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 出会ったのはいつだっただろう。そうあまり昔のことではないと思う。

 切っ掛けは確か、薬の材料を採りに出かけた時だ。

 人魚の少年達に見つかり、虐められていた時、彼女が現れた。彼女は少年らを追い払った後、泣いていたルールリーゼに手を差し出した。

「初めまして。ねぇ、一緒に遊ばない?」

 それ以来、毎日彼女と顔を合わせるようになった。

 会わない日など、そうなかったというのに――――。


 マリアンヌが訪れぬようになった家は、ひどく静かで落ち着かない。いつもは彼女の騒がしい声にため息を付いていたというのに、今は深々とした静けさに吐息を漏らすばかり。

 ルールリーゼは浮かない顔で本をめくりながら窓を見やる。

 普段なら、もうそろそろヒドラの森を抜けてやってくる時間帯だ。

 しかし、彼女はもう海にはいない。

 地上に上がり、人の姿を得たからだ。

 人は水中で息が出来ない。ルールリーゼの家は海底の奥の奥にある。だから人では決して来れないのだ。

 ルールリーゼがどれだけ頑張っても、地上へ出られぬように。

「……はぁ」

 ルールリーゼは今日で何度目かになる吐息を漏らすと、鏡をそっと撫でる。

 鏡には、自分でなくマリアンヌの姿が映りだされた。鏡面に風景を写す魔術だ。これのお陰で、あまり家に出ずとも外の様子を知ることが出来る。

 現在の彼女は「可愛い拾っ子さん」と呼ばれ、どこかの城に住み込んでいた。煌びやかな殿に、ふわりとドレスと共に踊る金髪。頬をほんのりと赤らめ無邪気に笑う姿は人の信じる『天使』のようだ。

 誰もが可憐な少女の姿に見惚れ、マリアンヌの想い人であろう青年も彼女を慈しんでいる。ただ彼女にとって残念なのは、その慈しみが子供に対する親のソレに近いところだろうか。恋愛のれの字も見当たらないように思える。

 マリアンヌの方は完全に恋愛対象として見ているのに、喋れないせいか彼女の気持ちがまるで伝わっていない。

 何度か抱きついたりと積極的にアピールしてはいるが、それさえ幼子が父母に抱きついているかのように取っているのだろう。男の顔は和やかで、微笑ましいものを見ているような眼差しをしている。

「まぁ、そうトントン拍子にはいかないでしょうね」

 肩を竦めて苦笑しつつ、鏡越しで「頑張れ」とマリアンヌを応援する。

「でも、何かしら……一体」

 ルールリーゼはマリアンヌの想い人を、再度見やる。

 柔和に整った顔と、茶色がかった金髪。へーゼル色の瞳。長身痩躯の彼の纏う衣服は、上等としか言いようのないものだった。上等過ぎる。そこらの貴族では簡単に手をつけられないほどに。

 それにキビキビとした一挙一動と、兵士らの彼への態度から単なる若者ではないことは明らかだ。

「嫌な予感がするわね……」

 そう首を捻りつつ、懸念を振り払い友人の恋が成就することを祈った。


  ◇◇◇


 マリアンヌが海から去ってから、数ヶ月。

 薬の材料を採るべくヒドラの森を出たルールリーゼは、人魚の国の兵士たちの姿を目撃する。

 人魚族の、海の魔女に対する評判は悪い。下手に姿を見せれば厄介なことになるだろう。面倒ごとを嫌うルールリーゼはさっと物陰に隠れ、兵士達が立ち去るのを待った。

 すると、近づいてきた兵士達の会話が聞こえる。


「マリアンヌ様、どこにもいないな」

「あぁ。本当どちらに行かれてしまったんだろう……王様もお后様も、姉姫様方もひどく心配していられるというのに」

「難破船の方にもいなかったよな……なぁ、他に心当たりはないか?」

「そういや……行方不明になる数日前、王子様がどうとか」


 耳に入ってきた王子と言う言葉に、ルールリーゼは目を剥いた。

 マリアンヌが心奪われた男は、只の貴族というには出で立ちも立ち振る舞いも優れていた。それに彼の腰に提げた剣の柄には、この海の近くにある王国のものと思われる意匠も施されていたのを思い出す。

 ――――まさか恋した相手が王子だったなんて。

 ルールリーゼはその場から去り、急いで大婆の下へと向かう。

「大婆様!!」

「なんだい、ルル」

 焦った様子の曾孫とは対照的に、大婆はゆったりと構えている。普段は沈んだ瞼で見えぬ赤い眼が、この時ばかりは堂々とこちらを見据えていた。

 その鋭い眼差しに一瞬怯んだ。だが首を振って覚えた寒気と恐怖を払い退け、大婆に尋ねる。

「マリアンヌに与えた薬は、一体どういうものにしたんですか」

「あぁそれかい」

 大婆は苦笑しながら、答えた。

「効用なら、いつも契約の時に作る薬と変わりないよ。一度人間になれば、もうあの子は人魚には戻れない。王子の心を射止め、神父の前で夫婦の誓いをしなければいけない。そして王子が他の女と結ばれる場合は、海の泡になって消える……これだけさ」

「なんでそんな内容の契約にしたんですか!! それじゃあ彼女は、殺されるために人間になったようなものじゃない!」

 ルールリーゼは我を忘れ、怒鳴った。


 王族は結婚の際、必ず神父の前で誓いを行う。

 神父の前で夫婦の誓いをするということは、神に夫婦になることを認められなければいけないということだ。

 魔女と契約を交わした者は、同じ魔女として扱われる。

 神は魔女を決して認めはしない。どんな理由があったとしても。


 そして人は、魔女と知れたものを火刑に処して殺すのだ。


「大婆様、今すぐ契約を解いてください! あの子を元の人魚に戻して!!」

「アタシは二度と人魚に戻れない魔術をかけたって、今言ったばかりじゃないか。それにあの子にアタシを進めたのは、他でもないあんただろう。何を今更」

「あの子の惚れた相手が王子だと分かっていれば、人間になんてさせませんでした! 王族は婚姻の際には必ず夫婦の誓いをするから……っ」

「じゃあ、あのお姫様が惚れた相手のことについて聞かなかったあんたが悪いね。アタシを責める義理はないよ」

 すげなく大婆に言われ、ルールリーゼは拳を強く握り締めた。

 確かに、その通りだ。あの時マリアンヌに詳しく聞かなかった自分が悪い。彼女の話にもっときちんと関心を向けていれば、こんなことにはならなかっただろう。

 だが、それでも思うのだ。

「どうして止めてくれなかったんですか……?」

「止めたさ。失敗すればどうなるかとか、たとえ成功しようが幸せにはなれないだろうこととかをさ」

 大婆は蟇蛙の頭を撫でながら、肩を竦めて続ける。

「人魚が人間に恋なんてロクなことにならないからね。だから初めに色々と脅したさ。代償に声を貰うことや、歩くたびに足が痛むこと。失敗した場合のことを大層恐ろしく言って、脅かして、怖がらせて。『やっぱり止める』っていうのを待った」

 けどね、と大婆は言いながらルールリーゼに視線を向ける。

「あの子は思ったより我が強いね。散々脅かしたってのに、ちっとも怯まなかったよ。そんで笑いながら受け入れちまったよ。『喜んで!』って笑ってね」

「…………」

「分かるかい? あの末姫は遊びじゃない、本気なんだよ。本気であの王子に惚れて、愛しているんだ。ならその恋路を邪魔すんのは野暮ってもんさ」

 そう大婆に窘められるも、受け入れられなかった。

「大婆様……」

「駄目だよ」

「ま、まだ何も」

「言わなくたって分かるさ。あんたまで地上に行くなんて、駄目に決まってるだろ。訪れた者の願いを叶え、その行く末を見届ける。それがアタシら魔女の役目であり義務だ。昔っからこんこんと教えてきたろう」

「…………はい」

「思い出したなら結構。今まで通り、大人しく傍観しておきな。アタシは、あんたに薬を作ってやんないからね」

 完全に拒否され、ルールリーゼは俯いた。

 海の魔女の薬は、作り主自身が使っても何の効果も示さない。もし薬を使うなら、その場合は他の魔女に作ってもらうしかないのだ。

「そう慌てるんじゃないよ。アタシの作った期限は『王子が他の女と結ばれる時』まで。猶予はまだまだある。お姫様はどんだけ時間をかけてでも、あの王子の心を手に入れるつもりなんだろうさ」

「…………」

「ルル。あのお姫様を友人だと思ってるんなら、見守ってやりな」

「…………」

「早く自分の森に戻りな。あんたもちゃんと魔女としての務めをするんだ。ほら、さっさと行ったいった」

 結局、その日は家へと戻った。

 家の材料となった死人の顔が、往生際の悪いルールリーゼを嘲笑うような、そんな表情をしていた。 



 ルールリーゼはその後も諦め切れず、大婆の元を訪れたり、陸へ上がろうとしたりした。

 だが大婆には冷たくあしらわれ、陸へあと十数メートルというところで呼吸が出来なくなり海の底へ戻ることとなった。

 結局、これまで通りに鏡でマリアンヌたちの様子を眺めた。

 だがやはり内心、落ち着いてはいない。人間は人魚や海の魔女よりずっと寿命が短く、脆い。いつどこで、何らかの切っ掛けで死んでもおかしくない。死んでしまった場合も目的を果たせなかったとして、彼女は泡になってしまう。

 出来るだけ早く、彼女には結ばれて欲しかった。

 だが彼女が、決して王子に結ばれないことは分かっていた。

 なら出来るだけ、王子が誰とも結ばれずマリアンヌと穏やかに過ごして欲しい。ずっと、長く。出来れば寿命で死ぬその時まで。

 だがそんな願いも叶いはしない。

 数ヵ月後、王子は隣国の王女と結婚することになった。


 マリアンヌの想いは届かず、彼女の恋は虚しく破れたのだ。


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