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 彼女は諦めない女だった。

 助けてもらったにも関わらず、礼も言わずに逃げたルールリーゼに何度も彼女は声をかけてきた。

 冷たくして、拒絶して、無視して、拒絶の言葉で攻撃しても。彼女は決して諦めず「お友達になりましょう」と言った。

 変わり者の末の姫君。どうせ良い子ぶっているのだと疑わなかった。内心では他の人魚と同じように、自分を馬鹿にしているのだと幼い頃のルールリーゼは思っていた。

 それでも彼女は、マリアンヌは、何度と手を差し伸べた。

 ――――今度は、私が手を差し伸べる番。

 なのに何故だろう、手が届かない。もう少し、あと少しだというのに。苦しくて、辛くて、動けない。呼吸が出来ない。喉が痛い。視界がかすむ。頭の中が漆黒に包まれる。体が自然と沈んでいく。

 もう日が沈もうとしているのに。

 彼女が泡になる時が、近づいているというのに。


 友の元へと、駆けつけることすら出来ない。



 ルールリーゼは喉を押さえ、海の底で蹲っていた。

 手で押さえる白い喉元は、腫れて赤くなっていた。地上に面し、汚れた空気の溶け込む海水の中を、何度も足掻いていたせいだ。口の中は何度と出て来た喀血で、不味い鉄の味がしている。

「どうして、なんで、駄目なのよ……」

 喉を痛めて掠れる声は、怒りと悲しさを伴っている。

 これほど己の体質を恨んだ日はない。昔は陸など興味がなく、時折忌々しいとすら思っていたのに。今はマリアンヌのいる地上へ行けぬことに、ルールリーゼは歯がゆさを覚えていた。

 そっと鏡の表面を撫でる。

 映し出されるのは、朱色の空。船の上なのだろうか、王宮とは違う木の板を張った壁と板。広大な海は夕日色に染まっている。

 そんな光景の中、金髪の少女の寂しげな後ろ姿がある。

「……諦めるもんですか」

 ルールリーゼは目尻を吊り上げ、キッと上を睨んだ。

 喉が焼け爛れようが知ったことか、と彼女は自棄になっていた。このままではマリアンヌが消えてしまう。毎日のように自分の元へ、嫌われ者の魔女の所まで来てくれた……友と呼んでくれた少女が死んでしまう。

 ルールリーゼは、たった一人の友達を失いたくなかった。

 再び、上へ向かおうとする。

「貴方、そこで何をしているの?」

 凜とした声が投げかけられる。

 人魚独特の澄んだ声は、マリアンヌのものと似ている。だがマリアンヌの方がずっと綺麗な声だ。彼女は人魚の中でも、美しい容姿と声の持ち主だった。

 振り返ると、五人の人魚がいた。綺麗な髪をした、人魚の女性たち。尾には牡蛎を八つも挟み、花冠をしている。

 牡蛎を六つ以上つけられるのは、王族だけだ。

「あなたたち……もしかして、マリアンヌのお姉さん?」

「どうして海の魔女である貴方が、マリンの名を知っているの?」

 マリンはマリアンヌの愛称だ。妹の名を呼ばれ、長女と思われる凛々しい顔立ちの人魚がルールリーゼを見据える。

 敵意と不審の混ざった目だった。

 だが今は、どうでもいい。

「悪いけど、あなたたちに構っている暇はないの。あとにして」

「ちょっと何を言って……止めなさい!」

「邪魔しないで! 早く陸に行かないといけないの!!」

「行ってどうするの!? 貴方、陸では息が出来ないんでしょう!」

 肩をつかんで止める長女の言葉に、ルールリーゼは振り返った。

「どうしてあなたが、私たちの体質のことを知ってるの?」

「マリンに聞いたのよ。海の魔女は人魚と違って陸に上がれないって、友人がそう言っていたって……まさか、貴方がその友人?」

 ハッと気づいた様子で、人魚の姫君たちはルールリーゼを見る。

 探るような視線に尻込みしながらも、頷く。

 肯定すれば人魚達は目を瞬かせて驚愕を露にした。だが、すぐ納得した様子でこう続ける。

「ねぇ、貴方は魔女なのよね? なら魔法でマリンを助けられないの?」

「無理よ。長である大婆様の力はとても強い。それを打ち消すなんて到底」

 そこまで言って、言葉を止める。

 ――――思い出した。一つだけ、方法がある。

 代償が大きく、とても許されるようなことではないけれど。

「……あなたたちは、マリアンヌを助けたい?」

 尋ねれば、当然だと五人とも頷いた。

 それにホッと安堵する。海の魔女は、自分のために願いを叶える魔法を使うことが出来ない。あくまで、他人のためにしか使えないのだ。

「私はマリアンヌを助けるために、ひどい魔法の道具を作るわ。それを使えば助かるけど、きっと彼女は嘆き悲しむでしょうね。一生心に残る傷になるかもしれない。それでも構わないというのなら、私の家までついて来て」

 ルールリーゼはそれだけを告げると、踵を返して自分の森へと走った。

 人魚の姫君たちは逡巡するように互いに視線を向けるが、しばらくすると意を決して海の魔女の後ろに続いた。



 大鍋を火にかけ、材料を刻んで放り込む。

 混ぜ合わせた材料が煮詰まるまでの間、ルールリーゼは仕舞いこんだ『ある物』を探し、部屋の中をせわしなく動く。

 グツグツと煮えていく鍋の中を怪訝にしながら、人魚の姫は訪ねた。

「ねぇ……一体何を作ろうとしているの?」

「解呪の短剣よ」

 そう告げたあと、人魚姫たちに早口で説明する。

「これは命を扱う魔法。愛する者の心臓を貫き、溢れ出た血を浴びることで掛けられていた魔法を解くの。ただし、魔法を掛けられた張本人が行わないと効果がないし、制限時間を短く設けて作っても代償は大きいわ」

「代償は……どれくらいになるの?」

「代償は三つ。一つは一時的な虚脱状態、短くても一週間は動けないでしょうね。もう一つは大事な者の記憶の中にいる己、魔法を解いた後マリアンヌは貴方達に関する記憶を全て失うわ。最後の一つは髪、命を司る魔法だから莫大な魔力が必要になる。あなたたち全員から、魔力を溜め込んだ髪を貰わないといけない」

 一息に求める代償を語れば、全員が顔を青くした。

 そして姫の一人が、皆を代弁して叫ぶ。

「そんな代償、払えない! 払っても、動けないんじゃマリンを助けられないじゃない!!」

「そうね。だから――――私が代償を請け負う」

 静かに答えると、彼女らは目を丸くした。

 魔女は依頼主が支払う代償を、肩代わりすることが出来る。だが支払う代償は軽くないものがほとんどなので、実行する者はそういない。

「ただ、最後のは私一人じゃ払いきれない。だから悪いけど……あなたたちの髪は頂くわ。肩口くらいまでの長さになってしまうけど、ごめんなさいね」

「気にしないで。妹の命を助けられるのなら安いものよ……でも、良いの?」

 おずおずと、困った様子で尋ねる姫にルールリーゼは「平気よ」と答える。

「あなたたちがマリアンヌに聞いたとおり、私は陸に上がれない。元々あまり外に出ないから、少々動けなくても大丈夫よ」

「そうじゃなくて、記憶……。マリンは、貴方のことを忘れてしまうのよ? 本当に良いの?」

「勿論。というより、この件が終わったら、私のことをあの子に教えないで欲しいわ。体が動くようになったら、引っ越すつもりだから」

「どうして?」

「好きになった男を殺せ、なんて言う女の顔なんて見たくもないでしょうから」

 というのは建前だ。

 いや、それもまた本心だ。だが、ルールリーゼの本音はもっと自分勝手で醜いものだった。

 怖かったのだ。

 マリアンヌに嫌われるのが、恨まれるのが、憎まれるのが。面と向かって拒絶されることが、恐ろしくて仕方ないのだ。

 だから記憶を消して、逃げることを選んだ。

 幼い頃、自分はあれだけ彼女を拒絶したというのに。自分はそれが嫌などと我侭だな、と内心で自嘲する。

「……あぁ、あった」

 しばらくして、探し物は寝台の下に置いた道具箱から見つかった。

 この殺風景な家には似つかわしくない、装飾の施された豪奢な短剣。それは昔、マリアンヌに連れられて向かった難破船で手に入れたものだ。

 宝石類に興味を示さなかったルールリーゼが捨てることなく仕舞いこんでいたのは、その道具箱に入れた物は全てマリアンヌと共に手に入れたり、彼女に貰ったものばかりだからだ。

 一度鞘から抜き、刀身を確認する。

 使う機会はなくとも、手入れしていたそれは新品のように鋭く美しい。

「これなら、やれる」

 ルールリーゼは短剣を鍋の中に放り込む。

 そして自分の胸を引っ掻き、黒い血を垂らした。

「海の魔女は薬を作るとき、自分の血を垂らすって聞いたけど……本当だったのね」

「ええ。私達一族の血は、魔術の効果を高める作用があるから」

 黒い血が混じった瞬間、中で煮詰まっていた薬液が色を変える。それと同時に強い虚脱感を覚え、ルールリーゼは寝台に腰を下ろすように倒れこんだ。

「ちょっと、大丈夫?」

「平気よ。煮詰め終わったら完成だから、持って行って。期限は……朝日が昇るまで。だから急いでマリアンヌの所へ行ってちょうだい」

 ぐったりと重みを持つ体を起こし、薬が刀身に染み渡るのを待つ。

 不意に、ぽつりと人魚の姉姫が呟いた。

「……今まで誤解してたわ、ごめんなさい」

「え?」

「海の魔女はずっと、恐ろしくて意地悪なものだと思ってた。けど実際はそうじゃないと知って……噂に惑わされていた自分が恥ずかしい」

「別に気にしなくていいわ。私達、意地が悪くて天邪鬼なのが多いから。そう思われても仕方がない」

「そう? でも謝罪するわ、ごめんなさい。それと、マリンと友達になってくれてありがとう」

 頭を下げて謝罪と礼を言われ、ルールリーゼは慌てる。

「え? 別にそんな気にしなくても……というより、あの子なら友達くらい普通に沢山いるでしょ? 私はその中の一人ってだけで」

「いいえ。あの子ね、私達の中で一番の美人なんだけど……『末の姫』であるせいかしら。親しい関係にある子がいなかったの。お父様や私達が可愛っていたのも、孤立の原因になっていたんでしょうね」

「何……言っているの? あの子が行方知れずになってから、人魚の国はえらく大騒ぎになっていたと思うけど」

 首を傾げながら言うと、マリアンヌの姉たちは悲しげに首を振った。

「それは最初だけよ。マリンに付きまとってた子たちは、芝居臭いくらい心配してたけど、数日立てばあの子のことを忘れたようにケロッとしてたわ」

「マリンと結婚しても、王になれる可能性は低かったからね。軽いご機嫌取りをしてくるけど、必要以上に関わってくる人はいなかったわ。まぁ、悪い虫がつかなくて良いと、私達は気にしなかったけど……」

「あの子、人魚の国には自分の居場所はないと思ってたんでしょうね。だから地上に憧れて、陸の王子様に一目惚れして、此処から去ってしまったんだわ」

 彼女達の話を聞き、過去を振り返る。

 マリアンヌはいつでも、一人でルールリーゼの元へ訪れていた。ヒドラの森へ行くというのに、護衛は誰もついていなかった。昔から今まで、ずっと。

 両親と五人の姉たち、家族全員と別れるというのに彼女は躊躇しなかった。それはつまり、人魚の中では変わり者の自分が孤立していると感じていたからだろうか。

 そう考えていると、マリアンヌの次に若い人魚の姉が拗ねたような顔をルールリーゼへ向ける。

「マリン、友達の話をする時は凄い楽しげにしてたわ。私達やお父様たちと話をする時以上に、生き生きしてたの」

「そうそう。その子と何をしてどんな話をしたのか嬉々として話すのに、友達が誰なのか教えてくれないの。しかも、私達より友人と会うことを優先する時もあったわ!」

「あぁ、懐かしいわね。あんまりにも一人でどこか行くものだから、外出禁止にしたんだったかしら……兵士の目を盗んで、お城から抜け出したっけ」

「その後、お婆様にこってり絞られたのに全く懲りないものだから、みんな最後には諦めたのよね。物静かで大人しいと思ってたのに、あの行動力と頑固さには驚かされたわ」

 次々と聞かされるマリアンヌのことに、ルールリーゼはあんぐりと口を開いた。あのフレンドリーで快活とした彼女から想像もつかない『城での姿』に、落ちた顎を戻せない。

 快活としたお転婆な末姫は、ルールリーゼしか知らぬ姿だったのだ。



 数十分後、解呪の短剣は完成した。

 人魚の姫君たちとルールリーゼの髪は、腰まであったのが今では肩で揃えたように短くなっている。だが誰もそのことに関しては口にしなかった。

 重い体を横たわらせ、鏡で地上の様子を見る。

 泣き腫らした酷い顔をしたマリアンヌは、姉たちから受け取った短剣を胸に抱いて強く握り締めた。

「……あーあ」

 痛みがまだ残る喉を撫でながら、一人愚痴る。

「結局、会うことも慰めることも出来なかった」

 傍に、駆けつけることが出来なかった。

 そしてもう面と向かって会うこともないだろう。

 王子とその妻となる女が眠る寝台へ向かう友の姿を見つめながら、うな垂れる。

「でも、これで良かったのよね」

 カーテンが引き開けられ、寝息をつく二人の姿が現れる。

 彼女は安らかな笑顔の王子の額に口付けを落とし、短剣を見つめた。

「そう、それで良い」

 その短剣で彼を刺せば良い。

 探し人がずっと傍にいたのに気づかず、挙句の果てに赤の他人をその探し人だと勘違いし番となったその男を、刺し殺せば良い。

 殺して、元の人魚になれば、あなたは生き永らえることが出来る。

 お願い、死なないで。


 だが次の瞬間――――マリアンヌは、部屋を飛び出た。


「え?」

 呆然とするルールリーゼを無視し、鏡面の中の少女は甲板に出た。

 そして短剣を海へ投げ捨て、自身も冷たい海の中へ飛び降りた。

 日が上がっていく。海面が水平線から昇っていく太陽に照らされ、暖められて、光り輝く。

 身を躍らせて身投げした少女の体が、爪先から徐々に泡になっていく。

「なんで、そんな」

 信じられない、と顔を強張らせるルールリーゼを見るように、マリアンヌが顔だけを向けた。少女の体はもうほとんど泡になりつつあった。

 声が出せない彼女は唇だけを動かし、無音で言った。


『ごめんね、今までありがとう』


 直後、水面を乱しながらマリアンヌが海に落ちる。

 海面から上がったのは、それまでマリアンヌであった泡だけだった。


 童話にあった人魚姫がなんで一人で魔女の森にいったのか、なんで陸地に憧れていたのか、どうして人魚姫のことが家族以外描かれていないのかなど考えた結果、こうなりました。

 私個人の勝手な推察ですが、物語的にはありえるのかなぁ。

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