思考放棄業務
ラブなんてなかった……
「…………」
「あの……お返事は?」
俺が黙っているのが不安なのか彼女が震えそうな声で訊いてくる。
しかしなんで一目惚れなんてするのだろうか。彼女の質問に答えず、俺は少し考える。
俺のこれまでの言葉から告白されるというシチュエーションが皆無だということは容易に想像できるだろう。正味な話、告白されても人の好意なんぞ受け止める気ない。
そもそも社長令嬢という肩書を持つ目の前の女が直々に来るというのもおかしな話だ。礼儀をわきまえているならちゃんとアポをとればいいというのに。
まぁどちらにしろ答えをこの場で言わなければならないのだろう。目の前の女が不安そうな目でこちらを見ているのを鑑みてそう推測する。
時間が惜しいので、俺は返事をした。
「悪いが無理だ。仕事に生き、仕事で死ななければ存在する価値もないからな。……以上だ。もう二度と私用で立ち入るな」
そう言って彼女の反応も待たず階段を上り始める。さっさと終わらせた話をいつまでも引っ張る必要性など、俺にはない。
泣いていた声が聞こえたが、そんなものに思考するほど俺の脳は甘くなかった。
で、仕事部屋に戻る。
そこには、どこかに電話していた貴臣さんの姿があった。
何やら和やかに電話しており、時折笑い声が上がる。書類の束に肘をついて。
殴るわけにもいかないのでそのまま立っていると、視線が合った。
驚かれる前に声をかけた。
「暇そうだな」
「え!? あ、その……」
「さっさと電話切れ。自分の仕事やれ」
「は、はい! ……というわけで、はい。すいません失礼します」
備え付けの電話で誰と話していたのだろうかなんて考えず、俺は直立不動になった貴臣さんの隣を通り過ぎて椅子に座り、書類に手を出してから「交際の話だったが断った」と結果だけ言った。
「……はへ?」
「なんだそんな気の抜けた声出して」
「って、え? こ、交際の話だったんですか!?」
「ああ。でも断った。そして二度と来るなと言っておいた」
「えぇー……なんか、もったいないですね」
「別に。そんな些末事より仕事だ仕事」
「……うわ」
何故か引いているがそんなの関係ない。ぶっちゃけ俺の存在意義に掛けて仕事を全うしている。仕事という居場所がなくなった場合、即刻死ぬかもしれない。これまでの人生により形成された自己意識が、思考が、今、そしてこれからと、変わらない俺を作っているのだから。
まぁ復讐する気がないと言えばウソになるが、そんなものしてもむなしいだけなのでやる気なんて起きない。
前にも言ったが、俺は一歩間違えれば敵としてヒーローに討伐されるぐらいに荒んでいる。
故に俺は自分の命とかもどうでもいいし、恋愛感情なんてとうの昔に置いてきた。
あるのは自分という空しい身体と記憶、持っていたはずの過去の産物。
と、ここまで考えて死にたくなったので、頭を振って追い出して書類に目を通していく。
それが鬼気迫るほどだったのか貴臣さんは「……すご」と感嘆していたようだが無視して書類を全部み終えた俺は付箋を貼って直すところを書いて「ほれ」と終わったことを示す。
「あ、はい。戻してきます」
「ああ。悪いが、一時間ぐらいこの部屋にいないから」
そう言うと貴臣さんは書類を両手で持って「どちらへ行かれるんですか?」と訊いてきたので「地下室」と答えた。
それだけで理解したのか「分かりました」と言って部屋を出て行ったので、俺も部屋を出て地下室へ向かうことにした。
地下室。それはストレス発散のために作られたスペース。能力を思いっきり発動させたり運動をする場となっている。
結構利用している人は多くいるが、おそらく俺が一番使ってると思う。
で、現在はパンチングマシンを壊す勢いでラッシュしている。
「うららららぁ!! どりゃぁぁぁ!」
堪っていた鬱憤を晴らすように殴り続ける。これが一番発散できるのですごいボロボロになっているのだが、それでも俺は殴るのをやめない。
「くたばれぇぇぇ!」
別に恨む相手なんていない。ただそう言った方が心情的にもすっきりするだけ。
殺傷能力があるかなんてのは意味のない質問だろう。これでも一応鍛えたのだから、十分殺傷能力を持つ。当たり所が悪ければな。
ただがむしゃらに打ちまくっていたらタイマーがなった。それでも俺はやめる気にならず殴り続ける。
蓄積する疲労に飛び散る汗。が、それに比例する様に殴る速度は速くなっていく。
思考はなく、ただ作業のように殴り続けている結果なのかもしれないが、それこそどうでもよかったので続ける。
集中力が続くまで。拳が上がらなくなるまで。何かが切れるまで、俺はこのままだろう。
「いつまでやってるんですか社長」
そう言われて俺の集中力は途切れた。その証拠に、右を振り抜いてから膝に力が入らない。
そのまま座り込むと、「もしかして、1時間ずっとやってたんですか?」と質問してきたので息を整えながら「ああ」と頷く。
汗が全身から流れ出る。両腕に力を籠めようとも入らない。呼吸が荒い。
脳に酸素が行ってることからまだ大丈夫だろうなと冷静に考えながら自分の限界に届いてないことを確認しつつ何とか立ち上がろうとするが、腕に力が入らない時点で支えがないため立ち上がれない。
どうしたものかとぼんやりしていると、貴臣さんがため息をついて「本当、何やっても全力って……少しは息抜きを覚えないと身が持ちませんよ社長」とアドバイスをくれた。
呼吸だけは何とか戻りつつあるので、俺は「分かったよ」と言ってからこう付け足した。
「でも全力で事に当たれるならことにあたるさ。どうせ俺にはそれしか能がないし、本当の無理まで行かない無理ばかりだから問題ないけどな」
「それ聞いてるとうちの社長がどれだけずれてるのかが良く分かりますよ」
「俺だって自覚してる。だから押し付ける気なんてない」
「押し付けられたら入院する人確実に出ますからね」
「だから押し付ける気なんてないと言っただろ」
そんな会話をしていたら腕の痺れが取れてきたので難なく立ち上がる。疲労感はあるが、ただそれだけである。
それを見ていた貴臣さんは、「相変わらずの回復力ですね」と感心していた。
「さっさと戻るか。仕事がたまってるだろうし」
「あーそうですね。書類持ってこないといけません」
「……おい」
「仕方ないじゃないですか。社長がいないとあの部屋入るのに面倒なセキュリティ解除しないといけないんですから」
「やればいいだろうが」
「一時間経っちゃいますよそんなことしたら。だったら社長呼んだ方が早いです」
「……ま、それもそうか」
俺も最初の頃ものすごい時間かかったからなと実体験を振り返りながら、この部屋から三階まで戻ることにした。
そして作業を再開したらあら不思議。先程までのスピードより格段に速く処理(書き直しの要求及びミスの発見)が出来る様になった。
「ストレス発散させると元のスピードに戻るって……」なんて貴臣さんが力なく呟いたのを聞き、そういえばこれが本来のスピードだったなと自分でも思い出した。
いつ以来だろうかと思い返しながら、この日の作業は日付が変わる前に終わった。
「ストレス溜め込むのってよくないですね、やっぱり」
『それはそうよ。だからちゃんと休んでいいのよ?』
「いやー休んだらストレス溜まるので働いてます。やっぱり融通ききますからね」
軽く、いや結構本気で言ったその言葉に、麗夏さんはため息をついてから『あのね勤君』と切り出した。
「なんですか?」
『私は心配なの。ううん。私だけじゃない。彩夏だってあなたの事をしてるの。いくら勤君が疲れることも死ぬことも出来ないのは知ってるし、知られたくないから人を避けているのも知ってる。私が勤君を拾った時も甘えるどころか距離を置いていたもの』
「……」
『想像できるなんて言わない。けれど、理不尽な人生を歩んできた勤君にはこれから――』
「これから?」
拾ってくれた恩があるというのに俺は低い声、それも高圧的に言って中断してしまった。悪いと思えど、それ以上に恩人であろうと言われたくない言葉を言われた以上反論する。
そうでもしないと、俺が俺でなくなる。
「麗夏さん。いくら恩人でも言われたくない言葉があるんです。どんなに優しくもらっても、俺には未来はないんです。だから『これから』なんて言葉聞きたくないんです。もう――」
――俺の心配はしなくていいです。どの道戻れませんから。
そう言って締めたところ、麗夏さんがかなり落ち込んだ様子で『……え?』と言っていた。
これ以上そんな姿を見たくないので、俺は黙って背を向けて「ちゃんと書類は転送しますよ」と手を振って部屋を出た。
部屋を出た俺は、言ってしまったやるせなさに思わず壁を殴りつけて後悔したが、自分を納得させるように、言い聞かせるようにつぶやきながら宿泊室へ向かった。
「……どうせ俺に希望なんてないんだ。世界がどうなろうとも、闇に呑まれた憐れな実験体には」
伏線が無事回収できるか不安です