二章
西野幸太郎は、クーラーの効いたフェリー乗り場の待合室に居た。
午前便の出発まで三十分といったところだったが、室内は閑散としており、西野以外は誰も居なかった。
数日前、突然携帯に秋中大樹から連絡が届いたのは驚いた。何しろ当時は携帯なんて持っていなかったし、転校後の接点も無かったから、いざ名前を聞いてもピンとこず、間違い電話かと思ったくらいだった。
西野がかつて島で暮らしていた家には、まだ祖父母が住んでいたため、そのつてで携帯のほうに連絡することが出来たらしい。
同窓会の指定日はバイトが入っていたが、こういう機会が無ければ島に帰ることもないと考え、シフトを替わってもらって参加することにした。
電話の向こうの秋中は、すっかり声変わりをしていた。彼の声が、土管の中から響かせたような野太いものになっていたことが、年月の流れを感じさせた。
――俺も、変わったんだろうか……?
性格は……暗くなったかもしれない。
島に居たときは、体育の成績が良かったこともあって、物怖じしない子供だったが、今では、その積極性が弱くなってしまった気がする。チャレンジ精神というか、冒険心のようなものが年々薄れていっているのは、自分でも感じていた。
小さいころから野球好きだった西野は、高校進学後、県内でも強豪の野球部に入部し、甲子園を目指していた。
しかし二年になった今年の春、怪我を期に辞めてしまったのだ。
……いや、本当の理由は、試合でレギュラーを取るどころか、ベンチにすら入ることが出来ずにいたからだ。怪我は後付けに過ぎない。
スポーツは実力主義。上手ければ一年でもレギュラーになるし、下手なら三年でもずっとスタンド応援。年功序列などない。チーム系スポーツの、シビアで、残酷な影がそこにはあった。
どんなにその競技が好きでも、運動能力には必ず個人差がある。凡人が血の滲む努力をして自分の中の限界を超えても、天才は簡単にその上を行ってしまう。食らいつくことすら出来ない。
歩幅の小さい人間は、他人よりも早く歩き始めなければ、追い越されてしまうと分かった。
だからこそ、野球を辞めた今、勉学に励み、大学進学という次のステージに目を向けた。
しかしそれも、野球への未練を紛らわせるためだったのかもしれない。集中力は思ったほど続いておらず、夏休みには小遣い欲しさにバイトを始めてしまっていた。
一方、西野の抜けた野球部は、甲子園出場を決めていた。『注目の選手』や『これまでの試合結果』などの特集がテレビで放送されるたび、西野は即座にチャンネルを変えた。そのたびに、自分の選択は正しかったのだろうか? と、いつも心の底で自問自答していた。
血豆だらけだった手のひらは順調に治り始め、伸びた髪が心なしか頭を重くする。
そのときだった。
「幸太郎?」
聞き覚えのある声に、はっと顔を上げると、同じ年頃の男子が入り口に立って、こちらに目をむけていた。
「――――大ちゃん?」
タンクトップにハーフパンツというラフな服の下から、筋肉質な四肢が見えている。その厳つさに一瞬ぎょっとしたが、縁取ったような堀の深い目鼻立ちが昔の面影を残していたから、彼が秋中大樹であるとすぐに分かった。
「やっぱり、幸太郎かあ。久しぶりだな!」
二人が再開を喜ぼうとしたのもつかの間だった。
「ええっ、うそお、幸太郎っ?」
秋中の大きな身体を後ろから押しのけるようにして姿を現したのは、モデルのような細身体型の少女だった。白い肌に黄色のワンピースを纏い、足にはリボンのついたサンダルを履いている。ウェーブさせた茶色の髪は後ろでまとめ、ばっちりとアイメイクを施した瞳で西野の顔を食い入るように見たかと思うと、すぐに屈託のない笑みを零した。
「うわあ、ほんとに幸太郎じゃん。久しぶりっ!」
「……お前……桃花? 遠藤桃花か?」
「そうよっ、てか髪、長っ。野球部でしょ? そんなに長くていいの?」
「いいんだよ……野球部はもう辞めたから」
これには秋中も驚いた表情を見せた。
「……辞めたのか?」
「まあ、ちょっと怪我もしちまってな……」
「ええーっ! せっかく応援に行こうかと思ってたのに!」
「俺なんて、仮に居たってベンチ外だっての……」
遠藤のがっかりした声を避けるように視線を逸らしたとき、二人の後ろで所在無さげに立っている少女に気がついた。
無地の白いブラウスに、膝丈のデニム。落ち着いたショートカットの黒髪は、見覚えがあった。
「……もしかして、悠美か?」
西野の問い掛けを肯定するように、彼女は二人の間から僅かに頭を下げた。
雪村悠美。当時は小学三年生だった。新入生が入らず、メンバーの中では最年少で、消極的なタイプだったが、学校で飼っていた生き物の世話をよくしていたのを覚えている。
――飼っていたのは…………なんだったかな?
「もう、悠美。そんな後ろにいないで、ほらほらっ」
「う、うん」
遠藤に背後から肩を押された雪村は、促されるようにして、かつてのメンバーの輪に加わった。
「――しっかし、そろそろ出発の時間なんだが……愛の奴、まだ来ないのか」
秋中が呆れたように言うと、
「そういえばそうね……ちょっと連絡してみようかしら。この間、電話掛かってきたときに携帯の番号も交換してたから」
遠藤はストラップの沢山ついた携帯を取り出して、電話を掛け始めた。
しかし。
「――だめね、繋がらない。電源が入ってないか、電波の届かないところに居るって」
「……フェリーは一日二便あるから、後ので来るのかもな」
秋中が腕組みをしながら時刻表を見上げて言った。
「でも、それじゃあ島に着くのは暗くなった頃でしょ? 日帰りのつもりだったから、着替えとか持ってきてないし……」
全員が顔を見合わせていると、ほどなくして乗船を促すアナウンスが流れ始めた。
「……まあ、とりあえず乗ろうぜ。これ逃したら大変だ」
「そうね……。着いてから考えましょうか」
四人は券売機でチケットを購入すると、七年ぶりとなる島行きのフェリーへと乗り込んでいった――――。




