研修業務
いよいよ研修が始まる日になった。その前日に俺達が色々(二階の休憩室を片づけて)と会場の準備をしたのでばっちりである。
現在全員が出社時間前である八時に来ており、貴臣さん主導で暇な人達でプリントなどをそこに並べていた。
暇じゃない側の俺達はというと、普通に仕事を始めていた。
理由? 朝からドンパチやって壊しやがった誰かのせいだよ。しかも犯人取り逃がしたとか最悪すぎだろ馬鹿なんじゃないだろうかもう辞めちまえよ。
苛立ちが募る早朝からの仕事に鬱憤を晴らすかのように報告書を手伝っていると、「やべぇ……社長が本気だ! 俺達も本気でやらないと今日帰れないぞ!?」と声が聞こえた。
「っだ!! これでこの件の書類終わり! 次の仕事!!」
「社長マジだ! 俺達の仕事消えて給料もらえなくなるぞ!?」
「それやべぇ! この会社社長一人でやらせたら俺達の仕事場無くなるぞ!!」
「総員社長に仕事とられる前に終わらせろ!!」
『応!!』
……そう言って全員が鬼気迫る勢いで仕事を始めてしまった。どうやらもう、俺に仕事をやらせたくないらしい。
「……俺達より年下に負けてたまるか……!!」
「……嫁にバカにされて堪るか…!!」
「…社長に勝ってやる……」
……どうやらみなさん思うところがあるらしい。
まぁやる気に成ったのならいいかと冷静になった俺は、「終わったら電話してくれ」と言って自分の仕事部屋に戻ることにした。
普通に始業時間頃。貴臣さんから『研修生全員来ました』という連絡を受けた俺は頑張ってとエールを送っておいた。
別に使い物にならなくなっても俺が痛いわけじゃないからな。こっちに預けたあっちが悪い。
「えー研修生のみなさんおはようございます。ここで研修を担当している海原と言います」
そう言って軽く礼をする貴臣。それにつられ何人かは礼儀正しく返礼したが、数人はそもそも貴臣を見てすらいない。
それをはっきりと理解した貴臣は「まず言っておくことがあります」と前置きした。
礼儀正しい四人は身構えたが、残りはお構いなしに好きなことをやっている。
貴臣は何も言わず指を鳴らし、その六人をこの場から消した。
静かになった場を確認するように四人が周囲を見渡していると、貴臣はお構いなしに続けた。
「あなた達の配属先からどういう扱いを受けていたのか分かりませんし分かる気もありませんが、ここで目に余る態度が改まらなかった場合……」
そこで区切る貴臣。その瞬間六人は生気が抜けた目をして戻ってきた。
戦々恐々の四人に、笑顔で貴臣は告げる。
「死にはしませんがあのような目に遭い続けます。が、そのようなモノ好きがいるのでしたらぜひ申し出てください。別コースを用意しますので」
笑顔の裏の残虐性を垣間見た四人は、『先輩が遠い目をした理由ってこれか……』と確信した。
『現在は地下一階から二階までの掃除をやらせています。担当の者もついてチェックしているので今日一日掃除で終わるでしょうね』
「で、態度は?」
『自己紹介で六人が粗相を犯したのできっちりやっておきました。皆さん今では怯えながら素直ですねぇ』
「……ああ、そう」
新しい人を容易に雇えない理由の一つとして、貴臣さんのS教育が挙げられる。
いや、別に成果が出ているので大丈夫なのだが、あの人の新人教育は人格を一度破壊してから本番だからな……前の配属先でのことを聞き、ここに来て研修が回ってきた時の手法を見て竦み上がったし。
有能な人だから普段は気にならないんだが、この時期になるとすごいんだよな……等と思いながら『ではまた何かあったら報告します』と言って切れたので、電話を戻して俺も仕事するために部屋を出た。
「掃除は終わりましたね。ではもう定時のようですし、この辺で終わります」
最初に集まっていた場所に戻って来た貴臣の第一声。現に、時計の針は五時半を過ぎていた。
机に伏せている研修生たちは聞いていないようで誰も動こうとしない。
そこに彼は追撃を入れた。
「あなた達には残業手当は出ませんのでご了承を。なお、給料は各支社から出されるのだけで、こちらで出すことはありません。所属は各支社ですのでそこら辺は考えたらわかる事でしょうけど」
なお明日も掃除をやってもらいます。そう言うと彼は椅子に座り軽く伸びをする。
彼はこの程度ならつかれることはないのだが、いつも以上に神経をとがらせた結果少し疲れていた。
初日は毎度こうなりますからねーと自分の経験を振り返っていると、机に伏していた一人の研修生がのそのそと顔を上げて「海原さん」と声をかけてきたので「なんですか?」と訊ねる。
「どうして私達は社長に遭えないのですか?」
「今後ここに来ることがないだろうあなた達に会わせて意味がありますか?」
質問を質問で返され、なおかつ理解できてしまったのでその研修生は黙る。
その沈黙の意味を悟った貴臣は、実際の理由は別なんですけどねと内心でつぶやく。
実際に社長に会わせない理由。それは、協会からのお達しである。
彼は同年代、しかもヒーローの関係者と遭遇した場合徹底して相手を使い物にしなくなる恐れがあるので、それだけはなんとしても避けてほしいというものからの対策だった。
現に彼は榊波江と再会して拒絶した。幸いすぐに和解できたうえにヒーロー関係の仕事をしていたわけではないので問題にならなかったが、もし本当に遭遇したらどうなるか分からない。
そもそも彼は究極のたたき上げで若くしてその地位にいる。研修生と違い、彼の人生はとんでもなく壮絶の一言では済まされないほどの経験をしながらも。
秘書会では社長の有能さが羨ましがられますが……最初から社長も有能だったわけじゃないんですよね……。
研修生との一番の違いは、結局のところ苦労と経験の違いだと貴臣は考える。
人生の荒波を苦労しながら乗り越え、なおかつそれを社会という枠の範囲で揮える。その程度ができてこそ社会人であり、研修生という子供との違いだと考えの元、教育をする。
一人、また一人が部屋を出て行く姿を見送りながら、さて今回は一週間以内に掃除が次の段階へ行きますかねぇと考える貴臣は笑みを浮かべていた。
書類はなんだかんだで十時までかかった。OKを出せる書類になるまで時間がかかったというのもあるが、その上に新たな書類が舞い込んでしまったから結果的にこの時間になった。
けれどまぁ早い方である。そう思って書類を転送しに行く。
書類の転送を終えた俺も早く帰ろうと思い部屋から出たところ、途端にスマホが鳴り出す。
俺以外に誰もいない三階の廊下。空しく鳴り響くので取り出すと、どうやら電話。相手は彩夏。
こんな時間に一体何の用だと思いながら出ると、『勤さん、今日帰ってくるの?』と訊かれた。
「一応その予定」
『そう……でも友達が泊りに来てるの』
「ならいいか。麗夏さんがいないからって嵌め外すなよ」
『そこまでしないわよ!』
そう言って切れた。が、その情報で俺は帰らなくていいという方便が出来た。
しかし今日はもうここに居たくないからなぁなんて思いがわき上がってしまったため、それに従い荷物を持って建物を出る。
「しかしどうしたものかな……」
会社を出て空を眺めながらそう呟く。
とくに行く場所はない。帰る場所は既に存在しないのだから。
社員入り口前に座って星空を眺めながら今の時間開いてるホテルないかなーと調べていると、「君、どうしたんだ?」と懐中電灯を照らされて声をかけられた。
やべっ警察きた。そう思った俺は慌てて立ち上がって「すいません。ホテル探してました」と答える。
「そうか……なら夜道に気をつけて。最近連続通り魔がこの辺をうろついてるようなのでね」
「分かりました」
俺がそう頷くと警官は自転車にまたがって走り去った。
それを見送りながら先程の情報を反芻してため息をつきながら、『空室なし』という結果に肩を落とすこととなった。
頼るというか貸しを作るというか。ともかく誰かの家にお世話になるしかないという最終手段に出るしかなくなった。素直に会社で過ごせばいいのだろうが、何かもう、引くに引けない感じである。
とはいえ社員の奴らは大体寝てる時間帯だから捕まることはない……というか、一人暮らしの奴らはよっぱらって帰ってそうなので選択肢にない。
本格的にどうするか……もう会社に戻ろうかなと近くのコンビニで雑誌を立ち読みしながら考えていると、悲鳴が聞こえた。
「!」
雑誌を戻して急いでコンビニを出た俺は悲鳴が聞こえた方を探してみるが、分からない。
店員さんも驚いて店の外に出てきており、方角が分からないからすぐに戻った。
俺も何か買って会社で過ごすか…と思いながら店に戻ろうとしたところ、今度は発砲音が。
今度こそ方角が分かった俺は、ヒーローでもないが駆け出した。
ヒーローは嫌いである。が、それはヒーローを職業として金をもらっている奴である。
これは個人的なので共感する必要はない。ただ純粋に、『助けてやっている』という認識がチラホラと見え隠れしているのが気に食わないのだ。
本来無償で助けるのがヒーローのはずであり、英雄とはただ『助けたい』という一心で行動するはずなのだ。マンガやアニメ、小説みたいに。
そこには能力も年齢も体格も性別も関係ない。ただ『助けたい』という自分のエゴで立ち向かう。それが、俺が憧れていたヒーローだった。
なんだってこんな昔の事を思い出したんだ俺と思いながら現場だと思わしき所へ到着。
そこで俺が見たのは、腹部を刺されて動けない男性と拳銃で応戦する警官、そしてその銃弾を触手のようなもので防ぐ『何か』。
俺は物陰で普通に救急車を呼んでから、深呼吸をしてその交戦現場へ向かう。
そんな俺に気付いた『何か』は警官を一本の触手で壁に叩きつけて気絶させてから、残り全てを俺に向けてきた。
走っている俺は単調な迎撃を難なく避けてから懐に入り込み、全力で顎を打ち抜く。
「おうらっ!!」
「!!」
もろに入った『何か』は少し浮きあがる。触手が動いて無い状態なので、がら空きの腹部にこれまた全力の右ストレートをお見舞いする。
おそらく吹っ飛ぶぐらいの威力はあったのだろうが、触手を道路に刺して抑えた。
というかその触手って先がとがってるんだな……今更な発見に驚きながら構え続けていると、救急車のサイレンが鳴り響いた。
それに気をとられたところ、触手を使っていた『何か』の姿は消えていた。
一体何だったんだ全くと思いながら惨状(道路の傷跡や塀の穴)を見てさぁって仕事だなと鞄に入れていたカメラで写真を撮るなどして、救急車が来るまで自分の仕事にかかわる資料を作成していた。
そう言えばヒーローこなかったな。あいつらマジで役に立たねぇ。
不意に思ったことを今度協会に言ってやろうかなと思いながら、刺された男の応急処置と警官の面倒も見ることにした。
結果としては男は重傷であったが命に別状はなく、警官の方も大した怪我ではない。
俺はというと、警察のご厄介になって事情を説明、及び犯人の特徴を根掘り葉掘り聞かれたが、暗い上に必死だったので殴った感じ女性だったとしか答えられなかった。
そんな感じで、気が付けば二時。
なんかもう疲れたので、お願いして会社に送ってもらい、三階に戻って道路の報告書をまとめてから風呂に入って寝た。
――そういや、背中から触手を出してる感じだったな。あの女。
かなりどうでもよかったので、俺は忘れて寝ることにした。




