第197話 始末
「相変わらず辛気臭い顔してやがるな……」
チリアーコの前に現れたティノは、人に変化したフェンリルの子供のミルコをおんぶした状態で仁王立ちしていた。
まるでチリアーコがこの道を通る事を分かっていたかのようだった。
「…………確かに久しぶりですね。それよりも私に用ですか?」
チリアーコは、内心では焦りながらも表情は冷静を装ってティノに話しかけた。
「それはこっちのセリフだっての。今は帝国側のお前が何でルディチの国にいるんだよ?」
答えは分かっているが、取り敢えずチリアーコがここにいる理由を尋ねた。
「ちょっと知り合いに用がありましてね……しかし留守みたいなので帰るところですよ」
ティノの事だから、恐らくグリマンディ家と繋がっていた事には気付いているだろう。
王都で捕まったグリマンディ家の当主ダニオが話した可能性もあるし、バレているのは分かっている。
しかし、ここでティノに捕まれば確実に殺される事は明らかだ。
どうにかしてこの場から逃げる為に、チリアーコは無駄口を叩いて時間を稼ごうとした。
「ところで、その子は何ですか? まるで初めてあなたとマルコにあった時のようで不快なのですが………」
元々得意の闇魔法を利用して、闇奴隷商として波に乗っていた時にマルコを売りさばこうとして失敗した時の事である。
失敗によって受けた損失は、それまでの財が全て飛び、奴隷商の自分が奴隷落ちになりかけると言う笑えない状況に落ちいった。
モーホク大陸では生きていけなくなり、逃げるようにケトウ大陸に来て、帝国に来てヴィーゴに拾われたのだった。
「俺はお前の方が不快になって来たんだよ。だからそろそろ消えて貰おうと思って……」
そう言うとティノは、ゆっくりとチリアーコに歩み寄っていった。
「ひどい言い草ですね……。生憎ですが、殺されるのはごめんこうむりたいので、ここでお暇させて貰いますね」
ティノが一歩近付く毎に、自分の命が縮んで行くような感覚に晒され、その恐怖からバックステップをして一気にティノから距離を取ったチリアーコは、転移の魔法を発動させた。
「……ふっ、もう気付いているでしょうが、グリマンディ家とカセターニ家を追い込んだのは私ですよ。今回は早々にバレてしまいましたが、次は確実に潰してあげますよ。では……」
転移魔法を発動した状態になり、僅かに余裕が出来たチリアーコは、捨て台詞を残してその場から消えて行ったのだった。
「!? 父ちゃんと同じ魔法だ……」
突然チリアーコが消えたので、ミルコは少しびっくりしているようである。
消えた事よりも、ティノと同じ魔法を使った事に驚いているようだ。
ミルコの母のミーナも使えない転移魔法を使える人間が、ティノ以外にいる事に驚いたのだった。
「何か格好つけていやがったけど、追いかけるとするか……」
今回はチリアーコを逃がすつもりはないので、ティノは追いかける為に転移魔法を発動させる為、魔力を練り始めた。
◆◆◆◆◆
「ふう……、まさかティノが現れるとは思いませんでしたね」
転移し、ティノから逃走を成功させたチリアーコは、ヤタの町の近くの森で一息ついていた。
「相変わらず恐ろしい男でしたね……」
初めて会った時も恐ろしいと思ったが、あの時はマルコを取り返す事が目的だったせいか、軽くあしらわれた程度だったのだろうが、ヴィーゴに付くようになってから会うたびに本性が垣間見えた。
僅かに見えるその本性は、とても人間のものには思えないように感じた。
ヴィーゴに拾われた時はティノとマルコに復讐する事を考えていたのだが、最近ではティノの底の無いような実力に恐怖を覚えている。
その為、遠回しな作戦ばかりを行うようになっているのである。
「拾って貰ったヴィーゴ様には悪いが、そろそろ潮時かもしれませんね………」
今日会って、ティノは自分を消しに来たとはっきり言っていた。
次は今回のように逃げられる保証はない。
「命あっての物種ですからね……」
チリアーコからしたら、大金を稼ぎ好きな物を好きなだけ食べ、いい女を好きなように扱う事が出来る事が最高の理想である。
ヴィーゴの下では、ある程度その理想に近い生活を送らせて貰っていた。
しかし最近では、ティノは帝国でも厳しい相手に思えて来た。
そんな一国レベルの相手に狙われてまで帝国にいるほど、チリアーコの中で価値は無くなって来ていた。
「この大陸からも離れますかね………」
「いやいや、この世から離れろよ」
「!!? なっ!!?」
突然の背後からの発言に驚いて振り返ると、そこには先程振り切ったはずのティノが、先程同様少年を背負って立っていた。
「思った通りそんなに離れていなかったな」
チリアーコがあまりの事に驚いていると、ティノは剣を抜いてチリアーコの首筋に近付けた。
「な、何で……」
いくらティノも転移が出来ると言っても、転移先を読まれる事は無いと思っていた。
それがあっさりと見付けられた事に信じられないでいた。
「お前慌てて転移しただろ? 俺と違って戦闘慣れしてないお前は咄嗟に練れる魔力が少ない。だからそれ程遠くに行ってるとは思わなかったんだよ」
ティノ同様転移が使えるチリアーコだが、闇魔法特化で戦闘経験が少ない。
その事を理解していたティノは、どうにかして転移先を掴めないか考えていた。
転移魔法はかなりの魔力を使用する。
距離が延びればその分しっかりと魔力を練らなければならない。
ティノのように魔力量が膨大な人間ならともかく、チリアーコが一日に何度も転移出来るはずがない。
ツカチに来るのに一回、ティノから逃げるのに一回、それだけで魔力はそうとう消費している。
もう一度転移するには数時間のインターバルが必要である。
その事を分かっていたティノは、さっきはわざとチリアーコを逃がしたのだった。
「しかし、近場とはいえどうやって………」
確かに近場に逃げた事が分かったとしても、ここにいる事が分かる訳が理解できない。
首に添えられた剣に冷や汗を掻きながらチリアーコは尋ねた。
「あぁ、それはこいつだ」
そう言うとティノはミルコを指さした。
「その子?」
ティノが背負っているミルコに目を向けるが、チリアーコは訳が分からなかった。
「こいつこう見えてフェンリルの子供なんだ……」
「…………………はっ?」
ティノの言葉に尚更分からなくなったチリアーコは、混乱しているようだった。
"ポンッ!!"
ティノの無言の合図を受けたミルコは、人化の術を解いた。
そして、ティノの背中には中型犬並の狼がぶら下がっていた。
「ちょっと、預かってるんだ」
そう言ってミルコを指さし簡単に説明した。
「………………本当にふざけた人間だな。いや、もう人なのかもわからないな……」
理解できてるのかどうか分からないが、ティノが予想の遥か上の生物だという事は理解したようである。
「分かる必要はない。もう死ぬんだから……」
「そうですね。最後に面白い事を教えましょう」
「ん? 何だ?」
「もうすぐルディチに対して帝国とハンソーの襲撃が行われます。精々潰されないよう頑張って下さい」
「!!?」
最期の言葉を話すと、チリアーコは自らティノの剣で首を切り自害したのだった。
「帝国とハンソーの襲撃……?」
チリアーコが死んだ事よりも最後の言葉が気になったティノは、しばらくその場で考え込む事になったのだった。