない。
だが、二人はすぐさまに頷いてくれる。
俺はそんな二人に甘えるように、ぎゅっと二人を抱きしめる。
俺は今幸せだ。
この世界に来て、二人に出会えた。
「ちょっと、そのわがまま。私達も混ぜなさいよ」
「そうっすよ。仲間はずれはよくないっす」
「主君、私達も微力ながらお手伝いするぞ」
お風呂上りのアイナとソルテ。
食休みをしていたレンゲが現れ、彼女達も抱きしめる。
大切な人が出来て、大切な人が増えて、この世界が大好きになった。
だからこそ、俺は許せない。
大好きな世界で、あんなにも優しい子が、悲しい表情を浮かべているという事実が何よりも許せない。
笑って欲しい。生きる事は楽しいと、日々に幸せを感じて欲しい。
だからこそ、決めた。
さあ、始めようか。
俺の勝手で子供じみた動機の、自己中心的でわがままな、他人に幸せを押し付けるという願望を。




